女社長 P22
ドア付近で俊夫は固まっていた。
妹の言い出すことには、毎回毎回驚かされる。初めて計画を聞いた時は絶対に無理だと思った。大体、恭平くんとどうやって知り合うんだ。どうやってベッドまで行くんだ。どうやって、合意の上でという証拠を作り出すのだ…
課題はたくさんあるように見えた。
成功したら、もしかしたら佐久間を乗っ取れるかもしれない。
文字通り、地位も名誉も全て自分のものにできるかもしれない。
やり方が非道すぎるが、成功すればもれることはないだろう。
硬直した俊夫の更に後ろで、静かに状況を見守る男が一人。
竹本伸彦だった。
彼は静かに俊夫の後ろに近付いて、その口元を手で塞いだ。
「!」
俊夫が声も無く振り返る。
竹本は人差し指を立てて、口元に当てた。
目配せで黙っているように言うと、俊夫は大人しくなった。
元からこの計画に乗り気であるようには見えなかったから、予想通りだった。
玲子は一歩前に出た。
「例えばの話よ。結婚したいなんて、お父様が許してくれないでしょう?ねえ、佐久間くん。」
「…愚問だな。恭平の意志があるなら別だが。」
怯えるように自分にすがる息子に、その意志があるとは思えない。
孝平は玲子を見上げて眉を寄せた。
「恭平くんは若いもの。将来もあるわ。セックスだって…これから何度でも、誰とでもできる。」
「やめなさい、そういう風に言うのは。」
「事実よ。でも…私にはそうそう機会があるものじゃない。それは孝平くんだって同じでしょ?」
「だから、何が言いたい?俺はお前の退屈しのぎに付き合いに来たんじゃない!」
語尾が強くなった。
森坂がウォークマンのイヤホンを耳に当て、再生ボタンを押した。
「うーん、いい声だな恭平くん。佐久間さんもどうですか。聞きますか?」
孝平は森坂を一瞥し、相手にしなかった。
あんなテープ、真相がどうであれ後で燃やしてやる。
「率直に言いましょうか。ここからはビジネスの話よ。」
「ああ。」
ビジネスの話に、恭平の身体が巻き込まれていること自体、孝平にとって好ましい状況でないのは明らかだったが。
「我々が持っているこのテープは、貴方のご想像通り、私達が愛し合っているという証拠よ。ちゃんと声も入ってるわ。聞く?」
「結構だ。」
「当然、このテープを回収したいでしょうね。」
「当たり前だ。」
「でも、世の中はそうはいかない。」
森坂は人を小馬鹿にするような言い草で、手を大きく広げて言った。大げさなジェスチャーが気になるところだが、あえて目に入れないようにする。
「もちろん、何をしなくちゃいけないか、わかってらっしゃいますよね?佐久間社長。」
「…金か?」
「違うわ。」
玲子がすかさず言う。
「結婚よ。」
「え?」
孝平は不覚にも目を見開いて驚愕の表情をした。
「結婚?さっき、例え話だと言ったじゃないか。」
「私と恭平くんの結婚は、例え話よ。年の差がありすぎるし、あまりにも恭平くんがかわいそうだわ。世間からも形だけの政略結婚だと見られておかしくない。」
「じゃあ一体…」
誰と誰、と言い掛けてはっとした。
思考が止まる。時間も止まった気がした。
自分の膝の上でぐったりとして震えている恭平は、本当にただ利用されただけなのだと悟った。
理性を失いかける。
「私と、佐久間くんの結婚よ。」
玲子がもう一歩前へ出た。
手を伸ばせば、孝平に手が届く位置まで。
「コレを返して欲しかったら、私と結婚してちょうだい。佐久間と三枝は一つになるのよ。心も身体も、そして地位と名誉も。」
愕然とした。
玲子の笑顔が止まって見えた。
何か言わなければ、と思うが咄嗟に何も出てこない。
こんなに混乱させられたことは過去に初めてかもしれない。
愛が見ていたら笑うだろうか。
恭平が顔を上げた。
玲子の腕を掴む。
「どうして!どうしてそんなこと言うんだ…っ!」
「ごめんなさいね、恭平くん。私は恭平くんも好きだったわよ。」
「違う!どうして…どうして!父さんを母さんから取らないで!!」
「子供は黙ってるのよ。」
玲子は恭平の手を振りほどいた。
むっとして、恭平は諦めずに玲子の腕を掴む。震える足で立ち上がった。
恭平は珍しく、怒っていた。薬で自由の利かない体を動かすほど強い衝動に駆られていた。
「玲子さんのやり方は間違ってる!父さんが好きなら、真正面から体当たりすればいいんだ。どうしてこんな、誰も報われない方法を取る?」
玲子の後ろで、俺は報われてるけどね、と森坂が小さく呟いた。
恭平は彼に目もくれず玲子に掴みかかった。
さすがに孝平が驚いて恭平を見た。
「恭平、落ち着きなさい。」
「父さんも断ればいい!こんな要求…俺はどうなってもいいよ。あのテープを流されたって構わない!でも…こんなやり方で、俺の家族が、父さんが、誰かに踏みにじられるのだけは嫌なんだ!!」
目尻からポロポロと涙を流して孝平を睨む。
久しぶりだ、恭平の怒った表情は。
孝平は心のどこか別の部分で、ぼんやりとそんなことを思った。
恭平は玲子に向き直った。
冷静な玲子の目を、面と向かって睨み返した。
立つと恭平の方が背が高いから、見下ろす形になる。
「玲子さん、俺は貴方が嫌いだ。結婚なんて認めない!絶対に認めな…っ」
パンッ!!
「っ…」
室内に肌の叩かれた音が響いた。
孝平の目の前から恭平がベッドの方に倒れた。
視界に現れたのは右手を高く上げた玲子の姿だった。
頬を押さえて、恭平が呻く。その彼を見下ろして、玲子が言い放つ。
「子供は黙っていなさい。大人の話をしているのよ。」
恭平は悔しくて、痛む頬を押さえてポロポロと涙を流した。
自分が孝平の足を引っ張っているからこんなことに。
…自分が玲子と森坂に抱かれたばっかりに。
そんな時。
緊迫した空気を破った人物がいた。
「大人の話も、そこまでですよ。…大して、立派な大人のする話の内容だとは思いませんけどね。」
ドア付近に立っていた、竹本だった。