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NOVEL

Un tournesol 〜深き悩み、加えて、新たなる波乱?〜
03

注意) 女装からの着替え

 二階に上がり、更衣室に入ると蒼衣はその部屋に設えてあるソファに座り、テーブルの上にケーキの乗った皿を置く。
 そして、はぁ……、と溜息を吐いた。
 朱里のアドバイスについあんな言い方で返してしまったが、朱里の言いたい事は蒼衣にだって解っている。
 そして多分、朱里の言っている事は正しい。
 直輝との関係の発展を望むのならば、朱里が言ったように自分からもっと積極的に直輝に遊びの誘いをかけたり、電話をしたり、メールをしたり、そして、今日見たあの友達の事を聞いて自分の中にあるこの不安をぶつければいいと言うのも解る。
 ただ、そうでなくても直輝に対しては自分のわがままで自分の相手をさせているという負い目が蒼衣にはある。そして、何よりも口には出してこそいないがもうすでに直輝に対してかなり依存している自分がいるという自覚が蒼衣にはあった。
 しかも今は直輝の方から頻繁に連絡をくれている。
 蒼衣が会いたい、と思い、そしてそれを言いだす前に直輝からまるで蒼衣の寂しさを見越したように連絡が入り、直輝と遊ぶ約束が取り付けられる。
 それが日常になりつつある為に、蒼衣としては、これ以上自分のわがままに、つまり今以上にもっと一緒に居たい、会いたい、という感情を直輝に伝えていいものかどうかそれが解らない。
 いや、言える筈はなかった。
 もし、今以上に……それこそ毎日のように会いたいだなんて、そんな事は蒼衣の口からは到底言いだせない。
 直輝に嫌われたくない。
 ウザいと思われたくない。
 結局蒼衣が朱里が言うようなわがままを直輝に対して言い出せないのは、その一点がある為。
 そして、物理的にそれが無理だと蒼衣にだって解っている。
 蒼衣は生活の為に週六程度の割合でこのカフェでバイトをしているし、直輝も親の仕送りがあるにも関わらず何故か結構な頻度でバイトをしていた。
 今は特に夏休みと言う事もあり、バイトの拘束時間も学校がある時よりも当然長い。
 そうすると二人が会うのはどうしても夜や、互いのバイトが休みの日か、その前日。
 それを考えると今、こうして忙しい合間を縫って週二〜三回の割合で遊んでいるのだって不思議なくらいだ。
 それに……、と蒼衣は思う。
 自分は今、直輝しか友達と呼べるような相手も、ましてや遊ぶ相手も居ない。だから、忙しいとは言っても直輝の為に時間を割く事はそう大変な事でもなかった。
 だが直輝には自分以外にも沢山の友人が居る。
 蒼衣は今日初めてその友人の一片を見た訳だが、恐らく彼らだけではなくもっと多くの友人が直輝の周りには居るだろう。
 今までは直輝があまり蒼衣に親しい友人の事を話す事が少なかった為、蒼衣はそれ程その存在を気にしてはいなかったのだが、こうしてはっきりと直輝と親しい人間が居る事を認識してしまうと、ひょっとしたら自分の存在のせいで直輝に無理をさせているのでは、と言う申し訳なさと疑念が胸の中に込み上げてくる。
 もしそうならば、自分がこれ以上わがままを言って直輝を拘束してはいけないと蒼衣は思っていた。

「……あの子も、直輝くんに久しぶり〜、とか、メールの返事返せ〜、とか言ってたもんなぁ……。」

 脳裏に順平、と直輝に呼ばれた男の子が口にしていた言葉を思い出しながらそう呟き、小さくまた溜息を吐く。
 そう言えば思い当たる節はいくつかあった。
 蒼衣と遊んでいる最中に割としょっちゅう直輝の携帯はメールを受信したり電話の着信をしていたように思う。だが、直輝は電話に出ても二、三言話をしたら「今手が離せない。」と言ってすぐに切るし、メールもチラリと見ただけで蒼衣の前ではあまりそれに返信している素振りは見せなかった。
 それにいつも蒼衣はなんでだろう、と思っていた。
 だが、それについて直輝に理由を聞いた事もないし、すぐにメール返信しないのはそれが必要ないメールだとか、迷惑メールなのかな、程度で蒼衣も流していた。
 しかし、もしそれらがつまり、全部あの直輝の友人達からの遊びの誘いやなにがしかの連絡だとすれば、蒼衣としては何とも言い難い申し訳なさが胸の中に満ちて行く。
 勿論蒼衣は、直輝が蒼衣を優先している、なんて事には全く思いがいかない。
 寧ろその逆で、直輝が蒼衣と遊んでいる最中に来る友人達からの連絡にすぐ対応しないのは、蒼衣が女装癖を持つ変態で男とのセックスに慣れている男だから、直輝の友人達に蒼衣の存在が少しでも知れる事を忌避しているのだと、そう受け取っていた。
 だから、申し訳ない、という感情が強く胸の中に渦巻く。

「……僕がもっと普通の男だったら、良かったのに……。」

 今更後悔しても仕方ないとわかってはいても蒼衣は後悔する。自分自身の生き方を、性癖を。
 勿論蒼衣のあの不幸とも言える生い立ちは蒼衣自身のせいで形成されたものではない。寧ろ蒼衣は被害者だ。
 だが、蒼衣自身は自分が被害者だと言う意識はあまり持っていなかった。
 それはやはり、最終的にあの生き方を選んだのが自分だと言う気持ちがあったからだった。
 過去の施設での事やその後、あの弁護士や柳内夫婦に知り合うまでの自分を思い出し蒼衣は小さく頭を振る。そして、今までよりも深い溜息を吐いた。
 ふと視線をテーブルの上に戻し、そこに置いていたケーキに目が止まる。
 小さな白い皿の上に色鮮やかな赤いソースと、ブルーベリーなどのフルーツ、そして中央に置かれているピンクのムースと白いムースの層でできている美しいケーキに少しだけ沈んでいた気持ちが癒されたような気持ちになった。
 改めて皿の端に乗せていたケーキ用のフォークを手に取ると、蒼衣は心にわだかまる黒い影を払うようにケーキの端を切り取り口の中に入れる。
 ふわりと優しい甘さが口の中に広がり、少し酸っぱい木苺のソースが舌の上に刺激を与えた。

「わぁ……っ、美味しい。」

 思わず沈んでいた表情に、ぱぁっと明るい笑みが広がる。
 やっぱり朱里さんはこーいうの作るの上手いなぁ、そんな事を思いながらさっきまで悩んでいた事を振り切るように蒼衣は次々に口の中にフォークで一口大に切り取ったケーキを放り込み頬張っていく。
 口の中に広がる甘さがゆっくりと蒼衣の心に広がっていた不安を溶かしていくような気がする。
 ぱくぱくと食べ進め、あっという間に小さな皿の上にあったケーキは姿を消した。

「はぁ……っ、美味しかったぁ……っ。」

 カタン、と小さな音を立てて握っていたフォークを皿の上に置くと、蒼衣は満ち足りた溜息を吐く。
 そしてうっとりと瞳を細めて笑った。

「……さ、少し元気も出たし……、今日はどうしようかなぁ。」

 背中をソファの背もたれに投げ出して蒼衣は天井に視線を投げる。
 多分直輝くんはさっき来た友達たちと遊ぶだろうしなぁ、そんな事を思いながら天井の目を数えてみる。
 うーん、と小さく唸り、頭を捻るが直輝と一緒でないなら特にどこかに行く用事もないし、と言う当たり前な結果に落ち着いてしまった。

「仕方ないか、まっすぐ帰ろ。」

 最近家の事真面目にしてないしな、そう口の中で続きを呟くと、蒼衣はうーんっと背伸びをした後、ソファから立ち上がる。
 そして、よし、と自分に対して気合いを入れると蒼衣は、身に着けているメイド服を脱ぎにかかった。
 背中に手を回しひらひらのレースエプロンの紐を解く。それを綺麗に畳んでソファの上に置くと、今度はメイドドレスの背中のファスナーに手を伸ばし、ジッ……ッ、と微かな音を立ててそれを下した。
 するりと肩を抜き、ストンっとメイドドレスを足元へと落とす。
 微かな衣擦れの音を残しながら足を抜くと、そのまま蒼衣は部屋の端に置いてあるロッカーへと歩いていった。
 ガタガタと音を立てて少し立てつけの悪いロッカーの扉を開けると、その中からいつもの自分の服を取り出す。
 味気のない地味なTシャツと、ジーンズ。そして、男物の下着、靴下。
 それを手に取りまたソファのある所へと戻る。
 ソファの上にシャツとジーンズ、下着を置くと、蒼衣は慣れた手つきで身に着けている女物の下着を外し、今度は順繰りに男物の下着、ジーンズ、シャツと身に着けて行く。
 そして全てを身に着け終わると、蒼衣はふぅ、と一つ溜息を吐き、ツインテールに結んでいた髪も解き、いつものように大雑把に後ろでひとくくりに結んだ。
 その後はソファの上に広げているメイド服を手に持ち、それらをロッカーへと運んで中へと収め、全部を収めきると、今度はボディーバッグを取り出しその中からメイク道具の入っているポーチを取り出した。
 そして手を伸ばしてロッカーの上の段に置いてある置き鏡も手に取って、それらを持ってまたソファへと戻る。
 ソファに腰を深く下ろすと、テーブルの上にあるケーキの皿を脇に寄せ置き鏡を置く。そしてポーチの中から化粧落としを取り出すと、鏡を覗き込みながら丁寧に蒼衣は化粧を落とした。

「……はーっ、さっぱりしたぁ。」

 全ての化粧を落とし、素ッピンになると蒼衣はほっとしたような溜息を吐く。
 女装するのは好きだが、やはり素ッピンで男の恰好をしている方が色々と気を使わないで良い分落ち着くのは仕方ない事だ。
 女として振舞う必要のなくなったこの瞬間に安堵の息を漏らしながら、蒼衣はもう一度、うーん、と背伸びをした。
 体中に蔓延していた緊張感を解き、『男』に戻った瞬間をしみじみと感じる。
 暫くそうして体のコリを解すように、腕をぐるぐる回したり、首を回したりして体のそこかしらに残る緊張感をこそぎ取ると蒼衣は漸くソファから身を起こした。
 そのまままたロッカーに向かって歩き、ロッカーの中に置いてあるコンタクトのケースを手に取るとロッカーに備え付けてある鏡を見ながらコンタクトレンズを瞳から外しそれをケースの中に収める。洗浄液で満たしたそれをロッカーの上の段に置くと同じ場所に置いてあった眼鏡を手にして顔にかけた。
 漸く本当の意味で、『日向蒼衣』に戻った蒼衣はもう一度ホッと溜息を吐きながら、帰る為にロッカーの中に入れっぱなしにしていたボディバッグを掴み取り出す。
 しかしさっきメイク道具を入れていたポーチを取り出した時にファスナーを開けっ放しにしていたせいで、その開け口からバラバラと鞄の中身が床の上に零れて行った。

「あっ……っ! あー……あぁっ。」

 財布や、ハンカチ、携帯電話などがバラバラと零れて行くのを、蒼衣は呆然と見下ろし、情けない声を上げる。反応が追い付かず、鞄の中のあらかたの物が床の上にぶちまけられた後、蒼衣は小さく自分の間抜けさを笑うような自嘲気味な溜息を吐くと、しゃがみこんだ。
 一つ一つ手を伸ばして拾い上げ、鞄の中へと戻していく。
 その手が、携帯電話に伸ばした所で止まる。
 携帯の表面にあるランプがチカチカとメールの着信を知らせて光っていた。

「あれ……? メール?」

 そう呟くと、一旦止めていた手を携帯へと伸ばし拾い上げる。
 二つ折りのそれをかぱっと開き、ディスプレイの表面に表示されている「メール:一件受信」という文字を見た後、ボタンを押してメール画面を開く。
 そして、発信元の名前を見て蒼衣の瞳が明るく輝いた。

「あ、直輝くんからだ……っ。」

 思わず嬉しそうな声が漏れる。
 だが、すぐに少しだけ表情を硬くすると、恐る恐るメールを開いた。
 てっきり今日は遊べない、また今度、と言った文面が目に飛び込んでくるのだと蒼衣は思い、覚悟を決めてメールの本文へと目を落とす。
 しかし、メールの本文には、簡潔に、「Cafe'KUUにバイト終わったら来い。場所は、○○町三丁目、目の前に映画館がある。来たらダチ紹介する。」それだけが書かれていた。
 蒼衣は一瞬その文面の意味が理解できなくて、視線ばかりがメールの文面を上滑りしていく。
 何度も何度も読み返した後、直輝からの思いもしない言葉の意味が漸くじんわりと蒼衣の頭の中に入っていき、表情が嬉しさを隠しきれないものへと変わった。
 まさか直輝くんからそんな言葉を聞ける日がくるとは思わなかった、そんな感情をありありと表した表情で、もう一度自分の読み間違いじゃない事を確かめる為にメールを小さく口に出して読む。

「――ダチを、紹介する……、かぁ。……えへへ……っ。」

 さっきまでの暗雲とした気持ちが一気に晴れ、蒼衣は手の中にある携帯を大切そうに愛しそうに胸に抱きこむと、照れたように微笑んだ。
 もう、なんで直輝くんってこんなに人を喜ばすのが上手なんだろう、そんな事を胸の中で呟き、幸せそうにもう一度、えへへ、と笑って見せる。
 胸の中にある携帯をそっと顔の前まで持ってくると、そこに映し出されている文面をもう一度目で追い、そっと「ダチを紹介する。」の部分を指先でなぞった。
 何度かそうして確かめる様になぞった後、蒼衣は、よしっ、と呟いて携帯を折り畳むと、床の上に散らばった荷物を急いでかき集め、鞄の中へと放り込む。
 そしてその鞄を肩へとかけると、テーブルの上に置いていたケーキの皿を手に更衣室を後にした。トントン、と軽やかな足取りで階段を下り、喫茶店の厨房へと続くドアを開ける。

「朱里さん、ご馳走様でしたー。美味しかったです。」

 ひょこっとドアから顔をのぞかせ、中で調理をしている朱里にそう声をかけた。
 すると蒼衣の声に朱里が顔をこちらに向ける。
 そして蒼衣の顔を一瞬少しだけきょとんとした顔で見た後、朱里は満面の笑みになった。

「そう? それは良かった。お皿、そこに置いといていいわよ。」
「あ、はい。えと、それじゃ……お先に失礼します。」
「はい。お疲れ様。……直輝くんと楽しんできなさいねー。」
「……え?」

 朱里の表情に蒼衣も笑顔で返し、言われたとおりに皿をドアの傍にある棚の上に置く。そして、改めて朱里に挨拶をして、ぺこりと頭を下げるとドアを閉める。
 しかしそのドアが閉まる直前、朱里の明るい声でまるで今から直輝と会う事を見透かされたような事を言われて蒼衣は閉まっていくドアに驚いたような声を投げかけた。
 だが蒼衣のその声は朱里には届く事はなく、ドア越しに馨の注文を通す声と、朱里の明るい返事が聞こえて来て蒼衣はまたドアを開けて朱里の言葉の意味を確かめるのを諦める。
 少しの間曇りガラスの嵌めこまれているドアを見ていたが、蒼衣は小さく苦笑を織り交ぜた溜息を吐くと、踵を返し、柳内家の玄関に向かって行く。裏通りに面するその正面玄関をそっと開け、周りに人がいない事を確かめると蒼衣は玄関から外へ出て、鞄の中から数個の鍵が付いているキーホルダーを出すと柳内家の玄関用の鍵をカギ穴に挿して施錠した。
 そして再度辺りを窺い、人気がないのを見計らうと蒼衣は小さな庭を通り抜けて門扉を開けて道路へと出る。そのまま、軽やかな足取りで大通りへと続く裏道を駆けて行った。




 勇は腕に巻いている腕時計を見て時間を確かめる。
 四時十五分。
 二時過ぎにこのカフェに訪れてから、ゆうに二時間は経っていた。待ち人が来る時間がおおよそ解っているとはいえ、一か所に二時間以上もこうして居続けると流石にする事も話す事もなくなり、段々と待つ事自体が苦痛になってくる。
 とはいえ、元来のんびりとした気質の勇にとっては人を二時間以上待つと言う事自体は大したことではなかったのだが。
 ただ、勇の隣に座っている順平のイライラがそろそろ爆発しそうで、勇はちらりと順平へと視線を向ける。
 順平はつまらなそうな面持ちで、あらかた飲み終わった何杯目かのコーラフロートに挿してあるストローを口に咥え、ぶくぶくとそこに息を吹きいれていた。
 溶けかかった氷がその息に煽られ、小さな音をガラスのコップの中でまるで順平の感情を現しているようにいらだたしげに奏でている。
 そんな順平を横目で見た後、今度は目の前に座る直輝へと視線を戻す。
 直輝は直輝でむすっとした顔つきでカフェに設えてあるブックスタンドから取って来た漫画雑誌をめくっていた。
 この状態でかれこれ一時間。
 順平の言葉で気分を害してしまったらしい直輝は、こうしてあれから何をしゃべるでもなく自分の思考の海に沈んでいる。雑誌を読んでいるのはあくまでもポーズだ。その証拠に、その雑誌は何度も何度も最初から最後まで直輝の手の中でめくられ続けていた。

「……ね、日向くんから連絡ナイの? そろそろバイト終わってるよネ。」

 先ほど直輝が言った蒼衣のバイト終わりは、四時。
 その時間を十五分過ぎていても、テーブルの上に放り出されている直輝の携帯は未だメールも着信もなかった。
 それが解っていながら、勇は直輝にそう話を振ってみる。
 すると直輝はふっと視線を上げて勇を見た後、すぐに視線を携帯へと落とす。

「……だな。」

 そして携帯の表面に着信やメール受信を知らせるランプが点いていない事を確かめた後、短く同意の言葉を口にした。
 そんな直輝の顔を頬杖を突いた格好で勇は覗き込む。

「……んだよ。」
「……日向くんってさ、連絡マメな方?」
「?」

 好奇心に溢れた瞳で顔を覗きこまれ、直輝は少し不機嫌そうにその真意を問う。
 するとくるりと悪戯っぽく視線を回した後、勇はそんな事を直輝に尋ねた。その質問の意味が解らず直輝は膝の上に置いていた漫画雑誌を閉じると、テーブルの上に乱雑に放り投げ、勇に疑問符を浮かべた視線を投げかける。
 それを見て勇は、にこりと笑った。

「直輝ってさー、基本自分から人を誘ったりしないジャン? だから日向くんから遊びの誘いを俺達が遊びに誘うよりも早く、しかも高い頻度でしてるのかナーって、思って。」
「……っ、それは……。」

 にこにこと悪気なく聞いている風を装って鋭い事を聞いてくる勇に直輝は思わず絶句し、どう答えていいものか考えあぐねる。
 勇に突っ込まれて初めて気がついたが、そう言えば蒼衣からは滅多にメールや電話が来た事がない。大抵直輝から電話をしたりメールをしたり、今日のようにバイト先に出向いてそこで遊びの約束を取り付ける。確実に蒼衣からメールや電話を直輝にする必要がない程に、頻繁に、それこそ、マメに。
 その事に思い当たると、直輝は目の前で探るように見ている勇の瞳をまともに見れなくなった。

「……ん、いや、その……、ん、大体は、俺から、だな……。」
「へー、珍しいね、直輝がそんな積極的に動くなんて。」

 視線を軽く勇から外し、照れ隠しのようにテーブルの上に置いてあるコーヒーのカップに手を伸ばし、すっかり冷え切ってしまっているそれを口に運びながらそう言い訳めいた口調で勇の質問に答える。
 それに勇は目を丸くすると、本当に驚いたように直輝の行動を珍しいと口にした。
 実際、勇は驚いていた。
 基本直輝は男には冷たいし付き合い方も淡白だ。いや、男だけにではなく、女に対しても基本付き合いは冷たいと言うか、淡白ではあるが、男相手ならそれは尚更顕著だった。
 それが幾ら新しいダチで真新しい物珍しさのようなものがあるとはいえ、日向蒼衣、と言う一個人に対して直輝がここまで積極的に遊びの誘いをかけていることが勇には本当に意外だった。

「……ひょっとして、直輝、そのコに結構ご執心?」

 からかいの色を含めて勇はにっこりと笑ってそう続けると、直輝にしては珍しく戸惑ったような表情をする。
 それにまたもや、おや?、と思い、勇は自分の言葉が直輝にとって図星だった事を知った。
 あの直輝がねぇ、そう感心した気持ちになりながら、勇はますます直輝の新しいダチと言う、日向蒼衣、という男に興味を持つ。
 そんな勇の関心を知ってか知らずか、直輝は瞳を落ち着きなく左右に揺らした後、突然ぶすっとした表情になると、テーブルの上に置いてある勇の煙草へと手を伸ばす。しかし、その中が当の昔に空になっていた事を思い出すと、小さく舌打ちをした。

「煙草買ってくるわ。」

 低く不機嫌な声で直輝はそう言い残すと、席を立ち、勇と順平を残したままレジへと向かう。そこで店員と二、三言葉を交わした後、直輝は店を出た。
 そのままガラス越しに勇と順平の視線を受けながら、直輝は恐らく先ほどの店員に教わったらしい煙草の自販機がある場所へと歩いていく。店の前を横切り、そして、店の先にある角を曲がったらしく姿が見えなくなった。

「……なぁんか、直輝らしくねぇよなぁ……。」

 直輝の姿が完全に見えなくなったせいか、順平はストローから口を離すとありありとした不満を表に表して腕を頭の後ろで組みながらそう呟く。
 それに勇は小さく笑い、そうだね、と同意を示す。

「まぁ、でも少し人間らしくなったんじゃない? 直輝ってさ、あんま人に執着とかしないから俺としてはこの変わりようは嬉しいヨ。……それに。」

 そこで一拍置いて勇は悪戯っぽい顔を順平へと向ける。
 勇の悪戯っぽい視線に、順平が首を傾げると勇は口を開いた。

「ふふ……、俄然、俺も日向蒼衣って子に興味が湧いてきたナ〜。どんなコだろう。俺の好みのタイプだと嬉しいんだけどネ〜。これから会うのがすっごい楽しみダヨ。」

 語尾に音符マークがついているような楽しそうな声で、勇は瞳を細める。
 それに順平は、あちゃぁ、と言う気分になった。
 勇がこうして過剰な興味を人に対して持つのは実は直輝よりも珍しい。基本、勇は誰に対しても人当たり良く、優しく、平等だが、それはあくまでも表面上のものだ。勿論、優しいのも人当たりが良いのも平等なのも勇の本心ではあるし、事実その通りの人間でもあるのだが、裏を返せば誰に対しても同じで、一人ひとりに対して興味を持っていない事と同義でもあった。
 その辺りは長い付き合いのある直輝と似ている、と順平は思っている。
 そんな勇が他人に対して、“興味を持った”と公言する事自体珍しいし、こうしてまだ見ぬ相手に対して“興味を持つ”と言う事も酷く珍しい。
 しかも、その“興味”の持ち方が、普通一般とはかなり違う。
 勇が興味を持つ、と言う事は、その相手に対して過剰な好意を示す事と同義だ。
 そして過剰な好意は時として、過剰なスキンシップをするぞ、と言う意思表示の表れでもあった。しかも相手の内面にもどんどんと踏み込んでいく。良く言えば社交的で、親切。悪く言えば男相手でもセクハラ好きのお節介。気に入った相手にはとことん優しくもするし、甘やかすし、その手の内に抱きこむ。
 実際、勇は人間的には大人だし、良い人、と言っても差支えがない位人は良い。金払いも良いし、太っ腹。
 だがその程度が問題だった。
 勇が一人の人間を気に居ると、それは、相手の感情、迷惑無視のスキンシップ地獄に巻き込まれてしまう。
 とかく勇と言う男は、人と触れあうのが好きなようで、何かあると頭を撫でる、抱きしめる、肩を抱かれる、そして、下手をすればキスをされる。
 勇が好きな女の子であればこれはかなり嬉しい事なのかもしれない。
 しかし、問題はその“スキンシップ”の相手が“男”に限られる事。
 何故か女の子相手にはこの“興味”も“好意”も“スキンシップ”も発動される事がない。
 勇いわく、女の子相手にこの“興味”を発動すると、シャレじゃ済まなくなるから、だそうだ。
 高校時代からでしか順平は勇の事は知らないが、それでも確かに勇は付き合った女の子相手にはそれ程過剰なスキンシップを図っている所を見た事がない。勿論、二人きりの時には濃厚なスキンシップは図っているのかもしれないが、順平が見るのは常に男相手に過剰なスキンシップを繰り返す勇の姿だけだ。
 そしてそのせいで順平は今まで散々勇に迷惑を掛けられていた。……ちなみに順平は高校時代〜現時点まで友人内での勇の“お気に入り”キャラランキング一位だ。
 お陰で高校時代からこっち、すっかり周りに順平と勇は“夫婦”、“カップル”、“凸凹コンビ”だなどと不名誉なあだ名をつけられている。
 勿論誰もが本気でそんな風に思ってはいないのは解ってはいる。勇はこの人当たりの良さとルックスで直輝以上に女の子にモテるし、順平は勇の高校からではあるが、歴代の彼女はほとんど知っている。
 だから、勇がそっち系ではない事も承知の上だ。あの“スキンシップ”も、そして、ホモネタも、あくまでも勇にしてみれば軽い冗談の範疇なのだ。
 だが、だからと言って冗談だとしても勇の濃厚なホモネタに付き合わされるのは順平にしてみればいい迷惑以外の何物でもない。
 その事を思い、まだ見た事もない日向蒼衣という男に対して、順平の心に少しばかり同情の気持ちが湧き上がった。
 だが、すぐに順平は思いなおす。
 ここで自分から日向蒼衣という男に勇の関心が移れば、もうあのセクハラすれすれなスキンシップを受けなくてすむんじゃね? ついでにこれで直輝が日向蒼衣に呆れれば、また前みたいに自分達と遊ぶようになるんじゃね? 思わずそんなよこしまな事を考えてしまう。
 が、しかし。

「……順平ちゃんサー、あわよくば俺を日向くんに押し付けようトカ、今思った?」

 順平の考えを見透かしたように目の前で勇がにっこりと笑顔を浮かべながらそう順平のよこしまな心に釘を刺す。
 勇の言葉にギクリ、と体を竦め、順平は引きつった笑顔を勇に向けた。

「え? や、まさか……はは……、押し付けるも何も……、あ、直輝帰って来たぜ!」
「……話を逸らさな〜い。もう、順平ちゃんったら俺がこんなにアイシテルってのに、いつまで経ってもつれないよネ〜。」
「ばっ……っ、だから、そーいう冗談ヤメロよ! お前が言うと笑えねーンダヨ!! そして離せーっ!!」
「……何してんだ、お前ら。」

 勇の鋭い突っ込みに順平は見え見えの愛想笑いを浮かべ、話をはぐらかそうとする。だが、そんな順平に勇は拗ねたように唇を尖らせると、わざとらしくぎゅーと抱きつき、片言の言葉でアイシテル、なんて口にした。それに対し順平は顔を引きつらせると、勇の抱擁から逃れようと両腕を目一杯突っ張り勇の体を押す。
 はたから見ていると仲が良い友人同士のじゃれあいに見えるそれに、煙草を手にして帰って来た直輝が呆れたように声をかける。
 それに順平は助けを乞うような視線を向け、勇はにっこりと笑い返した。

「直輝〜〜ぃ。」
「愛の確認?」
「……なるほどな。」

 哀れを誘うような声で直輝に助けを乞う順平と、対照的に晴れやかな笑顔で直輝にいけしゃーしゃーと言い放つ勇に、直輝は苦笑を隠そうともせず口元を歪ませた後、いつものやりとりと受け取り頷く。相変わらず仲の良い事で、そう直輝は苦笑のまま二人にそう呆れたように言い放った。
 直輝の態度と言葉に、更に順平が情けない顔になるが、それには関知せず、直輝は元の席に戻ると煙草の箱を開け中から一本取り出すと口に咥えた。
 火をつけようとテーブルの上にあるライターに手を伸ばしたが、直輝の手がそれに触れる前に勇がそれを奪うと直輝の煙草の下へと持っていき火を点ける。
 まるでホストのように流れるような仕草で行ったそれを直輝は小さく苦笑した後、煙草を軽く吸って先端にライターの火を移す。緩く紫煙が上がればすぐに勇の手は引き、何事もなかったかのようにテーブルの上にライターは戻された。

「そいやさ、直輝。」
「ん?」

 煙草を口の端に咥えたまままた雑誌へと手を伸ばした直輝を制止するように勇が声をかける。
 それに瞳を持ち上げ、片眉をひょいっと上げて短く返答すると勇はテーブルの上に放り出されたままになっている直輝の携帯を指さした。

「日向くんに連絡入れたら?」

 言外にまだ蒼衣からの連絡がない事をほのめかし、勇がそう提案すると直輝は少し渋る様な表情をする。
 そして勇が指さしている携帯を手に取ると、じっとその表面を見詰めた。

「流石にもうバイトは終わってるよね?」
「ん、だろうなぁ……。」

 携帯を見詰めている直輝に更に一歩進んで勇が言うと、直輝の顔が更に渋いものへと変わる。
 確かに携帯の表面に浮かんでいる時刻はすでに四時半を少しばかり過ぎていた。幾ら蒼衣がメールや電話での連絡をあまり直輝にしないとはいえ、待ち合わせに遅れたりする場合や、返信が必要だと感じたメールなどにはこまめに返信はしていた。ダチを紹介する、と言うメールを送って、もし蒼衣がそれを見たのであれば何らかの返信があっても可笑しくはない筈だ。それに、あのバイト先に限ってお客が突然大量に来店するとは考えにくい。もし、万が一大量に客の来店があったからと言っても、あの蒼衣にとことん甘い馨と朱里がいつまでも蒼衣に時間外労働をさせるとも思えなかった。
 暫くそんな事を考えながら直輝が携帯を見ていると、突然その携帯が震え始めた。
 ブブブブブ……、そんなバイブレーター特有の音を立てながら直輝の手の中で、誰かからの着信を告げる。
 驚き、直輝が二つ折りされている携帯の表面にある小さなディスプレイに目を落とすと、そこには『蒼衣』の文字がくっきりと浮かんでいた。

「電話? 日向くんから?」
「あ、あぁ……、ちょっとすまん。」

 携帯を見る表情が微妙に変わったせいだろうか。勇が直輝の携帯を興味津々と言った顔で覗き込もうとする。
 だが、直輝はまるで勇から携帯を隠すように手の中に入れると、ソファから立ち上がった。
 そしてそのまま早足でカフェの外へと出て行く。

「……なぁんで出て行く必要があんだよ。」
「……さぁねぇ〜。」

 カフェの出入り口の横で電話に出た直輝をガラス越しに見ながら順平は不平不満をありありと顔に出して頬を膨らます。それに勇はどこか含んだような笑みを口元に浮かべると、直輝が置いて行った煙草の箱に手を伸ばしそこから勝手に一本取るとライターで火を点けゆるりとふかした。
 チラリと視線をガラスの向こうに向けると、ちょうど直輝が電話を切ったところだった。
 だが直輝は店の中に戻ってくる事なく、きょろきょろと辺りを見渡した後、目の前の道路を車が来てないのを良い事に小走りに渡っていく。

「おいおい〜、直輝どこ行くんだよ。」
「……あのコかな。」
「え?」
「ほら、道路の向こう。映画館の傍でキョロキョロしてる髪の長いコいるっショ? あれが、日向くんじゃないの?」
「ん? ……ん〜〜? どこ?」
「あそこ。映画館の小さな看板の横。背の高い男のコ居るっショ?」

 突然どこかに向けて走っていってしまった直輝に順平は顔をムッとさせるとぼやく。
 するとガラス越しに直輝の行動を目で追っていた勇が、煙草の煙を吐き出しながら小さく呟いた。それに順平が怪訝な顔で返すと、勇は瞳を細めて笑みの表情を作ると、煙草を持っている方の手でガラスをコンコンと叩き、順平に自分の目に見えている光景の説明する。
 勇の説明通り、道路を渡った先にある小さな映画館の横でキョロキョロと誰かを探しているようなひょろりと背の高い男が一人居た。
 それを漸く順平が見つけた頃には、道路を渡りきった直輝が一直線にその男へと歩いて行くのが目に入る。

「……何、あれ。なんか、直輝、なんであんな笑顔なワケ?」

 直輝は一直線にその背の高い男の元へと向かうと、勇や順平に見せるのとは明らかに違う笑顔をその相手へと向けていた。その態度だけ見ても、その背の高い男が日向蒼衣だと言うのが順平にも解る。
 途端に順平の感情がイラついたものへとなる。
 さっきまで自分達と居た時の直輝はあからさまに不機嫌な様子だった。ぶすっとしていたし、口調も淡白なものだ。
 しかし、今直輝が蒼衣と思われる男に向けている表情は、笑顔、だった。
 視線を改めて直輝の方へと向けると、直輝が蒼衣の元へと駆けつけ、こちらを指さしながら何か喋っている。
 だが、見れば見るほど直輝の蒼衣に向けるその表情が、順平には納得がいかない。
 直輝の今までの歴代彼女にも見せた事のないような笑顔と、そして、何か言い訳をするような素振り。
 ガラス越しで、ましてや道路を挟んだ先でやりとりされている事など当然順平に声が届く訳でもない為何を話しているのかは解らない。それでも、順平には直輝が相手にデレデレしているように見えてとても不快だった。
 そんな順平を横目で見、苦笑をすると勇は手を伸ばして憮然としている順平の頭を撫でる。

「っ、なんだよっ!」
「妬かない、妬かない。順平ちゃんには俺が居るデショー?」

 からかいが半分混ざった声色で勇は瞳を細めながら憤る順平の頭をかいぐりかいぐりと撫で続けた。
 それに順平はますます臍を曲げたように唇をへの字に結ぶと、乱暴に頭にある勇の手を振り払う。

「べっ、別に、妬いてなんかねーよ! ただ、あんな直輝、らしくねーじゃん。なんだよ、なんであんな男にヘラヘラ笑ってるんだよ……っ。納得いかねーっ。」
「そう? 俺的にはあんな直輝もアリだけどネー。年相応って感じで可愛いジャン。」

 唇を尖らせてガラス越しに見える直輝の態度に悪態を吐く順平に勇はその神経を逆なでしない程度の忍び笑いを零し、煙草をふかしながら蒼衣に見せる直輝の態度を肯定する。
 チラリとまた視線をガラス窓の向こうに投げれば、相変わらず直輝は恐らく日向蒼衣だと思われる男に笑顔を振りまいていた。
 それを見て、勇は、あぁ、なるほど、と自分でも何がなるほどなのかわからないが妙な納得と感心をする。
 だが、その耳に順平の不機嫌な声が届き、視線を戻すと、順平はこれ以上にない位、瞳を釣り上げて勇を睨みつけていた。

「オメーの意見なんざどうでもいいんだよっ! とにかく、あの直輝はらしくねぇっ! 俺は認めねーからなっ!!」
「……認めないって、何を。」
「っ、だから、日向蒼衣って奴の……っ。」
「……まぁ、順平ちゃんが認めようと認めなかろうと、直輝は日向くんとの付き合いは止めないと思うけどネー。あれ、どう見たって相思相愛ジャン?」
「っ、うっさいっ!!」

 子供が駄々をこねているような理不尽な順平の言葉に勇は苦笑を浮かべると、さらっとごく当たり前の事を口にし、ガラスの向こうに映る光景を指さす。途端に順平の顔にさっと朱が入り、行き場のない憤りに唇を噛み締めた。
 ガラスの向こうで展開されている光景は、順平にとってはあまりにも受け入れがたいものだった。
 こちらに足早に近づいてきている直輝は笑顔を蒼衣に向けなにかをしきりに話しかけている。そして、直輝の隣で、直輝に話しかけられている相手もまた楽しそうな嬉しそうな笑顔を直輝に向けていた。
 はたから見てもそれはとても仲睦まじい様子で、相当二人は仲が良いのだろうと窺わせるものだった。そう、まさに今、勇が言ったように“相思相愛”と言う言葉がぴったりと当てはまるように。

「あれは入り込む隙、なさそうだしネー。」

 視線を窓ガラスへと向け、勇はそう順平にとっては聞きたくない感想を漏らす。
 勇の感想に順平はますます悔しそうに唇を噛み、視線を窓ガラスから逸らすとイライラとした仕草でストローを口にした。
 ズズッ……と、氷が溶けてグラスの下に溜まっていた水を吸い上げる音が勇の耳に届く。
 それを聞きながら、勇はこっそりと苦笑した。
 順平の直輝への執着と独占は今更始まった事じゃない。
 友人と言う枠を超えて順平は尊敬の念を直輝に持っている。寧ろそれは盲目的な信仰だった。元々順平は直輝がボクシングをやっていた頃からの直輝のファンだ。中学時代、すでにボクシングの少年部門では知らぬ者のいなかった直輝。その直輝に憧れ、順平は直輝が受験をする高校に進学する事を決めたらしい。そして直輝が高校に入ってから怪我が原因でボクシングを辞め、そして友人となった今も、こうして順平は直輝を尊敬し信奉し続けている。
 その辺の経緯も勇は全て知っている為、順平のこの過剰なまでの直輝への尊敬を鼻で笑う事も、無下にする事も出来ない。
 だが、とも思う。
 流石に直輝の新たな交友関係にまで嫉妬をし始め、それに対して異を唱えると言うのは『友人』とは到底言えないだろう。――親でも、まして恋人でもないのだから――。

「順平ちゃんもサ、そろそろ本気で直輝から卒業したら?」

 多少の意地悪を込めてそう隣でぶすくれている順平に勇は煙草の火を揉み消しながら言う。
 勇の言葉に順平は怒ったように顔を歪める。

「卒業ってなんだよ? 意味ワカンネェ!」
「直輝以外にも目を向けたら、ってコト。そんなんだから、マコちゃんにフられちゃうんだヨ。」
「っ! 今、マコの事はカンケーねーだろっ!」

 反論するつもりで返した言葉に、思いもしなかった痛い所を突かれて順平は怒りで顔を紅潮させ言い返す。
 だが、そんな順平に勇は少しばかり冷ややかな視線を送ると、氷がすっかり溶けてしまっているメロンフロートが入っていたグラスに口を付ける。そして、残っている氷が溶けて出来た水と、薄く残っていたメロンソーダの混ざった水を口に含んで飲み込む。

「……まぁ、順平ちゃんが直輝を好きなのは別に構わないヨ。でもさ、順平ちゃんは直輝のナニ? 俺は直輝の交友関係はもっと色んな形があってもいいと思ってる。その形に口を挟む権利や立場にあるの、順平ちゃんって?」
「っ……っ。」

 勇の冷ややかな視線と、言われた正論に順平は言葉を失う。
 勇の言うとおり、順平にだって直輝の交友関係に口を挟む権利や、ましてやそんな立場にあるなんて思ってはいない。
 だが、それでも。
 それでも今回の直輝の新しい友人と言う男の存在が順平にとっては、今のこの段階でも何故かどうしても受け入れないのだ。
 だが、だからと言って勇にこれ以上反論する事は順平には出来なかった。自分でも説明のつかないこの感情に順平自身、戸惑っているのだから。
 胸の中に溜まる不満と憮然とする思いを順平は唇を噛んで、必死になって飲み込んだ。