「ったく。あいつ、どこ行ったんだ。ここで待ってろって言ったのに」
長時間待たされてようやくトイレから出てみれば、唯の姿が見えない。すでに終演から時間が経っている為、混雑もかなり解消されている。ぐるっと辺りを見回してみたものの、それらしき人物はいない。こういう時に携帯電話でもあればと思うが、もちろん二人共そんな物を持っているはずもなく。むしろ優香がそんな事を考えたのは、これが初めてかもしれない。これまでの人生にはまったく必要のないものであったから。
「まさか妙な事に巻き込まれてるんじゃないだろうな」
祭りは楽しいばかりでなく、妙な輩も湧くという。自分はこんなナリだから心配はないが、唯は……。自然と優香は早足になった。
テントの裏手に差し掛かったところで、見覚えのある後姿を見つけた。が、次の瞬間、優香の頭は沸騰した。唯は中年の男に抱きつかれていたのだ。
「テメエ、何してやがるっ」
優香は急いで駆けつけると、男の手を取って上に捻り上げた。
「あたたっ。な、なんだ?」
突然の出来事に男は目を白黒させている。
「あ、ユウ」
優香に気付いた唯が、ポカンと顔を見上げた。
「大丈夫か、唯」
「へ? あ、うん」
とりあえず唯は無事らしい。優香は手を捻り上げられたままの男を睨みすえると、ハッタリを効かせる事にした。
「オイ、テメエ。オレの女に手を出すなんて、覚悟出来てんだろうなっ」
今この時ばかりは、自分の容姿に感謝したい。これで相手も逃げ出すだろう、と思ったのだが。
「オレの」
「女?」
男と唯はそれぞれ驚いて呟き。
「……プッ。アハハハハッ。『オレの女』やて。アハ、なに言うてんのユウ、アハハハハッ」
完璧だと思った作戦は、当の助けたかった少女によってぶち壊されてしまった。
それから。3人は、なぜか近所のファミレスにいた。
「で。何者だよおっさん。コイツのこと知ってんのか」
どうにもばつが悪い。優香はぶっきらぼうに、向かい側の席に座った男性に尋ねた。隣では唯が、ドリンクバーから注いできたオレンジジュースを早速ストローで飲んでいる。いい気なものだ。
暴漢の類ではないとわかったものの、じゃあ誰なんだと唯に尋ねてもさっぱり要領を得ない。すると男が、とりあえず座って話そうと提案してきたので、とりあえずそれに従ったという訳だ。
「失礼。私はこういう者だ」
男は胸ポケットから名刺を取り出すと、二人にそれぞれ差し出した。
「何やこれ。『フェアリーガーデン』? わかった、エロい店やろ」
「ハハ。あの時も同じ事を言っていたな、君は」
唯はトンチンカンな事を言うが、優香にはその名は聞き覚えがあった。
「これってアレだろ。この辺が地元の女子プロレスの。代表取締役って、あんた、社長さんなのか」
「ああ」
優香の問いに、男は大きく頷いた。
「それで、その社長さんがなんでコイツに抱きついてたんだよ」
素性がわかって多少は安心したものの、かと言って不信感は拭いきれない。優香が刺々しく尋ねる。
「いや、済まなかった。ずっと心配していたので、喜びのあまりつい、ね」
「ずっとって。やっぱりあんた、コイツのこと知ってるのか」
「ああ、もちろん。彼女はついこの間まで、ウチで働いていたんだ」
「は? コイツ、プロレスラーだったのか?」
「いや、今は引退して裏方をやってもらっていたんだが」
突拍子もない話に、優香は思わず苦笑した。
「おいおい。引退って。じゃあコイツ、幾つから始めたって言うんだよ」
唯は自分の年を15だと言っていた。見た目からしても、その前後でほぼ間違いないだろう。その彼女がすでに引退した選手。訳が分からない。まあ、噂では小学生がプロレスをする事もあるらしいので、そういう類なのかもしれないが。
「そうだな。説明するにはややこしいし、とても信じてもらえないだろうから。……そうだ。これを見てくれないか」
男は胸ポケットから今度は手帳を取り出すと、その間に挟まっていた一枚の写真をテーブルの上に置いた。
「あっ。ウチがおる」
「どれ……ホントだ。そっくりだな」
写真には6人の少女と向かいに座っている男が並んで写っていた。その真ん中に立っている少女は、確かに唯そっくりだった。
「ん? でもこれ、10年前の写真じゃねーか。おっさんも今よりかなり若いし。なんだこりゃ。他人の空似かよ」
確かに、写真の右隅に書かれた日付は今より10年前の物だった。
「おっさん、頭大丈夫か。いくら似てるったって、10年前の写真見せられてどうしろってんだよ」
「でも……ウチ、知ってる。この子も、この子も……みんな、ウチの仲間やった」
「お、おい……」
唯は写真を見ながら、肩を震わせている。優香はどうして良いかわからずにいた。
「なあ、成瀬君。君は、もう一度リングに上がる為に、ウチを出たんだろう。君がその気なら、私はいつでも歓迎するよ。だから、戻ってきてくれないか」
男が優しく唯に語りかける。唯は、コクンと頷いた。
「って、ちょっと待てよっ。訳わかんねえ。なんでこれで納得できるんだよ、唯。辻褄もあってねえし、話がめちゃくちゃじゃねえか」
「ユウ……。あの時、言ったやろ。ウチ、行かなあかんとこがある、って。それが多分、おっちゃんのとこや思うねん」
「けどよっ」
「わかるんや。今日あそこでおっちゃんに会ったのも、祭りでこの町にやってきたのも。ううん、あの時ユウに会ったのも、みんな今に繋がっとったんやって」
「……んだよそれっ」
優香は吐き捨て、顔を背けた。いずれは別れる時が来るだろうというのはわかっていた。しかし、それがこんなにも唐突に、訳のわからない形で訪れるとは。
「……今日は、私はこれで失礼するよ」
「あっ、社長」
「やっとそう呼んでくれたね。急がなくていいよ。私はいつでも待っているから。……それと、朝比奈君、だったかな」
「…………」
優香は返事もせず、窓の外を見つめていた。
「成瀬君の事、ありがとう」
「……別にあんたの為じゃねえよ」
「ああ、わかってる。それでもお礼が言いたいんだ。それと、君、プロレスに興味はないかな」
「あ?」
「今のウチには君のような見た目から説得力のある選手がいないんだ。その恵まれた体格をウチで活かしてみる気はないかな」
「…………」
優香は何も答えなかった。男もすぐに返事を貰えるとは思っていなかったのか、軽く頭を下げると伝票を持って席を立った。二人は顔を合わせる事無く、それぞれ一点を見つめたまま、無言で佇んでいた。グラスの中の溶けた氷が、カランと音を立てた。
帰り道も、家についてからも。二人は無言だった。明日にはもう会えなくなるかもしれないというのに、言葉を交わす事はなかった。一つの布団の中に、二人並んで入る。静寂の中、時計の針が時を刻む音だけが小さく響いていた。
「……唯」
窓から差し込む月明かりが横たわる二人を優しく照らしたその時。優香は小さく口を開いた。
「……うん」
唯も小さく答える。
「……おまえ、明日行くのか」
「……うん」
「そっか……」
優香は寝返りを打ち、唯に背を向けた。
「……あの、ユウも……」
「…………」
「ごめん。何でもあらへん」
唯は、結局後の言葉を飲み込んでしまった。再び静寂が訪れる。優香は唯に背を向けたまま、目を閉じる事も出来ずにじっと床を見つめていた。
ボフッ。
「うわっ。な、なんやっ」
急に顔の上に何かが落ちてきて、唯は慌てて目を覚ました。真っ暗な視界が徐々に明るさを取り戻す。そこには枕を持った優香が、唯に馬乗りになっていた。
「おらっ、いつまで寝てんだ。起きろっ」
「わっ。わかったからやめえって」
ボフ、ボフッ。何度も顔に枕を押し付けられて、唯はもがいた。
「何やねん朝っぱらから、もう」
「なに言ってんだ。出かけるんだろ今日は。ほら、早く起きて朝飯食え」
優香が立ち上がって唯を解放すると、唯ものろのろと起き上がった。顔を洗い着替えを済ませ、ご飯に味噌汁、目玉焼きだけの簡単な朝食に箸をつける。
唯は、極力ゆっくりと食べ進めていた。これが二人での最後の食事となるだろうから。それなのに、優香はそんな事はお構いなしにバクバクと食べている。唯が半分も食べる前に、味噌汁をズズッと啜ると両手を合わせてご馳走様をした。
「ふう。満腹。これで腹が減って力が出ねえって事もねえだろ」
「えっ」
ポカンとする唯を、優香はちゃぶ台の上で両腕を組んで見つめた。
「あれだろ。プロレスラーになるには入団テストってヤツがあるんだろ。しっかり動けるようにしとかねえと、落とされちまったら困るからな」
「え、それじゃ……」
「前におまえ、言ってただろ。オレにはプロレスラーが似合うんじゃねえかって。もしかしたら、これがオレが探してたモノなのかもしれないって、思ってさ。なら、一丁やってやろうかってな」
そう言って、ニッと笑う優香。唯は、思わず目頭が熱くなり。
「ユウッ」
「わっ。バカ、こぼれるだろ」
ちゃぶ台の向こうの優香の首に、抱きついたのだった。
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『12年度 フェアリーガーデン新規採用選手』
新人スカウトにより入団……成瀬唯
新人テスト合格者……オーガ朝比奈(本名:朝比奈優香)
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