女社長 P5
「そろそろ帰りましょうか。」
玲子が満足した笑顔を向けて恭平に言った。
他愛もない話をいれてもかなりの時間が過ぎた気がする。
ただ、恭平は内容がなんであれ玲子が始めに言った孝平の話が頭から離れなかったが。
妙な胸騒ぎがしてならない。
「森坂が待っているし、私もそろそろ仕事に戻らないと。恭平くん、ところで佐久間くんから預かっているものはない?」
「えっ…あ。あります。」
恭平は思い出して足下に置いた鞄を取り、中から預かっていた茶封筒を取り出した。
くるりと回して玲子の方へ向ける。
「これです。」
「ありがとう。」
玲子はにっこり笑って手を伸ばし、受け取るなり封を開けて中を覗きこんだ。
そして、ふっと苦笑する。
「やるわね、佐久間くん。」
「?」
「急いで帰りましょう。一緒に事務所へ戻ってもらってもいいかしら。」
「はい、大丈夫です。」
恭平は飲み込めない事態に戸惑いながらも、玲子について席を立った。
会計をカードでさっと済ませてしまう玲子はさすがだと思った。
玲子は社長室へ戻るなり、待っていた森坂に声もかけずデスクへ直行した。
封筒の中から中身をざっと取り出し、目もくれずにパソコンへ向かう。
森坂が不思議な顔をして恭平を見たが、もちろん恭平にだってわからない。
二人がきょとんとしている中、すぐにプリンタが動き始めた。
「玲子さん?」
森坂が声をかけた。
玲子は画面から目を離さずに答える。
「森坂くん、恭平くんを駅まで…いえ、佐久間建設本社まで送ってさしあげて。」
「え?それはかなり時間かかりますよ。」
「いいわね。」
「…了解です。」
「それから恭平くんは今から渡す資料を佐久間社長に渡してくれる。なるべく早い方がいいわ。」
玲子が完全にビジネスモードに入っている。
恭平は気後れしつつ頷いた。
しばらくすると玲子は立ち上がって十何枚重なった束をプリンタから取り出し、恭平から受け取ったばかりの封筒にそれらを滑り込ませた。
クリップで軽く止めて封をし、恭平の方へ歩いて来る。
「これよ。よろしくね。」
「はい。」
「それから今日はどうもありがとう。とても楽しかったわ。」
そう言って恭平の手を取り。
その甲に軽く唇を押しつけた。
「!?…っ」
驚きのあまり恭平は息を止めた。
森坂も目を見開いてこの光景を見ている。
慌てて逃げるように手を引くと、玲子が笑いながら顔を上げた。
「一度やってみたかったのよ、こういうの。感謝の印。」
と、まるで子供みたいなことを言う。
イメージの掴めない人だ…。
「さあ、行ってちょうだい。森坂くん、頼んだわよ!」
「頼まれました。」
頭が半ば呆然としたままの恭平は背を押され、森坂と共に三枝の社長室を後にした。
作り途中の物件を見学していた孝平は、ふと腕時計を見た。
…そろそろかな。
後ろを歩く峰山を振り返り、孝平は言った。
「峰山、私は帰ろうかと思うが。大丈夫かな。」
「そうですか。参考になりました?」
「十分過ぎるよ。」
「それは良かった。」
峰山は微笑んで、手を振って矢吹を呼んだ。
現場の人に混ざって興味津津に様子を見ていた矢吹が慌てて飛んでくる。
「呼びました?」
「一旦車で社長を本社にお連れして。」
「あ、はい。」
「それからすぐに戻ってこいよ、今度は俺と次のとこに移る。」
「了解っす!」
体育会のノリでかしこまって返事をし、矢吹はヘルメットを外して駐車場まで駆け出した。
「元気な奴。」
「悪いな。」
「いいですよ、それに矢吹はね、今度恭平くんと夜景を見に行くとか嬉しそうに言ってましたから、文句があるなら今のうちに言っといたほうがいいですよ。」
「はは。文句なんてな。」
……ないとも言い切れないか……
孝平は自嘲気味に笑った。
今度直接恭平に聞いてみるか。
なんと答えるか、それに関してわざと追及してみるのも悪くない。
ビルの前で車を止めた矢吹に礼を述べ、孝平は会社へ戻ってきた。
エレベーターで社長室のある14階まで行き、秘書室に合図を送る。
たまたまドアの前に立っていた竹本が、扉を開けて言う。
「恭平さんが帰ってますよ。車に酔われたようで、仮眠室へお連れしました。」
「そうか。ありがとう。」
孝平は人当たりのいい彼独特の笑顔で答え、社長室の鍵を開けた。
ここの鍵を持っているのは本人の孝平と、秘書室を管理している竹本のみだ。
コートを脱いで袖のボタンを外し、孝平は仮眠室のドアを開けた。
一つしかないベッドの上には入ってそのまま倒れこんだという様子の恭平が、掛け布団も掛けずに仰向けになっていた。
目の辺りを腕で隠して、じっとしている。
明かりをつけると腕を浮かし、血の気の薄い顔で孝平のことを見上げた。
「あ…父さん。お帰り。」
「ただいま。大丈夫か。」
「うん、ちょっとね。軽いからすぐに治るよ。」
恭平は微笑んで体を起こした。
ベッドの脇に置いた鞄から封筒を取り出して、孝平に差し出す。
「玲子さんから。できるだけ早く渡せって。」
「ほう。」
孝平は受け取って封筒の中に手を差し入れた。
半分だけ出してざっと目を通し、玲子と同じような反応を見せた。
ふっ、と笑ったのだ。
「…何?」
恭平は気になって聞いてみた。
二人して似たような仕草をしておきながら、中間に立った恭平には何も説明がないからだ。
しかし孝平ははぐらかすように、封筒を側にあった背の低いテーブルに放った。
「恭平を否が応でも早く帰させるための工夫だよ。」
「へえ…?」
「あいつの血相を変えた顔が見たかったな。ふふ。」
「そんな感じでもなかったよ。」
恭平は封筒を渡した時の玲子の反応を思い返して首をかしげた。