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NOVEL

Un tournesol 〜深き悩み、加えて、新たなる波乱?〜
04

注意) 特になし

 「わりぃ、待たせたな。」

 さっきまでとは打って変わった落ち着いた声で順平達に声をかけ、ソファの奥へと腰を下ろす。
 そしてその後を着いてきた蒼衣を見上げると、蒼衣、とその名を呼び仕草で隣を指し示しそこに座るように促した。
 直輝の口から蒼衣の名前が出ると一斉に勇と順平の視線がどこか所在なさそうに立っていた蒼衣へと向けられる。
 蒼衣は二人の視線に晒され、少し困ったように眉尻を下げたが直輝に促されるままソファに座った。
 遠目で見ていた時よりも華奢で大人しそうな印象の蒼衣の顔を勇は見ながら、一瞬何とも言えないデ・ジャヴュを感じる。どこかで見た事のある様な、そして、胸の奥に小さくしこりのような詰まった感じを覚え、勇は目を瞬きながら一体どこで見たんだっけ、と記憶をゆっくりと手繰ろうとするが、だが、それはすぐに現実へと引きもどされた。

「あ、あの……、その……、お、お邪魔、します……。」

 直輝の隣に腰掛けると、妙な雰囲気が漂っている勇と順平に向けて頭をペコンと下げながら緊張が絡んでいる、男にしては少し高めの声でそう二人に声をかける。その声に勇は記憶を掘り下げる事を一時中断すると、改めて蒼衣の顔に視線を戻した。
 蒼衣は緊張に顔を強張らせ、俯き加減で瞳をキョロキョロと落ち着きなく彷徨わせている。それは恐らくまるで値踏みするように順平に凝視されている事にどう反応していいか戸惑っているのだろう。

「あー……、こいつがさっき話した日向蒼衣な。で、蒼衣。こっちのデカイのが近藤勇(こんどう ゆう)。で、こっちのチビが壬生順平(みぶ じゅんぺい)。紹介以上。」

 蒼衣がちょこんと体を縮めてソファに座ったのを目の端で確認すると、直輝がそう口を開く。
 だがあまりに簡潔に名前だけの紹介に蒼衣は少しだけ困ったように小首を傾げると、ちらりと視線を勇と順平に走らせた後、もう一度ぺこんと頭を下げて小さく掠れた声で、日向蒼衣です、と自分の名前を二人に告げた。
 しかしそれ以上の言葉は緊張から口にする事が出来ず、丁度ウェイトレスが運んできたコップを手に取ると、掠れた声でコーヒーを注文し、その後すぐに緊張で乾いてしまった唇をその水で潤した。少しだけ口に含み、ゆっくりと飲み干す。だが、その程度の水の量では干乾びてしまった喉も唇も大して潤う事はなかった。緊張はますます増し、ごくごくと水を飲む。
 そして、水を飲んでいる最中も、目の前に座る順平の視線がとても痛い。
 チラリと上目使いに順平へと視線を向けると、順平は憮然とした表情で蒼衣を睨みつけた後、ふいっと視線を蒼衣から背けた。
 そんな順平の態度と敵意に蒼衣は困ったように眉尻を下げ、どうしよう、と思う。もっと何か自己紹介的なものを言った方が良いのは蒼衣にも解ってはいたが、名前を伝えた後一度口を噤んでしまった為になかなか上手く口を開くタイミングが掴めなかった。
 しかも未だ喉はからからで、コップ一杯の水を飲んだと言うのに、唇も乾いたままだ。
 おろおろと視線を彷徨わせていると、順平の隣に座っている勇と今度は視線が絡まる。と、勇は緊張している蒼衣に向けてどこか馨と似通ったような人当たりのいい笑みをその整った顔に浮かべ小さく頷いた。それはまるで、自分に任せて、と言っているように蒼衣には見えて、眼鏡のフレーム越しに目を瞬く。
 しかし勇の真意を読み取る前に、勇が口元に笑みを浮かべたまま視線を今度は直輝に向けると口を開いた。

「直輝、名前伝えただけじゃゼンゼン俺達の紹介になってないヨ。」

 蒼衣に向けた笑みとは違う、どこか呆れた色を含んだ笑みを直輝に向けながら勇はそう独特なイントネーションで直輝の紹介の仕方の不味さを伝える。

「……別に名前だけで問題ねーだろが。」
「あのネー、せめて俺達が直輝とどんな友人関係か、ぐらいは日向くんに話してあげようヨ。」
「……そんなん別に必要ねーし。」

 すると案の定、勇の想像通り直輝はむすっと唇をへの字に曲げるとぶっきらぼうに自分の紹介の仕方を正当化する言葉を口にした。それを聞いて勇は呆れたように苦笑を零す。
 勇の言葉に直輝が少しばかり臍を曲げたのは明白だった。
 多分直輝としてはこれだけで“蒼衣をダチに紹介した”という事にして、とっととこの場を去ろうとしていたのだろう。
 しかも本気で名前以外の紹介をする気がない事も勇の追及の言葉に返した態度で勇には解る。
 なんなんだろうねー、そんなに俺達を会わせたくなかったってワケだ、直輝の態度に内心そう呟き、勇は大げさに肩を竦めて見せた後、視線を蒼衣に戻すとこの場の雰囲気に馴染めず、相変わらず緊張でおどおどと視線を泳がせている蒼衣に再度安心させるようににっこりと笑いかけた。

「はじめまして。折角だから自己紹介するネ。俺は、近藤勇(こんどう ゆう)。漢字はかの有名な新撰組の局長とイッショ。でも名前の読みは、いさむ、じゃなくて、ゆう、ネ。大学は……、あーと、一緒の大学なんだよネ? じゃ、そこは割愛して、そこの法学部所属。将来は弁護士か検察官になる予定。いわゆる有望株だヨ。ちなみに直輝とは小坊からの腐れ縁。ガキの頃は二人揃って新撰組の歴代局長コンビって言われてた。……よろしくネ?」
「あ、は、はい……、あの、えと……宜しくお願いします。日向蒼衣です。直輝くんと同じ学部に通ってます……。」

 すらすらと如何にもコンパなどで自己紹介慣れしているような口調で自分の自己紹介を終えると人懐っこい笑みを顔に浮かべたまま蒼衣の前へ手を差し出した。
 勇の自己紹介は明らかに相手に好意をもたれる事前提に展開されていて、しかもさりげなく相手に握手を求めるのも忘れない。
 その完璧とも言うべき自己紹介を蒼衣の隣で聞いていた直輝は、勇がさも当たり前のように握手を求めたのを見て薄く瞳を眇めた。
 勇がこんな風に男に対して、特に友人になるかもしれないと思われる相手に、初対面で握手を求める事はまず今までなかった。
 勇は男に対してのスキンシップは大好きだが、それでもこんな風に初対面からスキンシップを求める事は少ない。大抵、初めて会う人間に対して勇はその人となりをにこやかに笑いながら観察する事に終始する。
 それは意外な事に勇が直輝よりも他人に対してとても慎重だったからだ。
 勇は一見、とてもフレンドリーで他人に対しても初対面から垣根なく接するタイプに見える。実際初対面相手でも臆する事はまずないし、にこにこと笑ってどんな相手とも談笑も出来る。
 しかし、だからと言って初対面の相手に対して突然こんな風にスキンシップを求めたりはしない。大体がこの年齢の付き合いで握手を求めるような付き合いをする相手などそうそういない。友人の友人であれば尚更だ。
 勇が例のスキンシップを相手にし始めるのは、相手を勇なりのものさしでじっくりと観察し、その相手との距離や相手の性格などをちゃんと計算した後での事だ。その観察で相手がスキンシップを嫌うタイプだと解れば、絶対に勇はこんな風に握手を求める事も、相手との距離を縮めるような行動を取る事もなかった。
 だからこそ初対面でこんな風に握手を求めるのは、プライベートではとても珍しい。
 しかも相手は蒼衣なのだ。見るからに他人とのスキンシップも初対面の他人との会話も苦手そうに見える蒼衣なの、に、だ。他人の性格などに対して人一倍観察が鋭い勇がその事に気が付いていない筈はない。
 それなのになぜ、当たり前のように握手を求めているのだろう。
 それ程蒼衣の事を気に行ったのか……?、そんな嫌な想像が直輝の頭をかすめる。
 もしそうならば直輝にとってそれは望まない展開だった。
 勇の気に入った相手への過剰なまでのスキンシップは、直輝にとってはかなり要注意だ。
 気の弱い蒼衣が勇のスキンシップを断りきれない事など目に見えている。
 もしくはそれをすでに見越しての握手なのだろうか……。
 そうは思うが直輝にそれをこの状況で勇に対して問い質す事は出来なかった。ただの“友人”として蒼衣の事は紹介してあるし、今の段階ではまだ“たかが握手”だ。ここで余計な口を挟めば勘の鋭い勇の事、下手に自分達の特殊な関係を見破られてしまうのは困る。
 そんな事を考えながら直輝はこれ以上蒼衣に向けて差し出された勇の手を見詰めていた瞳を半ば無理矢理逸らす。
 蒼衣が勇の手を握り返さない事を願いながら。
 そして当の蒼衣はというと、勇が差し出したその手の意味には気がつかず目をパチクリと瞬かせた後、とりあえず勇に対してもう一度頭を下げ、簡単に自己紹介をした。
 そんな蒼衣に対してくすりと笑うと勇は手を更に伸ばし、テーブルの向こう側で膝の上におかれている蒼衣の腕を掴むとそこから引きずり出した。
 突然腕を掴まれた事にびっくりして蒼衣が勇の顔を見返す前に、勇は蒼衣の手を握手の形で握りしめる。

「お近づきのシルシに、握手、ネ。」

 突然手を握られ困惑する蒼衣に、にっこりとまた人の良い笑みを向け、そして言葉を続けた。

「あ、それで、俺と日向くんはもう友達だから、俺の事はこれから“勇ちゃん”って呼んでネ。俺も日向くんの事、“蒼衣ちゃん”って呼ばせて貰うから。」
「え?! あ、え……? あ、あの……えと、……え?」

 にこにこと人当たりの良い笑みを浮かべたまま蒼衣の手をしっかりと握りしめ握手をしたまま、柔らかい口調で、だがどこか有無を言わせない口ぶりで友達宣言した後、自分への呼び方を強要する。更には自分が蒼衣をどう呼ぶかも勇ははっきりと宣言した。
 そのあまりに勇のフレンドリーかつ強引な宣言に蒼衣は目を白黒させ、戸惑いを隠せないまま勇の宣言にどう返事をしていいものか悩みもごもごと口ごもっている。
 内心では流石に初対面の相手を“ちゃん”付けで呼ぶのは躊躇われる。というか、小中学生ならいざ知らず、男同士で、この年齢で、“ちゃん”付けで呼び合うと言うのは、人付き合いを苦手としている蒼衣にとっては全く理解出来ない思考回路だった。それに自分の事を初対面の相手から“ちゃん”付けで呼ばれる事にも抵抗がある。
 だが、蒼衣が何かはっきりとした言葉を言う前に勇はずいっと身を乗り出すと、相変わらずにこにこと人当たりの良い笑みを浮かべたまま蒼衣に話しかけて行く。

「ネ、“勇ちゃん”って呼んでみて?」
「……っ、ぅ、あ、そ、その……。」
「恥ずかしがらないでもイイヨ〜? ほら、呼んでヨ?」
「っ、む、無理……っ、ですっ……っ。」

 笑顔のままフレンドリーに蒼衣に取ってなかなかに難しい注文を勇は付ける。
 それに蒼衣は絶句し、困った顔で勇を見返しながらあわあわと口を動かす。だが、流石に二度目の強要に、蒼衣は顔を真っ赤にしてぎゅっと瞳を閉じると申し訳なさそうに、自分の意思を勇に対して表示した。
 本当に、本当に心の底から申し訳なさそうにしている蒼衣に勇はそれこそ残念そうに溜息を吐く。

「ご、ごめんなさいっ、で、でも……っ、やっぱり、初対面の人を、しかも男の人を“ちゃん”付けなんて、僕、そんな、呼べません……。」
「……そう? じゃあ、いいよ。あ、でも。」
「は、はい?」

 勇の溜息にピクリと体を震わせると、蒼衣は何故勇の事をそう呼べないのかの説明をする。すると、意外なほどあっさりと勇は最初の提案を取り下げた。
 その事に蒼衣はまた少し驚いた顔をして勇の顔を見上げると、勇は相変わらず人の良い、柔らかい笑みをその口元に貼りつけて蒼衣の事をじっと見ている。
 あまりにまっすぐに見詰めている勇の視線と、整った顔に浮かぶ優しい笑みに蒼衣はふと妙なデ・ジャブを覚えた。だが、それは一瞬の事で、それよりも勇に見詰められる事に何故か妙な恥ずかしさを感じ、勇から視線を外すと少しだけ俯いた。

「俺は蒼衣ちゃんって呼ばせて貰うからネ? それはいいよネ?」
「……、ぅ、あ、は、はぁ……。」

 俯いてしまった蒼衣に勇は更にどこかうっとりとしたものを滲ませた笑みで瞳を細めながら、蒼衣が勇の事をそう呼べなくとも、自分は最初宣言したとおりに呼ぶヨ?、と勇は柔らかい口調の癖に、蒼衣には拒否できない強さを持ってそう改めて宣言した。
 それに蒼衣は困ったように眉を八の字に下げ、どうしよう、と一瞬悩む。だが、なんだかここで拒否しても勇は意に介さず蒼衣を“ちゃん”付けで呼ぶような気がしたので、半ば渋々と言った体で小さく頷く。
 途端に、勇の顔に作り物ではない本当の心からの喜びが溢れた笑顔が浮かび、しかも、嬉しそうに、ヨッシッ!、と口に中で呟いた。それを見て、蒼衣は渋々頷いたのが少し申し訳なってくる。それ程勇の顔は嬉しそうに綻んでいた。
 そんな二人の様子を直輝を目の端で眺めながら、いよいよ自分の不安と懸念が当たっていた事を知る。
 勇は、確実に蒼衣の事を気に入ってしまっている。
 不味い相手に気に入られたな、そう胸の内で呟き、今更ながらにこの二人に蒼衣を紹介したのは早計だったと直輝は後悔した。
 いつか蒼衣の存在がばれるとしても、せめて、蒼衣ともっと何かしらの対策を練ってから引き合わせた方が良かった、などと今更どうにもならない事を思う。
 蒼衣の事だからそうそう勇に対して心を開くとも思えないが、だが、勇の相手の懐に入り込む術は頑なな蒼衣の気持ちも簡単に溶かすかもしれない。
 そうなれば、ひょっとしたら蒼衣が勇に……そこまで考えて直輝は奥歯を噛み締めた。
 この際、蒼衣との関係が勇達にばれるのは瑣末な事だと気が付く。
 勇がそのケがない事は直輝にだって解っている。だが、蒼衣、なのだ。完全ノンケだった直輝が今や蒼衣の全てに骨抜きにされているような状況なのだ。しかも、蒼衣は男に求められれば断る事が出来ない。そういう風に教育されて育ってきたのだ。
 勿論、直輝としては勇が蒼衣に対してその手の事を求めるとは今の所思っていない。
 だが、だからと言って勇が蒼衣に対してそういう意味で“気に入る”という可能性も直輝には否定できなかった。
 それに蒼衣から勇に対してその行為を持ちかける可能性も否定できない。
 勇がそう言った意味で蒼衣を見なくとも、蒼衣が勇に何かの恩義を感じれば直輝にしたような事を勇にする、そんな可能性もあるのだ。
 しまったな……。そう今回のセッティングをよくよく後悔してしまう。
 だがもう引き合わせてしまった手前、そうなる事を自分がなんとしてでも阻止をしなければ、と直輝は目の前で嬉々として蒼衣に様々な話を振り、その反応を楽しんでいる勇の姿を苛々と煙草を吸いながら勇には気がつかれないように睨みつけ、そう決意した。




 色々と想いを馳せ、どうやって勇の手から蒼衣を守るかを考えていると、直輝の耳に勇の声が届く。

「ところでサ、蒼衣ちゃんって背、高いよネ? 身長何センチ?」
「え……、えと……180、……だけど……。」

 蒼衣の手を握り、蒼衣から“ちゃん”付けで呼ぶ確約を、かなり強引かつ無理矢理ではあったが蒼衣から取り付けた事を喜んでいた勇が突然真面目な顔になると、唐突にそんな事を聞く。その唐突さと、しかも、先ほどの宣言通り当たり前のように自分の事を“ちゃん”付けで呼ばれ、同年代の男性にそう呼ばれる事にやはり困惑と座り心地の悪さを感じながらも、蒼衣は素直に自分の身長を勇に伝える。
 すると目の前にある勇の顔がまた嬉しそうに輝いた。

「マジ?! じゃあ俺193だから、丁度いいネ!」
「?」

 顔を輝かせながら言われた言葉に、何が丁度いいんだろう、と蒼衣が小首を傾げると初めて勇の顔に人当たりが良いだけではない笑顔が浮かぶ。

「だから、俺と蒼衣ちゃんが恋人同士なら、隣に並んでしっくりくる身長差ってコト。」
「へぁ?! こ、恋びっ……?!?!」

 何かを含んでいるようにじーっと笑みで細めた瞳を蒼衣にロックオンしたまま勇がいつの間にか蒼衣の手を両手で握りしめながら独自の世界観をその場に形成していく。
 そんな勇のどこか有無を言わさない、そして答えずにはいられない雰囲気に蒼衣は戸惑い、しどろもどろになりながら答えている勇のとんでもない発言に思わず声が裏返った。
 あわあわと目を泳がせ、握られている手も離せない事に更にパニックになり蒼衣はほとんど悲鳴に近い声をとうとう出してしまう。
 明らかにパニックになっている蒼衣にますます嬉しそうに、楽しそうに勇は瞳を細めると更に強く手を握り締めて行く。
 そして更に何かを言おうと口を開きかけた時、勇の視線の端に直輝の非常に不機嫌な顔が見えた。
 まるで今にでも殴りかかってきそうな雰囲気を纏った瞳で勇を睨みつけながら、直輝はスパスパと苛立ったように煙草をふかしている。
 実際直輝の心中は穏やかではなかった。
 まさにさっき心配した事が現実になりつつある不安もある。
 勿論、勇がこの手の冗談を言う事は良くあることだと理性では解っては居る。だが、目の前で蒼衣が勇に口説かれるような事を言われているのも事実だ。
 そしてその勇の悪質な冗談に蒼衣が困っている事も。
 しかし、だからと言ってここで下手に口を挟んだりすれば勘の良い勇の事、直輝と蒼衣の関係をこの事を発端にして嗅ぎつけられても困る。
 それは別段、蒼衣と直輝がセックスをしている事を嗅ぎつけられて勇に白い目で見られる事を恐れての事ではなかった。
 ただ、勇に蒼衣が直輝と会う度にほぼ毎回セックスしているとばれるのは、蒼衣に取ってプラスになる事とは到底思えなかった。
 勇が男同士のその手の行為や恋愛にどこまで寛容なのか、偏見を持っているのかは直輝には推し量れない。
 それでも、男とセックスをする男に対する視線と言うのはある程度決まってくる。
 その視線が自分だけに向けられるのは構わない。だが、好奇や奇異の視線がこれ以上蒼衣に向かうのは直輝としては避けたかった。
 それに、先ほども危惧した事もある。
 勇がもし、今言ったように蒼衣を恋人にしたい、などと本気で言い始めたりなんかしたら直輝は自分がどうなるか解らなかった。
 たったこれだけの冗談で長年の友人である勇に対して、ここまで言葉にできない苛立ちを感じたのだ。
 だから直輝はなるべく平静を装おうとしていたが、それでもどうにもならないイライラが胸の中に募り、無意識のうちに勇に対して殺気を射り交ぜた視線で睨みつけてしまう。
 そんな直輝の姿を目の端で捉え、勇は内心、あの直輝がねぇ、と妙な感心をする。

「……俺達くらいの身長差だとサ、キスするのにも丁度イイんだヨ。……ほら、こんな風に……。」

 直輝の反応を試すつもりで勇は目の前で真っ赤になって視線を泳がせている蒼衣に向けてまたにっこりと人畜無害を装った笑みを向け、そっと顔を近づけて行く。
 後数センチで蒼衣と鼻先が触れ合う、と言うその時。
 勇と蒼衣の顔の間にずいっとカフェのメニュー表が差し込まれた。

「……勇、いい加減にしとけよ。」

 低い、まるで獣が唸るような声で直輝が言い放ち、カフェのメニュー表ごと勇の顔を力任せに蒼衣から遠ざけて行く。
 流石にこの勇の行動は直輝にとっては我慢ならないものだった。
 殴りつけたい衝動を必死になって押さえ、それでも勇に対して怒りの感情が勇を睨みつける瞳から迸る。

「直輝くん……。」
「くだらねぇ冗談で蒼衣を困らすんじゃねぇ。……それにこー言う場所でその手の冗談はヤメロって再々言ってるだろうが。」

 直輝の横やりに蒼衣はホッと安堵の息を吐き、それにチラリと視線を走らせた直輝は不機嫌をそのまま声にして勇の悪質な冗談に対して諌める。
 だがそんな直輝に勇はカフェのメニュー表を横にずらしながら、小さく笑った。直輝の最後に付け足した言葉が如何にも取ってつけたような、そんな響きがあったからだ。
 明らかに怒っている、不機嫌になっている直輝に勇は内心また妙な感心をしながら、おどけたように肩を竦める。

「ただのジョーダンだヨ。こんなトコで本当にキスするワケないデショー。スルなら二人っきりで甘〜いムードになってから、ネ。……それとも、何? 蒼衣ちゃんと俺が仲良くしたから妬いちゃった?」
「っ……っ、ンな訳ねーだろうが! 蒼衣はなっ、この手の冗談が苦手なんだよっ! お前らと違って真面目なんだっつーのっ! 大体が初対面の人間にそーいう悪質な冗談フルんじゃねー!」

 くすくすと鼻を鳴らして笑いながら勇のからかいの矛先が直輝へと向かう。
 それに直輝は一瞬図星を取られた様に顔にさっと朱を滲ませ、言葉に詰まった後、今度は一気に否定へと転じた。
 ぎりっと奥歯を噛み締め、店に迷惑がかからない音量で勇に対する非難を始める。
 それに勇はどこ吹く風と言った体で肩を竦めると、わざとらしく溜息を吐く。

「はいはい、解ったヨ。蒼衣ちゃんにはこのテのジョーダンは振りません。……蒼衣ちゃん、ゴメンネ。ビックリしたよネ。ホンのジョーダンだから、許してネ?」
「え……、あ、……はぁ……。」

 つまらない、と言った表情を押し出しながら勇は直輝にそう明らかに上辺だけだと解るように直輝の主張を受け入れると、視線を唖然としている蒼衣に向け、今度は真面目な表情になって謝りの言葉を口にした。
 直輝に向ける表情と自分に向けられた表情の差に蒼衣は戸惑いながらも、蒼衣を見詰める目が嘘を吐いているようには見えなくて、そして反省もしているようにも見えて、蒼衣は戸惑いつつもこっくりと頷く。
 そんな蒼衣に、勇はまたにっこりと柔らかい笑みを向けた。

「いいネ〜、蒼衣ちゃんって。」
「は?」
「なんか反応が新鮮で、可愛い。見ててチョー和む。」
「……うぅ……っ、あの……、そんな事は……っ。」

 顔は離されたが相変わらず手は握ったままの勇ににっこりと微笑まれながら、可愛い、と言われてしまい、蒼衣はどう反応を返して良いものか解らず顔を真っ赤にして俯いてしまう。
 それにまた追い打ちをかけるように勇が口を開いた。

「本当、可愛いなぁ〜、蒼衣ちゃんって。」
 
 にこにこと。本当に悪気なく素直な感想、という風に勇は蒼衣をじっと見ながらしみじみと呟くと蒼衣はますますどうして良いかわからずに顔を上げられずにいる。
 と、そんな勇の態度と言葉に蒼衣の隣に座っていた直輝が無言のまま額に青筋を浮かべ、蒼衣の手を握っている勇の手を引き離す。
 そして乱暴な仕草で蒼衣の手をそのまま掴むと直輝は立ち上がった。

「……もう良いだろ。行くぞ、蒼衣。」
「え? あ、え? ……あ、あの……、でも……。」

 今までよりももっと低い機嫌の悪い声でそう言うと直輝はソファに座っている蒼衣の肩を押し、通路へと押し出そうとする。
 そんな直輝の態度に蒼衣は困ったように目を瞬かせ、おろおろと勇と直輝を見比べたが、なかなか席を立とうとはしなかった。
 だが直輝はそれに更に苛立ったような視線を蒼衣へと投げかけ、早くしろ、とでも言うようにその肩を押す。

「な、直輝くん……? だけど……、その……っ。」

 蒼衣は困ったように直輝を見上げ、そしてチラリと順平の方へと視線を向ける。
 蒼衣としては直輝が突然機嫌が悪くなった理由が良く解らない。
 それに何より勇の隣で終始ぶすっとした顔をして最初の時以外ずっと蒼衣に視線を向けない順平の態度が気になって仕方がなかった。
 勇とのやりとりの間にも順平は不貞腐れた顔でひたすらカフェの中へと視線を走らせて、少しも蒼衣の方を見ない。直輝の声が聞こえた瞬間だけピクリと眉を動かしたが、それでも一貫して蒼衣の事を無視し続けている。
 流石に順平のこの態度に彼に嫌われた、と言うのは解る。だが、何故会って間もない内にこんなにも拒絶されるような態度を順平に取られるかその意味が解らない。
 出来れば気に入られないまでも、せめて順平にどうしてそんな態度を取られるのかの理由が少しでも知りたかった。
 それに何より、順平に関して蒼衣は今の所名前だけしか情報を与えて貰っていない。
 これから先仲良くするかどうかは別として(そもそも順平の態度からそれは無理だと解っていたとしても)、せめて直輝とはどんな関係を築いてきているのか、それが蒼衣は知りたかった。
 バイト先で見た限り、直輝と順平はともて仲が良さそうで、それに、順平は直輝の事が本当に好きなんだと言う事が蒼衣にさえも見て取れた。その二人の態度に、いや、順平の直輝の態度に、蒼衣自身今までに感じた事のない感情を覚えた事も蒼衣の中で引っ掛かっている。
 だからその理由が少しでも知りたくて、自分の感情とも折り合いをつけたくて、直輝がイライラと外へ出る様に幾ら促しても蒼衣は困ったような顔をして直輝と順平、そして勇の顔を交互にちらちらと見ながら席を立とうとはしなかった。
 その事に直輝は更にイライラを募らす。

「蒼衣っ!」
「ご、ごめん……っ、で、でも……、その……。」

 苛立った感情のまま直輝は思わず蒼衣の名を鋭く呼ぶ。
 それに蒼衣はビクリと体を竦ませたが、それでもおどおどと視線を上げて直輝を見ながらもう少しだけこの場に居たいと言う気持ちを伝えようとする。
 だが、そんな頑なな蒼衣の態度に、何故自分がこれだけの不快感を示しながらも蒼衣がこの場から去ろうとしないのかの理由が解らない直輝は更に気持ちが荒れていく。

「あお……っ。」
「直輝。蒼衣ちゃん困ってるヨ。……それにナニいきなりそんな怒ってるノ? 意味ワカんないヨ?」
「……っ。」

 もう一度鋭い声で、非難の色を強めた声色で蒼衣の名を呼ぼうとしたその時。
 横から勇が口を挟んで直輝の言葉を止めた。
 静かな、でもはっきりと窘める意図をもった勇の言葉と、そして、付け加えられた言葉に直輝は溢れだしそうになる怒りを飲み込む。
 そして、一つ大きく息を吸い込むと、落ち着く為にか深く息を吐き出した。

「……解ったよ。好きにすればいい。」

 行き場のないイライラをなんとか抑え込み、そう、投げやりに直輝は言う。そして、諦めたようにどかりとソファに座りなおした。
 そんな直輝に申し訳なさそうな視線を蒼衣は向け、そのままテーブルの下できゅっと直輝のシャツの裾を握り軽く引っ張ると、小さな声で直輝にごめんね、と謝る。
 蒼衣の申し訳なさそうな顔と、その謝罪に直輝は今一度小さく溜息を吐いた。
 蒼衣が謝る筋合いなど全くない事など少し冷静になった直輝には解っている。勇とのやりとりに勝手に腹を立て、勝手にこの場を後にしようとしたのは直輝なのだ。怒りにまかせて蒼衣の気持ちを鑑みる事なく、自分の不平不満をそのまま蒼衣にぶつけた。悪いのは直輝自身だ。それなのに蒼衣は自分が直輝の言葉に従わなかったのが悪い、とでも言わんばかりにしょぼんとした顔つきで直輝の横顔を見ていた。
 横顔に刺さる蒼衣の視線に直輝は少しばかりの罪悪感が募る。
 蒼衣は蒼衣なりに何か考えがあってこの場に残り、勇や順平達の事を少しでも知っておきたいと思っていたのだろう。
 それを思うと、自分のつまらない嫉妬心で蒼衣の心を傷つけた自分が情けなかった。
 チラリと隣に座っている蒼衣を横目に見、悲しそうな顔をしているのを認めると胸が痛む。だが、勇と順平の手前なかなか素直に蒼衣に対して謝罪の言葉を言い出せない。
 そんな葛藤を抱えている直輝に向けて、頬杖をついて二人の様子を観察していた勇がゆっくりと口を開いた。

「……直輝さぁ、ひょっとして俺が蒼衣ちゃんに可愛いって言ったのが気に入らない、トカ?」
「っ……、ンな訳……っ!」

 瞳を細めて直輝にとって図星の一つを勇は軽々と突く。
 勇の言葉に一瞬過剰に反応しそうになり、直輝は慌てて口を噤んだ。そしてむっつりと唇を結ぶと視線を勇から逸らし窓ガラスの外へと向ける。
 直輝の態度に勇は内心ひっそりと笑いながら、随分解りやすい人間になったんだなぁ、とそんな感想を覚えた。
 そして改めて蒼衣との新しい友人関係が良い意味でも悪い意味でもかなりの影響を直輝に与えている事を知る。
 ふぅ〜ん、とその事に感心しながら勇は直輝から蒼衣へと視線をゆっくりと移す。
 蒼衣は先ほどの勇と直輝の会話の間も、そして今も、申し訳なさそうな顔をしてそっぽを向いてしまっている直輝の横顔に視線を注いでいる。
 それに勇は少しだけ苦笑を口元に浮かべた後、口を開く。

「蒼衣ちゃん。」
「……え?」

 突然自分の名を呼ばれ蒼衣は驚いたようにびくりと体を竦ませた後、目を瞬きながら勇へと顔を向ける。
 蒼衣の驚いたような顔と、そして、不安の様な不確かな感情が表れている顔をまっすぐ見返しながらにっこりと笑う。

「直輝って短気だから付き合うの大変だよネ? 口も悪いし、すーぐ怒るし。嫌じゃナイ?」
「え? あ、いえ……そんなっ。そんな事、ないですっ。直輝くんは、優しいですっ。」

 まるで蒼衣の心を探るかのようににこにこと笑いながら勇はそんな事を蒼衣に聞く。
 すると一瞬蒼衣は何を言われたのか解らない、とでも言うような表情をした後、ふるふると勢いよく頭を振り勇の言葉を否定した。
 その蒼衣の否定は心の底からそうは思っていると取れるもので、勇は満足そうに微笑んだ。
 だが、その隣の直輝へと目を向けると、さっきまでそっぽを向いていた視線はこちらに戻され、余計な事は言うな、とでも言わんばかりの感情を滲ませて睨みつけている。
 その事に勇は小さく肩を竦めた。
 こんな子供っぽい態度を見せる直輝なんて、一体何年ぶりに見たのだろう。
 そう思いながら、直輝の心境と態度の変化に勇は感心と、酷い興味を惹かれる。
 そして、相変わらず直輝を申し訳なさそうにう見ている蒼衣に対しても、勇は今まで感じた事のない興味を惹かれていた。