雷雨 P2



雨が降り始めた。
激しい夕立で、この雨雲は雷もつれてきたらしい。
空が雷鳴し、雨粒が地上を打ちつける。

「まーた、雨だわ。」
明美は体育館の二階の窓から校庭を見下ろし、呟いた。
放課後の体操部の活動は練習メニューの中盤を迎えている。
明美は腰に手を当てて、空を見上げた。

洗濯物、大丈夫かな。


「おーい、佐久間!お前のケータイ、リラックマついてるか?!」

下から男子が明美を呼んだ。3年生になった今も共に活動している数少ない同級生だ。
「ついてるよ〜。あれれ、欲しいの?」
「ばぁか。鳴ってんだよさっきから、ブーブーと!うっせーからなんとかしろ。」
「えっ、まじで。ごめん、今行く。」
「いいよ、投げるぜ。」
「えっ?!ちょ……っ」

わー!!

明美は心の中で絶叫し、手すりから乗り出して両手を出した。
胸を打つ。
痛い。

宙を舞った携帯電話が指を掠め、弧を描いて落下する。
ゲッ!と思ったのも束の間、ストラップのリラックマを掴むことができた。

「おー、ナイスキャッチ。」
「あぶな!!!」

あとで成敗してやる、と心に誓い、胸を撫で下ろしつつも中を覗く。
それは意外な電話番号からの通知だった。

祖父、松嶋旭。

「…もしもし、おじぃちゃん?」
明美は電話機を耳に当てた。
手元でリラックマがくるりと回る。
『明美かい。元気そうだね。』
祖父の声は落ち着いていた。
「なぁに、どうしたの?珍しいね、おじいちゃんがケータイに電話してくるなんて。」
『ああ、本当に繋がるとは思わなかったよ。』
「やだーもしかして試しにかけてみたって感じ?」
『まぁそれもあるけど…家のほうにかけても、誰も出なかったからなぁ。』
「そう?兄さん今日仕事だっけなあ…?」
朝、兄は家にいた。
スーツを着るような素振りは見せていなかったな、と明美は考える。

『その、恭平のことだが。』
「え?」
心なしか祖父の声が上ずった気がした。
だが明美の感じた少しの違和感はすぐにかき消された。次の発言が予想しなかったものだったからだ。

『今日は、少しこのじいちゃんに相談事があってな。お兄ちゃんを貸してもらえるようお願いしたいんだけども。』
「えー?どういう意味?」
明美は顔をしかめて窓に額を寄せた。
外は陽の光を失い、暗くなりかけている。
窓に明美自身の姿が映っている。
雨は仕切りに強く振っていた。雷が時折思い出したように空を明るくした。

『そのまま。夕飯の準備、恭平の代わりにお願いしてもいいかい?』
「……えええええええっ!」

明美はムンクの叫びのように頬に手を当てた。
双子の兄貴ズの嫌そうな顔が眼に浮かぶ。
ヤバイ。それはヤバイよ、おじいちゃん!

「待って待ってよー!それじゃ、明美もおじいちゃん家に行って一緒に食べるッ!」
「こらこら…相談事があると言っただろう。できればまずは恭平に聞いてもらいたいと思っていたんだよ。そこへちょうど今日、恭平が訪ねてきたもんだから。」
「相談って?何、相談するの?」
「明美には言ってもわからんよ。それにここで言ったら相談事じゃなくなってしまうし。」
「え…え…。じゃぁ…」
「明美ちゃん。無理かねぇ…」

受話器越しに祖父が弱った声を出す。
まさか、夕飯というより料理そのものが苦手なのでやりたくないんです、とは言えなかった。
聡ちゃん、今日バイトだっけ?
良ちゃん、帰ってくるの早かったっけ…

「わ、わかった。夕飯、明美作るよ!!」
『おー。とても助かるよ。どうもありがとう。恭平にはじいちゃんから言っておくから。』
「うん。よろしくね!」

ぷつ。

電話を切り。
明美は目を丸くして放心した。

どーしよっ!!
夕飯…夕飯、一人で作るの?!明美が?!!
ああ…。

「おい佐久間ぁ!いつまでさぼってんだぁ!」
顧問の呼ぶ声が、明美の耳の遠くの方で聞こえた。



チン、と受話器を置く。
松嶋旭の家の電話は、今時珍しい黒電話のままだった。
「…これでよかったかな。」
「はい。」
袈裟を着た旭は振り返る。
畳の上に正座した、雨に濡れた義理の息子が頭を下げている。
「面倒をおかけします、お義父さん。」
「なんの。…そんな目をしている貴方を見るのは久しぶりだねぇ。少しでも役に立てて喜びたいくらいだよ。」
机をはさみ、旭も正座で向き合った。
孝平は、先ほどから髪の毛から滴る雨水を拭こうともしない。
ともすれば泣いているのかと思うほどの表情であるが、滅多なことで彼がうろたえることのないことは、かつてこの男の妻であった娘の父親である旭は知り尽くしていた。
娘の葬儀の日でさえ、最後まで涙を堪え切った男だ。
泣いているのを見たは、一度きり。


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