明美の提案 P3
恭平はリビングに座っていた。
落ち着く気がするので、陽が差し込む窓から庭を眺めている。
外のうららかな天気とは反対に、恭平は浮かない顔をしていた。
話し相手でもいれば別だったのだろうが、生憎兄弟は皆それぞれの用事で出かけていた。
焦点の合わない瞳で、かれこれ1時間以上、恭平はじっと動いていなかった。
考えてしまうと記憶が戻るので何も考えないようにしていた。
これでもかというほど記憶がループして、繰り返し悪夢が襲い来る。
夜になるとあまり眠れなくなる恭平は、昼過ぎの今現在でも起きているのに眠っているような感覚だった。
一日に一度くらいは我に返り、ぐるぐると悩み落ち込んでばかりいる自分に嫌気がさした。自己嫌悪で苦しくなる。
良平も聡平も明美も、心配してくれていることは痛いほどわかっている。
せめて見せかけでもいいから、嘘でもいいから元気な姿を見せなければと思う。
頭ではそう思うのだが、心と体がバラバラでついてこない。
ポーカーフェイスが板についた父の孝平は、今の恭平にとって唯一の拠り所だった。
だが最近になって新しい事業を始めたとかで、彼自身も思いのほかに忙しい日々が続いているらしい。
なかなか家に帰らず、まるで昔に戻ってしまったかのようだ。
その事実が恭平をさらに苦しめた。
今の自分には、兄弟にも父親にもしてやれることがない。
何をするにも誰かの負担なしにはすることができない。
歩くことさえも。
カタカタと恭平の手が震えた。
過去は全てが、三枝玲子と森坂悟のあの事件で真っ黒に暗転した。
未来は全てが、その時の傷で奪われた。
考えすぎだ、と自らの考えを否定してみても虚しいだけ。
ポロリ、と恭平の瞳から意図せず涙がこぼれ落ちた。
瞬きのない彼の瞳から玉のような粒がゆっくりと流れていく。
その雫は光を浴びて、本人の気分にまるでそぐわないなほど綺麗だった。
ぼんやりしたまま時が過ぎ、どのくらい経ったかわからない頃、遠くから名前を呼ばれているような気がして、恭平は覚醒した。
恭平の肩を掴んで揺さぶりながら、目の前には良平がいた。
「兄貴!おい、しっかりしろ!」
「…あ、良平。おかえり。」
「ッはぁ〜〜〜〜〜。呑気な声出すんじゃねーよ。ぼぅっとすんな、ビックリするだろ。」
良平は安堵して胸をなでおろし、大きくため息をついた。
恭平の肩から手を離し、すっと頬を撫でた。
恭平の肩が一瞬ビクリと強張ったが、良平は無視した。
ここ数日注意して見守っていたお陰でこうした恭平の反応には慣れていたし、何より兄がそうした自分を隠そうとしているように見えたので、それに従って気付かないふりをしていた。
「涙。ついてるぞ、アクビでもしたのかよ。」
「…そうだねぇ。」
「そうだねぇ、じゃねぇ。」
「なんだよそれ。なんて言えばいいんだ。」
「泣いてたって正直に言え。」
良平はどかっと派手に、恭平の座るソファの空いたスペースに腰掛けた。
「まさか。泣いてないよ?」
真顔で恭平は言った。
自覚がなかった。
良平は、まあ、どっちでもいいんだけど、と息を吐いた。
良平の反対側、恭平の右隣から杉野拓巳が顔を出した。
「恭平さん、こんにちは。」
「えっ、」
突然した見知らぬ声に、恭平は驚いて振り向いた。
咄嗟に後ずさり、良平の肩にぶつかる。
視界に捉えた杉野の口元が動き、何か言葉を紡いでいるが恭平にはうまく聞き取れなかった。
近くで良平も何か、叫んでいるような気がする。
それも聞こえない。
ただ、息が苦しかった。
呼吸がしにくい。
何故だろう?
うまく、息を、吸うことができない・・・
恭平は倒れた。
「兄貴!」
良平は突如として呼吸を乱し、倒れ込んできた兄の体を抱きとめて叫んだ。
「しっかりしろ、兄貴!」
苦しそうに、呼吸というより吸うことばかりを繰り返す兄の様子に良平は戸惑った。
「慌てるなよ、杉野だよ!落ち着け!」
恭平のカタカタと手足が震えているのがわかる。
その様子を見ていた杉野は、落ち着き払った声で良平に言った。
「良平、お前まで慌てるな。落ち着いて、恭平さんにゆっくり息を吐くように言って。大丈夫だって。」
「あ、ああ。わかった。」
「俺のことは気にしないで。良平もね。」
「うん。」
「ちゃんと呼吸すれば、大丈夫だから。少し俺は向こう行ってるね。」
良平は深く頷いて、兄の肩を抱く腕に力を込めた。
喉の奥でヒューと高い音を鳴らして恭平が荒い呼吸を繰り返す。
苦しそうに顔を歪めて、近くにあった良平の服を掴んですがった。
「は、」
「兄貴。落ち着いて、息をゆっくり吐け。吐くんだよ。」
恭平の閉じた瞳から、再び一筋の涙が零れた。
苦しくて堪らない。