掃除の行き届いた、小奇麗な、しかしあまり生活感の感じられないモデルルームのような一室。テーブルを囲み、三人の美しい女性がカップを傾けている。優雅な雰囲気を漂わせているが、一たび視線を下ろせば皆、彼女達の出で立ちに絶句するであろう。落ち着いた雰囲気にそぐわない、あまりにも扇情的な姿であったから。
「ふう……」
 艶やかな黒髪を襟足で切り揃えた女性、水野蓉子が、喉を潤してカップを置き、一つ息を吐く。
「聖」
 蓉子は、とてもリリアンの卒業生とは思えないような格好でどっかりと椅子に腰をおろす友に声を掛ける。
「ん?」
「……何か羽織りなさいよ」
「いいよ別に。寒くないし」
 聖の返答に、蓉子はまた一つ溜息を吐いた。ゆったりと紅茶を楽しもうとしても、目の前の聖の格好が気になって落ち着かない。聖は、先程まで調教部屋にいた時と同じ、白いエナメルのブラジャー、ホットパンツで身を包んでいる。首筋や臍など、白い肌が大部分が露になっているのだ。あの場にいれば気にならなかったものの、この穏やかな時間の中に正反対の出で立ちでいられると気が散ってしょうがない。
 視線を横にスライドさせれば、江利子が頬杖を突きながらぼーっとしていた。こちらも先程同様、ボディコン超ミニワンピースのままだ。騒がしいクラブなどにでもいるのなら場に馴染むのかもしれないが、時折微かに聞こえてくるのが風の音や鳥の声では、やはり相当場違いに思われる。
 かくいう蓉子もレザーのビスチェとハイレグパンティは着込んだままだが、さすがにそのままでいるのは落ち着かないので上に淡い桃色のバスローブを羽織っていた。
「ねえ。……やっぱり、着替えましょうよ」
「ん〜。いいんじゃない、このままで」
「そうねぇ」
 気のない二人の返事。蓉子はまた溜息を吐く。気にしなければ良い、それはそうなのだが、それが蓉子の性分なのだから仕方がない。
 休日の午後、友人同士でお茶を楽しむだけなら何もこんな格好をしている必要はない。三人は、人を待っているのだ。あと少し立てば待ち人は到着するだろうし、またその時はこの格好になるのだから、このままで良い、というのはいかにも合理的な考え方だが、頭でそう理解したとてどうにも気持ちは落ち着かない。こんな時、友のマイペースぶりが少し羨ましくなる。
「それにしても」
 蓉子が何度目かの溜息を吐こうとしたその時、江利子がポソッと呟いた。
「静かで、良い所ね」
 言葉の割にその顔は退屈しているようにも見えるが、先程までの濃密な時間の反動で気抜けしているように見えるだけで、江利子自身はこの時を楽しんではいるようだ。
「そうね」
 蓉子も視線を、高い位置にある窓に移してみる。葉を赤くした木々の隙間を、小鳥が羽ばたいて通り過ぎるのが見えた。他の窓はカーテンを閉めきっているので外を伺うことはできない。建物の周りを木々で囲まれているとはいえ、こんな格好をしている所を外から覗かれたらと思うとさすがにカーテンを開ける事は躊躇われた。
「さすが小笠原家の別宅ってとこかしらね」
 聖がカップに残っていた紅茶をクイと一息にあおり、
「こんなイイ感じの建物の下に、あんな部屋があるなんて、誰も思わないわよね」
 ニッと笑ってみせた。
 そう。この建物は小笠原家の数ある別宅の一つで、先程濃密な時を過ごした部屋は今3人がお茶を楽しんでいる部屋の地下にあるのだ。今も、地下では少女二人がお互いを求め合っているのだろう。
「ここはね。祥子のお父様が、清子小母さま以外の女性と来る場所だそうよ」
 いわゆる、妻以外の女性と男女のそういった行為を行う為の別宅であり、部屋である。祥子がここの存在を知ったのは、避暑地へ車で移動中に気分が悪くなった祥子を休ませる為、運転手さんが自分の判断で立ち寄った時だそうだ。少し休んで体調を整えた祥子は、好奇心から中を見て回り、そして地下室を発見したという。
 この時の経験が祥子の男嫌いに拍車をかけた事は想像に難くない。だから、今回の件を祥子に持ちかけたときにあっさりここの使用許可を出した事に蓉子は少なからず驚いていた。祥子の中で色々な事が吹っ切れつつあるようだ。
(……祐巳ちゃんのおかげかしらね)
「まあ、今回の計画にはありがたい場所であった事は確かだわね」
 聖がカラカラと笑う。
「それにしても、無茶な計画よね」
 蓉子が再び溜息を吐く。
「何言ってんの。計画の大筋立てたのは蓉子でしょ」
「それはあなた達が、『ああいうタイプは体にわからせないとダメだ』とか言って盛り上がるからじゃない。ほとんど犯罪よコレ」
 眠っている三奈子を聖の運転する車に乗せ、ここまで運んできたのだ。ほとんどどころか立派な拉致監禁であった。
「しかしよく途中で目が覚めなかったわね、あの子」
「よっぽど薬が効いたんでしょう」
 聖と江利子が話している中、蓉子自身も事の運びがあまりにうまくいきすぎた事に内心驚いていた。いくら眠っているとはいえ、聖の荒っぽい運転で車中で目覚められては全てが台無しになっていたところだ。それでも到着まで懇々と眠り続けていたのだから、よほど三奈子の寝つきがいいのか、
「……あの薬、本当にすごい効き目なのね」
 最近寝つきが悪い、と祥子に相談して譲り受けた薬。清子小母さまが一時期眠れなかった時に服用していたそうだ。強い薬なので連続使用は控えた方が良いとは聞いてはいたが、即効性といい持続性といい、すごい効き目である。恐るべしは小笠原家か。
「まあでも楽しかったよ。ね?」
 聖が笑みを浮かべながら、蓉子に尋ねる。横で江利子も頬を緩めて頷いている。
「……そうね」
 そう答え、蓉子も微笑んだ。蓉子自身こんな無茶な計画に乗ったのも、久しぶりに三人で何かを成し遂げて、こうして友の笑顔を見たかったという事もあったのかもしれなかった。
 いまだ待ち人が来る気配もないので、続いていく会話の中、話題は計画の内容から自然と三人の格好へと移ってゆく。
「ごめんなさいね、アメリカ人で」
 江利子に褒められ、聖がそんな皮肉を言いながらカラカラ笑う。彫りの深い顔、長い手足。日本人では着ているというより着られているという印象になりがちな過激なコスチュームも、聖が着こなせば至極マッチして見える。
「私は、蓉子の方に驚いたけどね」
 椅子からスッと立ち上がり、蓉子の背後に立つとエナメルグローブに包まれた長い両手を蓉子の首に回す。
「鞭を持っている姿、すごく似合ってた。本当の女王様って感じ」
 蓉子の頬に頬をくっつけながら、聖の右手がそろそろとバスローブの合わせ目に向かって動く。
「ちょ、ちょっと、聖」
「こんな女王様になら、イジメられちゃってもいいかも」
 蓉子の肌の上を、ゆっくりと這い回る指先。突然の聖の行動に固まってしまった蓉子は、己の体を優しくまさぐるその指先を止める事も出来ずただ視線で追いかけるだけ。ドキドキとうるさくなる鼓動。指先はビスチェの中に潜り込み、白いふくらみを歪ませながら桃色の先端へ向かって伸びていき……。
 ピンポーン。
「おっ、来た来た」
 突如鳴り響いた玄関の呼び出しベルの音に反応し、聖は素早く手を抜き取ると跳ねるように玄関へと向かっていった。
 ポカンとする蓉子。その顔を見て、江利子が声を殺して笑っている。
「……江利子」
 蓉子にジロリと睨まれると、江利子は笑いを噛み殺しながら玄関のある方向を指差した。
「くっくっ……いいの、蓉子。聖、あの格好で出迎えちゃうわよ」
「あっ?」
 蓉子は思わず立ち上がる。来客が待ち人にしろそうでないにしろ、玄関を開けた途端あられもない姿の女性が立っていたら……。
「ま、待ちなさい聖。何か上に着なさいったら」
 慌てて聖を追いかける蓉子。江利子は両手で顔を覆って大笑いしていた。

 蓉子が玄関に辿り着いた時、来客者は聖に抱きつかれたまま固まっていた。トレードマークの眼鏡がずり落ちている。普段は冷静な彼女も、さすがにこの状況は予想の範囲外だったようだ。
「いらっしゃーい、カメラちゃん」
 聖がハグしながら歓迎の意を表する。蓉子は来客が待ち人であった事にホッとしながら、無防備にもいまだ開け放たれていた玄関のドアを閉める。
「あ、あの……これはいったい……」
 聖に抱きしめられながらも、状況を把握しようと少女が口を開く。
(さすが、立ち直りが早いわね)
 蓉子が感心したように少女を見つめる。そうでなくては、写真部のエースは務まらないのであろう。
「話は後。さ、中に入った入った」
 聖が少女の手を掴み、宅内に引っ張り込もうとする。
「あっ。そ、その前に」
 手早く靴を脱ぎ終えた少女が、首から提げている高価そうなカメラを掲げ、普段はまずお目にかかれない妖艶な衣装に身を包んだ聖をレンズに捉えた。
「写真、一枚いいですか」
 転んでもただでは起きない。そんな祐巳達の同級生でありリリアン写真部のエース、武嶋蔦子嬢を見て、蓉子は思わずクスリと笑みを漏らした。



 地下の調教部屋では、いまだ二人の少女が体を絡ませあっていた。二人の汗や体臭、蜜の匂いと共に、ツンとした刺激臭もわずかに混じっている。どちらかに粗相があったようだが、今の二人にはそんな事も関係ないらしく、唇を重ね合わせている。
「お、やってるやってる」
 三人が再び地下へ降りてくる足音も耳に入らないほど没入して体を重ねていた二人だが、聖のこの場にふさわしくない能天気な声に釣られて顔を上げた。
「聖さま。蓉子さまに江利子さまも。……その方は」
 真美が三奈子を自分の背後に隠しながら、三人の後ろについて降りてきたもう一人の人物に視線を移した。
 地下室の闇に溶け込むような黒にまぎれて一瞬その存在がわからなかったものの、すでに闇に慣れていた瞳はすぐに像を結ぶ。
 頭には動物をあしらった長い耳。胸元がこぼれそうな黒いエナメルのハイレグバニースーツに、脚は黒い編みタイツ、足先にはこれまた黒のピンヒール。手首の白いカフスと金のカフスボタンだけが闇の中にはっきり浮かび上がる。それだけなら彼女が誰だか気付く事は難しかったかもしれないが、黒のバニースーツに明らかに馴染まない二つのアイテムが、その特定を容易にした。
「……蔦子さん」
 彼女のトレードマークである、眼鏡と首から提げたカメラのレンズが、ランプの灯りに照らされて鈍く光る。まさか同級生とこんな場所、こんな格好、こんなシチュエーションで出会うとは思っていなかった真美は、思わず剥き出しの胸元を両手で隠す。
「彼女の事は気にしないで。ただの撮影係だから」
 そう聖に紹介されると、蔦子はぎこちない動作で、真美に小さく手を振った。その顔は少し引きつっている。彼女としてもこの格好は不本意であろうが、それが撮影の条件と言われては渋々受け入れるしかなかったのだろう。
「……さて。で、どう? 三奈子さんの調教は。うまくいったかしら」
 蓉子が尋ねる。真美は背後を振り返り三奈子の瞳を見つめると、蓉子に向き直り、一つ息を整えてから口を開いた。
「はい。まだまだ至らない姉ですけれど、私がついていますから。妹として、主として、私がしっかり支え導いていきます。ですからご安心ください。蓉子さま、聖さま、江利子さま」
 しっかりと蓉子の目を見据え、力強く言い切る真美。それを見て、安心したように頷く蓉子。
「そう。じゃあお願いね、真美さん」
 蓉子が微笑むと、真美もとても良い笑顔で微笑み返した。そんな最高のシャッターチャンスを逃すわけもなく、蔦子がカメラを構えてパチリと収める。
 めでたしめでたし。
 と、それで終わると思っていた真美であったが。
「じゃ、ここからは、私たちが楽しませてもらう番ね」
 そう言って、聖が手をワキワキさせながら一歩踏み出したので、真美は驚いて聖を見つめた。
「え? あ、あの、聖さま?」
「まさかこれで終わりだなんて思っていないわよね」
 ニッコリと笑顔を浮かべながら、江利子もにじり寄ってくる。
「で、でもあのっ」
 戸惑う真美、そして三奈子に、蓉子が困ったような表情を浮かべる。
「私は三奈子さんがわかってくれれば、それでいいと思うんだけれどね」
「また蓉子はそうやってすぐイイ子ちゃんぶる」
「でも私たちは、蓉子ほど物わかりが良くないから」
 体を寄せ合う真美と三奈子を挟むように立ちはだかる聖と江利子。
「三奈子ちゃん。忘れていないわよねえ。白薔薇事件、だっけ? かき回してくれちゃって」
「黄薔薇革命にイエローローズ騒動、か。よくもまあ話を膨らませるものよね」
 美人の笑顔はとても美しいが、時として恐怖すら感じてしまうもの。
「ひいっ。ご、ごめんなさいっ」
 思わず謝罪の言葉を呟き小さくなる三奈子。
「で、ですからそれは私がきちんと言って聞かせますからっ」
 三奈子をかばうように口を挟む真美。
「うん。三奈子ちゃんの躾は、真美ちゃんに任せるわ。でもソレはソレ。今までしてきたことにはキチンと償いをしないとね」
「それにさっきも言わなかったかしら。罰を受けてもらうって」
「そんなっ。さっきまであれほどお姉さまの事責めていらしたじゃないですかっ」
「あら、違うわよ。あれは真美ちゃんが三奈子ちゃんの躾をする下ごしらえをしただけ」
「むしろ三奈子さんが奉仕の心を理解したこれからが本番よ」
「そ、そんなムチャクチャなっ」
 真美は助けを求めるように視線を送ったが、蓉子は肩を竦めて首を横に振るだけだった。
「ああ。安心して。もちろん真美ちゃんにもしっかり奉仕してもらうから」
「ええっ」
「言ったでしょう。姉の責任は妹の責任。その逆もまた然り。今までのお返し、たっぷりしてもらうわね」
 ニヤニヤと笑う美女二人。哀れ新聞部の姉妹は、何をさせられるのかとお互いの体を抱き合い震え上がった。

「……どう? あなたも一緒に」
 ファインダー越しにこれから起こる出来事をドキドキしながら見つめていた蔦子は、急に声をかけられ慌てて顔を上げた。蓉子が柔らかく微笑みながら、蔦子を見つめている。
「あ、いえ、私は……こうしている方が性にあってますから」
 蔦子は一瞬ドキリとしたが、カメラを軽く持ち上げそう言った。
「あらそう、残念。フラレちゃったわ」
 蔦子の返事に、苦笑して肩を竦める蓉子。そこに、
『きゃあああんっ』
 少女達の悲鳴が響く。
「あらま、もう始まっちゃった」
 その声に引き付けられるように、彼女達の元に歩み寄っていく蓉子。その顔をファインダー越しに見つめながら、やはり前三薔薇はどこか繋がっているんだなと蔦子は改めて思う。
 レンズに映る蓉子の横顔は、早く参加したくてたまらないとウズウズしているように見えたから。


前に戻る  次へ進む  小説TOPへ戻る  TOPへ戻る