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NOVEL

Un tournesol 〜深き悩み、加えて、新たなる波乱?〜
01

注意) 女装

 カラン。カラン。
 蒼衣がバイトをしているカフェのドアを直輝は開ける。
 自動ドアではない、ステンドグラスが嵌め込まれたアンティーク風のドアに、今時珍しい来店を告げる鈴の音。
 店の中もその入口同様、アンティーク風の装飾などが施されている。だがただ古めかしい訳ではなく、ちゃんと要所要所には今風のソファーやテーブルが配置されていて、居心地の良い空間を醸し出していた。
 そのせいか、それとも店主の人柄か、ビジネス街から少し離れている路地裏にあるこの喫茶店の店内は、昼休みの時間を過ぎた時刻にも関わらずそれなりの人数の客で賑わっていた。

「いらっしゃいませ〜!」

 ドアの音に反応し、いつもより高めの声で蒼衣が振り返って直輝に向かってにこりと微笑んだ。
 店内の落とし気味な照明のせいか、最初から男だと知らなければ直輝に向けて微笑む蒼衣は、長身で美形な女店員にしか見えない。
 体型をカバーする為かこの店の制服でもあるレースがふんだんに使用されたメイド服に身を包み、その顔には薄化粧を施している。
 元々男にしては長い睫毛がマスカラで更に強調され、薄くアイライナーとアイシャドーで切れ長の瞳を彩り、緩くカーブしている頬にはオレンジ系のチークがほんのりと乗っていた。そして薄く形のいい唇には派手にならない程度の色味の口紅とたっぷりのグロスが塗られている。
 相変わらず凄いバケッぷりだよな、そんな事を思いながら、蒼衣に向けて直輝は軽く手を挙げて、見せた。
 すると蒼衣の頬がチークの色ではなく、薄く桃色に染まり、そしてちょっと照れたような笑みを浮かべながら直輝に近づいて来る。

「……いらっしゃい。カウンターでいいかな?」

 他の客には見せないような嬉しそうな微笑みを浮かべながら蒼衣は直輝の側に寄り、それでも一応他の客の手前、余計な事は喋らずカウンター席への案内を口にした。
 それに直輝は小さく苦笑を返して頷くと、カウンターへと目を向ける。
 カウンターの中にはこの店の主が居る訳だが、その主、柳内馨(やない かおる)は直輝が店を訪れた事にムッと口をへの字に曲げて直輝と蒼衣が話しているのを睨むように見ていた。
 そして蒼衣に案内され直輝がカウンター席につくと、さりげなさを装い馨は直輝の前に立つ。

「……何しに来た。」

 しかも他の客には聞こえないような小声で直輝にそんな事を聞く。
 馨の言葉に直輝はまた苦笑を深くしながら口を開いた。

「何って。昼メシ食いに来たんですよ。」
「お前に食べさせるような食いもんなんざこの店にはねーっ。さっさと出てけ。」

 直輝がメニューを取りながら言った言葉に、馨は顔を顰めるとそう言い返した。
 その相変わらずな馨の態度に直輝はまた苦笑をする。
 花火大会の後からずっと馨は直輝に対してこんな態度だ。
 一応馨の行動をフォローすると、馨は直輝の事を嫌っているわけではない。
 ただ、どうしても納得がいかないのだ。
 自分の娘のように(実際は息子のようにだが)この数年可愛がってきた蒼衣が、こんなどこの馬の骨ともわからん男に熱を上げている。しかも、する事はしっかりシておきながら、今だ正式な恋人にはなっていない。この際、蒼衣と直輝の二人共性別が男だというは横に置いとくとして、そんな話を聞いて、蒼衣の親代わりを自負している馨が直輝に対してつれない態度を取るのは仕方ない事なのかもしれない。
 全ては親心故の直輝への態度だ。
 しかも。

「マスター、あんまり直輝くんに嫌がらせしないで下さいよー。もお。」

 蒼衣が直輝の前に水の入ったコップを起きながら、唇を尖らせて馨ではなく直輝の味方をする。
 馨が面白くなくて当然だ。
 しかし、これ以上他の客が居る前であまり直輝に対して露骨な顔を見せる訳にもいかず、馨はムッとした表情のままコーヒーを淹れる作業に戻る。
 そんな馨の態度に、蒼衣は小さく笑うと直輝に向き直って改めて店員の顔に戻ると、何にする? 、とオーダーを聞く。直輝はそれにメニューにざっと目を走らせた後、注文をした。

「……パスタランチね。クリームソースとトマトソース選べるけど、どうする?」
「んー……、トマトかなぁ。で、コーヒー付けて。」
「ん、わかった。……マスター、パスタ、トマトで。コーヒー付きですー。」

 直輝の注文に蒼衣は伝票にパスタランチ、トマト、コーヒーと書き留め、顔をあげるとマスター、つまり、馨に注文を通した。
 蒼衣の声に馨は小さく頷くと、もう直輝に文句を言うことなくそのまま厨房へと消える。
 注文を貰えば、直輝は正真正銘お客様だ。
 蒼衣との事は横に置いて、馨は厨房に居る調理担当の朱里の元へと注文を届ける為に歩いていった。

「……今日は何時までだ?」
「えっとねー、四時まで。」

 馨が厨房に消えたのを見送った後、直輝は蒼衣に小さい声で声をかけた。それに蒼衣はチラリと時計を見上げた後、バイトの終わり時間を告げる。

「そか。……じゃ、今日は買い物でも行くか?」
「そうだね、給料も入った……、あっ、いらっしゃいませ〜!」

 直輝と今日のバイト上がりに何して遊ぶかの話を小声でしていると、カラン、と来客を告げる鈴がなった。それに蒼衣が反応し、顔を入口に向けて来客を確認すると直輝の側から離れる。

「二名様ですか? テーブル席にご案内します。」

 直輝の背中から蒼衣の接客の声が聞こえて来て、その作ったような声に直輝はひっそりと笑う。
 メイド服に身を包み、女にしちゃちょっと低いと思える声の出し方で接客する蒼衣を、まさか男だとは思わないよな、とそんな事を思いながら水を飲んでいると不意に背後の気配が変わった。
 蒼衣が入って来た客を案内する為に先に立って歩き出したのに、客はそれには着いて来なかったらしい。
 蒼衣の戸惑ったような声が聞こえる。

「あのぉ……、お席、こちらですけど……。」

 遠慮がちに、蒼衣の声が入口に止まっている客にかけられる。
 その戸惑ったような声に、どうしたんだ、と思い直輝が振り返った瞬間。

「あーっ! 居た居た!」

 直輝の耳に馴染みのある声が届く。
 そして、視線を入口へと向けると声を発した男が直輝に向けて突進してきている所だった。

「やーっぱ直輝だー! わ〜っ久しぶり〜!!」

 くりくりとした猫目を輝かせながらその男は当たり前のように直輝のその背中に抱き着いた。

「っ……、順平っ。」
「今まで何してたんだよー! ……つか、メールの返事くらい返せよなー! このものぐさヤロー!」

 自分の背中にへばり付くその男、壬生順平(みぶ じゅんぺい)に直輝は驚いたような顔を向け、とりあえず順平の体を引き離そうとその額をぐいぐいと押す。
 だがそんな直輝に頓着する事なく順平は満面の笑みでもって一方的に話をしていた。

「ちょっ……、わかった! わかったから離れろ順平ーっ!!」

 蒼衣のぽかんとした顔が順平の背中越しに見え、直輝は余計に焦る。そして視線を動かして辺りを探るとすぐに直輝の目当ての人物を見つけた。

「勇っ! テメーッ、見てねーで、順平どーにかしろっ!」

 視線を蒼衣の背後に立つ長身の男に向けると、直輝はそう店の迷惑にならない程度の声で叫んだ。
 とは言え。
 この時点で店内に居る他の客の視線は直輝と順平に集中していて、直輝はいたたまれない気持ちになる。
 そんな直輝に蒼衣の後ろに立っていた長身の男、近藤勇(こんどう ゆう)がのっそりと動き、直輝の側によるとその長い手を直輝にすっかり懐いて、しがみついている順平の腰に回した。

「ほらほら〜、順平ちゃ〜ん、直輝迷惑してるしお店にも迷惑かけるから離れようネ〜。」

 のほほんとした口調でそう言いながらも半ば無理矢理に直輝の背中にへばり付いている順平の体を引き剥がした。

「あーっ、ヤメロよーっ! 久々の生直輝なのにーっ!」
「ん〜? ダメだよ〜、ここ公共の場だからね〜。いちゃつくならもっと密室じゃないと。ほら、直輝の部屋とか直輝の部屋とか直輝の部屋とか、さぁ。」
「ばっ……っ! さらっとくだらねぇ事言うなっ!! 馬鹿っ!! っ、……わりっ、マスターっ、さっきの注文キャンセルなっ。」

 勇の腕の中でじたばたと暴れる順平に勇が相変わらずのんびりとした口調で窘める。
 だが最後に付け加えた言葉に直輝は視線を蒼衣に一瞬だけ向けた後、慌てたように背の高いスツールから降り、厨房に向けて注文のキャンセルを叫ぶ。そのまま勇の腕を掴むとその腕の中でもがいている順平共々店外に連れ出そうと引っ張った。
 そして呆気に取られている蒼衣の側を通り抜ける時に小声で、後でメールする、とだけ囁き勇の腕を引っ張ってカラン、カラン、とドアの鈴の音を立てて店の外へと出た。

「あれ? 今の直輝くんの声? あれ? キャンセルした?」

 直輝が外へ出たのと同時に馨が厨房から顔を出しキョロキョロと辺りを見渡しながら蒼衣に声をかける。
 それに蒼衣はなんとも言えない表情でコクンと頷いた。

「なんか……、友達が来て、あっと言う間に一緒に出ていっちゃった。」
「ふ〜ん……? 友達なら一緒に食べて行けばいいのになぁ。」
「……うん。」

 蒼衣の言葉に馨はひょいっと眉を持ち上げて首を傾げる。それに蒼衣は心持ち俯き加減で頷いたが、その声は少し元気がなかった。
 その事にまた馨はひょいと眉を上げ何か声をかけようとしたが、ちょうどテーブル席に居た客が席を立つのが見え、馨が反応するよりも先に蒼衣が気がつくと、パッと顔をあげ、いつもの柔らかい笑みを浮かべながらレジへと入る。

「いつもありがとうございます〜! ……えっと……、二千四百円になります。……あ、別々ですか? では、お一人様八百円ずつになります。……はい、ちょうど頂きます〜。ありがとうございました!」

 いつも通りにこにこと愛想よく笑い、客の会計を済ます。そしてドアを出ていくその後ろ姿にまた愛想のいい笑顔と声で見送った。
 その蒼衣の笑顔と態度に、馨はさっきの憂い顔の理由を聞くタイミングを逃した事を知る。




 直輝は結局蒼衣が勤めているカフェからかなり離れた場所まで勇と順平を引っ張ってきてしまった。
 そして目にとまった適当なカフェに連れ込み、そこで改めて昼食を注文する。
 ウェイトレスがテーブルから去ると、直輝は久々にジーンズの尻ポケットから煙草の箱を出すと一本を口に咥えた。
 そして同じく煙草の箱の中に挿していたライターを取り出すとそれで煙草に火を点け、すぅっと息を吸い煙草の煙で肺を満たした後、細く長くその煙を口から吐き出した。

「……で、お前等なんであそこに?」

 ジロリと目の前に座っている順平と勇を睨み付けながらそう切り出す。
 そのあからさまに機嫌の悪そうな直輝の態度に二人は顔を見合わせた後、順平が先に口を開いた。

「や、勇とさ、たまには違う場所開拓しよーぜ、って事でさぁ。こっち方面来たことなかったから……。」
「で、たまたまあの裏路地に入っていく直輝らしき後ろ姿見つけて後着いてったらアソコのカフェに辿り着いたってワケ。」

 直輝の眼光に順平は少ししゅんとした顔で、何故いつもは行かない場所に居たのかを説明する。 その言葉を引き継ぐ形で勇があのカフェに現れた理由を説明した。
 それを聞いて直輝は小さく溜息をついて、自分の迂闊さを心の中で諌める。
 まさかこの界隈にこの二人が遊びに来るとは思っていなかったのだ。
 この界隈は電気街が続く場所で、普段直輝がつるんでる友人達がこの辺りに来る事なんて事は本当に稀なのだ。しかも蒼衣が働いているあの喫茶店はその電気街の中でもかなり端の方にある。あの喫茶店の存在自体を知らないと踏み込まないような、そんな場所。
 だから直輝はすっかり安心していた。
 勿論、電気街の入口付近であればまだ大きな量販店があったり有名な書店などもある為、たまにだが、直輝の友人もゲームや本、家電などを買いに出て来る事もある。
 だがまさかあんな端の方までこの二人が来るとは思いもしなかったのだ。
 直輝だって蒼衣と知りあわなければきっとあの界隈には余程の用がなければ行かなかっただろう。
 ただ今は蒼衣が働いている事もあるし、あの場所から少しだけ離れてはいるが直輝自身のバイト先がある。
 まさかこいつらに見つかるとはな……、そう思い直輝は深く煙草の煙を吸い込むとゆっくりと吐き出す。
 そして、蒼衣のバイトが終わるまでにどうやってこいつらを撒くかを考える。
 こいつらの事だから簡単には撒けないだろう。
 と言うか、確実に遊びでの用事であればついてこようとするだろう。
 それを思うと直輝は微かにこめかみ辺りに痛みを覚えた。

「て言うか、直輝もこんな所になんでいんの? バイト先こっち方面だったっけ?」

 そんな直輝の心情を読み取ったのか、ウェイトレスが運んで来たメロンソーダに挿してあるストローに口をつけながら、勇が直輝にとって突かれたくない所をさらりと突いてくる。
 それに直輝は瞳を眇めて機嫌の悪さを前面に出す事で応えた。

「……別にテメーには関係ねーだろ。」

 出来るだけ素っ気なく答える。
 するとその直輝の答えに、勇の細い目がますます細まった。

「……そいや、さっきの店、イイカンジだったね〜。」

 そして、まるで直輝の心を探るかのように勇はそんな事を言い始める。
 だが直輝が反応を返す前に順平の方が反応した。

「あっ、俺もそれ思った! シックな感じで良かったよな。隠れ家〜みたいな感じで。無駄に広くねーし、あの薄暗い感じがまたいいよな!」

 それまでは直輝と勇のやり取りをコーラフロートを飲みながら傍観していた順平だったが、突然上機嫌になって話始める。
 どうやら内装が順平好みだった事や余り広くない店内と言うのもツボだったようだ。
 そしてなにより。

「てかさ、案内してくれようとした子、可愛かったよな〜! 最初、げっ、この店構えでメイド服かよっ?! とか思って引いたんだけどさ、なんだろ、あの子なら許せるな。うん。かなり綺麗な子だったもんな〜。たださぁ、俺よか背が高いのは切ないぜー。でもそこ含めて美人だからOKっていうか、あの店の常連になって見てたいって言うか……。」

 ちゅーちゅーとコーラをストローから吸い上げながら、にまにまと思い出し笑いを浮かべ順平は店の感想の倍の量を蒼衣の感想に費やす。目の前に座っている直輝の機嫌が更に悪い物に変わっている事にも気がつかずに……。

「あ、ひょっとして直輝もあの子目当てであの店通ってるとか? 直輝でもそーいうのあんだぁ?」

 そして、順平がふと思い付いたように直輝に、あのウェイトレスが目当てだったりして、と冗談めかして聞いてしまった。
 その順平の迂闊な質問に、順平の隣に座っている勇は、あーあ、と呆れたような苦笑を漏らし、当の直輝はギロリと視線を険しくさせて順平を睨み付ける。

「……。」

 だが何か言葉を発する事はなく、無言で順平が一人でエキサイトしている間に運ばれてきていたランチプレートに乗っているハンバーグにグサリッと乱暴にフォークを突き刺した。
 そんな直輝の態度に、流石に順平も自分が何か失言をした事に気がつく。

「あ、……あのさ、えと……。」

 直輝の機嫌を取ろうと順平は何か言おうとするが、上手く言葉にならずただ唸る結果になっただけだった。
 仕方なしに順平は隣に座っている勇に助けを求めるようにチラチラと見る。
 その捨てられた犬のような瞳に勇は小さく苦笑して、我ながら甘いな、と思いながら勇は口を開いた。

「……直輝がなんで機嫌悪いのか知んないけどさ、夏休み入ってから直輝今までにないくらい付き合い悪くなってるジャン? 俺や順平ちゃんからのメールも電話もあんま出ないしサ。花火大会のトキも誘ったのに、直輝、無理、の一言だけだったろ? だから俺達もケッコー心配してたんだヨ? 何かあったのかなーって。」
「……。」
「でも今見たところビョーキしてる風でもないし、バイトがめっちゃ忙しいワケでもなさそうだよね。……ね、直輝。俺達がナニか気に障るコトしたんなら言ってヨ? 無言で避けられる意味、ワカンないヨ? 俺とは浅い付き合いじゃないんだからさ、ナニか嫌になるコトがあったなら今までみたいにはっきり言って?」

 とりあえずさっきの店の話題は避けて、勇は普段あまり見せない真面目な表情をすると、空になったメロンソーダのグラスをテーブルの上に戻す。そしてあくまで淡々とした言い方て直輝にここ最近の直輝の自分達への態度について聞いた。
 その勇の指摘と遠回しな批判に直輝は少し表情を引き締め、視線を勇から逸らす。

「……別にお前等がどうとか、何かしたとか、お前等とつるむのが嫌になったとか、そんなんじゃねーよ。ただ……。」

 勇の言葉に直輝にしては珍しく即答を避け、言葉を濁す。直輝の手に握られているフォークが直輝の戸惑いを表すようにランチプレートの上にあるライスを崩すように突いている。
 それだけでも直輝が何かを迷っている事が勇にははっきりとわかった。
 一体何を直輝は悩んでいるんだが、そう思いながら勇は言葉は挟まずに直輝が続きを口にするのを待つ。
 だが、直輝はなかなか続きを口にしなかった。

「……。」

 無言でランチプレートを眺め、直輝は蒼衣の存在をこの二人に明かすかどうかを迷っていた。
 蒼衣が新しく出来た『ただの友人』であればその存在自体をこの二人に隠す必要はない。
 だが、直輝にとって今はもう蒼衣は『ただの友人』ではなくなっていた。
 まだ蒼衣にはとてもじゃないが言えないが、直輝にとって蒼衣はかけがえのない存在になりつつある。
 だがそれと同時に、蒼衣の抱えるあの重い過去を全て許し、受け止める勇気が出ない。勿論、 あの過去が蒼衣自身に全く非がないのは解っている。――解っているつもりだ。
 だけども、蒼衣が自分以外の男達と関係を持っていたと言う所だけを抜き出してしまうと、直輝はどうしようもない憤りに駆られてしまう。
 しかも蒼衣自身、どこか流され易い雰囲気がある。そして、初めて直輝と関係を持った後に、『嫌いな男の人にも求められても拒絶できない、感じてしまう』と本人の口から直輝に伝えられた言葉が、――その時は聞き流した言葉だったが――、蒼衣と過ごす時間が増えれば増える程直輝の胸の中に深く突き刺さり、痛みを与えていた。
 そんな複雑な胸中もあり、そして蒼衣がただの友人ではないとすでに認識しているだけに、直輝はこの二人に蒼衣の存在自体を話さないでおくべきか、それとも、蒼衣の事を新しい友人として、蒼衣の女装趣味や自分と体の関係がある事は伏せて伝えるべきか悩んでいた。
 顔自体をランチプレートに向けたまま、視線を泳がせながら直輝は考える。
 だがその答えは簡単には出そうにない。
 そしてそんな直輝の態度を勇は瞳を細めて観察する。
 こんなに他人の問いに対してここまで答えに窮する直輝と言うのも珍しい。
 小学生からの腐れ縁で長い付き合いのある直輝は、いつも何事に対してもキッチリ自分の中で折り合いをつけ、答えをはっきりと持っている。学生生活も恋愛も友人との付き合いも、今までは大して苦悩する事なく勇達とつかず離れずの距離でこの長い期間付き合ってきたのだ。よく言えばクール、悪く言えば他人に対しての関心が薄い。それなのに、こんな簡単な質問にも窮する程、直輝は何かに対して悩んでいる。
 らしくないな、そんな事を思いながら勇は肩掛けの鞄の中から煙草を取り出して口に咥えた。
 長期戦になると踏んだのだ。
 直輝がテーブルの上に置きっぱなしにしているライターを勝手に取るとそれを使って煙草に火を点ける。

「……話せない事情がナンカあんの? それは俺達にも話せないコト?」

 フーッと煙を口から吐き出しながら、勇はこの重苦しい沈黙を破るようにそう重ねて直輝に尋ねた。
 すると直輝が顔をあげ、勇を一瞬まじまじと見た後、また視線を軽く逸らす。

「……そー言う訳じゃねーけど……。」

 そして直輝の口から出た言葉はまたえらく歯切れの悪いものだった。
 そんな直輝に勇は、なんだかなぁ、と思いながら、別の質問を口にする。

「……あー……、ひょっとして、新しい彼女(オンナ)でも出来たトカ?」

 それは何気なく聞いた言葉だった。
 だがこの言葉に対しての直輝の反応は明らかに動揺したもので。

「……っ、オンナなんか、いねーよ!」
「……ふぅん……?」

 一瞬弾かれたように顔を上げ、勇の顔をどこか真剣な色と焦ったような色を浮かべた瞳で睨むように見た後、勇の言葉を荒い言葉遣いで否定する。
 そんな直輝の予想外な反応に勇の関心は更に増した。
 細い瞳を更に細く細め直輝の表情の些細な変化や、その目や指先の動きに細心の注意を払う。
 直輝の表情は硬く引き締まりその目は怒っているかのように鋭い。そしてその指先は苛立つように握っているフォークの背を叩いていた。
 そんな直輝の反応に勇はまた、なんだかなぁ、と思う。
 直輝は明らかに自分達に嘘を吐いて、そして何かを隠している。いや、隠そうとしている。
 一体自分達に何をそんなに頑なに隠しているのだろう。
 ……多分、新しく出来た彼女の事。
 そう勇は直輝の隠そうとしている事に当たりをつける。
 だが、もしそうなら、何故直輝が勇にも順平にもそれを黙っているのか、隠そうとしているのか、その理由が勇には見えなかった。
 なにせ今までは新しい彼女が出来れば普通に何かしらの会話の中で直輝は勇には伝えていた。
 確かに入れ代わりが激しい直輝の歴代彼女全てを知っている訳ではないが、それでもこんな風に直輝が付き合っていたりセックスをしてる相手の事自体を隠すなんて一度もなかった。例え、その相手が一般的に不倫と批判されたりする相手でも、学校の女教師でも。
 それだけに勇にしてみれば今の直輝の態度は不自然で、苛立ちを生むものだった。

「俺達には言えない相手?」

 追求するつもりでそう尋ねてみる。

「っ、だからオンナなんていねーって言ってんだろ!」

 勇の追求に直輝は更に機嫌を悪化させた低い声でまた勇にしてみれば嘘臭い否定をした。
 それに勇の瞳に少しだけ剣呑な色が混じり、ますます瞳を細く眇める。

「……まぁ、いいヨ。言いたくないなら。無理に言わなくても。」
「っ、勇……。」

 苛立ちを低く抑えた声で勇は、直輝の再三の否定を切って捨てるように、それでも苛立つ声とは裏腹の言葉を直輝に向けて言い放つ。
 その突き放したような勇の声と内容に、流石に直輝もはっとすると、しまった、と思う。
 勇はやたらに他人の変化に聡い。
 だから、恐らく今の直輝の態度を見て、直輝が嘘を吐いている事などお見通しなんだろう。
 いつもならばこの手の事でここまで直輝が頑なに勇に対して嘘を吐き通そうとする事など、まずない。
 だからか、餓鬼の頃からつるんできた目の前に居る男にこのまま蒼衣の存在を隠し通す事は難しいだろうと思うと共に、微かな罪悪感を直輝の中に生んだ。
 オンナ……ね。
 胸の中で今、勇に言われた言葉を反芻する。
 確かに蒼衣は男だが、ある意味、直輝の“オンナ”と言っていい。会えば大抵セックスをするし、直輝にしては歴代彼女に比べてかなりまめに連絡を取り、時間が許す限り会っている。
 正式にまだ恋人として付き合ってはいないが、している事や互いの感情はかなりそれに近い。
 直輝にあと少し勇気があれば、勇達に蒼衣の事をセックスしている事も含めてカミングアウト出来たかもしれない。
 だが、まだ蒼衣との付き合いや蒼衣に対する感情にケジメをちゃんと付けていない直輝には、蒼衣との関係を今の段階で全て勇達に伝える事は難しい。
 自分自身でも今の、蒼衣に対しても、目の前に居る勇達にも煮え切らない、はっきりと言えな自分には腹が立つ。
 十九年と言う決してまだ長くはない人生の中でも、直輝は自身の記憶にある限りこんなにも何かに対して曖昧なままにしていた事など今まで一度もなかった。
 それだけに直輝は自分が情けなかったし、自分自身にどうしようもない苛立ちを覚える。
 それでも、今の蒼衣にも勇達にも自分の感情が曖昧なままでは、はっきりと答える事は出来ない。それほど、直輝にとってこの問題は真剣なものだった。
 そう思いながらちらりと勇の顔を見ると、滅多にしない表情で直輝を見詰めている。
 勇は煙草を燻らしながら、直輝の顔を真剣な静かな怒りを秘めた表情で見詰め、勇なりに何かを思案しているようだった。
 そして直輝が視線を勇に向けた事で、勇はゆっくりと口を開いた。

「――でもさ、直輝。今は俺達に言いたくなくてもサ、いつか言えるトキが来たら教えてヨ。俺も順平ちゃんも、直輝に対して嫌な感情なんて持ちたくないから。」

 勇は剣呑な雰囲気の瞳を一瞬だけ直輝に見せたがすぐににこりと笑う。そして、いつもののほほんとした口調に戻るとそう締め括る。
 今の直輝に何か言って追い詰めるのは双方にとって得策ではないと判断したのだ。
 そのかわり釘を刺すことも忘れない。
 勇の笑みと言葉に直輝はなんとも言えない苦笑を返した後、ふっと息を吐く。
 勇が一瞬、自分の態度に腹を立てた事はわかっている。それは今まで一度として直輝が勇に何かを特別ここまで頑なに秘密にした事がなかったにも関わらず、突然こんな態度を取り始めた事に起因しているなだろうと直輝は思う。
 そして、遊びの誘いにしろ、飲みの誘いにしろ、直輝が応じない事にも――。
 別に直輝としては蒼衣の事があるからと言って勇達を避けているとは思ってはいないし、軽んじている訳でもない。
 ただ、今は蒼衣を優先していたい為それが結果として勇達を避けているように彼等には感じられるのだろう。
 その事に関しては本当に申し訳ないと思っている。
 蒼衣とはまた位置づけが違うが、勇も順平も直輝にとっては餓鬼の頃からの大切な友人だ。
 だから、直輝は一つ自分の中で結論を出す。
 今のこの状況で最大限、自分の感情にも、勇達との関係にも折り合える決断を。

「……実は新しいダチが出来たんだよ。」

 息をゆっくり吸い込み、直輝はそう勇と順平の顔を交互に、だが真っ直ぐ見詰めながら蒼衣の事を話始めた。