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NOVEL

Un tournesol 〜深き悩み、加えて、新たなる波乱?〜
02

注意) 女装

 食後のコーヒーを口に運びながら目の前に並んで座っている二人の男達の反応を待つ。
 蒼衣との出会い、――つまり蒼衣がガラの悪い男達に囲まれていたのを助けた事から――、その日のうちに意気投合し蒼衣の家に再々遊びに行くようになった事。先日の花火大会も蒼衣と行った事。蒼衣が天涯孤独の身の上で、施設で育った事、今は働きながら大学に通っている事など、など。
 勿論、蒼衣が施設で受けてきた境遇と、直輝と初めて会った時から体の関係がある事、蒼衣に女装趣味がある事や、そして何よりさっきの店に女装した蒼衣がウエイトレスとして居た事は伏せて。
 その直輝の話を聞いて順平はなんとも微妙な顔をし、勇は何を考えているのか解らない余り感情が浮かんでいない顔で煙草をふかしていた。
 その二人に直輝は、蒼衣との約束などを優先していたからお前等に対してはあんな態度になった、すまない、と改めて口にする。

「……ただ、お前達にはマジでわりぃと思うんだが……、今は、そいつと遊ぶのが楽しくてさ。別にお前等を蔑ろにしてる訳じゃねーんだが……。」
「いや……別にそれならそれでいーんだけどよぉ。新しいダチが出来たなら、最初からそー言えばいいじゃん。なんで……今まで黙ってたんだよ……。」

 直輝の言葉に順平は納得がいかない、といった顔で、それでも一旦は頷いてはみせる。だが、どうして直輝が蒼衣の存在を今の今まで隠していたのか、言いたがらなかったのか、その事がどうしても理解出来なくて、不満で唇を尖らせた。

「……それについちゃ本気でわりぃと思ってるよ。ただ、蒼衣の事言えば、お前等、会わせろとか、紹介しろだとか、言うだろ。だからさ、その……それで言い出せなかったっつーか……。」

 順平の文句に直輝はポリポリと頭を掻いて再度謝った後、また非常に言いにくそうに口ごもる。
 そんな直輝に順平は瞳を細めぷぅっと頬を膨らませた。

「んだよ。それって俺達にその日向蒼衣って奴会わせたくねーって事かよ?」
「いやっ、そー言う訳じゃねーけど……。」

 直輝の言い分に順平は突っ掛かっていく。それに直輝はますます困ったような顔をした。
 はっきり言ってしまえば、蒼衣をこの旧友達にはなるべく会わせたくはない。それは別段、蒼衣に自分以外の友達が出来るのが嫌だ、とか、直輝以外の男と仲良くなるのが嫌だ、とか言うつまらない理由ではなく、寧ろその逆の意味合いで、だ。
 蒼衣はあの通り普段は地味でおどおどとしている。
 あの人の顔色を伺うような態度が、場合によっては直輝の旧友達の苛立ちを誘いかねない。
 それを危惧しての事だった。
 元々、直輝を含む高校時代の友人達はお世辞にも品行方正とは言い難い。直輝自身、高校時代は色々と荒れた時代だっただけに当時一緒になって悪い事をしていた目の前の二人が、蒼衣のあのおどおどした、いかにも“虐めてください”とでも言うべき態度に目を付けないとは思えなかった。
 ――特に順平。
 勇は基本的に弱い者いじめには興味がないし、自分の益にならない事には動かない男だ。
 だから勇に関してはそう言った意味での心配はしていない。
 だが反面、順平は短気だし、仲間意識が強い。しかもおどおどした人間は嫌いだと普段から大っぴらに口にするような奴だ。
 ただ、一応順平の名誉の為に言っておけば、そう口にはしていても子供じみたいじめや陰湿ないじめは直輝や勇の目にする場所ではしないし、恐らく勇や直輝の目がなくてもしない。
 しかし、それでも嫌いな人間や苦手だと言う人間にはあからさまにそれを表に出すような態度を取る。
 そんな順平に蒼衣を合わせたらどんな対応を順平が取るか目に見えるようだった。
 そして勇は勇で、確かに弱い者いじめはしないが、少し困った癖がある。それは悪意がない分、順平より性質が悪く、順平より寧ろそう言う意味ではこっちの方が厄介かもしれない。
 順平は直輝が防波堤になれば蒼衣に対して特に何も出来ないだろう。
 出来たとして、素っ気ない態度や、嫌味を口にするくらいだ。
 しかし勇は直輝のディフェンスなんて軽々と乗り越えてしまう。
 そして直輝の手が届かない所で悪意のないちょっかいを蒼衣にかける事は目に見えていた。
 だから直輝としては、あまり蒼衣をこの二人に会わせたくない。
 特に、警戒すべきは勇。
 勇が蒼衣を気に入らなければこれは杞憂に終わるのだが、多分、勇は蒼衣みたいなタイプはからかい甲斐がある為、気に入ってしまう可能性が高かった。
 そんな事を思いながら、改めてこの二人に蒼衣の話をした事を少しばかり後悔する。
 ――自分が取った行動が、果たして正解だったのか。
 いつもならその手の判断は簡単に着くのだが、今回の事ばかりは直輝自身の悩みも加味されて二人に蒼衣の話をしてしまった事が良い事なのか、悪い事なのかはっきりと判断が出来ない。
 しかしこうして蒼衣の話をしてしまった今、目の前の二人に蒼衣をずっと会わせないと言う訳にはいかなかった。
 大体が二人共、直輝と蒼衣が通っている同じ大学に通っている。
 それを鑑みると、遅かれ早かれ二人には蒼衣の存在が明るみに出る事になるは自明の理だ。

「……解ったよ。会わせてやるよ。ちょうど今日も夕方から会う約束してっから連絡してやる。」

 遅かれ早かれ顔を合わすのならば、と直輝は一つ溜息を吐くと座席の上に投げていた鞄を取りそのサイドポケットから携帯電話を取り出した。
 そして二つ折りのそれを開くと時間を確認した後、メール送信画面を開く。
 勇と順平が見ている中で蒼衣に、今居るカフェの店名と大まかな場所、そして目印を打ち、最後にダチを紹介する、と打ち込んでから蒼衣の携帯電話宛に送信する。

「あいつがバイト終わるの四時っつってたから、多分五時過ぎにはここに来ると思う。それまで待てるよな?」

 新しい煙草を取り出しながら直輝は二人にそう確認を取る。それに勇は、オッケー、と軽い口調で答え直輝と入れ違いに咥えていた煙草を灰皿に押し付けた。そして順平はまだ少し唇を尖らせたまま、空になっているコーラフロートのグラスに刺さっているストローを行儀悪くずるずると吸いながら、小さく頷く。
 順平としては上手く説明が出来ないが、なんでか今のこの展開が面白くない。
 そもそも直輝に新しいダチが出来た事自体余り面白くない事なのだ。しかもその新しいダチの方を付き合いの長い自分達よりも何事にも優先させているっぽいのが物凄く気に食わない。
 だがそれが子供じみた嫉妬だと言うのは順平自身よく解っているので、ただこうやって無言で拗ねるしかなかった。
 そして直輝が今までにないくらい気に入っているらしい、日向蒼衣と言う男に会う事が少し怖かった。
 もしそいつが自分より明らかに直輝の横に立つ事が相応しい男だった場合、更に直輝が手の届かない存在になるような気がする。
 元々自分でもただの友人の範疇を越えて直輝の事を尊敬していると自認しているだけに、順平にとって今のポジションを突然現れた奴に横から掻っ攫われるのは非常に面白くない事だ。

「……日向蒼衣ってどんな子なんだろうネ〜。」

 直輝がトイレに立った後、不意に勇が口を開きそんな事を呟く。

「……知らねぇよ。」
「直輝の話ぶりからして、かなりいい子っぽいから、仲良くなれるといいネ〜。」
「……知らねーって。」

 勇がまるで順平の神経を逆なでするかのように言う言葉に順平はブスッとした顔でやる気ない声で返事をする。
 それに勇は小さく苦笑を漏らした後、手を伸ばして順平の頭をぐしゃぐしゃと撫でくり回す。

「っな、何すんだよっ?!」

 突然頭を撫でられた事に順平は驚き声を上げた。
 それに、しーっ、と人差し指を唇にあて、静かに、のジェスチャーをすると勇はまた撫で撫でと順平の頭をニコニコと笑いながら撫で続ける。

「っ、だから、やめろって!」

 勇の行動に周りの目を気にして頬を染めながら順平は、声のトーンを落として再度勇に止めるように言う。
 だが勇はニコニコと笑うだけで順平の言葉は無視した。

「う〜〜……っ、なんなんだよぉ……お前……。」
「ん〜? 別に〜? ただ撫でたくなっただけだヨ。」

 ぷぅっと頬を膨らませながら勇の行動に呆れたように呟くと、勇は新しい煙草を口に咥えながらにやりと意味深に笑う。
 その笑みを見て順平は更にぷぅぅっと頬を膨らませてぷいっと勇から視線を逸らした。
 そんな順平に勇は煙草をふかしながら、相変わらず解りやすくて可愛いね〜、なんて本人が聞いたら怒りそうな事を思う。

「……お前等、何してんだよ。」

 そこに呆れたような口調でそう言いながら直輝がトイレから戻って来た。
 そして席につくと、勇同様煙草を口にする。

「ところでさ〜、日向クンってどんな子?」
「あ?」
「だからさ、可愛いとかカッコイイとかあんジャン? 性格は直輝が気に居るくらいだからいい子なのは間違いないみたいだけど、ビジュアル面はどうなのかな〜って思って。」

 煙草に火を点けている直輝に向けて勇がやけに機嫌の良い表情で尋ねる。
 それに直輝はどう答えるべきか少し悩んだ。

「……どうって……、あー、地味でオタクっぽい感じ? こー、黒ブチの瓶底眼鏡かけて長い髪後ろで結んでて……、顔は、まぁ、普通……か……?」

 とりあえず普段遊びに行く時や学校に行ってる時の姿を頭に思い浮かべながら答えてみる。

「えっ、マジっ?! 何でっ!?」

 だがその解答に順平が噛み付く。頭に乗っている勇の手を払いのけ、テーブルに手をついて体を乗り出す形で直輝に迫った。

「……いや、何でって、何がだよ?」

 順平の剣幕に直輝は驚いたように体を後ろにずらした後まじまじと順平の顔を見返しながら逆に聞き返す。
 順平はそれに信じられないと言った顔をすると口を開いた。

「だ、だって……オタっぽい奴なんて今まで直輝ダチにした事なかったじゃん! なんで……っ!?」
「順平ちゃん声デカイよ。」

 興奮して大声でまくし立てた順平を後ろから勇がその腰を掴んで椅子に座らせ、声の大きさを諌める。
 そのまま周りの客や店員に向けて勇が順平の代わりに頭を下げた。
 そして直輝は順平の言葉と剣幕に苦虫を噛み潰したような顔をして煙草をふかす。
 順平の態度は直輝が想像した通りのものだった。そしてその拒絶反応とも言える順平の態度に、蒼衣を今日この場所に呼び出しこれからこの二人に会わせる事を少し後悔する。
 だが今更取りやめる訳にもいかず溜息を一つ吐いた。

「……順平。見た目がどーだろうがカンケーねーだろうが。蒼衣は俺がダチだって認めたんだ。何か文句あんのかよ?」

 ギロリと鋭い視線を順平に向け低い声で直輝は順平の言葉に脅しすれすれの言葉で反論する。
 そして苛立ちを表すように溜息を吐き灰皿に乱暴に煙草を捩込んだ。
 流石に直輝自身にこんな風に睨まれ、順平が口にした言葉そのものを真っ向から否定されては順平はそれ以上自分の中にある不満ともやもやを直輝に伝える事が出来なくなる。
 だが、だからか順平は唇を尖らせ不満をありありとその顔に浮かべた。

「……ま、別にお前等に蒼衣と仲良くしろなんて言わねーし、ダチになれとも言わねー。今の所、蒼衣はあくまでも、俺のダチ、だ。お前等が今日会って、それであいつが気にいらねーってんなら二度と会わせねーから安心しろ。」

 ありありと順平の顔に浮かんだ不満に直輝は冷ややかに見返すと、俺のダチ、と言う言葉を強調するように強く言う。
 勿論、直輝としては順平が蒼衣の事を気に居る筈がない、と言う打算もあった。
 会わすのは今日が最初で最後。
 そう言った意味を半ば込めて、順平にそう告げた。
 そしてそれだけを言うと、新しい煙草を出そうと煙草の箱を手に取る。だが箱の中に煙草が入ってない事に気がつくと小さく舌打ちをした。

「チッ。……煙草買ってくる。」
「俺のでいいならあげるヨ。買ったばかりだからタクサンあるし。」

 直輝が手の中で煙草の空き箱を握り潰し立ち上がりかけたのを勇が自分の煙草の箱を差し出し止める。それと勇の顔を見比べた後、直輝はそこから一本取り出し口に咥えてから椅子に腰をまた下ろした。
 そしてその後は三人とも黙り込み、各々思考の海に沈む。





 直輝が友人達とそんなやり取りをしている頃、蒼衣はバイト先で物思いに浸っていた。
 直輝達が店から出て行った後、不思議なくらいぱたりと客足が止まり、あの時居た全ての客が全て出て行った後から今まではずっと掃除をしたり消耗品の補充をしたりして気持ちを紛らわせていたのだが、とうとうする事がなくなってしまった。
 仕方なくダスターで何度目かのテーブル拭きを始めたのだが、気を抜くと思考はさっきの直輝と直輝の友達の事へと戻る。

「……なんで……。」

 ぽつりと声になって疑問が漏れた。
 なんで友達連れて急いで出ていっちゃったんだろう。
 後半は声にはならなかったが心の中で呟く。
 ただその理由はなんとなく解っていた。
 原因は自分だと。
 女装した男を友達に紹介する訳にはいかないだろうし、そもそも蒼衣自身を直輝は元々の友人達に紹介する気がない事は普段の直輝の言動を見て蒼衣は薄々感じ取っている。
 でもそれは仕方ない事かもしれない、と蒼衣自身、直輝との関係の特殊性を思えば納得はしていたし、蒼衣自身も直輝に友人を紹介して欲しいと思った事もない。
 そして勿論、その古くからの友人たちに羨ましさを感じた事も……。
 だけどいざこうして直輝と昔からの友人だと思える人達が目の前に現れ、あんな風に気のおけない仲の良さを見てしまうと、蒼衣は筋違いだと解っているが、その友人達に羨ましさを感じてしまう。
 蒼衣の知らない直輝の事を沢山知っているだろうと窺わせるあの対応と態度、そして、直輝自身も蒼衣に見せる顔とは違う顔を見せる相手。
 それが妙に羨ましい。
 特にあの背の低いくりくりと快活そうに瞳を輝かして直輝に抱き着いた男の子。
 直輝の事が本当に好きなんだ、と初めて見た蒼衣にも感じ取れる位のストレートな感情表現に羨ましさと、少しの嫉妬を感じていた。

「可愛い子だったなぁ……。」

 性別・男に対してこの表現はどうかとも蒼衣自身も思うが、思い出せば出すほどに直輝に背中に貼りついた男の子の可愛らしい顔立ちがそう呟かせてしまう。
 くりくりとした猫目に、薄くグラデーションがかかっているような栗色と茶色の短い髪。
 子供みたいに嬉しそうな笑顔。
 身長も直輝と同じ位で並んで歩くと当たり前のようにその隣に馴染んでいた。
 僕だと直輝くんが少し見上げないといけないもんな……、そんな事を思い小さく溜息を吐く。
 勿論、蒼衣は男だから普段直輝との身長差は気にしていない。気にする必要もなかった。
 だが先週の花火大会の時に女装姿で直輝の隣に並んでみて、その時に初めて自分の長身を嫌なものだと蒼衣は思ったのだ。
 普段男の格好で直輝と遊びで外に出てもそれは男同士でのお出かけであってデートだと思った事は一度もない。そもそも、そんな事を思う余地も意識も蒼衣にはなかった。
 だけどあの日は朱里に何度もデートだと言われて、蒼衣としてはしてはいけないと思いながらもついそれを意識してしまった。
 意識してしまえば、直輝の隣に立つ自分が女装姿だっただけに、周りに居た男女のカップルにも自然と目が行く。
 そして、気がついた。
 花火大会で周りに居る恋人達はほとんどが女の子は男の子よりも背が低いか同じ位。確かに背が高い女の子に男の子の組み合わせも居たがそこまで身長差に開きがある恋人同士は本当に稀だった。
 だからこそ直輝と並んだ時の自分の長身がなんだか申し訳なく思え、しかも直輝も理由は解らないが時間が経てば経つほど何故か機嫌が悪くなるしで、蒼衣は楽しい筈の出店周りのほとんどを俯いて過ごしてしまった。
 そんな事があってから蒼衣は時々、本当にふとした瞬間に自分と直輝の身長差に切なさとやり切れなさを感じる。
 尤も、平素の男の姿の時には感じても仕方がない事だと言うのは蒼衣は重々承知しているし、男の時の蒼衣はあまり気にしていない。
 だけど。
 女装した時に直輝くんの隣に立つならあれくらい余り身長差がない方が違和感ないし、しっくりくるよね……。順平と直輝が並んでいる姿をもう一度思い浮かべながらそんな事を蒼衣は心の中で小さく呟く。
 妙に胸の奥が痛くて苦しかった。

「いいな……あの子……。」

 瞳の裏に映る順平の嬉しそうな顔と直輝の横顔に蒼衣はきゅっと唇を噛むとそう小さく声に出して呟いた。
 そして自分の中に沸き上がった初めての感情に驚き、テーブルを拭く手を止める。
 まさか自分がこんな感情を他人に感じる時が来るなんて思いもしなかった。だから慌ててプルプルと頭を振り、沸き上がった嫌な感情を追い出そうとする。
 と、突然そんな蒼衣に声がかかった。

「……蒼衣? 大丈夫か?」

 そんな蒼衣を訝しく思い、馨は蒼衣に近づくとそう声をかけてその肩に手を置く。
 すると蒼衣の体が驚いたように跳ね上がり、目を見開いて馨を振り返った。
 その蒼衣の瞳が微かに濡れて光っているように見え、今度は馨の方が驚き、肩に置いた手を軽く浮かしてしまう。

「……? どうしたの、マスター?」

 だけど蒼衣から返って来た声は、いつもと変わりない調子で。馨は自分の思い過ごしだったのかと思う。
 だけど、やはりどこか落ち込んでいるように見える蒼衣に、なんでもないよ、と言うことも憚られ、馨は、目の前できょとんとしている蒼衣に小さく笑いかけると口を開いた。

「……直輝くんの友達ってどんな感じの子達だったんだい?」
「えっ? ……あ、えっと……一人は小柄で目がくりくりした感じの可愛い感じの人で、もう一人は長身で……えと、にこにこしててカッコイイ人だったよ。二人とも直輝くんと凄く仲良さそうだったから、多分、直輝くんの昔からの友達なんだと思う。」

 突然の馨の直球な質問に蒼衣は面食らいながらも頭の中にさっき見た直輝の友達二人の顔を思い浮かべながら、興味深そうな顔でいる馨に二人の特徴を伝える。
 その蒼衣の言葉に、ふむふむと頷きながら馨はなるほどね、と思う。
 蒼衣は過去、自分の身の上に起きた様々な不幸のせいで、あの事件以降から今までまともに親しい友人を作ったり、ましてや恋人を作ったりする事を意識的に避けて生きて来た。
 それはやはり自身の身の上が“普通”とは大きく逸脱していると解っているからだろう。
 そして、もうひとつ。
 女装をしていない時の蒼衣は確かに話をしてみれば穏やかで人当たりは良いが、どこか人を拒絶するような空気を纏っている。
 今でこそ、その他人を拒絶するような空気は直輝のおかげか大分薄まっては来ているが、初めて馨の知り合いの弁護士に連れられて蒼衣がこの店に来た時、蒼衣は現在の姿とは全く違う姿と雰囲気を持っていた。
 当時の蒼衣は十六歳とは思えないほど、まるで手負いの狼のようにガリガリに痩せ、ギラギラと荒んだ瞳で他人を睨み付け、受けつけない、そんな排他的な雰囲気を持つ子供だった。
 それも蒼衣の生い立ちや事件の事を考えれば仕方がないとはいえ、正直、馨の蒼衣への第一印象は余り良いものではなかった。
 それがまず馨の妻である朱理が蒼衣をこの上なく気に入り、この店で働くようになり、最初は金銭的な理由で馨達と同居しながら厨房の手伝いを始めたのだが、厨房担当である朱理に心をゆっくりと開いていくようになってからは、はたで見ていても憑き物が落ちたように、表情が落ち着いた柔らかいものへと変わった。
 恐らく元々はとても良く笑い、明るい少年だったのだろうと伺わせる蒼衣が朱理に時折見せる屈託のない笑顔に馨は蒼衣に対して持っていた偏見や悪印象を徐々に払拭していった。
 とは言え、蒼衣はなかなか馨には笑顔を見せる事もなかったし、心を開く事も当初は出来なかった。
 それが変わって来たのは店のホールを手伝う事を決めた際、素顔での接客はまだ問題があるかもしれない、との理由で朱理が女装を提案し、それを蒼衣が受け入れてからだ。
 蒼衣は男でありながら今までの経緯で男性に対してどうしても強い警戒心を抱いてしまうらしい。
 それが女装をする事で、『日向蒼衣』と言う存在と歩んで来た人生をその瞬間だけは忘れ、別人として振る舞う事が出来た。
 だからそのワンクッションがあったことで、今では馨に対しても自然に会話し、軽口も叩けるようにもなったし、屈託のない笑顔も見せてくれるようになった。
 だが、一方プライベートでは相変わらず友人も恋人も作らず、定時制の高校にはただ大学入学の為の勉強だけをしに行き、大学に受かった後も相変わらずのようだった。
 その為、定時制の学校に通っていた四年間、蒼衣には一度も友人と呼べるような存在は出来なかった。
 学校が終わって夜に帰ってきても話す内容は、勉強の事だけ。クラスの人達の話など蒼衣の口から聞けた事など一度もなかった。
 それもあり蒼衣が友人をなかなか作らない事に一時は馨も朱理も胸を痛め、それとなくその理由を聞いた事があるのだが、蒼衣はいつもその度に曖昧に笑い、「今は勉強のが楽しいから」と誤魔化す。
 それでも、馨も朱理も蒼衣が本心では友人を欲しいと思っていると思っていたので、なんだかその返答を聞くたび寂しい気持ちになっていたのだ。
 それが大学に入学して初めての夏休み直前位から蒼衣の様子が明らかに変わった。
 今まで会話の中で入る事のなかった人間の名前が頻繁に入るようになったのだ。

 芹沢直輝。

 本当に楽しそうに嬉しそうに語られる直輝との些細な日常に、馨も朱理もまるで自分達の子供に初めて友達が出来たような気持ちになりとても幸せな気持ちになったものだ。
 ……まぁ、尤も実際は蒼衣にとって直輝はただの友人ではなく恋愛の対象で、しかもすでにスル事はしっかりしているという事実も先日発覚した為、馨としてはもろ手を挙げて直輝の存在全てを歓迎できてはいないのだが……。
 それでも蒼衣の嬉しそうな、そして幸せそうな顔を見ると直輝との付き合いを止めろとは言えない。それに本来は蒼衣の実際の親でもない馨が口を出すべきではない事も解っている。
 だが、今目の前で他の友人と店を出ていってしまった直輝を想い、どこか物悲しい表情をしている蒼衣を見るとやはり直輝とのこのいびつな友人関係は余り賛同出来るものではないと馨は強く思う。
 元々、蒼衣は今まで親しい友人を作って来なかっただけに、他人との距離を無意識に開ける癖がある。どんなに親しくなってもその実、相手に我が儘をいう事も自分の意見や考えを強く伝えようとはしない。
 なにせ一度は同じ屋根の下で暮らし、衣食住を共にした馨や朱里に対しても未だにどこか一線を引いている所がある。
 だからきっと直輝との付き合いは蒼衣にとって楽しくて幸せなものである反面、とても淋しさを感じるものではないのだろうか。
 特に馨から見ても芹沢直輝と言う男は、誰に対しても物おじせず、かなりはっきり物を言うタイプだし、蒼衣とは逆に友人も多そうだ。
 直輝しか居ない蒼衣と、蒼衣以外にも親しい友人が居る直輝では、相手を想う温度に差が出てしまうのも無理ない。
 だからこそ、蒼衣と関係を持って、それを続けていながら未だに直輝は蒼衣に対して明確に好意を伝えていないし、いじらしい位まっすぐな蒼衣の好意をのらりくらりとかわし続けているのだろう。
 そんな事を思いながら馨は目の前に居る蒼衣をどう慰めるべきか少しだけ考える。
 そしてややあって口を開いた。

「……直輝くんの友達とも仲良くなれるといいな。」

 結局、今の段階で迂闊な慰めも出来ず、無難な言葉を選んで蒼衣に伝えると、蒼衣はまるで豆鉄砲を食らった鳩のようにきょとんとした顔で馨を見る。

「……え? 仲良く……? 僕が、あの人達と……?」

 今一つ馨の言った言葉の意味を把握出来なくて蒼衣は口の中でおうむ返しに呟く。
 そんな蒼衣を見て、馨はまずったかな、と思う。
 まさか蒼衣がそこまで他人との、直輝の友人との間にすでに心の距離を置いてるとは思いもしなかったのだ。

「だって直輝くんの友達なんだろ? なら蒼衣も仲良くなれるんじゃないのか?」

 怪訝な表情で首を傾げている目の前の不器用な子供に、馨はそう追加で言葉を付け加える。
 するとますます蒼衣は怪訝な表情になった。

「んー……、どうだろう? 直輝くんはあんま僕に友達の話してくれないから、どんな人達なのかわからないし……。」
「え……? しないのか、友達の話?」

 ポロッと零した蒼衣の言葉に今度は馨の方が怪訝な表情をして聞き返す。

「あ、うん。昔から付き合いのある友人は居る、とは言ってたけど、特に名前とかその人達とどこで遊んだとか……そういうのは全然。」

 記憶を辿るように瞳をくるりと動かした後、蒼衣は直輝が普段友人の話をしない事を馨に伝える。
 すると馨は殊更驚いた表情をした。
 馨としてはいくらなんでも友人の話くらい蒼衣にはしているものだと思っていた。
 百歩譲って直輝以外に友人の居ない蒼衣を気遣って言わなかったのだとしても、友人が居る以外のほとんどの情報を蒼衣に伝えないと言うのは理解しがたい。
 そこまで考えて馨はある事に思い当たる。

「あ、蒼衣っ! まさかとは思うが、お前、会う度に、あ、あの変態と四六時中、い、い、いかがわしい事ばかりしてるんじゃ……っ!!」
「わぁあぁ……っ!?! や、マスター、な、何?! わ、や、こ、怖いっ……てっ!」

 馨の突然の興奮と、肩をがっしりと掴まれ逃げられないようにされた事に蒼衣は軽い悲鳴をあげ、迫り来る馨の顔を手に持っていたダスター越しに押し返そうとする。
 だがすでに頭の中が父親モードに突入し、蒼衣と直輝の交際が不純なものだと決めつけ、鼻息も荒く蒼衣と直輝の付き合いにいちゃもんを付ける。
 そんな馨に蒼衣はただただ怯え、馨の言うことの半分も聞いてはいなかった。

「蒼衣っ! いいかっ俺は許さんからなっ! お前の事を大せつ……!」
「いい加減にしなさいっ! 蒼衣ちゃんが怯えてるでしょっ……っ!」

 ゴィンッと言う鈍い音と朱理の馨を叱責する声が重なり、蒼衣に詰め寄っていた馨は頭に受けたフライパンの一撃に蒼衣の後ろにある机に突っ伏して痛みに悶える。

「……ぅごぉ……っ、あ、朱理……、お前は俺を殺す気か……。」

 頭を抱えながら、朱里に対して抗議の声を上げる馨を、朱理は冷ややかな目で睨み付けるとフンッと鼻先で笑った。

「この程度であなたが死ぬ訳ないじゃない。手加減だってしてるんだから。……それよりも。」

 馨に対して冷たい言葉を投げ付けた後、朱理は少し真面目な顔になると蒼衣に向き直った。
 馨が殴られて悶える様を心配そうにオロオロと見つめる蒼衣に、朱理はちょっとこっちへいらっしゃい、と手招きして厨房の中へと招き入れる。
 そんな朱理と、そして馨を数度交互に見た後、蒼衣は戸惑うように、それでも有無を言わさない迫力に押され朱理の後を着いていく。
 カウンターの横を通り抜け、厨房の入口までくると一旦中に引っ込んでいた朱理が顔を出した。

「はい、これ。」

 そう言いながら朱理は手にしていた皿を蒼衣に手渡す。
 一瞬何を手渡されたのか解らず、きょとん、とした顔でその皿に視線を落としたが、すぐに蒼衣の顔に笑みが溢れた。

「わ、わぁあ……っ、綺麗! これ、新作ですか!?」

 皿の中にこじんまりと綺麗に乗せられ、その回りを生クリームやフルーツや、フルーツソースで彩られたかわいらしいケーキに蒼衣の目は輝く。

「うん、そう。木苺のムースね。蒼衣ちゃん試食してみてくれる? で、それ食べたら今日はもう上がっていいわよ。」

 にっこりと柔らかい笑顔を蒼衣に向け、朱理は厨房の中にもう一度視線を向ける。
 視線の先には朱理達の居住区兼更衣室に繋がる扉があり、蒼衣は驚いた顔をした。

「えっ……、で、でも、いいんですか?」
「いーの、いーの。この通りお客さんも居ないし、来ないし。今日は暇でかえって疲れたでしょ。時間まで上でゆっくりしてって帰りなさい。」

 朱理の言葉にちらりと時計を見て大丈夫かと尋ねた蒼衣に朱理はあっさり笑って頷いた。
 時間はまだ三時を回った位で、上がりの時間には程遠い。
 その事に蒼衣は申し訳なく思いふるふると頭を振って朱理の言葉を断る。

「ダメですよ。この前もそういって時間よりも早く上がらせて貰ったんですから今日はちゃんと最後まで仕事させて下さい。」

 蒼衣は先日の花火大会の日の事を持ち出し、朱理の言葉を突っぱねる。
 それに朱理は少し驚いた顔をした後、柔らかい笑みをその唇に浮かべた。

「もう、相変わらず真面目なんだから。でも今日は本当にもう上がりなさい。これは雇用主としての命令。」
「え……で、でも……。」
「笑顔が売りの看板娘の蒼衣ちゃんが浮かない顔して接客だなんて、私がお客だったら悲しいよ? ……それに早く上に行かないとマスターが復活してまた直輝くんとの事、父親モードで説教しにかかるわよぉ? ウザイでしょ、あのオッサン。」

 最初は本当に命令と言ったように有無を言わさない口調できっぱり言った後、朱理は蒼衣に顔を寄せるようにして後半部分をおどけたように言う。
 その朱理の少し強めの口調に今度は蒼衣が驚いた顔をし、そして後半部分には困ったような苦笑を口元に浮かべる。

「……本当にいいんですか?」
「いいわよ。これで休み明けに蒼衣ちゃんの笑顔が戻るなら安いものだもの。」
「う……、そんなに暗い顔してる?」
「かなり、ね。」

 早上がりの確認をした後、蒼衣が照れたような笑みを浮かべながら自分の表情について尋ねると、朱理は小さく苦笑をして肩を竦めた。
 そしてしょんぼりとしてしまった蒼衣の背中をぽんぽんと叩いて慰める。

「まぁ、でも好きな人が他の人と仲良くしてたら、妬けちゃうのは仕方ないわよ。自分よりも仲良さそうだったら尚更よね。」
「……え?」

 だが、朱里が続けて言った言葉に蒼衣は目を丸くして、驚いたように朱里の顔を見る。
 そんな蒼衣の反応に、くすり、と小さく笑うと、朱里はもう一度ポンポンと蒼衣の背中を軽く叩いた。

「今日はバイト終わったら直輝くんと遊ぶ約束してるんでしょう?」
「……その予定だったんですけど……うー……、でも多分、流れちゃったような気がします……。」
「まさかぁ、大丈夫よ。直輝くんは絶対に今日、蒼衣ちゃんと遊ぶ気満々だと思うから約束を反故にするって事はないって! 賭けてもいいわよ〜?」

 朱里の言葉に蒼衣はまた少し表情を曇らせる。
 脳裏にはまた蒼衣の知らない友達と出て行ってしまった直輝の姿が思い浮かび、切なさと苦しさが胸の中を満たしていった。
 しかしそんな蒼衣の不安を吹き飛ばすように朱里はコロコロと鈴が鳴るように笑うと、バンッ、と蒼衣の背中を力強く叩きそう言い切った。
 一体何の根拠があって、と蒼衣は一瞬思ったが、それでも朱里の表情には悪戯っぽさの含まれた自信が満ち溢れていて、蒼衣は朱里の言葉に反論する事が出来ない。

「……そうかな……。」

 結局朱里に対して言えたのは、そんな曖昧な言葉。
 だけど、朱里はそんな蒼衣に向けてにっこりと自信満々な表情で頷いて見せる。

「そうに決まってるじゃない。直輝くんが蒼衣ちゃんを袖にする事なんてありえないわよ。」
「……。」

 そこまで言い切られてしまうともう蒼衣には返す言葉さえ見つからない。
 朱里に笑顔に釣られた様に小さく笑うと、胸に溜めていた不安を押し出すように緩く息を吐き出した。
 蒼衣の不安が少しは軽減されたのを見て、朱里はより一層艶やかに笑うと、さ、上に上がりなさい、と言って蒼衣の背中を押す。

「えと……じゃぁ、すいません。お先に失礼します。」

 朱里に後押しされる形で、蒼衣はぺこりと頭を下げ、手にケーキの皿を持って厨房の中を会談に続く扉へと歩き始める。
 そして、扉を開けようとドアノブに手をかけた所で、朱里が声をかけた。

「あぁ、そうだ。蒼衣ちゃん。」

 名を呼ばれて振り返る。
 厨房の入口で朱里は、もう一度蒼衣に向けて自信満々な笑みを向けると口を開いた。

「折角の機会だし、直輝くんに対して、もっと積極的になりなさいよ。」
「……積極、的……?」

 朱理が漏らした言葉に蒼衣は目を瞬かせながらオウム返しに呟くと、朱理はにこりと笑った。

「そう。蒼衣ちゃんは奥ゆかしくて健気で可愛いとは思うけど、でも、あまりに受け身すぎるわ。待ってるだけじゃ直輝くんの本音は引き出せないわよ。今日の友達の事だって、気になってるんでしょ? だったら尚更自分から直輝くんに今日来た友達の事、聞くくらいしないと。」
「それは……、でも……。」

 それはそうかもしれない。
 朱里の言いたい事は、蒼衣にだって解る。
 だが、積極的にそんな事を聞いていいものかどうか、更にそんな直輝の内面に踏み込んでしまっていいのかどうか、蒼衣には判断がつかなかった。

「聞いてもいいのよ。言いたくなければ直輝くんの事だから、言いたくない、ってはっきり言うわよ。」

 すると蒼衣の表情でその心情を読んだのか、朱里は薄く苦笑をしながらそう答える。
 そして更に言葉を続けた。

「でも、その場合は蒼衣ちゃんはしっかり直輝くんに、何故言いたくないかの理由を聞かないとダメ。蒼衣ちゃんはすぐそう言う所有耶無耶にして、後で悶々と一人で抱えて悩んじゃうんだから。」
「……う。」

 まるで見透かしたように朱里は悪戯っぽく笑う。
 その朱里の言葉に蒼衣は図星を指されて、顔を微かに赤らめると視線を朱里から外した。
 そんな蒼衣に、朱里はまた小さく笑う。

「蒼衣ちゃん。あなたはね、私達にもだけど、直輝くんにもっとわがまま言っていいのよ?」
「……え?」
「さっきの積極的に、って言うのと同じなんだけど、蒼衣ちゃん、直輝くんに自分から会いたいとか、遊びたいとか、そーいう事言ったり、自分から連絡取ったりしないでしょ? まぁ、エッチ関係は普段より多少積極的に自分からも行きそうだけど……、でも、他の事は直輝くんに合わせて自分の意見とか言わずに直輝くんの考えを優先させちゃうよね?」

 わがまま、と言う言葉に反応しびっくりした顔をで朱里を見ると、朱里は小首を傾げ、人差し指を口元に当てながら蒼衣の普段の行動を想像しているようだった。
 しかもその口から出てくる蒼衣の行動は、まさに蒼衣が普段取っている行動で、その上、さらっとエッチの時の行動まで言い当てられ蒼衣は目を白黒させ、顔を赤らめながら小さく頷く事しかできない。

「会いたいって思ったら、それを相手に自分から言ってもいいのよ。しつこくしない限りは、好意を持っている相手からわがまま言われるのって嬉しいものなんだから。」
「……っ。」
「それに、もっと直輝くんに自分の感じている不安を言いなさい。言わない限り、相手は蒼衣ちゃんの不安には気がつかないわよ。……特に直輝くんはその手の事には鈍そうなんだから。言わないとこのままずるずると曖昧なままの付き合いを続けて行く事にもなるわ。それは嫌なんでしょう?」
「……それは……。」

 朱理の言うことは恋愛に疎い蒼衣でももっともだと思う。
 だが、それが出来れば蒼衣は今、こんな気持ちを抱えていない訳で。
 初めて感じている直輝に対しての甘酸っぱい想いや、顔を見たり声を聞くだけで沸き上がってくる幸福感、苦しくなるほど切ない想い、そしてどうしようもない不安に蒼衣は自分の感情さえ上手くコントロール出来ないでいるのだ。
 こんな状態で、直輝に対して朱理が言う意味での積極的な行動や、わがままを言ったとして、それが引き金になって自分の感情が暴走してしまうのが蒼衣にはなにより恐ろしかった。
 特に先ほど知ってしまった直輝の友達に対するマイナスの感情が暴走するのが。

「……まぁ、なかなか難しいとは思うけどね。蒼衣ちゃんが自分を表に出すの苦手だって知ってるから……。だけど、少しずつでも直輝くんにもうちょっとだけ積極的に、わがままになってもいいと思うわよ。」

 蒼衣の戸惑いと不安の感情を間近で感じながら、朱理は蒼衣を元気づけるようににこりと笑いアドバイスをする。
 そんな朱理のアドバイスに蒼衣は、どんな表情で返せばいいのか分からず曖昧な笑みを浮かべると小さく会釈して階段へと続くドアを開けた。
 そして、ドアを閉める前にもう一度朱里に向き直ると、口を開く。

「……あの……、朱里さん、僕、今のままで十分ですから。……アドバイス、ありがとうございました。」

 それだけ言ってうっすらとした笑みを浮かべると、蒼衣はドアを閉めた。
 カツン、カツンと蒼衣が階段を上る足音をドア越しに聞きながら、朱里は腰にあてていた手を上げカシカシと頭を掻く。

「あー……、お節介焼きすぎたかぁ。」

 しまったなぁ、と言った表情を隠そうともせず朱里は自分が蒼衣の内面に踏み込みすぎた事を反省する。
 人を寄せ付けない、と言う事は、自分の内面に他人を受け入れない、と言う意味に等しい。
 今まではそれを蒼衣が望んでいない事を重々解っていたので朱里はここまでのアドバイスを蒼衣にした事はない。
 尤も、元々確かに人付き合いは不器用だが、アドバイスを必要とする程の人との付き合いを蒼衣が望んでいなかったという事もあるが。
 あれでなかなか頑固なんだよねー、そんな事を口の中で呟いていると、背後に立つ人の気配に振り返る。

「ありゃぁ、完全にヘソ曲げたぞ。どーすんだ?」

 くつくつとどこかからかいの雰囲気を交ぜた笑い声を低く漏らしながら、朱里の背後に立つ馨がそう言う。
 それに、解ってるわよ、と少し怒ったように返答しながら朱里は視線をまた蒼衣が出て行った扉へと戻した。

「……でもね、蒼衣ちゃんにはもうちょっとわがままになって欲しいの。私達にも、……そして、直輝くんにも。」

 ポツリと呟くように言った言葉に馨は無言で朱里の肩を、まるで同感だ、とでも言うように抱いた。