忘れ難き P3
少年が何か言いかけた時、さっきまで良平が歩いていた道のほうから通行人の足音が聞こえてきた。
ホームに電車がついたらしい。
良平は、ここは人から意外と見えてしまうことを思い出した。
「早くそれ着て。場所を変えよう。」
良平は、少年をせかして服を着せ、彼の腕を掴んで足早にその場を離れた。
しばらく行った先の、駅の裏側にある広めの公園の、脇に立っている大きな木陰の下まで来ると、良平は引く手を止めた。
「大丈夫か?お前、名前は?」
「…西川です。西川敦。」
少年は驚くほど素直に答えた。
食堂で会った時とはかなりの違いだ。
「西川か。お前に返すもんがあるんだよ。」
良平はそう言って、ポケットから財布を取り出した。
小銭入れから350円を引っ張りだすと、手の平に乗せて西川の目の前に差し出した。
「ほらよ。やっぱお前高校生だったんだな。」
西川が寂しげに差し出された手を見て、それから顔を上げた。
「いりません。助けてもらったし…。」
「そう言われても困るんだよ。」
良平は西川の手を掴んで無理やり小銭を掴ませた。
「今日見たことは忘れてやるよ。じゃあな。」
西川が何か言う前にパッと手を放し、良平は彼に背を向けて歩き出した。
金輪際彼と会うことはないだろう。
そう思っていたら、後ろから西川が追いかけて来て、良平の鞄を掴んだ。
「待ってください!佐久間さん!」
驚いて振り向く。
なんでこいつ、俺のことを?
「あの、えっと…、僕の家がすぐ近くにあるんですけど、きき来ませんか?」
「はぁ?」
名前を呼ばれたこともビックリだが、この発言にもビックリだ。
何考えてんだかサッパリわからない。
「なんでだよ。」
「お礼、ちゃんとしたいんです。」
「いいよもう。これから気をつけな。」
良平は振り切って行こうとしたが、西川は鞄を放さなかった。
「お願いします!」
「……っ!」
あまりに大きな声で言うもんだから、行き交う人がちらちらと見てくる視線が痛い。
「あ、あのなぁ…。俺のこと誰かと間違えてねぇ?」
例えば、聡平とか。
良平は微かな期待をかけて尋ねて見たが、やはり見事に裏切られた。
「間違えてません!…佐久間良平さん、ですよね?」
やっぱ男にモテるのはこっちなわけね…。
急に力が抜けて、良平は抵抗をやめた。
「ふーん。結構デカいんだな、お前んち。」
デカいも何も。
西川少年の暮らす家は、普通の一軒家が三つは入るだろうという敷地を持っていた。
良平はちょっとは驚いたのだが、その反応に西川が驚いたみたいだった。
「…僕の家を見て、驚かなかった人は初めてです。」
どこか嬉しそうだ。
良平は不思議そうな顔をして答えた。
「驚いてるっつの。でも、ま、俺んちも広いからさ。こんなにデカくもねぇし豪華でもねぇけど。」
しかも良平の場合、恋人が母親と二人で高級マンションに住んでいたことがあったり、大学の友達に弁護士の息子がいたりで、兄弟の中でもこういう家を見慣れていた。
西川は玄関の鍵を開けて良平を中に招き入れた。
「上がってください。今誰もいないんで…。」
良平は返事もせずに靴を脱いだ。
「あ、先に二階に上がってください。僕、お茶ついできます。」
「はいよ。」
なんかよくわからないが、従うことにして良平は階段を上った。
自分ちより段差が高いから上がりにくい。
上り終わると、廊下に沿って三つの部屋があった。
良平は、そのうち一つを開けて、すぐ閉めた。
間違った、こりゃ母親の部屋だ。香水の匂いがすごい。
良平は西川が来るのを廊下で待った。
「あれ?部屋に入っててよかったのに。」
「どの部屋かわかんねぇのに入れるか。」
西川は、あ、という口の形をして恥ずかしそうに笑った。
手にはオレンジジュースの入ったコップが二つ乗ったお盆。
「こっちです。」
そう言って、一番奥の扉を開けた。
家自体は豪華なのに、どこかこざっぱりした部屋。
西川は盆を自分の机の上に置くと、良平のために座布団を整えて、座る様に言った。
仕方無く良平は座った。
「お前、変わった奴だなぁ。そもそもなんで俺のこと知ってるの。」
「…」
西川は語るのを一旦躊躇したように見えたが、すぐに気を取り直して答えた。
「…よく、この駅のカフェに、いますよね。僕、毎回通るんです、あの店。」
「へー。で、なんで名前まで?」
「…一回、駅で定期落としましたよね。拾ってあげたんです、僕。覚えてないかもしれませんが…。」
良平はしばらく考えてみたが、サッパリ覚えていない。
「覚えてない。」
口に出した。
西川の瞳が少し揺れたが、良平は見なかったふりをした。
なんか俺ついて来たのマズったかも。
本能が、そう告げている。
「で、じゃなんで大学にいたの。」
「……。…ったんです。」
「え?」
声が小さくて聞こえない。
「なんて?」
「……あの日、僕、あなたについて行ったんです。」
ヤベェヤベェヤベェ!
良平は本格的に胸がドキドキしてきた。
ストーカーまがいなことしてまで、俺についてきてたなんて。
なんで気付かなかったんだ俺!
名前まで知られてる。しかも部屋に二人きり。
見上げる様な瞳。
……さっき襲われてた時はこんな目じゃなかった。
助けなきゃよかったかも。
良平は、動揺を隠して西川を見た。
「なんで、ついて来た?」
「……。」
西川が黙る。
恥ずかしそうに俯きながら、すすっと膝を進めてきた。
良平が反射的に後ろに手をついて、近付かれた分だけ下がろうとした瞬間。
「きっと、僕、おかしいんです。」
あー。
…おかしいというより、ヤバイと思うよ。
近付いて来ないでくれ。
「僕、良平さんのこと…」