「ごきげんよう。祥子さん。祐巳さん」
 週が明けて放課後。薔薇の館でのお茶会の帰り道、祥子さまと並んで歩いていた祐巳の前に、新聞部の部長・築山三奈子さまが現れた。その後ろには、彼女の妹であり祐巳のクラスメート、山口真美さんもいる。
「……そんな顔しないでよ。別に何もたくらんじゃいないから」
 三奈子さまが頬を掻きながら言う。祥子さまにも「コラ」と小さくたしなめられた。どうして私の顔はこう素直すぎるんだろう。そんな事を思いながら、祐巳は頬を両手で覆う。でも今日は仕方ないんだ。だって……。
「ごめんなさいね、三奈子さん。これから祐巳と出掛ける約束をしているものだから。この子ったら早く行きたくて仕方がないみたい」
 そう。これから祐巳は、祥子さまとお出掛けなのである。と言っても学校の帰り道、制服姿のままなのでせいぜい駅周辺をぶらつく程度の事だが、でもそれだけの事が嬉しくてたまらないのだ。
「えっ? 出掛けるって、どこに、イタッ!」
 案の定食いついてきた三奈子さまだが、突然悲鳴を上げてお尻を抑えると涙目になって背後を振り返った。そこには真美さんが恐い顔をして立っている。
「そうじゃないでしょう、お姉さま」
「……わかってるわよ」
 真美さんに睨まれて、三奈子さまはブツブツ言いながら祥子さまに向き直った。すごい、さすが真美さん。私にはお姉さまに絶対あんな対応できない。『ごめんなさいね』という真美さんの口の動きを読み取り笑みを返しながら、祐巳は感心していた。
「祥子さん。コレ、蓉子さまからあなたに返しておいてって頼まれたの。ありがとうって」
 三奈子さまはカバンの中から鍵の束を取り出すと、祥子さまに手渡した。
「そう。お役に立ったのなら良かったわ」
「……ねえ、祥子さん。蓉子さまから、全て聞いていたの?」
 三奈子さまがなぜか頬を赤らめながら祥子さまに尋ねる。
「いいえ。私はただ、お姉さまが聖さまや江利子さまと久しぶりにゆっくりしたいと話していたから、場所を提供しただけよ」
「あ……そ、そうなの。なあんだ。それだけなのね」
 三奈子さまは心底ホッとしたように呟き、胸を撫で下ろしていた。
「それじゃ、私たちももう行くわね。ごきげんよう」
「ごきげんよう」
 用件を済ますと、三奈子さまと真美さんは別れの挨拶を交わし、連れ立って歩いていった。
「……もう。お姉さまはどうしてああなんですか」
「だって気になるじゃない。新聞部員として、好奇心をなくしちゃおしまいなのよ」
「まったく。全然こりてないんですから」
「……オシオキ?」
「嬉しそうにしないでください……もう」
 遠ざかっていく二人が何を話しているのか祐巳にはよく聞きとれなかったが、仲睦まじく並んで歩いていく様子が羨ましく思えて、知らず祥子さまの腕を取っていた。
「祐巳」
「あっ。ご、ごめんなさいお姉さま」
「構わないわよ」
 慌てて手を離そうとした祐巳だが、祥子さまが優しく手を重ねてくれたので、腕を取る手はそのままに少しだけ体を寄せた。秋風に祥子さまの長い髪が揺れ、祐巳の鼻先に良い香りが漂ってきた。
「そういえば、どうして蓉子さまは三奈子さまに鍵を渡したんでしょう。忙しくて直接お姉さまに会いに来られないにしても、どちらで三奈子さまとお会いになったのかしら」
「さあ、どうしてかしらね」
 祐巳が疑問に思った事を口にすると、祥子さまはクスリと小さく笑みを漏らした。祥子さまは何か知っていらっしゃるようだったけれど、なんだかとても楽しげに微笑んでいて、その笑顔を見ているだけで祐巳も楽しくなってしまったので、それ以上考えるのはやめにして、別の話題に移る。
「ところで、蓉子さま達が行かれた先って、どんな所なんですか」
 鍵の持ち主である祥子さまなら当然知っているだろう。そう思い、尋ねてみる。
「良い所よ。自然に囲まれていて、静かで……」
 選んだ言葉とは裏腹に、祥子さまの表情が一瞬沈んだ気がする。それについて問うより先に、祥子さまが祐巳の顔をジッと見つめた。
「……あなたと一緒に過ごせば、あの場所も楽しい場所になるのかしら」
 お姉さまがポツリと呟く。
「わ、わたしっ、行ってみたいです、そこに! あ、も、もちろん、お姉さまがよろしければですけど……」
 祐巳が思わず片手を挙げて祥子さまに訴える。祐巳のあまりの勢いに祥子さまは一瞬キョトンとした表情を浮かべたが、
「……そうね。あなたと一緒なら、楽しくなりそうね。いいわ。今度時間を見つけて、一緒に出掛けましょう」
「やったぁっ」
 おだやかな微笑みを浮かべて、祐巳に頷いてみせる祥子さま。祐巳は嬉しさのあまり、お姉さまの胸に飛び込んだ。こうして一つ一つ約束が増えていって、それを果たしていくごとに、二人の繋がりも強くなってゆくんだ。そんな幸せな予感が、祐巳の胸いっぱいに広がっていくのだった。

(終)


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