雷雨 P7



恭平は、よく部屋で見るデザインTシャツにジャージ姿で、眼鏡をかけ、柱にもたれて座っていた。
横顔に陽があたって、彼が振り向く。
一瞬の横顔に何か言い知れぬ違和感を覚えたが、それが何か、聡平はその時わからなかった。

体温が高いのか、頬が少し紅潮している。
「聡平。わざわざ悪かったな。」
恭平は笑顔を見せて、聡平が手に持った荷物を指差した。
「いや…いいけど…」

良かった、いつも通りだ。

「また風邪?」
「うーん…そうだね。風邪かな。」
「何?も〜まじ、気を付けてくれよ。病院行ったか?」
「薬を父さんに取ってきてもらったよ。」

医者には会ってないじゃないか、と聡平は思ったが黙っていた。

後ろに立っていた父が室内に入れと促したので、聡平は敷居を跨いで中へ入った。
部屋の照明がつけられていないことに、初めて気付く。
つかの間、孝平が部屋の中央にある和風デザインカバーの蛍光灯の紐を引っ張った。
カチッと古ぼけた音がして室内が明るくなる。

「そこ座れよ。それから鞄、ちょうだい。」
兄に促され、聡平は手に持っていた鞄を手渡した。
恭平はさっそくチャックを開き中を覗いている。
その後頭部を見下ろしながら、聡平は恭平の左斜め前へ座った。
あぐらをかいて、下から覗き込む。

「…熱、」
「え?」
目を上げて、恭平は顔の近さに一瞬ひどく驚いた顔をした。
「ぅわっ、びっくりした。近いよ。」
言葉に出したりしている。

そんなに近くない。
間に二人くらいは入れるだろう。

「…?」
「熱は…7度くらい。7度6分とか?5分とか。」
「それ、7度くらいじゃない温度だろ。結構あるんだな。」
「明美には黙っといてくれよ。」
「…。」

最初から言うつもりはない。

聡平が黙っていると、恭平も黙った。
手を止めて、何か迷ってでもいるように見える。
聡平は首を傾げて再び、屈むようにして下から兄の顔を覗き込む。

「?兄貴、」
「ちょっと…困ったことになって…」
「え。」

語尾が震えたのは気のせいだろうか。
聡平は嫌な予感で胸がざわついた。手足の先が緊張してゆくのがわかる。
冗談ぽく場を和ませようと言葉を探したが、普段から口下手なこともあって何も見つからない。

良。
助けてくれ。

聡平は無意識に眼鏡を持ち上げて顔をしかめた。
瞳を伏せたまま、兄は言う。

「足がさ、結構、割と本格的に痛いんだ。ここしばらくまともに動けないくらい。そのせいで微熱もひかないし。」
「…」
「だから病院行ってないんだけどさ、今週末は行こうと思ってて。というか行かないとまずい。ような気がする。」
「そんなに?」
「ああ。歩けないんだよ?まずいだろ。」
「…確かに。」

聡平は頷いて、口元に指を当てた。
兄が何か言い淀んでいる。言いにくいことがあるのだ。
それが何かを必死に探す。

「だからさ、」
兄が口を開いた。
「あ?ああ…」
聡平が心構えし終わる前に、恭平の口からあっさりと言葉が紡がれる。
「しばらく家に帰れない。お前、頼んだよ。」

「え?」

思わず目を見開いた。

「明美と良平のこと、頼んだよ。お前にしか頼めない。」
「あ?え…いや、頼まれることはいいんだけど…。兄貴どうすんの?」
「さあ…とりあえずまず診てもらってから考えるよ。」
「家に帰ればいいじゃん。」
「それができないから頼んでるんだ。今、座ってるのもしんどいんだよ。」

兄は困ったように眉根を下げた。
確かに恭平は、聡平が部屋に入ったときから柱に背中を預ける格好で、幾分違和感のある座り方をしている。

聡平は観察するように恭平を上から下まで眺めた。
言いたいことはあるのにうまく言葉に出てこない。

その横で、孝平が肘をついて涼しい顔をしている。
ちらりと恭平を見て、彼の鞄の中に入れたままの手が震えていることに気付いた。
軽く鼻を通して息を吐き、聡平を見やる。

「聡平、そろそろ。」

「…えっ?」

黙っていた父がいきなり口を開いたので少々面喰い、聡平は振り向いた。
孝平の涼しい顔に若干戸惑う。

「恭平は寝ろ。朝より顔色が悪くなってるぞ。」
「…」
「でもっ」
「聡平、私も今夜は自宅に帰るから。そうしろと、恭平がうるさいのでな。」
「じゃ、兄貴も一緒に連れて帰ってよ。」

聡平の言葉に、しかめっ面で孝平が即答する。

「だめだ。」

有無を言わせぬその一言で、全てが決まった。

何故なのだ。
納得がいかない。
疑問が多く残るのに、聡平は何も言えなかった。


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