雷雨 P11



孝平が反対側から布団をめくった。
右足の付け根のあたりを手で触れる。

「や、痛い!」
枕に頭をつけたまま、恭平は腕を伸ばした。
孝平の肩のあたりに届くと、手繰り寄せて服を掴む。

「良平。」
「あ、…えっ?」

半ば茫然と呆気にとられていた良平は、呼ばれて父を見た。
「私には医学の知識はないが、早急に適切な治療をしなければならないことはわかるよ。その点では君に賛成だ。熱が続くのも、このあたりの腫れが引かないからだと思う。」
そう言って、恭平の古傷のあるあたりを寝巻の上から触れた。

恭平が、うっと小さく呻いて息を止めた。
固く閉ざした瞳の上のまつ毛が揺れる。

良平も触ってみたが、確かにそこは腫れて熱を持っていた。
交通事故で怪我をしてから此の方、恭平がそれをおしてまで無理して動いているのを良平は見たことがなかった。
どちらかというと、そんなにしなくてもと思うほど、運動に対して消極的になったくらいだ。

「…誰だよ。」

良平の独り言に、孝平が振り向いた。
次男の勘の鋭さに驚いたのか。それとも単に聞き取れなかっただけなのか。

良平は兄から視線を離し、こちらの様子を窺っている父を見た。
何か知っているに違いない。今はその予感が半ば確信めいていた。

「誰だよ、無理させたの。」
「…。」
「兄貴がこんなになるまで、無理させたのは誰だよっ!親父、何やってたんだよ?知ってんだろ?!」
「あー…」
「やっぱり何か隠してるな、この野郎!ま、まさかアンタじゃねーだろうな。」

惜しい。
しかし、今回は違う。
そしていつだって孝平は、相手のことをこんなに乱暴には扱わない。

「まさか。だが今回は私にも一因があってだな。」
「何、どういう意味だよっ…」
良平は驚いて思わず語尾が震えた。

爆発しかけた怒りの渦が、不意に霧散した。
恭平の手が、良平の服を掴んだからだ。
布団から伸びた白い腕に、紅い傷が入っていた。

「良、やめて。もういい…」
「もういいって兄貴、俺はまだ何もしてねぇ。」
「父さんは悪くない。もうやめて…」
「何言ってんだ?自己犠牲するのもいい加減にしろよ。」

良平が。
唯一の兄に牙をむいた。

「そんなに苦しそうに、泣いて言ったって説得力ねーんだよ!」
「良平、やめて。」
「うるさいっ!」

うるさいのは良平だよ、と実父は思ったが黙っていた。
自分の言葉ではどうしようもなかった恭平が、この横暴だが芯の強い弟の言葉にどう反応するのか、興味がある。

「兄貴も兄貴だ。何やってんだよ。抵抗できなかったのはわかる。そこを責めるつもりは全然ない。でも、もっと人のせいにしていいはずだ。なんで自分を責めてる?馬鹿じゃねぇのか。」
「…っ」
「それで何を守ってる?何が守られてるんだよ。言ってみろよ。俺は兄貴をこんなにした奴を許すことはできないし、兄貴の我儘だかなんだか知らねーが、三日間もほっといた親父も絶対許さない。」
「だから父さんは…」
「おい、兄貴!」

未だ父を庇う姿勢を見せた恭平に、ついに良平は暴力に出た。
自分の服を掴んでいた恭平の腕を引っ張り、布団に押し付ける。
反対側の手で恭平の顔のすぐ横を、毛布ごと殴った。
ドスンッと勢いよく重い音がして、床と柱が震えた。

一番痛かったのは恭平の頬でも心ではない。
良平の、拳だった。

「引きずってでも病院連れてくからな。」
「り…」
「恨むなら俺を恨めよ。兄貴を傷つけたどこの誰かと俺と、どっちが大事だ。間違えるなよ。俺は例え兄貴に嫌われたって、今後一切会えなくなったって、今ここで兄貴を守る。」

「か、勝手なこと言うなよっ…」

恭平は反論したが、声が震えている。
瞳が潤んでうっすらと涙が浮かんでいた。
なんの涙なのか、良平にはおろか当の本人の恭平にすらわからない。

良平はこれ以上見ていられず軽く舌打ちをした。
恭平の涙は、その胸の内がどうであれさまざまな想いが交錯して胸が苦しくなる。
「親父。」
「…なんだ。」
「救急車。呼んでくれよ。」
「…呼ばないと言っても聞かなそうだな。」
「呼んでくれないなら、今ここで兄貴を担いででも連れて行く。」
「着想は面白いが、現実味がないぞ。」

孝平は冗談を冗談で受け流し、外を見た。
「自宅から車を取って来よう。その間に支度を済ませるんだ。」

いいね、と恭平を見て、次いで良平に視線を向けた。
「良平、ちょっと一緒に来て。」
「…ああ。」

良平は恭平から手を離し、立ち上がった。
父に続いて部屋の外を出る。
雨音が大きく聞こえてきた。

「何?」
孝平は隣の部屋に入り、振り向いた。
無意識に身構える。警戒を緩めずいつもの癖で父親をにらんだ。
「な、なんだよ。謝らねーからな。」
「いや、逆だよ。どうもありがとう。」

「……へぇっ?」

自分でも驚くほど、素っ頓狂な声を出して良平が目を見開いた。
まさか、21年間生きてきて面と向かって父からその言葉を聞く日が来るとは夢にも思わなかった。
「な、何、」
思わず頬が熱くなる。
照れてる場合ではないことはわかっているのだが、あまりのことにポーカーフェイスもできない。

照れる次男をよそに、孝平は重たい唇を開いた。
「お前には伝えておく。その上で恭平に接してやってほしい。」
「え…」
「それを承知で責められるとしたら、それは私だ。君なら絶対そう判断するよ。」
「やめろよ、そういう意味深長なことを言うのは。俺の判断を促すな。どう思うかは俺が決める。」
「…そうだな。」

自嘲した父親に、良平は違和感を覚える。
恭平もそうだが父親も、相当ダメージを受けているような気がするのだ。
「らしくねーな。親父、もしかして今、相当ヘコんでる?」
「ヘコ…。うん、そう、そうかもしれない。ヘコんでるんだな、私は。」
「…はは。」

二人して、声を上げずに笑った。
お互い苦笑気味だ。
良平は間をおいて、一歩父に近付いた。

「いいぜ。言ってよ。どんな内容でも聞く。」
「うん。随分と頼もしいな。」
「当たり前だろ。あんたの息子だ。」

孝平は、かいつまんで事のあらましを説明した。
その内容は良平の予想をはるかに超えるものだった。とてもではないが聡平や明美には聞かせてやれない。
まだ高校生の明美には、はっきり言って意味不明だろう。
語る孝平自信も今まで見たことのないほど苦しそうだった。
良平の頭の中に恭平の笑顔が浮かび、泡のように儚く消えた。


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+表紙+