自分を鼓舞して職員室を出たネギだが、アスナを見かけてもことごとく逃げられてしまい、逆にしょげ返ってしまっていた。
「うう……ひどいですよアスナさん、話も聞いてくれないなんて……」
 肩を落としてトボトボ歩くネギの肩が、トントンと叩かれる。
「えっ。あ、わっ!」
 振り向いた瞬間、目の前に広がる丸く大きな物体に顔をぶつけてしまったネギ。だが、痛みはなく、むしろ柔らかな感触。顔を上げるとそこには、目を細めてニコニコと笑っている背の高い少女の顔があった。
「どうしたでござるか、ネギ坊主。そんな顔をして」
「あ……楓さん」
(そうだ、楓さんなら……)
 どうしてよいかすっかりわからなくなっていたネギは目の前に立っている少女、長瀬楓に相談してみようと思い立った。彼女はネギが魔法使いである事を知っている数少ない一人であり、以前ネギが落ち込んでいた時に励ましてくれた事もある。それに、見た目も中身もクラスの中では特に成熟しているイメージがあった。
「えと、実は……」
「あー、ネギ先生、どーしたの?」
「どうしたですかー?」
 と、そこに、楓と共に散歩部に所属している鳴滝風香・史伽の双子の姉妹が近寄ってきた。
「んー、ネギ坊主の様子が変でござるから、どうしたのかと」
「そういや、なんかアスナとケンカしてるんだっけ」
「だいじょーぶですか、ネギ先生」
「え、いえ、あの……」
 なし崩し的に二人が話に加わってしまい、ネギが切り出すべきかどうか迷っていると。
「どーせエッチな事でもしちゃって嫌われたんじゃないのー?」
「お、お姉ちゃんっ」
「あうっ」
 冗談交じりの風香の一言が、ネギの心にグサリと突き刺さる。
「う……ちが……ちがうのにーーーっっ!」
 ネギは泣きながら走って逃げていってしまった。
「……ありゃ? 図星だった?」
「そんなわけないじゃないですか! お姉ちゃんのせいです〜っ」
「あ〜っ、また史伽、僕を悪者にするつもりだなっ」
「ふむ……どうしたものでござるかな」
 双子が脇でキャイキャイと騒ぐ中、楓はネギが走り去った方向を頬を掻きながら見ていた。

「……ゃまる。ちゃちゃまるっ!」
「ハッ! ……あ、マスター。どうされましたか」
「どうされたか、じゃない。帰ると言っているんだ」
「了解しました」
 いつの間にか待機モードに入っていたのだろうか。茶々丸はエヴァの再三の呼びかけに、ようやく鈍い反応を返す。だが、完全に思考が停止していたわけではない。ある一つの事を考えていて、思考がループしてしまっていたようだ。
「マスター。ネギ先生の事なのですが……」
「ん? ぼーや? ああ、神楽坂明日菜とケンカしたそうじゃないか。クックック、良い気味だよ。あの二人が仲違いしていた方が私にとってもやりやすいしな」
 楽しそうに笑うエヴァに、なんとも言えない視線を向ける茶々丸。
「ム、なんだ茶々丸、その顔は。私はガキの相手をしているほど暇じゃないんだ。さっさと帰るぞ」
「はい……」
 返事はしたものの茶々丸の動きは鈍い。
「それにあの二人の事だ。放っておけばすぐに元通りになるだろう。気にするな」
 さっさと教室を出て行ってしまうエヴァ。茶々丸は一瞬教壇の方へ振り返ったが、すぐにエヴァの後を追い廊下に出た。

「ネギ先生」
「あ、いいんちょさん。どうしました?」
 放課後、あやかは職員室のネギの元を訪れた。本来なら誰よりも先にネギの元へ駆け寄ってもよさそうな物だが、そうしなかったのは色々と下準備が必要であったからだ。
「ええ。アスナさんとの事ですけれど」
「ああ、大丈夫ですよいいんちょさん。僕はもう大丈夫ですから」
 ネギはすでに決まり文句のようになっているセリフで、あやかを安心させようとした。だが。
「ネギ先生、ご無理をなさらないでください。大丈夫でないことくらい、見ていればわかりますわ」
「いいんちょさん……」
 あやかはネギの両手を握り、わずかに背を屈めてネギの瞳を覗き込む。
「このかさんに、詳しい事までは伺ってはおりませんけどアスナさんと何かあったという事だけは教えていただきましたわ。私もアスナさんとは……昔からの腐れ縁ですし、どういう人かもわかっておりますから。私で良ければ、相談に乗らせていただけませんか」
 その真摯な瞳に、弱っていたネギはすっかり心打たれてしまった。瞳をキラキラさせながら、あやかの手を握り返す。
「あ、ありがとうございますっ、いいんちょさん」
「いえ、そんな……ネギ先生の為ですもの、お安い御用ですわ」
(ああっ、ネギ先生の眼差しが、私にっ……な、なんて幸せな気分なのっ)
 あやかは舞い上がり、心の中でワルツを踊っていた。知らず呼吸が荒くなっていたが、ここで行き過ぎるといつものパターンに陥ってせっかくの準備も台無しになってしまう。あやかは一つ呼吸を落ち着け、ネギに切り出す。
「では、ネギ先生。落ち着いた所でゆっくりお話を伺いたいと思いますので、私の実家の方にお出でいただいてもよろしいですか」
「えっ。でも、寮の方には」
「それならもう、外出許可は取っております。実家でもネギ先生の歓迎の準備は整えておりますから、どうかご遠慮なく」
「いいんちょさん、僕の為にそんなにまで……ありがとうございますぅ……」
 感激のあまり、ネギは瞳を潤ませながらあやかを見つめる。その場で抱きしめてしまいそうになるあやかであったが、楽しみは後に取っておくべき、と自分になんとか言い聞かせ、なんとか自分を抑え込んだ。
「で、では、ネギ先生。実家でお待ちしておりますわ」
「はいっ。いいんちょさん、何から何までありがとうございますっ」
「い、いえ、そんな……では、失礼致しますわっ」
 職員室を出る頃にはあやかの喜びは体内には収まりきらず、文字通りくるくる回りながら背後に花を撒き散らして扉を出て行った。

「じゃあ行ってくるね、カモ君」
 ネギは学校での仕事を早々と切り上げ、早めに寮へ戻るとあやかの家へ出掛ける支度を整えた。
「アニキ、姐さんに一言断っとかなくていいのかい?」
「そのアスナさんとの事で出掛けるんだし」
「アニキィ、あんまり気にしない方がいいと思うぜ。あれは男の摂理ってヤツでさ。姐さんもその辺はまだまだ子供って事だ。ほっとけば機嫌直すって」
 カモがネギを慰める。本当はもっと早くカモが話を聞いてやれば良かったのだろうが、朝の出来事を囃し立てて明日菜の逆鱗に触れたカモは思い切り壁に叩きつけられ、今日一日行動不能だったのだ。
「うん。でも、これからも一緒に暮らすんだし、早く仲直りしたいから」
「あやか嬢の所になんていったらそれこそもっとこじれる気がするんだけどなあ。ま、いいや。それならオイラもついてくぜ、アニキ」
「それはダメ」
 カモの申し出を、ネギはピシャリと断った。
「アスナさんやこのかさんに僕が出掛ける事を伝えておいて欲しいし、それに僕はいいんちょさんと仮契約する気はないからついてきてもムダだよ」
「うぐっ」
 あっさりと目論見を見破られ、カモは言葉に詰まる。
「じゃあ、行ってきまーす」
 ネギが部屋を出ると、カモはタバコに一本火をつけ、紫煙をくゆらせながら窓の外に視線を移す。
「アニキも難しい年頃だねぇ」

「ようこそいらっしゃいました、ネギ先生」
「わあ〜」
 広大な屋敷の、門の前までわざわざネギを出迎えに来たあやかの姿を見て、ネギは思わず感嘆の声を上げた。
「いいんちょさん、それって……ウェディングドレスですか?」
「いえ、これはあくまで来客用ですわ。ウェディングドレスとなれば、一生に一度のモノですもの。旦那さまに失礼にあたらないように、もっと素晴らしいドレスを用意させていただきますわ」
「へええ〜」
 ネギは素直に感動していた。あやかが着用しているのは、純白のドレス。両肩が露出した大胆なものだが、その白い光沢が見る者の邪念を洗い流してしまう。マーメイドラインと呼ばれる、上半身から膝までピッタリとフィットしたシルエットのドレスは、あやかの中学生とは思えぬスタイルの良さを際立たせる。二の腕を半分まで隠すシルクのこれまた純白のロンググローブを填めた手にもしブーケを持っていたとしたら、誰が見ても立派な美しい花嫁と思う事だろう。
「ささ、こんな所で立ち話もなんですから、どうぞお入りになってください。最高級のハーブティと様々なお茶菓子を用意してありますの」
「いつもありがとうございます、いいんちょさん」
「いえ。ネギ先生に喜んでいただけるならそれが何よりですもの。さあ、どうぞ」
 あやかの差し出した右手を握り返すネギ。それだけであやかの胸にキュウンと甘い疼きが走る。だが、その手が細かく震えているように感じられて、思わずネギの顔を見つめてしまう。
「どうしました?」
「いえ。こちらですわ」
 色々と気になる所はあるもののそれらをいったん胸にしまい、あやかはネギの手をとり屋敷の中へと入っていった。

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