初雪の降る日 P3
恭平の手伝いをすること二時間、いつの間にかパソコンに向かってデータを打ち込むのは良平になっていた。
隣りの恭平の指示を聞いて自分が打ち込んだ方が早いという判断だ。
やってるうちに慣れ、やる気の出てきた良平は、眼鏡をかけて腕まくりまでして頑張った。
「よっ。」
最後の一字を打ち込んで、エンターキーを押した。
「これで全部だ。兄貴、終わっ……」
良平が振り向いた時には、隣りでテーブルに伏せたまま恭平は寝息をたてていた。
書類を見ていたら知らないうちに寝てしまったのか、眉間に皺が寄ったままだ。
「ったく馬鹿兄貴。やらせといて先に寝るなよなー…。」
良平は呟いて、凝った肩や背筋を伸ばした。
そういえば、恭平はこの前も残業だといって帰って来るのが遅かったし、疲れがたまっているのかもしれない。
良平はもう大学の半ばを過ぎているが、今までも普通に大学通ってバイトして遊んで、我ながら一般学生となんら変わりない生活をしていると思う。
兄が今の自分ぐらいの時は、弟と妹三人の受験生を抱えて、よく親の代わりを努められたものだと思う。
好き放題やっている自分には無理だと思う。
「っあ〜〜。…さみぃな、夜は。」
捲った袖を戻して、腕を組んで縮こまった。
パソコンの電源を落として残った書類を片付けていると、窓の外にちらりと白い光が見えた。
なんだろう。
良平は気になって窓に近付いた。
「……雪だ。」
今にも消えてしまいそうな小さい雪の結晶が、空一面から落ちて来ている。
今年の初雪。
少し早いけど……
「おかあ…さん。」
ビクリとして振返る。
聞こえないくらい小さな声で、眠っている恭平が寝言を囁いていた。
「あ、兄貴…。」
しばらくの沈黙。
良平は微動だにするのとができなかった。
良平が動けずにいると、恭平がむっと表情をしかめてからガバッと勢いよく起き上がった。
押さえていた頬を擦っている。
「あれ?!俺、寝ちゃって…。」
キョロキョロと周囲を見渡して、二人の目線が合った。
「あ、良平!…もしかして、終わった?」
「ああ。完璧だぜ。兄貴がグーグー寝ている間に、さ。」
「わわ。ご、ごめん…」
恭平は恥ずかしそうに笑うと、立ち上がった。
「寝る前に何か飲む?コーヒーでも入れようか。」
「ああ…。ミルク入れて。」
「甘党だね。」
恭平が台所に入って行くのを見送って、良平はもう一度外を見た。
白い雪は降り続いている。
あの人が死んだ日も、こんな静かな雪の降る、寒い日だった。
昨日のように覚えている。
忘れられない母の横顔。
兄の涙。
「兄貴…。」
「ん?」
良平は呟いただけのつもりだったので、恭平が返事を返したことに驚いて顔を上げた。
「どうかした?」
微笑む兄の表情は、いつもとなんら変わらない。
それでも良平の耳にはさっきの寝言が木霊している。
「もう、無理すんなよ。」
「えー?突然何を言ってるんだよ。」
恭平は良平からそんなことを言われたことがなかったので、困ったように笑った。
あたり一面に、コーヒーの香りが漂ってくる。
「良平のお陰で何とか竹本さんに怒られなくて済みそう。ありがとね。」
そう言ってインスタントのコーヒーにミルクをたくさん入れたカップを良平に差し出す。
それを大人しく受け取って、良平はソファーに座った。
「なんだよ、これ竹本に言われた仕事なのか?」
「うん。」
良平は不機嫌そうに拳を固めて、言った。
「俺はあの野郎は大ッ嫌いだ。」
「…聡平と同じことを言う。」
「あんにゃろ、絶対何かやらかすぜ。優等生ぶりやがって。」
「何か…?」
「ああ。何かやらしいこと企んでる目だ。油断ならないっていうか信用できないっていうか。」
「ふーん…。」
恭平にはいまいちピンと来ない。
「そうだ良平。お前手伝ってくれたから、口止めされてるんだけど教えてやるよ。」
「あん?」
「明日、お前のライブ、見にいくからな!頑張れよ♪」
「・・・」
は?
「な、な……。なんで兄貴が来んの?!」
「杉野さんに誘われちゃった。」
「………!!」
あのヤロー!!!
あんな…あんな思わせぶりな態度を取っておきながら…それでこのオチかよっ?!
よりによって相手が兄貴だったなんてッ!!
「兄貴!来るなよー!!」
「えっ。なんで?」
「……!!」
良平の顔に見る見るうちに血の気がのぼっていく。
「はっ……」
「…は?」
「恥ずかしいからに決まってるだろ!!」
夜中だというのに思い切り叫んで、良平は恭平から目を逸らした。
なんで身内に歌を披露せねばならんのだ。
かくいう良平は、聡平と明美の前ではへっちゃらなのだ。
恭平が来ると、調子が狂う。
「ああ。ハハ。」
そんな良平の心配をよそに、恭平は軽く笑い飛ばした。
「恥ずかしがるなよ。大丈夫だって。」
「大丈夫じゃねぇよ!…来んなよッ!絶対来るな!!」
「駄目。俺せっかく休みとったのに。」
馬鹿言うなお前は母親かよ?!
「休み取る代わりの仕事が、コレ。助けてくれたから言っておかなくちゃと思って。」
恭平はニコニコと笑って良平を見た。
ああ…この笑顔。サカラエナイ…
「…ちくしょぉ〜!手伝うんじゃなかった。」
「なんでそこまで俺が嫌なのさ。」
恭平が少し寂しそうに言った。良平は顔を真っ赤にしたまま、言い放つ。
「失敗したら嫌じゃん。」