女社長 P4



「玲子さんはどなたの後を継いだのですか?」
「私は…ただ順番に階段を上っただけよ。まあ少しは裏から手を回したけどね。」
ふふ、と目を細めて玲子は微笑んだ。
「叔父から継いだの。彼にはまだ幼い孫がいるんだけど…まだ早いからね。今から将来を決めてしまうのはかわいそうでしょ。」
「そうですね。」
「それに比べたら恭平くんは十分跡継ぎの資格を持ってると思うわよ。お父さんに聞いてみなさいよ。」
「はい…今度してみます。」
恭平は頷いた…
が、実際は乗り気ではなかった。
今までの孝平の態度からして、聞かなくても結果は見えている。
むしろ、玲子がなぜこんな話を持ち出したのか気になるところだ。

恭平はスパゲティの最後の一本をフォークに絡めとり、口に運んだ。
ちゅるりと吸ってペロリと舌を覗かせる様子を、玲子がじっと見ている。
うっとりとした目でこちらを見て来る玲子は年齢を忘れさせるほどの艶やかさがあると思った。

「聞きたいことはね…、恭平くん。」
「は、はい?」
一瞬だけでも玲子に見とれていた恭平は、我に返って目を見開いた。
相手の話を聞こうとする時、食い入るように相手を見つめるのは恭平の癖だ。
この時も黒い瞳で玲子を見つめた。

「佐久間くんの跡取りが誰なのかってこともなんだけど。それよりも彼に再婚する気があるのかってことなのよ。」

「―――え?」

思考が止まった。
思わず自分の耳を疑う。
誰が、誰と、再婚だって?
唐突すぎる会話の展開についていけない。

「どういうことですか?突然…」
「孝平くんは絵に書いたような勤勉家でしょ。昔から勉強馬鹿で仕事馬鹿。そんな彼がもし引退して誰かに社長の座を譲ったら、その後はどうするのかしら、と思って。」
玲子はいたって真面目な表情をしつつ言った。
そんな態度に恭平はますます困惑してしまう。

父さんが再婚。
その前に仕事をやめるって?

…考えたこともなかった。

恭平は明らかに戸惑うように眉を寄せ、唇を噛み締めた。
「そんな…ないと思いますけど。」
そんな彼の様子を確かめるように、玲子が続ける。
「実はね、愛さんが現れる前に付き合ってた人がいるのよ、佐久間くん。」
「えっ?…女の人ですか?」
思わず聞いてから、恭平は慌てて口を手の平で覆った。
世間から見ると相手は女性に決まっている。
玲子は含み笑いを返した。
「やだ、知ってるのね。」
「あ…。」
「親子だものね。そう、相手は男の人。私の兄。」

「……!」

恭平は目を見開いて無意識に呼吸を止めた。
目の前にいる三枝玲子の兄が、昔、孝平と関係を持っていたというのか。
…今現在の関係でも頭が痛いと言うのに、今更もっと過去の話が舞い込んで来るなんて…。

「その兄がね、一週間ほど前に街であなた達二人を見掛けたって言うから。私もちょっと興味をもったわけ。」
「え…?」
興味?

恭平は緊張で体を強張らせた。
玲子の話の持っていき方は心臓に悪いものばかりだ。
父と子の関係以上のことを他人に勘ぐられたくない。
玲子は片肘をテーブルについて、手に顎を乗せて微笑んだ。

「お父さんには、今現在イイ人はいないのかしら?」

玲子の微笑に恭平は心臓を握られたような苦しさを覚えた。



竹本は顔を上げた。
秘書室のガラスの向こうから、孝平が社長室を出ながらコートを羽織り、こちらへ向かって来るのが見える。
間もなくノックの次にドアを開けて孝平が顔を覗かせた。
「社長。いかがされました?」
ドア付近にいた秘書のうちの一人が尋ねる。
「少し出て来る。」
「はい。」
「もし恭平が来たら待つように言っておいてくれるか。」
「はい。ではどちらへ行かれるので?」
「落ち着かないから峰山について現場を回って来るよ。すぐに戻る。」
「かしこまりました。」
孝平は颯爽と秘書室を出て行った。
竹本はしばらくその背中を見つめていたが、やがてすぐに目線をパソコンの画面へ戻した。
その表情からは何も読み取れない。

ロビーへ下り立つと峰山と一人の部下が待っていた。
誰かと思えば、図体が大きい割に人当たりのいい顔をした矢吹博人だった。
気まずそうに大きな体を縮ませている。
孝平を見つけて峰山が手を振った。

「悪い、待たせたかな。」
「いえ全然。では行きましょうか。」
峰山は笑って、矢吹に目配せした。
矢吹が車のキーを取り出して自動ドアの隙間から駆けて行く。

「…珍しいな、どうしたの。」
「何が?」
「最近現場に行くこと減ってただろ。」
峰山が探るように孝平のことを上目遣いで見つめた。
見つめ返していた孝平はやがてふいっと視線を逸らし、コートのポケットからくちゃくちゃに丸まった紙を取って差し出した。
「ん?」
「見ろ。」
言われるままに峰山が紙を開く。
そこには三枝玲子の名前があり、峰山は目を丸めた。

「おい、あいつ本当に社長になったのかよ?」
「ああ。つい一週間ほど前の話だが。」
「…は。すげぇな。」
峰山はしきりに感嘆し紙を離したり近付けたりして溜め息を付いた。

「まあ、祝ってやるのが筋だろうな。はいよ。」
峰山が返した紙切れを受け取って、孝平はそれをポケットに戻した。
「玲子が、恭平を食事に誘った。」
「恭平くんを?…なんのために?」
「さあな。ただ玲子の用件は想像できなくもない。」
「…まさか。俊夫さん?」

孝平は黙った。
三枝俊夫、それは玲子の二つ上の兄の名だ。

「そりゃ今更すぎるだろ。大体それじゃあの人本人がお前…あ、いや社長、に直接連絡取るべきじゃないのか。なんで玲子が恭平くんに、なんだ?」
「…それがわかれば苦労しない。」
峰山は孝平の言葉の端にわずかのイラつきを感じ取り、神妙に口を閉ざした。
しばらくの沈黙。

やがて、ロビーの外に矢吹の運転する車がすいっと停車した。


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