女社長 P17



玲子の兄、三枝俊夫は四十代後半に相応しい落ち着いた足取りで妹の指定したホテルの一室に向かっていた。
人の良さそうな顔をしているが、黒縁の眼鏡の奥には玲子に似た知的な瞳が前方を見ている。頭は白髪の混じり始めていて、口の端には疲れたようなシワが寄っていた。
左腕にはめたシルバーの時計に目をやって、エレベーターの呼び出しボタンを押す。数秒も待たずしてドアが開いた。音もなく、静かに。
乗り込んでドアを閉め、俊夫は何故このホテルに来ることになったのか考えた。

数日前、今は玲子の秘書という地位についている森坂悟に会った。
人通りの多いメインストリートの一角の、ガラス張りの小さなカフェでコーヒーを飲みながら、森坂は言った。
「この前俊夫さんが駅で見かけたっていう、佐久間建設の御曹司くん。」
「え?」
「恭平くん。彼、かわいいですね。」
森坂はコーヒーカップに口をつけたまま、俊夫を上目遣いに見やって微笑んだ。
「会ったのか?」
「ええ。昨日も一緒に食事しました。」
「…。」
「二人で。お父様に似ず、優しい方でした。」

俊夫は膝の上で拳をぎゅっと握った。
玲子ならともかく、森坂に佐久間孝平という男の何がわかるというのだ。
知ったような顔をされたくない、と思った。

それを感じ取ったのか、森坂は持っていたカップを置いて、テーブルに肘をついて前に乗り出してきた。俊夫の顔を下から覗き込むように見上げる。
「何か気に障りました?それでしたら、ごめんなさい。」
「いや…」
素直に謝られて俊夫の方が焦ってしまった。
森坂のこういうところが憎めない。
憎むどころか…
「大丈夫ですよ。俺、佐久間の社長には興味ありませんから。」
「ば…っ、冗談も大概にしろ。大きな声で言うな。」
「俺が心から愛しているのは俊夫さんだけですよ。」

だから大きな声で言うなって!!!

俊夫は肩をすくめて身を縮ませ、周りを見渡すことも恥ずかしくてできなかった。四十を越えて渋みの出始めた男が、二十代後半のどう見ても遊び盛りなお年頃の男に煽てられてドギマギしている。
我ながら馬鹿らしいと、俊夫は小さく溜息をつく。

「…はぁ。それで、恭平くんがどうしたっていうんだい。」
「あれ?俺の愛の告白についてはコメントなしですか。」
「なし。」
「つれないなぁ。それじゃ、今晩は体で答えてくださいよ?」
「…。恭平くんがどうしたって?」
内心焦りまくっているのにさも平然を装って、俊夫は森坂を睨んだ。
真っ赤になった目の前の男を満足そうに見て笑い、俊夫は足を組んで話し始めた。

「この前、彼と玲子さんが一緒にお食事したんですよ。その時に、どうも玲子さんてば俊夫さんと佐久間社長の過去の関係について喋っちゃったらしんですよね。」
「…。もう終わったことだ。向こうも記憶にすら残っていまい。」
「そうですかねえ?俊夫さんとのベッドは印象深いと思いますけど…」
「話を逸らすな!」
「はい、すみません。で、」
俊夫は肩をすくめて、話を続けた。
「そうしたら、恭平くん、そのことをだいぶ気にしていたようで。っていうか父親が男と関係を持っていることを知っていたらしんですよ。」
「…へえ?」

意外。
……でもないか。

この時から数日前、まだ玲子が恭平と食事をしたいと言い出す前に、孝平と恭平が二人で百貨店にいるのを目撃したのは、偶然にも俊夫だった。
最初は久しぶりに見た孝平に目を奪われて、身動きができなくなった。
大学時代の若々しさは当になくなっていたが、あの頃と何も変わらない見透かしたような深い瞳に、孝平らしさを少しも失わない微笑み方。
彼は結婚し、数人の子供をもうけ、幸せに暮らしているようだった。

隣にいる男の子とずっと話しながらシャツ売り場にいるが、あれは彼の息子だろうと思った。やはりどこか雰囲気的なものが似ている。
体格も、少し背丈が違うくらいで昔の彼にそっくりだ…
そう、思っていたら、息子が片足をひょこっと引きずっていることに気付いた。
気になって目で追っていると、すれ違った人と肩をぶつけて彼がよろめいた。

あ!危ないっ!

俊夫は無意識に一歩踏み出した。
そして、見たのだ。
よろめいた恭平の腕を咄嗟に掴んで、自分の方へ引き寄せた孝平の姿を。
抱きとめて、耳元で何か囁いたのを。
支えてもらったことに礼を述べながら、どこか照れくさそうに微笑んだ恭平の笑顔を。


俊夫は気持ちを落ち着けるため、コーヒーカップに手をつけた。
「…不思議でもないだろう。親子なんだから。」
「まあ、確かに。でも、これは俺の勘ですけど…」
「勘?」
「ええ。俺の勘だと、恭平くんも、同じだと思いますね。」
「え?」
「男同士でセックス、したことあるんじゃないかなぁ。」
「……誰が?」
「だから、恭平くんが。佐久間社長に教えてもらってたりして…」

ドキリと心臓が高鳴った。
森坂の発言に焦る。妙な汗が背中を流れる。

自分の感じたにわかには信じがたい予感を、他の人間も感じていた。
自分よりもやり手の男、森坂も、感じていた。
そのことがショックだった。


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