「茶々丸さん、いますか?」
夕暮れももう終わりという頃、ネギは自分の担当クラスである3−Aの教室を訪れていた。
「あ……ネギ先生」
自分の席に座り目を閉じていた茶々丸が、ネギの声に反応し目を開ける。横顔が、窓から差し込むまだわずかに残る陽光に照らされ、ほんのりと朱に染まって見え、ネギは一瞬ドキリとした。
「どうかしましたか」
「あ、いえ、なんでもないです。……でも、こうして見ると、茶々丸さん、本当に人間と変わらないですね」
「そうですか。でも、私は明日には元のボディに戻ります」
「ええっ!? ど、どうしてですか?」
「……このボディでは、日常活動に支障を来たすおそれがありますので」
「そうなんですか。なんだか残念ですね」
「……ネギ先生は、今のボディの方がお好みでしょうか」
「あ、いや、僕の好みとかじゃなくてですね。なんだか茶々丸さん、今の姿になって、今日はとても楽しそうに見えたので」
「楽しそう……」
ネギにそのように見えていたことが意外で、茶々丸はポツリとその言葉を反芻する。
「早く、日常生活に問題の無い新しい体ができあがるといいですね」
「……はい」
急に茶々丸の雰囲気が暗くなってしまったように感じて、ネギは慌てて話題を変える。
「と、ところで、僕は何をすればいいんですか」
「実は私も詳細は教えられていないのです」
「ええっ? それじゃ、どうしたら」
「いえ、ハカセに指令書を渡されていますので、それに詳細が書いてあるとの事です。ただ、それを見る前にこの液体を飲むようにと」
茶々丸はスカートのポケットをまさぐると、二本の小瓶を取り出し、薄い青色の液体が入った方をネギに手渡す。
「これは?」
「今回の実験の為に必要、との事です。内容物に関して詳細な説明は受けていませんが、私がスキャンしたところ特に毒物などは混入されていないようです」
「あはは、まさかハカセさんが僕に毒を飲ませるなんて事はないでしょう。とりあえず、これを飲めばいいんですね」
「はい。お願いします」
ネギは小瓶の蓋をしているコルク栓を抜き、口元へ運ぶ。
「あ、そういえば。教室内に微かに魔力の反応を感じるんですけど、茶々丸さんは何か聞いていますか」
「今回の実験の為、ハカセが人払いの結界をマスターにお願いしたそうです」
「そうなんですか」
ネギは小瓶を一気にあおり、中の液体を喉の奥に流し込む。
「ん……なんだか甘いですね、これ」
「そうですか。では、私も」
ネギが液体を飲み干したのを見届け、茶々丸もピンク色の液体の入った小瓶の蓋を開ける。
「えっ? 茶々丸さん、飲み物を飲んだりして、大丈夫なんですか」
「はい。ハカセがその機能をつけてくれたそうです。いずれは味もわかるようになると」
「それは良かったですね、茶々丸さん。そうなったら今度、一緒にランチを食べましょう」
「は……はい」
ネギの何気なく発した言葉にわずかに動揺しながらも、茶々丸も液体を体内に流し込んだ。
「では、ハカセからの指令書を読み上げます」
茶々丸は再びスカートをまさぐると、小さな単語帳を取り出した。
「あ、指令書って紙一枚なのかと思ってたけど、違うんですね」
「そのようです。では、めくります」
茶々丸の、今では人間とかわらないほっそりとした指が、単語帳の表紙を一枚めくる。
「『この指令書は必ず一枚ずつめくって、達成したら次へすすんでね byハカセ』」
「なんでしょうね。手順を間違えちゃダメってことなのかな」
注意書きについては二人とも深く気に留めず、次のページへ進む。
「『第一の指令 ネギ先生とキスをする』」
「………………」
「………………」
「………………えっ?」
「………………あ」
「……えええええーーーーっっっ!?」
ズサササーーーッ!
ネギは思わず物凄いスピードで教壇の方まで後ずさる。
「そ、そんな……僕と、茶々丸さんが、キスって……なんでそんな……あぶぶっ」
突拍子も無い指令にすっかりパニックになるネギ。一方、茶々丸は。
「ネギ先生……」
頬を紅潮させながら、ネギに一歩一歩静かに歩み寄ってきた。
「あ、あの、茶々丸さんっ。これって、何かの間違いですよねっ?」
「いえ。私がハカセに手渡されたのはこの指令書と2本の小瓶だけです。指令内容に間違いはないかと思われます」
「で、でも、どうして僕が、茶々丸さんとキスなんて……あばばば」
どうしてよいかわからず、キョロキョロと辺りを見回してみるも、答えなどそこらに転がっているはずもなく。そうしているうちに、茶々丸はネギの目の前に立っていた。
「ネギ先生……」
茶々丸が膝立ちになり、ネギと目線の高さを合わせると、その頬にそっと手を置く。
「ちょ、ちょっと待って下さい、茶々丸さんっ。ぼ、僕、まだ10歳だしっ、それに、茶々丸さんは僕の生徒だから、そんな、キスなんてっ」
「……ネギ先生は仮契約の際、アスナさん達とキスをされたという話を記憶していますが」
「そ、それは……あの時は、僕はまだ10歳だからノーカウントでっ……のどかさんの時は事故だったし、このかさんの時は意識がなくて……えーと、そのっ」
ネギが必死で弁解をしている間も、茶々丸の顔がだんだんと近くにせまってくる。
「そ、それにっ! 茶々丸さん、こんな形で、僕とキスなんて、そんなのいいんですか?」
その言葉に、茶々丸の動きがピタッと止まる。解放されるかと思い、ホッと一息を吐いたネギだったが。
「……かまいません」
「えええっ!?」
茶々丸の返答を聞き、凍り付いてしまった。
「私は、ネギ先生とならキスをしてもいい、いや、むしろしたいと思っています。それに、放課後の教室で二人きりというのは、ロマンチックな状態ではないかと思われます」
「えう、そ、そんな〜」
(……おかしい)
茶々丸は、自分の発言に戸惑っていた。平時なら、人間で言う羞恥心が湧きおこり、朝のHRのように暴走してもおかしくないはず。だが今は、心臓部のモーターがフル回転してうるさいほど耳に警告音が響いているのに、不思議と落ち着いた心地で、ネギの顔と唇を見ている。
「……ネギ先生は、私とキスをするのは、お嫌ですか」
「そ、そんな事ないですけど、でも、僕、あわわわわっ」
再び、茶々丸の顔がネギの唇にせまってくる。その瞳が、ゆっくり閉じられ、そして……
(あわわ、アスナさん、助けてーっ!)
「ん?」
「どないしたん、アスナ?」
「いや、なんか今ネギの声が聞こえなかった?」
明日菜はネギに呼ばれたような気がして、キョロキョロと目線を部屋の中にさまよわせる。
「ウチはなんも聞こえへんかったえ。カモ君は?」
「オイラも別に。ハハーン、姐さん、そんなにネギの兄貴が心配なのかい?」
「ち、違うって言ってんでしょうがっ!」
スパーンッ!
どこからか現れたハリセンが明日菜の手に収まり、カモをひっぱたく。
「うひーっ、姐さん、お助けーっ」
ぶっ飛んでいくカモを尻目に、明日菜は首を捻った。
「う〜ん……気のせいかなぁ」
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