非日常 P8



聡平の背中を見送ってから鍵をかけ、杉野は良平の枕元に腰掛けた。
いくら強がっていても、その寝顔はあどけなくてどこか幼い。

良平を見つけた時の、あの瞬間のことを思い出すと今でも身の毛がよだつ。
もっとボッコボコにしてやりたかった。
…と言っても杉野は良平や瑞樹ほど喧嘩慣れしているわけではないので、相手を精神的に追い詰めたあの状況が精一杯だったと言える。

程よく酔いが回ったのか、杉野は良平の額にあったタオルの中心を指で押した。良平が、む、と顔をしかめて避けようとするが、うまく力を調節して押し続る。
抵抗する姿がなんだかかわいらしくて、杉野はふっと噴き出した。

からかうのをやめて、タオルをもう一度濡らす。
すると、良平が目を開けた。

「ん…。杉野…?」
「あれっ。良平、目ぇ覚ましちゃった?ゴメン…」
良平が、頭を押さえて起き上がった。
「ここは…。」
「俺んち。まだ熱あるから、寝てた方がいいよ。」
「いや…ちょっと、水、ちょーだい。」
「はい。」
杉野はテーブルに置いてあったペットボトルを取って、蓋を開けてから良平に手渡した。
それを大人しく受け取って、良平が飲み下す。飲み終えて、そのまま杉野の方にペットボトルを差し出した。
「ありがと…」
「ああ、はいはい。」
それを受け取って蓋をしようと思ったら、良平が、ペットボトルを離さない。

「良?」
「違う…助けてくれたんだろ。」
「…ああ。そのこと。」
「うん。ごめん…。」
良平が俯いて、頭を掻いた。
緩んだ手からペットボトルを受け取って、蓋を閉める。

「謝る必要、ないよ。俺も時には役に立たないと。」
「…喧嘩弱いくせに。」
「…かわいくない。」
「喧嘩弱いくせに…反射神経だけはいいんだから。」
「……。あの、良平さん?」
少し文意が読み取れなくて、杉野は良平の顔を覗き込んだ。
魂の抜けたような顔をして見返してくる良平。

「…俺は。」
「うん?」
「なんでも自分で、できるような人間になりたかった。」
「…うん。」
「迷惑かけない人間に。誰にも守られなくても、自分のことくらい自分でできるように。そんな人間に、なりたかったんだ。」

言いながら、良平の視線は杉野の方から外れて、ベッドの足の方向の壁を、見つめた。
杉野はそのまま良平の顔の表情を伺っている。
「良平は、強いよ。」
言葉が見つからなくてそんなことを言ってみたが、どこかを見ている良平に伝わっているかどうか。
良平は、一息ついてから、また話し始めた。

「でも、俺は、助けられてばっかだ。杉野も、聡平も、瑞樹も。…兄貴にだって、助けてもらわないと生きていけない。風邪引いただけで、こんなにもたくさんの人に迷惑をかけて、俺は……っ。」
良平が怒ったような表情になった。
息を詰まらせて、必死に言葉を探した。

「悔しい……。」

必死に探したけど、見つかった言葉はこの一言だけだった。
もどかしい気持ちはうんとたくさん、良平の心の中で渦巻いているのに。
風邪と、熱と、いろいろな原因が入り混じって、頭が朦朧としている。

そんな苦悩する良平を見て、杉野は、ポツリと呟いた。
「迷惑って。」
良平が瞬きを二、三度してから、ゆっくりと少しだけ杉野の方を振り向いた。
「…何?」
首を傾げて、杉野を見つめた。

「迷惑って、相手の人が、嫌だなぁ面倒だなぁって、思うから迷惑って言うんだと思う。」
「…?」
「迷惑をかけるってことは、相手が嫌がってる場合であって、もし相手が嫌がってなかったら…」

「…たら?」

良平が、今度は反対側に首を傾げて、聞いてきた。
杉野はまっすぐ視線を逸らさずに、良平の目を見返した。
まるで、瞳の奥の、心の中まで覗くくらいじっと見つめて。

「それは信頼ということになるんじゃないかな。相手が好き好んで良平を助けているっていうのは、きっと、良平が思うほど悪いことではないと思う。」

「…。」

僅かに良平の表情が変化した。
少し、安心したような。
半信半疑という風に顔をしかめたりはしているが、それでも少し安心したような、そんな表情。

杉野は笑って、絞ったタオルを持って手を拭き、良平の体をベッドに戻した。
「もう寝て。明日は俺、お休み取ったから。」
「え…。」
「俺が自分で取ったの。迷惑なんかじゃないよ。良平は、俺が休み取ったの迷惑?」
優しく聞くと、良平は、ぶんぶんと嬉しそうに首を左右に振った。
その仕草が、とてもかわいいと思う。

「でしょ。それとおんなじ。わかったら、寝て。」
「…うん…。」

良平は素直に目を閉じた。
タオルを額に乗せてやってから、耳元で囁く。

「明日は付きっ切りで看病してあげる。夢の、アーンもやるからねっ☆」
「…。は?!」

目を閉じていた良平が、いつもの元気な表情に戻って、大きな口を開けて驚いた表情を見せた。

そうそう、その調子。
早く元気になって、いつもの良平になってね。


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