その一室には、ただ複数の荒い息遣いだけが響いていた。そのほとんどがオスの放つ物だが、意識を集中させればその中に一つだけ、他とは違った穏やかな吐息を聞きとることができるだろう。その音の主は、部屋の真ん中で、どこを見るわけでもなくただ呆然と座り込んでいる。
 男の精に染まりぬいた悪臭ふんぷんたる空気の中で、その女は、まるでそれを気にする素振りを見せずに、ぼんやりと天井の明かりを眺めている。
 顔も、手も足も、体中の穴という穴、肉という肉に白く濁った液体がべっとりと付着、いや、染み付いている。が、時々奥から湧き上がる何かに体を震わせることはあるものの、やはり彼女はそれを気にした様子はない。
「く……へ、へへっ……出しに出した、って感じだな」
 へたりこんでいた男達の一人が、重い口を開く。
「あ、ああ……九回か……この短時間で、良くもまあそんなに出せたもんだ……」
「俺も九回ってとこか……なんか、頭はぼうっとして、体も急に重くなっちまった……」
「まさに、便器サマサマだな……大尉さん、アンタ、スゲエ女だぜ……」
 男の声にも、彼女……アヤ・コバヤシ大尉は、まったく反応を示さない。相変わらず、ぼんやりと天井を見つめているだけ。その細い体で、十人の男達の射精を九回分浴びているのだ。その顔のほとんども精液に埋もれていて、表情を伺うことすら難しい。
「さて、と……」
 一人の男が腕にはめた時計に目をやり、重い腰を上げる。他の男達も、それに習ってそれぞれ立ち上がる。
「実験開始から、2時間55分か。アンタ、本当によくやったよ。俺らも信じらんねえとこだ、こんな短時間で九発ずつ、だからな」
 男の一人が、ポンポンとアヤの頭を優しく叩く。が、美しい緑の黒髪もまたやはり白く濁っていて、男の手のひらを粘液でネチャリと汚す。男は手を振って汚れを落とそうとしたが粘り気のあるそれはまったく落ちず、仕方なくアヤの顔の前に汚れた手のひらをさらす。アヤは何も言わずに、子猫のように舌を投げ出し、男の手のひらを舐め取っていく。
「だが、残念ながらここで実験は終了だ。俺達もすっかり搾り尽くされて、ピクリともしやしねえし、どのみち後五分で十人に一発ずつってのは無理な話だろ?」
「……じっ……けん…………しゅう……りょう…………?」
 男達の言葉には無反応だったアヤが、初めて反応らしい反応を示す。ゆっくりと上向く、精液に染め抜かれたその顔を見ても、やはり男達の肉棒は微動だにしなかった。
「愛しの少佐殿には、俺達から伝えておいてやるよ。露出狂の変態大尉さんは、やっぱり役立たずだったってな。いや、むしろ肉便器としての才能に目覚めた、と良い報告をしておいてやるか」
「やく……たたず…………」
 言葉の意味を噛み締めるように、小さく繰り返すアヤ。と、その体が、小刻みに揺れ始めた。
「役立たず…………失敗作…………」
 体の震えを止めようと、両手で自らの肩を抱く。が、震えは一向に収まる様子もない。
「ま、後で正式に指令が出るはずだぜ。俺らの肉便器に降格、って命令がな。そしたら今日以上に楽しませてやるから、楽しみにしてなよ。じゃあな、便器大尉さま」
 背後で震えているアヤに構わず、男達は部屋を出ようとドアの前に立つ。
が。
「ありゃ?」
「おい、どした? 早く出ようぜ。臭くてたまらねえや、ココは」
「ん、いや、なんか、開かねえんだよ、このドア」
「なんだ、入る時にロックしたっけか? あれ? やっぱロックははずれてるみてえだぞ。どうなってんだ?」
「なんだ、壊れちまったのか? ちくしょ、この、開けってんだよ」
 何度ドアの前で扉を踏み鳴らしても、ウンともスンとも言わない。苛立った男達は、ドアを殴りつけたり蹴りつけたりし始めたが、それでもドアは言うことを聞かないままだ。
「…………ぃゃ…………」
 背後から聞こえたか細い声に、男達は一斉に振り返る、そこには、虚ろな表情をしたアヤが立っていた。
「お……おい……」
「なんだ……?」
「いや、だよ…………わたし、役立たずじゃ……失敗作じゃない…………捨てないで……私を、捨てないで…………お父様……少佐……」
 ブツブツと呟きながら、アヤは追いすがる様に右手を前に差し出したまま、一歩一歩男達の方に近づいてゆく。
「な、なんか様子が変だぜ。おかしくなっちまったんじゃねえのか?」
「ま、待てよ。この女って、たしか超能力みたいなのが使えるって話だろ。は、早く離れた方が……」
 その生気のない様に言い知れぬ恐怖を覚え、男達はなんとか部屋の外に出ようとドアに当たり散らすが、やはり相も変わらず微動だにしないまま。背後からは、虚ろな表情を浮かべたアヤが、一歩一歩迫ってくる。
「いやよ……一人にしないで……私を置いていかないで……」
「お、おい! なんかやべえよ! 早く、早く開けろって!」
「わかってるよ! でも開かねえんだよ、くそっ! なんでだよっ鍵は開いてんだろがっ!」
 パニックになった男達は、なおもドアと格闘するが、その願いは叶わぬまま。そうするうちに、いつのまにか男達の背後一メートルの所までアヤは近づいていた。
「ヒッ、ヒィィッ! な、なんだ、く、くるな、くるなよっ!」
「や、やめろっ、近づくなぁっっ!」
 扉を背にして、慌てふためく男達。だが、その言葉の一切はアヤの耳には届いていない。その虚ろな瞳に映っているのは、一人の男の後姿だけ。
「いや……待って……置いていかないで…………おねがい……待ってぇ……少佐…………イングラム少佐ああぁぁぁっっっ!!!!!」




「クッ……クククッ……」
 ノイズで乱れたモニターを見ながら、イングラムは思わず笑みを浮かべていた。抑えることなどできない、いや、その必要もない。自分が求めた以上の結果が、その砂嵐の中に舞っているのだから。
 研究室内にいた数人の研究員達は、男女問わず、皆放心し、へたり込んでいた。その下半身は、一様に濡れそぼっている。
 モニター内のアヤが絶叫したその瞬間、極東支部内の大気が震えた。極限まで追い詰められたアヤの念動力は、大幅に増幅され、そして爆発した。結果、極東支部内の人間全てに精神感応を引き起こした。アヤの捨てられたくないという一心が、それを回避する為の手段、絶頂に、整備兵十人だけではなく支部丸ごとを巻き込んだのだ。そしてそれは、イングラムすらも例外ではなかった。
 己の下半身を苛む不快な感触も、今は心地良くすら思える。本来イングラムは、勃起や射精すらも完全に己自身でコントロールできる。自らの判断を狂わせかねない性欲という欲求を、自らの手で完全に抑え込むことができるのだ。
 それが、アヤの爆発的な念動力に晒されたことにより、自らコントロールすることもできずに果ててしまった。イングラムが制することの出来ぬ程の強大な念動力。それは、まさしくイングラム自身が求めてやまぬ力。
「フ……フハハハハッ! すばらしい、すばらしいぞアヤ! これほどの念動力を秘めていたとは、私の予想以上だ! フハハハハハハッ!」
 狂ったような哄笑に、イングラムは視線を移す。そこには、あまりの負荷にメーターが振り切れ、火花を散らし煙を燻らせる、ケンゾウ博士の作った念動力測定機の無残な姿。そして、それを眺めながら高笑いするケンゾウ博士の姿があった。
 測定機は本来ならば、戦闘時のアヤの念動力の十倍まで計測できる仕様である。それが、限界を振り切られてこうもあっさりと破壊されてしまっていた。己の感覚とは別の、数値による理論的な裏づけにより、その手に求める力を手に入れた実感をイングラムは再認識していた。
「どうだね、イングラム少佐! アヤは立派に我々の期待に応えてくれた! ここからが、あの計画の本当の始まりなのだよ。クッ、フフ、フハハハハハッ!」
「ええ……アヤがこれだけの数値を弾き出すのならば、実現の可能性はグッと高まったということですからね」
 口端を歪めながら、イングラムは部屋を後にするべくドアへと向かう。
「少佐、どこへ行くのかね? 我らの前途を祝して、祝杯でも傾けようじゃないか、ハハハッ!」
 やはり彼の精神状態も普通ではないのだろう、普段の冷徹な様子からは考えられないほど、常軌を逸した様に笑い続けながら、ケンゾウ博士がイングラムを呼び止める。
「いえ……博士がおっしゃる通り、私達の計画はまだ始まったばかりですからね。……あのモルモットにはまだまだ利用価値がある。壊れる前に、回収しなければ、ね」



 イングラムがドアの前に立つと、音もなくスッと横にスライドする。同時に、ドアにもたれかかっていたとおぼしき男がそのまま後ろ向きに倒れてきた。その目は完全に白目を剥いていて、意識もないようだ。部屋の中を見渡せば、同様に白目を剥いたまま横たわる数人の男達。その下半身は、一様にわずかに血の混じった白濁で汚れている。アヤの念動力にまともに晒され、身体の限界を超えて強制的に射精させられたのだろう。
 そして、
「ヒック…………ウグ…………エック…………」
 床にペタンとへたりこみ、少女のように啜り上げ続ける、アヤの姿があった。
「アヤ……」
 イングラムが小さく呼びかけると、アヤは恐る恐るといった感じで顔を上げる。
「あっ…………あ、あのっ……あのね…………」
 イングラムの顔を見て、色々な感情が急に溢れ出して来たのだろう、言葉につまるアヤ。その顔も体も、様々な体液でグチャグチャだ。が、イングラムはそれに構わず、右手を伸ばしてアヤの頭の上に置いた。
「よく、がんばったな」
「あ……」
 一番聞きたかった人からの、一番聞きたかった言葉。アヤは、満面の笑みを浮かべ、そして次の瞬間、意識を失った。
 イングラムは右手をアヤの首の後ろに回し、左手を膝の裏に差し込んで、その体を抱き上げた。
 アヤを抱き上げたまま、おそらく精神感応の影響であろう、人の気配のない通路に靴音を響かせてゆく。すやすやと寝息を立てるアヤの顔には視線を落とさずに、前を向いたまま、イングラムは呟いた。
「アヤ……俺の計画の要は、お前だ。……お前が結果を出せば、いくらでもかわいがってやる。お前は俺の大事な……実験体だからな」


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