抱擁 P3
「…っのっ!」
聞き取れないほど小さな声で、喘ぐ男は声を上げた。
智哉は一瞬耳を疑って、彼の口元に耳を近付けた。
目尻に涙をためて弾むように悲鳴を上げている彼は、限界まできた身体に耐えながら意識の狭間で助けを求めた。
「…っ!す、…っアアッ!!」
やはり。
誰かの名前を呼んでいるような気がする。
智哉はカッと上がった血圧を抑えるように黙り込み、殺した声で良平の耳元に囁いた。
「良平さん?もう一度、呼んで。」
あ…、と良平が短い吐息を漏らし、大きく仰け反る。
うっかり力加減を間違えてしまったようだ。
良平が声もなく、静かに絶頂を迎えた。
激しく腰を震わせながら智哉に押さえ込まれた両足が哀しそうに宙を掻く。
「…す、ぎの……。」
気を失った良平が、その寸前で本当に求める者の名を口にした。
意識は闇の中へ堕ちてゆく。
「来てない?」
病院のロビーで、杉野はしかめ面で声を上げた。
受話器を耳元から離してじっと見つめ、再び耳元へと戻す。
「本当に?」
『ああ。行けなくなったって、一昨日連絡あったぜ。』
「一昨日?」
一昨日と言えば、瑞樹が入院したと知った日である。
土曜日に同窓会があると野田が押しかけてきたのはその前日だ。
野田はそれから姿が見えなくなった。
良平のこともあるので、彼は他の奴の家に泊まったのかなと勝手に決めていたのだが。
土曜日当日になっても一つも連絡をよこさないのでハガキに書いてあった代表者の友人に電話をかけてみたのだ。
すると同窓会にも出席していないらしい。
「行けなくなったって…理由は聞いた?」
『いーや。なんか急いでたみたいだし。あいつ大阪から来るんだろー。どうせ旅費がなくなったとかそんなことじゃねぇかな。』
「いや…」
もうこっちの方に来てるよ、と言おうとして杉野は口を噤んだ。
野田のことだ、何か考えがあるのかもしれない。
「…うん、そうかもな。」
『ま、わかったら連絡してやるよ。お前ら仲良かったもんな。』
「おう、よろしく。」
『それで、お前は来ないわけ?同窓会。出欠の連絡よこせってハガキに書いてあっただろう!』
杉野は慌てた。
そんなこと、すっかり忘れているし、今となっては出席する気もまったくないからだ。
杉野は十分に気をつけて丁寧に断り、逃げるように電話を切った。
ほっと息をついて、手に持った公衆電話の受話器を元に戻す。
良平のことだけで頭がいっぱいなのに、その上野田まで消えたなんて。
……良平。
今頃どうしているだろう。
入院していた瑞樹は驚くほど早い回復で今や歩けるようになり、医者の反対を押し切って今日退院すると言う。
トーコは瑞樹に付きっ切りだし、祐也と聡平はかつての友人にいろいろ連絡を取っているらしいが、未だ手がかりはないといった状況だ。
良平の兄、恭平と父の孝平に黙っておくのもそろそろ限界になりそうだ。
「先輩。」
公衆電話の前で立ちすくんでいた杉野は、突然横から声をかけられて振り向いた。
松葉杖をついた瑞樹と、それに付き添うようにトーコと祐也が立っていた。
杉野は三人に微笑みかけた。
「大丈夫か。」
「野田さん、見つかりましたか?」
「いや。気紛れなあいつのことだから、きっと心配することは何もないよ。」
「でも、良平のこともあるし。」
「うん。だからこそ、あいつにかまってる暇はないんだ。早く探し出したい。」
「無事だといいけど…。」
トーコが不安そうに呟いて、それからハッと口元を押さえた。
申し訳なさそうに杉野を窺い見たが、彼は黙って苦笑しただけだった。
四人は病院を出て、杉野の乗ってきた車に乗り込んだ。
本当は聡平も迎えにくるはずだったのだが、彼は思い切り体調を崩しているらしい。
半身である良平の不在に、かなり参っているらしい。
普段からそんなに一緒にいるわけではないというのに、こういう時の聡平はどこか弱いものがある。
杉野だって倒れ込みたいのはやまやまだったが、良平のことを思うとそれすらもできなかった。
一体、どうなっているのだろう。
杉野は運転席でハンドルを握りながら、後ろに座った瑞樹に声をかけた。
「瑞樹。お前の話をもう一度確認しよう。」
「はい。」
「なぜ誰にも相談せずに一人でその赤城とかいう男の元へ行ったんだ?」
「野村っていう友達がいるんですけど、そいつと引き換えに良平を連れてこいって言われたから。頭にきちゃって…。」
「本当にそれだけだな?良平にも言わなかった。」
「はい、言ってません。トーコの携帯に伝言を入れたくらいです。」
「うん…。そうか。」
杉野は一度言葉を切って、交差点で左のウインカーを出し、幅を寄せた。
後方を確認してハンドルを切る。
カーブを完全に曲がってハンドルを元に戻すと、杉野は次の言葉を続けた。