「あ〜あ」
 三奈子はため息をつき、もと来た道を引き返していた。真美に紅薔薇姉妹が連れ立って帰ると聞き、慌てて飛び出して校内中駆けずり回ったもののその姿をみつけることはできず、校門近くを歩いていた友人に尋ねてみると二人はすでに駅前へのバスへ乗り込んでしまった後だとの事だった。
「ま、いいわ。今日は諦めましょう。機会はまたいくらでもあるはずだわ」
 自分を慰め、自らの最高傑作が入るカバンを撫でる。辺りをキョロキョロ見回し、ちょっとだけ中を開いてその存在を確かめようとした。が。
「……あら?」
 ない。そこにあるはずのものが、ない。教科書の間なども探ってみたが、どこにもない。元々この時期のカバンなどスカスカも同然で、まぎれてしまうようなところもないはず。 ということは……。
「落ち着け。落ち着くのよ、三奈子」
 そもそも部室で刷り上げて、部室でそれを眺めただけだったのだから、今も部室にあるに違いないはずだ。
「とりあえず、部室に戻りましょう」
 最初は落ち着いてゆっくりと、だんだん早足になり、気がつけば廊下を駆け出していた。が、間が悪いことに、先生に見つかりお説教を受けてしまう。いつも長話の老教師、しだいに話は普段の生活態度や受験生のこの時期の心構えなどにも及び、三十分近くも拘束されるはめになってしまった。ようやく解放されて新聞部部室の前へたどり着いたときには。
「そんなぁ」
 扉は鍵がかかっていて、中には誰もいないようだ。三奈子は思わず扉の前でへたりこんでしまった。

「…………」
 真美は自室で、持ち帰った謎の特別号を見ながら押し黙っていた。お姉さまが浮かれ気味の原因はここにあるのは確かだ。たしかにこれはすごい大スクープ。けれど……。
「お姉さま……もう少し分別のある方だと思っていたけれど……」
 こんなものが校内中に出回ったりしたら、それは今までお姉さまが巻き起こした騒動の非ではない騒ぎになる。生徒間だけならあるいは受け入れられるとしても、PTAなどからは猛突き上げをくい、リリアンの伝統と権威は地に落ちるだろう。
「私はいったい、どうすれば……」
 内緒でこんなものを刷り上げてしまう姉だ。真美が苦言を呈したところで、一時期は自粛したとしても、また同じ事をやらかしてしまうような気がする。この先走り傾向は、この先お姉さまがジャーナリストを目指していくのなら、必ずマイナスになる部分であろう。そのうち大きなトラブルに巻き込まれないとも限らない。
 幸いこれは試し刷りのようで、データはお姉さまが持っているだろうが、紙面として刷り上っているのはこれ一枚きりのようだ。もしかしたらこれは刷ってみただけで、発行するつもり自体はないのかもしれない。
「けれど……」
 あのお姉さまが、秘密を握っているという誘惑に耐えられるものだろうか。いずれ耐えられず、暴露してしまうことになるのでは……。
「だれか、お姉さまを諌めてくれそうな方は……」
 お姉さまのお姉さま、すなわち先代新聞部部長は、三奈子さまにはずいぶん甘く、そのスクープへの嗅覚を手放しに持ち上げていたのを覚えている。つまり、あの方では逆に三奈子さまに押し切られてしまう可能性が高い。
「お姉さまが苦手としていて、言うことを聞いてしまいそうな方……」
 そんな方、本当にいるのだろうか。改めて紙面に目を落とし、考えること数分。
「……そうだ」
 この紙面に関わりが深く、さらにお姉さまが頭が上がらない人がいるではないか。幸い、新聞部員としてのネットワークの一つとして、その方の電話番号はすでに押さえていた。電話をかけるため、椅子から立ち上がる。なんだか、胸がドキドキと高鳴っていた。

 翌日。昨夜ほとんど眠ることができなかった三奈子が眠い目を擦りながら朝一番に部室を訪れると、すでに真美が机に向かい何やら目を通しているところだった。
「ま、真美、それっ」
 慌てて駆け寄る三奈子の目に飛び込んできたのは、自分が刷り上げた秘密の号外、ではなく、次号のリリアン瓦版のちっとも興味のそそられない見出しであった。
「あ、お姉さま。ごきげんよう」
 昨日の涙のことなどすっかり忘れてしまったのか、別段驚いた様子もなく朝の挨拶をする真美。
「ご、ごきげんよう。ところで……」
「何でしょう?」
 尋ねかけて、三奈子は口をつぐんだ。知っているのであれば、真美が何も口を出さないとは思えない。もし真美が何も知らないのであれば、あえて自分から打ち明けることはないのではないか。
「い、いえ、なんでもないの、なんでも」
 言いながら三奈子はすばやく部屋中に視線を走らせる。残念ながら、それらしきものはないようだ。
「そうだ、お姉さま。今週の土曜日、お暇ですか」
「え……一応受験生だから、この時期暇というわけにはいかないけれど……」
「よろしければ、お時間をいただきたいのですが」
「え、ええ」
 今はとても真美と出かけるような気分ではないのだが、珍しく真美の方から誘いを受けたということもあり、思わず頷いてしまった。
「原稿の確認も終わったので私は教室に戻りますけれど、お姉さまはどうされます?」
「わ、私はもうちょっとここにいるわ」
「そうですか。では鍵は職員室へ戻しておいてくださいね」
 真美は三奈子を置いて、さっさと部室を後にした。しかしこれは逆に三奈子に好都合と、さっそく部室中をひっかきまわして探してみたものの、どこにも見当たらない。幻の特別号は本当に幻になってしまったのだろうか。もしかしたら、マリア様が見かねて隠してしまったのかもしれない。疲れ果て、床にへたり込みながら三奈子はぼんやりと考えていた。

 結局あれから特別号は見つからず、学校でもそれについて話題になるようなこともない。 誰か良心的な生徒に拾われ、保管か処分でもされてしまったか。噂好きな生徒にでも拾われれば、たちまち学校中に広まっていただろうが、今のところその様子はない。
 とてももう一度印刷するような気にはなれず、三奈子は特別号のデータを削除し、元の退屈な日常へと戻っていくのだった。だが。

「ごきげんよう、お姉さま」
「ごきげんよう、真美」
 学外で待ち合わせをしているというのに、やはり習慣となっているせいかいつもの挨拶が口をつく。待ち合わせ場所へは5分早く着いたのだが、やはり真美はすでにその場で待っていた。
「で、今日はどうしたの? 貴方から私を誘うなんて珍しいじゃない」
「ええ、ちょっとお姉さまに会ってもらいたい人がいて」
「会ってもらいたい人? 誰のこと?」
「それは会ってのお楽しみです。まずは、私の家にいきましょう」
「え、ええ」
 道すがらその「会ってもらいたい人」とやらについて色々尋ねてみるものの、真美は笑いながらかわすばかり。あまりに口が堅いため、まあどうせこれから会うんだし、と追求するのを諦め真美の背についていく。
 部屋に通され出された紅茶をちびちび飲んでいると、急に猛烈な眠気が襲ってきた。そのままテーブルに突っ伏して眠ってしまった三奈子が最後に見たものは、困ったような顔で自分を見つめる真美の瞳だった……。


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