雷雨 P6



「今日も、兄さんが帰ってこないの。」

明美が何度目かに口をする言葉に、聡平は呆れた顔をした。
人差し指で眼鏡の中央を持ち上げる。

「知ってるよ。」
「兄さんに限って…」
「なんだよ。」
「兄さんに限って…女の人の家で、ベッドの中から、出してもらえないとか…!!悪女が兄さんを…!!」

「…。」

「ばっかじゃねーの?」

良平がいて良かった。聡平は心の底からほっとしてため息をついた。

聡平の座るソファーの下で胡坐をかき、テレビにかじりついてゲームをしている双子の兄・良平は、振り返らずに妹に言った。
「くっだらねー妄想してんじゃねーよ。」
「だって!もう3日目だよ?携帯電話も通じないし…まだおじいちゃんちにいるのかなぁ?」
「電話かけてみればいいじゃないか。かけてみたのか?」
聡平はやっと言葉を発した。

「かけたよ?留守番電話になってて…」
「いや、おじいちゃんち黒電話だろ。留守電ないじゃないか。」
「兄さんの携帯に、よ。電波がないか、電源が入ってないって言われるの。」
「あー。それ俺もやったよ。…あ、ヨッシー死んだっくっそ!」

それは聡平だってもう、何度となくやったことだ。
恭平の携帯電話が機能していないのは、初日からずっとだ。

「あああーー!どうしよっ?きっと携帯壊されたのよ!変な女に!兄さん人がいいからくっついてっちゃって!許さない!ねえ、良ちゃん?」
「ア?しらねーよなんで俺に聞く?」
「良ちゃんならなんか知ってそうだから。」
「ん?」
「ヤバイ女にひっかかったこと、あるでしょ?」

「ねーーーわ!っんとに、さっきからふざけたことばっか言うなっ!つーか俺に対してどんなイメージだ!」

正直なところ、彼は変な女ではなく男に引っかかっている。
監禁されかけたことだってある。

聡平は、イライラと貧乏ゆすりをしながらゲーム機のコントローラーを握る良平の背中を見た。
普段、器用すぎるほどさくさく進めるゲームに、今日は随分てこずっている。

心配なのは誰も同じなのだ。

「…俺、おじいちゃんとこ行ってこようかな。」

「あ?」
「え?」
聡平の言葉に良平は振り向かなかったが、明美は立ち上がって聡平の隣まで来た。

「なら、明美も行く。」
「ぞろぞろ行っても仕方ねーだろ。聡、行ってこい。」
「えー?!なんで良ちゃんが決めるの?明美も行く!」
「明美。」
「行くったら行く!」
「じゃ、一人で行けよ。そんな心配だったら昨日行ってくりゃ良かったろ、近いんだし。」
「う…。」
「決まり、な。聡平、決まったら早く行って来い。状況は報告しろよ。」

「だからーっ!なんで良ちゃんが決めるのよー!!」

頬を膨らませて怒る妹を尻目に、聡平は立ち上がった。
明美の言い分もわからなくはないが、誰か一人だけで良いだろうというのは、聡平も賛成だった。

実は、聡平には昨晩父から電話があったのだ。
着替えを持って来いと。

兄が祖父の家で、何かあったのは本当なのだ。
何か事情があることも。


聡平は、良平が明美の気を引き付けている間に、昨夜こっそり用意してあった荷物を持ち、外へ出た。
傘を開く。

バン!と大きな音がした。

…そういえば、この傘は以前恭平が買ってきてくれたものだ。
スーパーの安売りだったか、もらった商品券を使っただかは忘れたが、そんなことを言って、上手に買い物したことを笑顔で話していた。

聡平は思い出して急に不安になり、手に持った荷物をぐっと強く握り、小雨の中を走った。


祖父の家に着くと、ポロシャツにジーパンという、予想しないラフな格好をした父が玄関を開けた。
「来たな、ありがとう。」
孝平はごく自然に言って聡平から荷物鞄を受け取った。

軽く虚をつかれた聡平はきょとんとし、はっとして答えた。

「あ、うん…。父さん?おじいちゃんは?」
「奥だ。庭で水をやってる。」
「ああ…そう。に、兄さんは?」
「恭平も奥だよ。」

父は聡平を玄関の中へ入れると、引き扉を閉めた。
ガラガラと音がする。
その音が大きすぎると感じるほど、家の中は静かだった。

「父さん…」
「うん。」
廊下を父の後に続きながら、聡平は遠慮がちに切り出した。
「兄さんは、その、何かあったの?良平も明美も心配してる。」
「熱が下がらなくてな。だが今日は家に帰そうと思う。」
「熱?」
「恭平も、毎日私の顔を見ているよりは、君たちの顔を見ているほうが落ち着くのではないかと思うし。」
「…え?え?」

聡平には状況が読めない。
しまった、ここに来る役は、良平にすべきだったかもしれない、と後悔の念がよぎる。
良平は、言葉や説明がなくとも、状況だけの直観と嗅覚が自分より利くと聡平は思っている。

「まあ、会っていけ。今は起きているから。」

孝平は、聡平の頭を置いてけぼりにしたまま、奥の間の襖を、開けた。

父の表情からは何も読み取れなかった。


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