One more kiss


 すでに深夜。
 傭兵隊の砦はすっかり寝静まっており、物音一つしない。
 ビクトールは他の仲間を起こさないように足音をひそめて階段を降りた。目指すは台所である。
「う〜、ったく人使いが荒いったらありゃしねぇ…」
 ぶつぶつと文句を言いながら台所の扉を開けると、中で人影が揺れた。
 思わず声を上げそうになったが、何とか堪えた。
 驚いたのは中にいた人物も同じようで、ビクトールの姿を見たとたん、飛び上がりそうなほどに身体を震わせた。
「誰だ?」
 ビクトールが低い声で問いかける。
 小さな窓から漏れる月明かりに、中にいた人物のシルエットが浮かび上がる。
「ジョウイです…あの…」
「何だ驚かすなよ…」
 ほっと息をついてビクトールが戸棚からガラスのコップを取り出す。
「どうした?眠れねぇのか?」
「えっと…まぁ…そうです」
 ジョウイが小さな声で答える。手には同じように水の入ったコップがある。どうやら、深夜に台所にいる目的は同じようだ。
 ビクトールは水を汲むと、とりあえず自分の喉を潤した。
 ジョウイはそんなビクトールを見て、どういうわけか目をそらす。
「何だ?ディランはどうした?あいつも起きてるのか?」
 ジョウイはその問いかけにも戸惑ったように視線を泳がせ、やがて小さくうなづいた。
 そんなに怯えなくても取って食ったりはしねぇんだがなぁ、とビクトールは苦笑する。
 急流でディランを拾い上げ、そのあとこのジョウイとも合流し、今は同じこの砦で寝食を共にしている。
 もとはユニコーン隊にいたという2人は、幼い頃からの親友だということで、それは傍から見ていても羨ましいほどに仲がいい。
 ディランはすっかりこの砦に慣れてしまい、まるで最初からいたかのようなのふてぶてしさを見せているのだが、それに比べてジョウイはどこか遠慮をしているようで、ビクトールやフリックに対しても礼儀正しく接している。ある意味子供らしくないといえばそうなのかもしれない。
 ディランに比べて、ジョウイは何を考えているか分からないところがある、というのがフリックの意見だ。
 それについてはビクトールも同意見なのだが、しかし、それはディランのせいではないかとも思うのだ。
 誰も気づいてないようだが、ディランは細心の注意をジョウイに払っている。
 ジョウイに必要以上に近づく人間を、誰も気づかないくらいの要領の良さで排除している。
 おそらく気づいているのはビクトールくらいなものだろう。
 よほどジョウイが箱入りで頼りないのか、もしくは…
「ああ、腹減ったな、お、いいもの見つけたぜ、お前もちょっと付き合えよ」
 ビクトールが夕食の残りものと見られる揚げ物の皿をテーブルに置き、ジョウイを呼んだ。
 ジョウイも空腹感を感じたのか、素直にイスに座る。
「それにしてもずいぶん遅くまで起きてるんだな。ディランと話でもしてたのか?」
「え、ええ…まぁ…」
「そうか。ま、お前たちもこの先どうなるか不安だろうしな、だが、悪いようにはしねぇから安心しな」
 ジョウイはふいに顔を上げるとビクトールを見た。
「ビクトールさん」
「ああ?」
「ビクトールさんは、どうして王国軍と戦おうを思ったんですか?」
 ジョウイの問いかけに、ビクトールは微かに笑う。
「俺たちゃ傭兵だからな、必要とされりゃ戦うだけだ」
「だけど、それじゃあ王国軍に必要とされたら、そちらについてたってことですか?」
 納得いかない、というようなジョウイの口調にビクトールが真剣な目を向ける。
「ジョウイ、戦争っていうのは…いや、どんなことでもそうだが、どちらが正しくてどちらが間違ってるかなんてのは、結局終わってみなけりゃ分かんねぇんだよ。王国軍にいるヤツらは自分が正しいと思って戦っている。都市同盟のヤツらも同じだ。どちらにも言い分はある。要は自分が何を信じるかだ。それは決して有利な方に組することじゃねぇ。負けると分かってても、やらなきゃならねぇこともある」
「……」
「勝ったからって正しいわけでもねぇし、負けたからって間違ってたわけでもねぇ。世の中にはそういうことってのはよくあることさ。だがな、俺は自分自身に嘘はつきたくねぇんだ。それだけだ」
 ジョウイはどこか悲しげな目でビクトールを見る。
「僕は…何を信じたらいいのか分からなくて…ユニコーン隊のことも、ラウド隊長のことも、ずっと信じていたものがすべてなくなってしまった。信じるってことがどういうことが、今は分からない…」
 自分が信じていたものがすべて間違っていたということは、それは大きなショックだろうと思う。
 この歳で、それは辛い経験だったに違いないと思う。
 ビクトールはぽんぽんとジョウイの肩をたたく。
「見つかるさ。今はまだ見えてねぇだけだ。自分が何を大切にしたいか、守りたいものは何なのか、結局はそこにいきつく。見つかった時に、たとえ周りが眉を顰めようと、自分が信じたことなら少なくともそれは間違いじゃねぇ」
「大切にしたいもの?」
「あるだろぉが、ひとつやふたつは。お前の親友のディランや、ナナミもそうだろ?」
 ディランの名前が出たとたん、ジョウイの表情が和らいだ。それを見てビクトールが苦笑する。こんなに分かりやすい反応を見るとからかいたくなる。
「ディランはずいぶんお前さんのことを大事にしてるように見えるがな」
「え、そうですか?昔からディランは僕のことを子供扱してるから…」
「はは、あいつは妙に大人びたところがあるからな。背伸びしてお兄ちゃんぶりたいってとこか?」
 ジョウイは小さく首を振る。
「いいえ、ディランは…ほんとは僕よりもずっと臆病で…甘えたがりなんです。そうは見えないかもしれないけど。いつも強がってるから周りから頼られて、それに応えるだけの力があるから、また頼られて。自分では気づいてないかもしれないけど、きっと苦しんでる」
「……」
「そのことを理解してやれるのはきっと僕だけだと思うから、だから…」
 そばにいなければ、と思う。ディランが少しでも安らげるのなら、何でもしてあげようと思う。
 黙り込んだジョウイの横顔を、ビクトールは不思議なものでも見るかのように眺めていた。
 綺麗な横顔。
 ジョウイはもとはキャロの街の豪族の子息だという。普段はそうは思わないのだが、時折見せる表情や仕草に、自分たちとは縁遠い気品のようなものを確かに感じる。
 傷ついたことのない、鍛えられたことのない子供だと思っていたのに、それは間違いだったようだ。
 ジョウイがディランのことを語るときの表情はどこか秘めた強さを忍ばせている。普段は完全にディランの陰に隠れているくせに、どうしてこんな強さを見せることができるのだろう。
 ビクトールは二杯目の水を汲もうと立ち上がった。
 ふと、ジョウイの首筋が視界に入り、ぎくりとする。
 見覚えのある赤い印。
 おいおい、冗談だろ?とビクトールが目を見張る。
 よく見ると、白い二の腕にも同じような鬱血のあとがある。
 どう考えてもキスマーク。
 だとすると、誰がつけたのか。そんなことは考える必要はなくて…
「あ〜、ビクトールさんてば、なぁにジョウイに見惚れてるんだよ」
 振り返るとディランが扉近くに立っていた。裸足のまま、すたすたとジョウイに近づくと、背中に抱きつき、甘えるようにその首筋に顔を埋める。
「ディ、ディラン!」
 とたんに真っ赤になるジョウイ。そんなことはまったく気にしてないようで、ディランはなおもジョウイを強く抱きしめる。
「だってなかなか帰ってこないからさ、どこで浮気してんのかと思ったよ」
「ちょっとビクトールさんと話をしてたんだよ」
 胸の前に回された腕を解こうとするジョウイに、ディランがくすりと笑ってビクトールを見上げる。
 その目には明らかに嫉妬の色を浮かべている。
 こんな夜更けにジョウイと2人きりでいたことに対する嫉妬。
 こ、こいつら…ガキのくせして、まさか…
 ビクトールが思わず顔を引きつらせる。
 そんなビクトールの様子にディランが笑う。
「こんなとこでジョウイと2人きりでいると、誤解されても仕方ないよ、ビクトールさん」
「お前ら…」
 ディランが必要以上にジョウイを大切にする理由も、ジョウイがディランのことだけに関して強さを見せるのも、これで理解できた。
 こいつらデキてんな。
 ビクトールはまじまじと目の前の2人を見た。
 ディランがジョウイを立ち上がらせて、部屋に帰ろうと促す。むすっとしたままのビクトールを振り返り、ディランが意地の悪い笑みを浮かべる。
「ビクトールさんも早く部屋に帰った方がいいんじゃないの?フリックさんが待ってるでしょ」
「何でフリックが待ってるって分かるんだよ」
 低くつぶやいたビクトールに、けらけらとディランが笑う。
「だぁって、あれだけ大声上げられちゃ、嫌でも分かるでしょ。ヤるならもうちょっと静かにヤった方がいいよ。他の部屋にも丸聞こえだと思うから」
「この…エロガキが…」
「その言葉、そのままお返しします。あんまり刺激しないでくださいね、ジョウイがいつまでたっても眠れないことになる。ね、ジョウイ」
 真っ赤になってうつむくジョウイ。
 そうか、それで台所に入ってきたとき、ビクトールの顔をみて視線を反らしたのか。自分とフリックがさっきまで何をしていたか、すべて知られていたというわけだ。
 ビクトールはくそっと毒づくと、ひらひらと手を振って出て行くディランを憎憎しげに見やった。

 この続きは…

         ビクトール×フリックで楽しむ     ディラン×ジョウイで楽しむ


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