「ん?」
 自室のシャワールームから出ると、ガンガンとやかましく扉を叩く音が聞こえた。防音 が良いので聞き取りにくいが、扉を叩く主は何かわめいているようだ。
「はい」
 扉を開けると、いきなり女性が飛び込んできた。
「うわっと」
 一瞬慌てたものの、何とかその女性を受け止める。思わず、彼女を抱き留める形になってしまった。
「急に開けんな、バカッ」
 礼の一つも出てくるかと思ったらいきなり悪態が飛んできた。ま、この程度は慣れっこなので、「すみません」ととりあえず謝っておく。
「……カチーナ中尉?」
 上から見下ろしているため表情は見えないものの、容姿も格好も、ほのかに漂ってくる香水の香りも、自分の知るカチーナとは似ても似つかないのに、なぜか直感的にその名が浮かび、口に出していた。
 女性が顔をあげる。化粧をしているため普段と印象は違うものの、左右の色の違う瞳とその深さを見れば、それは間違いなくカチーナであった。
「……よくわかったな」
「それは、長い付き合いですからね」
 不思議そうに見上げるカチーナに、ラッセルは笑いながら言った。
「どうしたんです、その格好?」
「ん、いや、まぁなんだ……いいだろっ、アタシがこういうカッコしちゃいけないってのかよっ」
「そ、そんな事は言ってませんよ。ただ、驚いただけで……」
 慌てて弁明すると、カチーナは口を尖らせながら、ポソリと言った。
「……そんなに変かよ」
「えっ?」
「そんなに変かって聞いてんだよっ。会うヤツ会うヤツ変な顔しやがってっ。アタシだってちょっと着飾りゃあそこらの女になんか引けはとらないだろっ」
「はあ……」
 なんだか知らないが荒れているため、とりあえず黙って話を聞いていた。
「だいたいオマエがどこにもいないから艦内中こんなカッコでウロチョロするはめになったんだろがっ。わかってんのかっ」
「俺のこと、探してたんですか。何か急用ですか?」
「あ……う……別に何でもねえよっ」
 なんだか今日のカチーナは歯切れが悪い。よく見ると、顔が真っ赤で、瞳も少し潤んでいる。酔っているのだろうか。その表情に、少しドキリとした。
「……それにしても」
「えっ」
「オマエこそ、なんてカッコしてんだ」
「あ、うわっ」
 ラッセルは慌ててカチーナの体を放した。シャワーの後急かされて出てきたものだから、バスタオル1枚巻いたままだった。
「すみませんっ。すぐ着替えますから」
「……別にいいよ。勝手に押しかけたのはアタシの方だしな」
「しかし……」
「とりあえず上がらせてくれよ。まだ頭クラクラすんだ」
 言いながら、カチーナはラッセルの脇を抜けて部屋の奥へと進む。
 とりあえずラッセルはクローゼットから適当に下着を引っ張り出すと、脱衣所で素早くランニングとトランクスだけ身につけ、部屋に戻った。
 カチーナは、ベッドの上に仰向けに横になっていた。短めのスカートがまくれあがっており、ともすれば下着が見えてしまいそうで、あわてて目をそらす。
「あ〜、アッツイわ」
「そんなに飲まれたんですか?中尉」
「……そんなつもりはないんだけどな。クスハに飲まされた最後のヤツが、一番効いた」
 元来飲んでも飲まれないタイプの中尉をこんなにするなんて、いったい何を飲まされたのかと思ったが、クスハのお手製ということなら、深く追求するのはやめておいた。
「…………なぁ、ラッセル」
「はい?」
「正直に答えろよ」
「はい」
「……今日のアタシ、どう思う?」
 予期しない言葉。よほど酔っているのだろうか、どうもいつもと違い、調子が狂う。が、決してからかっているわけではないことは、口調でわかる。なら、自分は本当のことを答えるだけだ。元来、ラッセルは嘘をつくのが下手な男だった。
「キレイ、ですよ」
「キレイ、か……もうちょっと気の利いたこと言えないのかよ」
「すみません……」
「バカ、冗談だよ。オマエがそういうタイプじゃないことぐらい、アタシが一番わかってる」
 カチーナは上半身を起こすと、ラッセルの目をまっすぐに見つめた。
「ラッセル。これは命令だ」
「は、はいっ」
 命令、その言葉に背筋を正す。が、
「……今から、アタシを抱け」
「…………はっ?」
 予想していた範囲を遥かに超えた言葉に、ラッセルは思わず声を漏らした。
「2度も言わせんなっ。アタシを抱けって言ってんだよ」
「し、しかし……」
 軍に所属するものとして、上官の命令は絶対だ(この艦はかなりその辺りが緩いが)。
とはいえ、抱けと言われて理由もわからず上官を抱けるほど、ラッセルは盲目の兵士でもない。
「中尉、今日は本当にどうしたんですか?おかしいですよ」
「アタシの命令に逆らうってのか?」
「……その命令は、軍規に沿っているとは思えません。然るべき理由の提示をお願いします」
「…………」
 カチーナは押し黙って、またベッドの上に倒れこんだ。いくら酔っている相手とはいえ、直属の上官であるカチーナに意見するというのは、ラッセルにとっても肝を冷やす思いだった。
「アタシじゃ、抱く気にならないか」
 天井を見上げながら、カチーナはポツリと呟く。
「そ、そういうことを言っているのではなくて」
「わかってるよ……マジメだな、オマエは」
「…………」
 カチーナが寂しげに笑う。ラッセルは、胸が締め付けられる思いがした。
「邪魔したな。部屋に戻るよ」
 言うと、カチーナはベッドから立ち上がる。が、まだ酔いは醒めないのか、足元がふらつき、再び倒れこみそうになった。慌ててラッセルが抱きとめる。
「おっと……悪いな」
 バランスを立て直し、再び部屋を出ようとするが、ラッセルはその体を離さなかった。
「お、おいラッセル。もう大丈夫だって」
 ジタバタと暴れるカチーナをラッセルはいっそう力を込めて抱きしめる。
「ラッセル……」
 抵抗がやむ。カチーナの頭が、ラッセルの胸板にもたれかかった。
「もし、命令だと言うのなら、自分は中尉を抱くことはできません」
「そうか……」
「けれど、もし」
「それ以上言うなよ」
 カチーナはラッセルの唇を人差し指で塞いだ。カチーナがこんな仕草を見せるなんて、とラッセルは少々驚いた。
「あ〜あ。上官の命令でしかたなく抱いた、って方が、オマエもあと腐れなくていいかと思ったんだけどな」
「自分はそんな」
「いいんだよ。……別に、これからずっと付き合えってんじゃない。ただ、今、アタシを抱いてくれればそれでかまわないから。これは、命令じゃなくて……お願いだ。ダメか?」
「……中尉が望むならこれからの事も真剣に考えますが」
「だからそんなに難しく考えないでくれって。アタシだって、今日はたぶんどうかしてるんだ。それくらいわかってる。でも、今はただ誰かに抱かれたい。それで、どうせなら。いや、違うな。ラッセル、オマエに抱かれたいんだって、そう思ってる」
「……わかりました」
 カチーナが胸に預けていた頭を起こす。二人の視線が、絡まりあう。ラッセルの顔が、傾けられて……。
「ちょっと待った」
 寸前で声をかけられ、ラッセルは慌てて顔を離した。
「やっぱり、やめましょうか」
「バカ、ちがうよ。そんな顔するなよ。ただ」
「ただ?」
 カチーナが、照れくさそうにヘヘッと笑った。
「命令じゃなくて、お願いだって言っただろ。敬語とか、中尉とか、そういうの、やめてくれよ」
「はあ……」
 いまさら呼び名を変えるのも、なんだかむずがゆい気がする。けれど、カチーナが、この夜を特別なものに、そして、明日からはすぐに元の間柄に戻れるようにと、気を使っているのもわかったから。
「……カチーナ」
 名前を呼ぶ。カチーナは、照れくさそうに笑うと、そっと目を閉じる。ラッセルは、期待と不安にフルフルと震えている唇に、唇を重ねた。

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