兄妹の距離

第五話


オレは今、ものすごく眠い…。
原因は昨日の夜、ともみのことを考え過ぎて、ほとんど眠れなかったからだ…。
眠い。寝たい。
しかし今は授業中。
今寝てしまうとオレ達のクラス、3年4組の担任である高橋先生に怒られてしまう。
一時間目の授業は高橋先生の古典。
昨日、熟睡していたとしても、十分に眠くなる授業。
授業の内容もさっぱりわからない。
わからない授業を受ける意味なんてあるのだろうか?
眠い。寝たい。
前の席の「てっちん」は眠っている…。
本名は芝原徹雄(しばはらてつお)。
オレ達の間では「てっちん」で通っている。
眠い。寝たい。
あ、隣の席の遠藤さんも、うつらうつらしている。
お、二つ前の山本くんはイビキをかいてるぞ?
気付いてないないのか? 高橋先生は?
眠い。寝たい。
寝れる。この薄い警備網ならば、確実に寝れる!
眠い。寝たい。
イヤ、しかし、テストも近いしなぁ…。
一応オレ、進学希望者だし…。
眠い。寝たい。
でも、授業内容はよくわからないしなぁ…。
あとで学年トップの望月くんからノートを借りればいいか…。
眠い。寝たい。
いやいや、万が一、ということもあるし…。
リスキーなギャンブルをするワケには…。
眠い。寝たい。
恐れるな、オレ。いつの時代であっても勇者は尊敬され、優遇される存在だ。
勇気を出すんだ祐輝。チャンスを己が手で掴み取れ!
眠い。寝たい。
……。なんかダジャレみたいに聞こえるな…。
「勇気を出せ祐輝」って…。
眠い。寝たい。
しかし、どうして古典の授業はこんなに眠いのだろうか?
古典の教師はみんな、催眠術が使えるのだろうか?
眠い。寝たい。
あ、隣の遠藤さんもついに寝ちゃった。
古語辞典をマクラにしてる。寝る気マンマンだな、遠藤さん。
眠い。寝たい。
お、山本くんが「う〜ん、もう食べられないよぉ…」って寝言を言ってる。
それでも気がつかないのか? この先生は?
山本くんの隣の席の矢島さんは、笑いを堪えて肩を震わせてるっていうのに…。
眠い。寝たい。
この高橋先生もアレか?
「先生にデモなるか、先生にシカなれない」という「デモシカ教師」なのか?
眠い。寝たい。
まぁ、最近の学生は生意気で、シャレになんないことをするヤツもいるそうですからね。
「事勿れ主義」になっちゃう気持ちはわかりますよ。
しかし、教育者がそれで良いのでしょうか?
日本の将来を担う私達、若者を先生達がしっかり指導しなければ、
日本の将来はどうなってしまうのでしょうか?
過去の過ちを繰り返さないようにする為に、先人達の知恵を子孫に残すことが、
教育なのではないでしょうか?
眠い。寝たい。
……。本格的に眠くなってきた…。
中途半端な知識で教育論なんか論じるんじゃなかった…。
眠い。寝たい。
このままでは本当に眠ってしまう…。
なにか良い方法はないだろうか?
眠い。寝たい。
そうだ、逆催眠だ。先生が催眠術を使っているのならば、
こちらも眠らないように催眠術をかければいい。
こうやって5円玉に糸を括り付けて、振り子のように動かして、
貴方はだんだん眠くなくなーる…。貴方はだんだん…眠くなくなーる…。
貴方は…だんだん…眠く…なーる…。
ぐぅ…。









「お兄ちゃん! ねぇ、お兄ちゃん!」

遠くの方で、オレを呼ぶ声がする。

「お兄ちゃん、そろそろ起きてよ! ねぇ、お兄ちゃんったらっ!」

オレのことをお兄ちゃんなんて呼ぶヤツは、アイツしかいない。
この声の主は、きっとともみだ。

「…ともみ?」

「わ、わわわ! びっくりっ!」

目を覚ましたら目の前にともみの顔があった。
オレが声をかけたら、ともみは顔を真っ赤にして、
胸の辺りに両手をあてて驚いた。
まったく、大袈裟なヤツだなぁ。

「ん…。もう1時間目が終わったのか?」

「もう、寝ぼけちゃって! 1時間目なんて、とっくの昔に終わっちゃったよ!」

「え? じゃあ、今は何時間目なんだ?」

「もう放課後だよ」

「なに? 放課後!?」

意外な事実に驚愕したオレは、勢いよくガバッと身を起こし、辺りを見回した。
教室の窓からは夕焼けのオレンジ色が射し込み、
グラウンドからは部活動をやっている生徒達の声や、
陸上部のスターターのピストル音が聞こえ、
教室内にはオレとともみの2人しか生徒が残っていなかった。

「おいおい…、ウソだろ? どうなってんだよ、この学校は…。
『事勿れ主義』にしても程ってもんがあるだろ? 程ってもんが…。
普通、1時間目からずっと寝ている生徒がいたら、
教師か友達が起こすもんだろう?」

オレは誰に言うワケでもなく、今自分が置かれている境遇に対して愚痴った。
勝手に寝てたオレが言うのもアレなんだが、
せめて「てっちん」には起こしてもらいたかった…。
てっちんとは親友だと思っていただけにショックが大きい。

「1時間目からずっと寝ていたっていうことは…、
わ、スゴイ! 約8時間も学校で寝てたことになるよー。
ちょっとしたギネスだね? お兄ちゃん!」

「バカ、よろこぶヤツがあるか! 丸1日授業を受けられなかったんだぞ!
いったい今日は何の為に学校に来たんだか…」

そう言ってオレは、ともみの頭をチョップする。

「はぅ…、私の所為じゃないのにぃ〜」

「半分はお前の所為だ!」

「ふぇ?」

ともみは両手で頭を押えながら、何のことだか解らないという顔をしているが、
オレは無視して帰り支度をした。

「ところでともみ、お前なんでコッチの校舎にいるんだ?
確か中等部の学生は、コッチの校舎に入れなかっただろう?」

オレは学校指定の鞄に教科書や文具を詰め込みながら、ともみに聞いた。
それほど厳しい校則がある学校ではないが、一応中等部の学生は、
みだりに高等部の校舎に入ってはいけないことになっている。
理由は明確で、中等部の生徒は高等部の生徒ではないからだそうだ。
つまり、中等部の生徒は中等部の施設を利用することは許可されているが、
高等部の施設を利用する許可はされていないという理屈だ。
よって校舎内への進入すら許可されていない。
まったく、学校っていう施設はすぐに規則規則って言うからな。
ここは刑務所かっつーの! 息苦しくて仕方がない。

「私が校門の前でお兄ちゃんを待ってたら、芝原先輩が中に入れてくれたんだよ」

「てっちんが?」

「うん、お兄ちゃんが『眠り王子』になってるから起こしてあげてって」

「眠り王子?」

「うん、お兄ちゃんは男だから『眠り姫』じゃなくて『眠り王子』」

「あのバカ、なにが『眠り王子』だっつーの! そんなことをともみに言う暇があったら、
テメェでオレを起こせってんだ!」

わざわざともみにオレを起させる理由はよく解らなかったが、
一応、寝ているオレを気にかけていてくれたことが解って、少し安心した。

「ううん、最初、芝原先輩はお兄ちゃんのことを『三年寝太郎』って言ってたんだけど、
それじゃあお兄ちゃんが可哀想だと思って、私が『眠り王子』に改名したんだよ」

ともみはまた「えっへん!」と誇らしげに胸を張る。

「そんなモンどっちでもいいよ。どっちみち恥ずかしい名前なんだから…」

「え? お兄ちゃんは『三年寝太郎』の方がよかったの?」

「別にそういうワケじゃないけど…」

「だったら絶対、『眠り王子』の方が良いよ! なんていったって、王子様だよ?
寝太郎は橋の上で寝てて、村人から邪魔者あつかいされちゃうけど、
眠り王子は白馬に乗ったお姫様のキスで目を覚ますんだよ?」

まぁ、『眠り王子』は『眠り姫』の男バージョンだから、そういう話になるんだろうな…。

「ところでその『白馬に乗ったお姫様』っていうのは誰のことを指してるんだ?」

「もちろん私だよっ」

ともみはニコニコしながら自分を指差してそう言った。
オレはもう一度、ともみの頭をチョップする。

「きゃううぅ…、酷いよぉ…」

「そんな情けない声を出すお姫様が何処にいるんだよ? このヴォケが!」

「それを言うなら、お姫様にチョップする王子様なんて、何処にもいないよぉ!」

ともみは両手で頭を押さえながら、涙目でオレを抗議した。
オレはそんなともみの素直な反応を見るのが楽しくて、
ハハハと笑いながら、もう一発チョップをお見舞いした。
すると、ともみにも学習能力があったのか、
真剣白刃取りの要領でガッチリと、オレの右手を両手で受け止めた。

「ふっふっふっ、二度も同じ手は通用しないよ、お兄ちゃん!」

フフフとニヒルな笑みをうかべるともみに対して、
無性に腹が立ったオレは、反対側の左手でともみの額をデコピンしてやった。

「きゃうぅ! 奇襲攻撃なんてヒキョウだよぉ!」

「はっはっはっ、奇襲なんて戦場では日常茶飯事だぞ?」

「ここは戦場じゃないもん!」

怒ったともみは両手でオレの右肩を、ポカポカ殴ってきたので、
オレはともみの頭をボカボカ殴り返した。

「きゃううぅ! 女の子を殴るなんて、
『どめすてぃっくばいおれんす』だよぉ…」

「オレはフェミニストだから男女平等なんだよ。
女だろうが男だろうが、殴られたら同じ強さで殴り返す!
目には目を歯には歯を、だ!」

そう言いながらオレはシュッ、シュッと、ボクサーのようにジャブを繰り出す。

「そんなの全然フェミニストじゃないよぉ…」

またともみは両手で頭を押えながら、涙目でオレを抗議する。

「さて、日もだんだん沈んで来たから、バカなことばかりやってないで、
そろそろ帰るぞ。ともみ」

「う、うん…」

教室の窓から入る夕日が、教室内とオレ達を赤褐色に照らし、
もの悲しい雰囲気になった教室で、ともみが力なく頷いた。

「ん? どうした? さっきのデコピン、ちょっと痛かったか?」

「ううん、そうじゃないの…」

さっきまでの元気は何処へ行ってしまったのか…。
いつも元気だったともみが、今は気力が無くなったように見える。
疲れてるっていうワケでもなさそうなんだけど、
今のともみはどこか遠くの世界を見ているような、
焦点の定まっていない、とろんとした目で、生気が感じられなかった。

「? 具合が悪いのか? お前は昔から身体が弱いんだから、あまり無茶するなよ?」

「うん…、心配してくれてありがと、お兄ちゃん…。でもホントに大丈夫だよ」

ともみは精一杯の笑顔を作ってそう言った。

「そうか? なら良いけどな…」

オレは一抹の不安を感じながらそう言った。
何故ならばコイツはオレに心配をかけまいとして、
痩せ我慢をしていることが多いからだ。コイツはいつだってそうだった。
ともみは子供の頃、40℃を超える高熱が3日間続く、酷い風邪をひいたのだが、
その風邪をひき始めた時も「大丈夫、大丈夫」と言って、自分の病気を隠そうとしていた。
まぁ、その時はオレと伯母さんがタッグを組んで、
無理やり看病したから事無きを得たのだが、もう少し発見が遅れていたら、
ともみは肺炎で死んでいたかもしれない。
他人に迷惑をかけないのは良いことなのだが、己の力が及ばず、
オーバーワークに陥り、事態を更に悪化させてしまうことだってある。
ともみはそのことに気付いているのだろうか?
しかし、本人が大丈夫と言っているのだから、これ以上問い詰めるのは難しい。
どうせまた、「大丈夫」とか言うに決まっている。
そう判断したオレは、何も言わずにともみと一緒に教室を出て、家路へと急いだ。



つづく

---- あとがき ---------------------------------------------

約一ヶ月ぶりに『兄妹の距離』をアップしたヘタレライターのATFです。(汗)
今回もなかなか納得がいかなくて、5回くらい書き直したのですが、この程度です。(汗)
まだまだ始まったばかりの『兄妹の距離』ですが、見捨てないでください…。(汗)
文章:ATF

(2002年5月18日)

<第四話  第六話>

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