遠距離恋愛 P10
「…お前といた中学校生活、楽しかったで。」
しんみりとした口調で野田が言った。
「何だよ突然。俺も楽しかったよ。」
「…あれから、俺はこっち帰って、何人かの奴と付き合ったけど、お前ほどワクワクした奴はおらんかったなぁ。」
「…そうか?」
「そうや。頭イイのに服装はだらしないしやな、だらしないのにデートとか行くと用意周到やしな、運動神経抜群やのに何もないところでコケるしやな。」
「…褒めてるのかけなしてるのかわからないんですけど。」
杉野が恥ずかしそうに、しかし顔をしかめて言った。
大体思い当たる節があるけど、でも服装だらしないつもりはなかったんだけど…。まさか今も、と心配になって自分を見下ろしてみたが、今は真っ暗でよく見えなかった。
野田は中学の頃から身なりに気を使うお洒落ボーイだったから、余計にそう見えたのかもしれない。
野田は杉野の挙動に気付かずに、笑って続けた。
「はは。褒めてんねん。最初の男ができ過ぎてたら、後の男がつまらんねん。こんなカワイイ俺が今一人なんはお前のせいやで。」
語尾の当たりで杉野の方を振り向いた。
杉野と目が合う。
背後のホテルから洩れるわずかな照明の光に照らされて、お互いの輪郭は確認できる。
「野田…。」
「今でも好きや。」
杉野の瞳が動揺して僅かに揺れた。
野田は視線を外さずに、黙った。
こんなこと言っても、何も変わらないことはわかっている。
野田は急に切なくなった。
「野田。」
「…わ、別れて言うてるんやないで。俺の気持ちを言うたまでや。」
「…。」
目の前の杉野は困った顔をしている。
野田は困らせるつもりで言ったわけではなかったので慌てふためいて続けた。
「すまん。忘れて。」
杉野の瞳がじっと見つめてくるのに耐えられず、野田は体ごと杉野に背を向けて俯いた。
恥ずかしい。
なんてこと言っちゃったんだ俺…
「…会いたかった。だから一昨日出会った時に、これは運命やと思た。すぐにその夢は打ち砕かれたけどな。」
はは、と笑って野田が首のあたりを音を立てて掻く。
杉野は自分の膝に肘を立てて、手の平に顎を乗せた。
野田は杉野から体を背けたまま続けた。
「その良平て子、大切にしぃや。俺の時みたいにつまらん意地張ったらあかんよ。」
「…おう。」
「…もう会われへんかもな。俺ら。」
自分で言って、野田は言葉を詰まらせた。
視界がぼやけて、涙が頬を伝った。
肩が震える。
杉野はその背中がどうしようもなく寂しそうでいたたまれなくなり、後ろからそっと野田を抱き締めた。
野田の体は細くて小さいから、杉野の腕の中にすっぽりと収まってしまう。
驚いて野田の涙が止まった。
微かな明かりに照らされて、頬の涙が光っているのを杉野は見た。
「馬鹿だな。会えるよ。機会があったらお前に良平紹介するから。お前もその時には新しい男紹介しろよ。」
「…ん。」
「それにさ、お前だって俺の中じゃ最高だったぜ。セックスうまくなったのはお前のお陰だもん。」
「あ、阿呆…!そゆことばっかり…」
「はは。」
杉野が笑って、野田から離れた。
触れていた箇所に冷たい外気が吹き抜ける。
野田は杉野の温もりを振り切るように立ち上がって、手袋をはめ始めた。
「…ほな、俺は帰るわ。何度も言うけど、気ぃつけて帰りや。」
「あいよ。お前も、運転気をつけろよ。」
「うん。」
手袋をはめた野田は、原チャリに跨って、もう一度だけ杉野を見た。
杉野は腰に手を当ててまっすぐと立っている。
こう見ると身長の差は歴然だった。
目が合って、杉野が首を傾げる。
「どした?」
「…お別れのキス、しよか。」
またもやの予想外な言葉に杉野が驚いて野田を見ると、彼はさっきとは違い意地悪そうに杉野を見上げていた。
笑いを堪えている。
「うそう〜そ!いくらなんでも冗談やで〜!」
きゃはは、と笑ってヘルメットを持ち上げる。
むかっとした杉野は、ヘルメットを持つ野田の手を制した。
今度は野田のほうが驚いて杉野を見上げる。
「キスぐらい安いもんだ。」
「たく…」
野田の言葉を遮るように、杉野の唇が野田のそれに触れた。
短い、触れるだけのキス。
杉野の唇の冷たく柔らかい感触に、野田は全身が痺れたような気がした。
一瞬が過ぎて、杉野が離れる。
間近で見るとドキドキする。
杉野はしてやったりとニヤリと笑った。
過去に何度も心を奪われた、その笑顔。
野田が呆気にとられて杉野を見つめていると、ふと我に返った杉野が顔を赤くして頭を掻いた。
恥ずかしそうに、言う。
「わりぃ、つい挑発にのってしまった…。野田、良平には黙っててね。」
そのハッキリとした口調が逆に恨めなくて。
野田の方も恥ずかしそうに笑った。
「俺の未来の恋人にも内緒にしてな。」
もし次に付き合う人がいたとしたら、例えそいつがセックスへたでも口説くのへたでも、真正面から向き合える人にしよう。
理想はこの男だけでいい。
野田は杉野に背を向けて、エンジンを入れて走り去った。