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NOVEL

Un tournesol 〜深き悩み、加えて、新たなる波乱?〜
06

注意) 風呂場に乱入/強引

 一方、勇と順平と別れた蒼衣と直輝もまた、無言のまま街中を歩いていた。
 直輝としては蒼衣と話をしたかったのだが、蒼衣の方が浮かない顔をしたまま直輝が何を話しかけても生返事しか返さない為に、最終的に話しかけるのも止め、ただ並んだまま行くあてなどなく街中をこうして歩いている。
 蒼衣としても隣で直輝が色々と気を使って話しかけてくれているのは解っていた。それに対して、ちゃんと受け答えをしなければいけないというもの。
 だが、それでも直輝に対して生返事しか返せないのは、先ほどまでの順平の態度がずっと頭の中を締めているせいだ。
 結局、あのカフェを出て、直輝達と一緒になって本屋や家電量販店を回っている最中も順平は一度も蒼衣を見る事はなく、寧ろそこに蒼衣が居ないように振る舞い、しかも、直輝や勇達の話しかけも無視し続けていたのだ。
 そんな順平の態度に、蒼衣は酷く悲しい気持ちになる。それは、順平に無視された事の悲しさではなくて、自分の存在に寄ってそこまで順平を不快な気持にさせてしまった自分自身の存在への悲しさだった。
 きっと順平は蒼衣の中に何か嫌なモノを感じたのだろうと、蒼衣は思っている。近づきたくない、と思わせる“何か”を。
 何せ蒼衣は普通の人間、いや、男としては明らかな異端者であり、出来そこないだ。あの過酷な幼少期のせいで、どれだけ頑張っても自分が“普通”になどなれない事も良く解っていた。
 普通とは違う人生と、性格のせいで、今までもずっと他人とは、いや男とはセックスだけでしか繋がりを持たない生活を送っていた。セックスをしている時だけが、蒼衣に取って自分の存在が確認できる唯一の時間であり、そうする事でしか生きて行く事が出来なかったし、その道でしかまともな生活を送った事のない蒼衣には生活する為の糧を得る事も出来なかった。
 そもそもセックスをしていない時の蒼衣は、蒼衣の周りに居た人間から見れば無価値で、その存在さえもないものとして扱われていた。そして、叔父を始め大抵の人間は蒼衣を人間として、一人の一個人として見る事もない。
 あの地獄の生活から抜け出すまで、蒼衣は周りの大人達にも少年達にも“都合の良い人形”として扱われていたのだ。どんな相手に対しても絶対服従で、舐めろと言えば素直にどこだって舐め、挿入させろと言えばそこがどんな場所であれ挿入させる。そんな扱いを施設で受けていた蒼衣に対して、あの施設に関わっている人間は皆、性欲を発散する道具として蒼衣を使っている癖に、酷く蒼衣を毛嫌いしていた。便所と言われて蔑まれる事も多かったし、地味に嫌がらせや叔父に隠れての暴力も日常茶飯事だった。
 つまり蒼衣はあの施設では体の良いスケープゴートでもあった訳だ。
 親元から離され、犯罪を犯し、世間から一定の距離を取られる施設の少年達の不満のはけ口が蒼衣だった。
 罪を犯したわけでもない人間がこの施設に入所し、血縁関係のある叔父に可愛がられる(尤も蒼衣にとっては性的虐待でしかない行為だが)のを他の少年達は良くは思っていなかった。
 だからこそ、叔父が少年達に蒼衣の体を性欲処理の為の人形として差し出した時に、少年達は一も二もなくその体に群がり、自身の体の中に渦巻く欲望と怒りと暴力を蒼衣へと吐き出す。
 しかし、蒼衣自身の従順な態度はその少年達の中にある暴力性と凶悪性を更に引き出し、結果、誰にでも体を開き、嫌がりもしない蒼衣を少年達は蔑み、見下し、嫌悪した。
 そんな経緯があるからこそ、蒼衣はある意味、人に嫌われるのは慣れているし、感心を寄せられない事にもなれている。
 だが、今までは人に嫌われてもこんな風に悲しいと思う事はなかった。それは蒼衣自身も他人に対してそれ程興味も心の接触も持っていなかったせいだ。体を幾ら繋げてみた所で、蒼衣はあくまでも相手から見ればただの性欲処理の人形であり、道具でしかない。
 それに叔父に寄る肉体への暴力と性的虐待、それに施設に居た少年や、男の職員達に対しての性玩具としての生活を強いられていた毎日では、他人に心を通わせる暇などなかったし、そもそも人間として蒼衣を見ない相手に対して、幼いながらに心を開く事が出来る相手ではないと言うのは解っていた。
 そして、通っていた学校でさえも蒼衣は孤独だったのだ。
 叔父の命令で、学校で友人を作ってはいけない、と強く命令されていた。そのせいで、そして、蒼衣と同じ学校に通う施設の少年達の目もあり、蒼衣は小学生の頃から学校では一人でいる事を望み、誰とも必要最低限の話以外は話をする事はなかった。それでも一応、クラスの中で孤立し、浮いていた蒼衣に対して親身になってくれる先生はいた。いたが、それはあくまでも学校内だけの事だ。蒼衣と言う問題児に学校内で何か問題を起こされては堪らない。その為の、上辺だけの親切だった。それを無意識に感じ取っていたせいか蒼衣は、その担任にも、学校関係者にも小学校、中学校に在学中から今に至るまで心を開く事はなかった。
 また、小学生の頃、その学校関係者に寄って叔父の蒼衣への虐待を一度児童相談所に通報された事がある。その後、叔父の虐待は見えない個所で酷くなった。食事の量は更に減り、それなのに、性的虐待の回数が増えた。そして、体に痕の残らない暴力も増えた。
 お陰で蒼衣は児童相談所の相談員にも事実を話す事が出来ず、当然、心を開く事など無理だった。相談員にはひたすら自身のミスによる痣で叔父や施設職員は優しくしてくれている、と言い続け、そうして叔父への恐怖から蒼衣は施設から逃げ出す道を自ら塞いでしまったのだ。
 そんな生活をずっと送っていたせいか、蒼衣は物心ついたころから、それこそ本当にあの叔父からの呪縛から逃れられた今に至るまで本当の意味で心を通わせた相手はいなかった。
 直輝が現れるまでは――。
 勿論、直輝だけが蒼衣が心を開いた人間、と言う訳ではない。
 馨や朱里もまた蒼衣が信頼を寄せている数少ない人間ではある。あるが、あくまでも蒼衣に取ってこの二人は後見人や保護者と言う意味での信頼でしかない。
 友人、と言う枠では本当に蒼衣にとっては直輝が初めての人間なのだ。そして、恋愛、という枠においても。
 だからこそ、直輝には嫌われたくないという思いが強い。
 そして、出来る事ならば直輝に関係する人間にも、嫌われたくない、と初めて思った。
 順平のあの態度を脳裏に思い起こしながら、蒼衣は、今回の事で初めて自分の中で他人に対しての見方が変わっている事に気が付く。
 きっと今までの蒼衣ならば順平に嫌われたとしても、恐らく何とも思わなかっただろう。せいぜい、またか、と思う程度だ。なにせ男なのに男の公衆便所として扱われていた自分は他人には嫌われるのが当り前だと思っていたのだから……。
 だが、今は順平にあんな風に無視されるほど嫌われた事が無性に悲しかった。
 こんな感情を覚えるのは初めてで、蒼衣は酷く戸惑う。
 順平や勇と言った直輝の友達に会うまでは、全然そんな事など思っていなかった。
 なにせ直輝の友人とは言え、蒼衣にとっては遠い世界の住人だったからだ。だから、あの時馨に仲良くなれるといいね、と言われても蒼衣にとっては本当にまったくピンとこなかった。
 だが、直輝からのメールを見て、蒼衣の中に少しだけ、ひょっとしたら、と言う思いが芽生えた。
 今まで友達らしい友達も作った事のない蒼衣に取って、直輝に教えて貰った友達と居る楽しさや、大切さと言うのは本当にかけがえのないもので。
 その大切な友人でもある直輝の友達を紹介して貰える――。馨が言うように、ひょっとしたら仲良くなれるかもしれない、新しい友達が出来るかもしれない、そんな淡い望みと希望を持ってドキドキしながら直輝が指定した場所まであの後一目散に走っていったのだ。
 だが、それでも一抹の不安を感じ、直輝達が待つカフェの近くまでくるとその足は鈍った。
 直輝の友達だから、きっといい人ばかりだろうとは思うし、事実、バイト先で見たあの二人はとても感じの良い男の人達だった。でも、だけど、もし……、そんな不安に蒼衣は苛まれ、本当は直輝に連絡する十数分前にはあのカフェの近くには着いていたのに、なかなか直輝に連絡する勇気が湧かず、暫くうろうろと意味もなく道路を挟んだ向かい側で何度も行ったり来たりを繰り返す。遠目に見えるカフェの看板と窓ガラスを眺めと直輝がどこに座っているのかは割とすぐに解って、蒼衣はそこを何度も何度も遠くから眺めながら携帯電話を握り締めて悩んでいた。
 結局ただこうして遠目に眺めているだけではなんの解決にもならないと思い、それでもまた暫く悩んだ後、勇気を振り絞って直輝に近くまで来た事を連絡しようと電話をかけた。
 すぐには出ない直輝に更に不安を覚え、遠目にカフェの中に居る直輝が席を立ち、店の外に出るのを見て、漸く電話の向こうで直輝の優しい声が聞こえ蒼衣は瞬間何故だが少し泣きそうになった。
 きっと電話に出て直輝の名前を呼んだ時の蒼衣の声が震えていたのだろう。
 直輝はすぐに蒼衣の居場所を聞き、目の前に横たわる道路の向こうに居る事に気が付くと電話を切り一目散に蒼衣に向かって走って来た。
 それがまた嬉しくて蒼衣は駆け寄ってくる直輝を見ながらうっすらと涙ぐんだものだ。
 その後は直輝に改めて簡単にこれから紹介する相手の事を聞き、直輝と一緒に道路を渡り勇と順平が待つカフェに入った。
 そこから後は、蒼衣にとってはひたすら体も心も縮めてしまうような、そんな時間だった事は否めない。

「――い。――衣、蒼衣っ。赤だって!」

 不意に隣で強い口調で呼ばれ、更には直輝に腕をぐっと掴まれる。
 そこで漸く蒼衣は自分があまりにも深く自分の思考の海に溺れ、目の前にある歩行者用の横断歩道の信号が赤になっていた事に気が付いた。
 ハッとし、腕を掴んでいる直輝を見る。
 するとそこには不機嫌な表情で蒼衣を見上げている直輝の姿があった。

「……あ、ご、ごめん……、ボーッとしてた……。」
「……あぶねぇから気をつけろよ。」

 あまりにも上の空だった事を蒼衣は直輝に謝り、申し訳なさそうに瞳を伏せる。
 すると直輝は呆れたように溜息を一つ吐くと、それ以上蒼衣の行動を責める事はなかった。その事に少しだけホッと息を吐くと蒼衣は、改めて直輝を見る。
 直輝は蒼衣の顔を溜息同様に少し呆れた顔で見返すと、ひょいっと眉を持ち上げ、蒼衣の腕から手を離した後、ポンポンとその肩を叩いた。

「……さて、これからどうするよ?」
「……え?」
「え、じゃねぇよ。空も大分暗くなってきたし、店回るってももうあんま時間ねーだろ?」

 直輝にそう言われ蒼衣は初めて空がすっかり青みを帯びていた事に気が付く。慌てて一度空を見上げ、すでに夕暮れも過ぎ去った藍色の空を見ると、視線を直輝へと戻す。
 すると直輝はいつもの薄い苦笑を口元に貼りつけて、ジーンズのポケットから携帯電話を出すと表面にある小さなディスプレイに時間を映しだし蒼衣に見せた。
 携帯のディスプレイに浮かんでいる時間は、七時十五分。
 それを見て、蒼衣は改めてしまったと思う。
 今日は本当なら直輝と一緒に新しい服を見に行く予定だったのだ。
 だがもうこの時間では今しがた直輝が言ったようにショップが閉まるのも時間の問題で、行くだけ無駄の様な気がする。そもそも、どんな服を買うかが決まってないのでのんびりとウィンドーショッピングをしながら買い物ができない時点で、もう意味がない。
 直輝に指摘されるまでそんなに時間が経っていた事にも気が付かず、ただ無意味に街中を思考の海に沈んだまま徘徊していた事を改めて蒼衣は後悔し、直輝に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

「……ごめんね……。僕がボーっとしてたから、時間、なくなっちゃったね。」

 しょんぼりと肩を落として直輝にそう謝ると、直輝は蒼衣に向けて物凄く不思議そうな顔を向けた。
 だが、すぐに表情を緩めると薄く笑い、また蒼衣の肩を軽くポンポンと叩く。

「腹減ったな。どっか飯食いに行くか? それとも……。」

 そこまで言いかけて言葉を止め、少し意地悪な表情をすると蒼衣をちょいちょいっと手をこまねいて体を屈ませる。そして、その耳元に顔を近づけると蒼衣にしか聞こえない声で囁いた。

「お前ん家行って、スるか?」

 確実にからかいが含まれている声で、くすくすと笑い声も漏らしながらも蒼衣が真っ赤になるのを見越してそう直輝が囁くと、蒼衣は直輝の目論見通りに顔を真っ赤にして答えに窮してしまう。
 そんな蒼衣を意地悪な色を含んだ瞳で見詰めながら、直輝はもう一度軽くその肩を、今度はポンッと一回だけ叩いた。
 そして蒼衣の返事を待たず、今来た道を引き返すように踵を返す。

「お前、明日休みなんだろ? 俺も明日休みだし、今日、泊めろよ。」

 言外に、今夜はスるぞ、と言った宣言を込めて、背中で蒼衣にそう言うと直輝はさっさと先に立って歩き始める。
 その後ろを蒼衣は顔を真っ赤にしたまま慌てて追いかけ、直輝の隣に並ぶと、チラリと直輝の顔を窺う。直輝は、横目で蒼衣を認めると、にやり、と蒼衣に笑いかけ、口を開いた。

「俺、チャーハンが食いてぇんだけど。」
「え? あ、う、うんっ。解った!」
「じゃあ、途中で材料買って帰ろうぜ。」

 蒼衣に向けて図々しく今夜の夕飯のメニューをリクエストすると、蒼衣は一瞬ちょっとだけ驚いたように瞳を瞬かせた後、すぐに嬉しそうに顔を綻ばせて頷いた。
 そんな蒼衣に直輝は、今度は普通の笑顔を向ける。
 漸くいつもの雰囲気に戻った事を互いに素直に喜び、蒼衣は直輝に対して他にも何が食べたいかなどリクエストをしながら、のんびりと藍色に染まっていく街中を二人は蒼衣の家の方角へ向けて並んで歩いていった。





 途中でしこたま料理の材料を買い込み、蒼衣のアパートで蒼衣が腕を奮った料理をしこたま食べた後。
 いつものように蒼衣が風呂に入っている間に、直輝が食器を洗う。
 これが最近の二人の日常だった。
 最初は“お客様”の直輝に食器を洗わせるのを酷く嫌がった蒼衣だったが、直輝が再三説得し、最近になってようやく蒼衣の了承を得てこうやって食器を洗うと言う役目を直輝が担う事になった。
 直輝としてはいつも蒼衣の家に来た時は蒼衣の手料理を食べさせて貰っているそのお礼のつもりもあり、蒼衣が遠慮するのを無理矢理ではあったがこうして頷かせ、蒼衣の負担を自分に振り分けれた事が純粋に嬉しかった。
 蒼衣はともすれば自分ひとりでなんでもかんでもやってしまおうとする。
 それは確かに一人暮らしをしている人間としては当たり前の事だが、こうして直輝と会う度に、二人分の食事を作り、食べた後は食器も洗い、夜はほとんど一晩じゅうに近い位長時間のセックスを直輝とし、更には朝は直輝よりも早く起き朝風呂で昨夜の汚れを落とし、朝食を作り、部屋の掃除を完璧に仕上げる。
 これは幾らなんでも働きすぎだろう、と直輝は毎回蒼衣の家に泊まりに来る度に思う。
 直輝自身も一人暮らしをしているが、部屋は結構荒れているし、食事ももっぱらコンビニ弁当や総菜などだ。一人暮らしを始めた当初はもう少し気にしていたが、時間が経つにつれ小うるさく言う人間が居ない事に気を緩めて読んだ本や衣服がそこかしらに散らばる様な有様になった。食事は元々あまり料理などは出来るタイプではないし、レトルトを使ったものならなんとか、と言ったレベルだ。
 だから、蒼衣とこうして付き合うようになってつくづく蒼衣のこまめさと几帳面さにと真面目さに感心しているし、素直に凄い、とも思っている。
 ただ、先ほども言ったが直輝から見て蒼衣はあまりにも自分の体を休ませる事をしない。
 食事は食べたらすぐに下げ、洗い、汚れたテーブルを綺麗にする。そして、他にも何か汚れが目に付けばこまめに動き、あまりテレビなどもじっとして見ていない。
 唯一じっとしている時は、大抵学術書片手に勉強をしている時くらいだ。後は、直輝とセックスをしている時くらいか。だが、セックスの時は普段とは違い受け身ではないし、自分からも率先して動き、寧ろ直輝よりも積極的だ。
 それを見るにつけ、感じるにつれ、直輝としては少しくらいは蒼衣の役に立ちたい、と思うようになってきた。
 その第一歩がこの食器洗い。
 せめて風呂くらいはのんびりと入れ、と命令をして、蒼衣を風呂へと追いやった後、こうして直輝は食器を壊さないように丁寧に扱いながら、今しがた自分達が食べて汚した食器を次々に洗っていく。
 前は食器洗いなど面倒臭くて仕方がない作業の一つだったが、こうして自分の中で目的を見つけ、やりがいを感じる様になるとそれなりに楽しく思えてくるから不思議だった。
 小さく口の中でハミングをしながら、蒼衣に再度洗い直されることのないように一つ一つ完全に汚れを落としていく。
 シンクの中に置いてあったそれなりの数の食器類を時間をかけてゆっくりと丁寧に洗い、全てを洗い終わる頃には蒼衣を風呂に追いやってから三十分以上が過ぎていた。
 チラリと柱にかけてある時計を見上げ、時間を確認すると直輝は少しだけこの後どうしようか、と思案する。
 いつもなら食器を洗い終われば蒼衣が風呂から上がるまでテレビを見たり漫画を見たりして時間を潰すのが常だ。
 だが、あいにくと今日のこの時間、テレビ番組で観たいものがない。そして、漫画や雑誌も流石に蒼衣の家にあるものは大抵読み終えていた。
 うーん、と小さく一つ唸ると、直輝は少しだけ意地悪な顔になり、すたすたと脱衣所に向けて歩いていく。
 そして、無言のまま脱衣所に置いてある洗濯機に次々に着ている服を放り込んでいった。全部服を脱ぎ、素っ裸になると直輝は風呂場と脱衣所を隔てている折り畳み式の曇りガラス戸を勢いよく引き開けた。

「へっ……、ひ、わ、え、えぇっ!?」

 湯気がもうもうと立っている浴室内で蒼衣は立った状態で体についた泡をシャワーで洗い流している最中だったらしく、突然現れた直輝に向けて目をまん丸にして甲高い驚きの悲鳴を上げる。
 その蒼衣を見て直輝は意地悪く唇を釣り上げると、蒼衣が前みたいに直輝に対して拒否反応を示す前にまだ泡だらけの蒼衣の腰を抱きしめた。
 出しっぱなしになっているシャワーが直輝の体にも当たり、水しぶきが辺りに小さく散らばる。

「ななななな……っ?!」

 驚き、言葉にもならない声を挙げている蒼衣を直近で見つめながら直輝はまた意地悪く笑うと、腰に回していた腕の片方をそっと下へと下ろした。
 そろそろと指を動かし、腰から尻へと指先が到達すると、蒼衣の体がひくん、と微かに反応を返す。

「っ、な、直輝く……っ、な、なに……っ? なんで……、どうし……?」
「……いいだろ?」
「っ、ぅ……っ。」

 適度に引き締まっている蒼衣の尻に指を這わせながら、蒼衣の驚いた顔を見上げながら尋ねると、蒼衣は温まって微かに赤く染まっていた頬を更に赤く染め、困ったように瞳を左右に動かした。
 だが、明確な拒絶はしない。
 いや、正確には“出来ない”のだろう。
 ここは蒼衣の家で、人の目もない。大体が元々そのつもりで直輝がここに来ている事も理解している。それに蒼衣は基本、直輝に迫られて拒絶などする事はない。そして、それ以上に、蒼衣自身の体に染みついた習性に寄って、求められて拒絶する、と言う選択肢はまだまだ蒼衣の中には根付いてはいない習慣だった。
 それに対して直輝は苦々しい想いを持ちながらも、だがあえてその事を逆手に取りながら、まだ少し泡が残っている蒼衣の首筋へと首を伸ばして舌先でチロリと舐め上げる。その途端、蒼衣の体がまたひくっと震え、シャワー握っている手が直輝の肩へと置かれた。お陰でシャワーの水流がそのまま直輝の体の上を流れ、昼間に掻いた汗をゆっくりと流していく。
 体に流れる温水を心地よいと思いながら直輝は、困ったような顔をしている蒼衣を更に困らせたくて手のひらで蒼衣の引き締まっている尻肉を撫でた。

「?! っひ、ぅ……っ、な、直輝く、……ん……っ、やっ……っう。」
「嫌か……? 蒼衣……。」
「っう、ぅう……っ。」

 モミモミと嫌らしい手つきで尻肉を掴んで揉んでを繰り返しながら、流石に直輝のこの行動に困り果て、涙目になっている蒼衣を、上目使いに直輝は見る。そして我ながら反則だと解っていながらそう、少し悲しそうな声を出して蒼衣の名を呼ぶ。
 すると直輝の想像通り蒼衣はあわあわと顔を真っ赤にして視線を左右に泳がせながら口ごもってしまった。
 そんな蒼衣を内心、可愛い、と思いながら直輝は尚も蒼衣の体を弄る手の動きを強めて行く。

「嫌なら、嫌って言えよ?」
「ぅ、うぅ……っ。」

 そんな事言える筈もないと解っていながら直輝は酷な事を蒼衣に言う。
 直輝の言葉に蒼衣は更に困ったように口ごもりながらますます涙目を強めて行った。
 だが、やはり明確に拒否はしない。
 あうあうと口の中で言葉にならない言葉を呟きながら、蒼衣は直輝の肩にシャワーを握ったまま手を置き、もじもじと指先だけでささやかな抵抗を試みていた。
 蒼衣としては直輝が風呂に突入してくる事自体があまりに想定外の事で、更にこんな所でこんな風に急速に直輝が求めてくるとは思いもしなかった事もあって、完全にパニックになっていた。
 しかも、直輝の手が、唇が蒼衣の肌の上を這い、滑ると否が応でも体の中にじんわりとした性的な熱が湧いてくる。
 勿論直輝に触られる事は純粋に嬉しくて、気持ちが良い。
 だけど、こんな場所で、しかもまだ体をちゃんと洗い終わっていない状態でエッチをするのは蒼衣としては少々抵抗がある。
 前に神社でシた時は、直輝の強引さに負けて、そして自身の中に湧き上がった性欲に抗えずに体を清めてなかった事も忘れて求めあってしまった。
 あの時のあの状態でのエッチは蒼衣にしてみれば、汚れている体を直輝に舐められたり、挿れられたりして、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいなのだ。汚い体を直輝に触られたという後悔と申し訳なさが蒼衣の中に満ちる。
 この場合、直輝自身から求められた、と言う事は蒼衣の頭の中にはない。
 ただひたすらに情事の前に自分の体を綺麗にしていなかった、と言う後悔と、そんな体を直輝の舌や指やアレで弄られた事に対して申し訳なさと罪悪感を感じていた。

「っ、……や、な、直輝くん……っ、せ、せめて、体洗ってから……っ。」

 だから精一杯の勇気を持って泡の付いている体を弄る直輝の手に寄る快感を頭から払いのけ、そう直輝に伝える。
 すると直輝は酷くきょとんとした顔で蒼衣の顔を見上げた。

「体? 何言ってんだ、もう洗い終わってるじゃねーか。」

 この体についている泡はなんなんだよ、そう付け足して、そして、くすくすと鼻を鳴らして笑う。
 そんな直輝に蒼衣は困ったように眉尻を下げると、酷く言い難そうにもじもじとし始めた。

「?」
「えっと……その、あの……っ。」
「……なんだよ?」

 事実凄く言い辛いのだろう。
 蒼衣はそれこそ茹であがるほどに顔も体も真っ赤に上気させると、唇を噛んだり離したりを繰り返しながら瞳をうるうると潤ませながら直輝を見下ろす。
 その表情が直輝の劣情をそそるとも知らずに。
 蒼衣の涙の滲んだ瞳と、上気した頬、そして濡れた長い髪が蒼衣の白い肌に張り付いているのを見て、直輝の中にある欲情のボルテージが一気に上がる。
 ごくりと生唾を飲み込み、ちろりと唇を舌なめずりをするように舐めながら、それでも少しだけ上擦った声で蒼衣の言葉の真意を聞こうとした。
 
「……ぅ、あ、あの……、だから、まだ……その……っ。」
「……。」

 直輝の上擦った声をどう取ったのか、蒼衣は本当に今にも泣きそうなくらい顔を歪めると、直輝の肩に置いていた両手を離し、シャワーの柄を胸元に抱えるように抱きしめる。
 直輝の背中を流れていた温水が今度は蒼衣の胸板を流れ、体についていた泡を洗い流していく。そしてその泡は直輝と密着している部分に一旦溜まり、次から次へと流れてくる湯に追いやられ下へと零れて行った。
 その湯の温かさと、蒼衣の体につていた泡が薄く直輝の腹に当たる感触、そして何より見上げた先にある蒼衣のやたらに可愛くて色っぽい顔のせいで直輝の中で欲情のメーターがぐんぐんと上昇していく。
 だが、その事に未だ気が付いていな蒼衣は、口の中で、あーとか、うーとか言いながら必死になって恥ずかしさと戦っていた。

「だ、だから、……その、……あ、あそこ……、その、まだ、ちゃんと、して、なく……っ、て……っ。」

 それでも伝えなければいけないと頑なに思いこんでいた蒼衣はとうとうぎゅっと目を瞑ると決死の思いでそう直輝に伝える。
 あそこ、と言う部分から後は先細りに声が小さくなり、しまいには言葉の途中で恥ずかしさからか、小さく喉の奥で嗚咽の様な声を漏らす。そして、眦からは溜まっていた涙が一筋零れ落ちた。
 途端に、直輝の中にあった理性と言う名のダムは決壊を起こし、その奥にあった欲望と性欲が一気に溢れだす。
 それに呼応するように直輝自身もびくっと震えると、蒼衣の足に押し付けていたそれがみるみる硬度を持ち、蒼衣の太もも辺りの肉を押し上げるようにぶつかった。

「ひぁ……っ!?」

 驚いたのは蒼衣の方だ。
 裏返った素っ頓狂な声を上げ、慌てて瞳を開ける。そして直輝を見た。
 直輝は直輝で自身の歯止めが効きそうにもない膨れ上がった欲望に少しだけ戸惑いながらも、蒼衣にだけここまでの反応を返す自分が可笑しくて仕方なかった。
 唇を釣り上げて自嘲の意味を込めて笑うが、それは蒼衣の目にはただただ獰猛な肉食獣のそれにしか見えない。
 直輝の欲望にどう言う訳か大火が点いた事を知った蒼衣は、少しだけ怯えたような表情を見せた後、困ったような、諦めたような色が瞳に浮かぶ。

「あ、あの……、直輝、くん……?」

 それでも一縷の望みに近い感情を胸に抱えながら、恐る恐る直輝の名を呼び、その理性の在りかを確認する。
 しかし直輝はその蒼衣の呼び掛けにまるで蒼衣に絶望を与えるように、にやりと壮絶な笑みを唇に浮かべただけだった。
 直輝の本気、と言うか、もうすでに自身の欲望に飲まれ切っている感のあるその笑みに蒼衣は、困ったように笑う。
 だが、こうなってしまっては蒼衣自身直輝を思いとどめようとは思わなくなり、一度だけ浅く溜息のような吐息を吐くと、ざっと体にシャワーを流し残っていた泡全てを洗い流す。
 そして、気持ちを切り替えると蒼衣はシャワーを持っていない方の手を下へと降ろし直輝の勃起している肉棒へと指を絡めた。
 その瞬間直輝の顔が少しだけ苦しそうに歪む。勿論それは本当に苦しく感じた訳ではなく、蒼衣の指の感触にさえ過敏に反応し、電流の様な快感がその部分から背骨を通って上がって来たのを堪えたせいのものだった。
 蒼衣の指は躊躇することなくそんな直輝のセックスシンボルへと絡まり、愛おしそうに手の中で擦り上げる。
 手のひらに感じるそれは熱くて、硬くて、どくどくと脈打ち、蒼衣の中にある欲望も引きずり出していく。

「……もう、こんなに……っ。」

 ほぅ……っ、今度はうっとりしたような溜息を先ほどよりも鮮やかに艶の乗った唇で吐くと、蒼衣は嬉しそうに微笑む。
 明らかにさっきまでの純情そうな蒼衣とは違う、夜の顔になった蒼衣に、直輝はいつもながら少しだけ胸の奥が苦しくなる。刺すような痛みをもたらすその苦しみの答えを直輝は最近薄々気づき始めていた。
 それは、多分、蒼衣をこんな風にした奴らに対する嫉妬。怒り。やり切れなさ。
 蒼衣がこんな風に勃起した男のモノに対して淫乱な顔を見せる事が直輝にとっては最近特に辛い。
 どれだけそれは蒼衣のせいじゃない、そうは思っては居ても、解ってはいても、そして、蒼衣自身がどれだけ今は直輝にだけしかこの顔を見せていないと言っていても、それでも直輝は蒼衣が男慣れしていると言う“事実”そのものが最近はとても重く、辛くなってきていた。
 勿論それに反比例する形で蒼衣への、“愛情”と言うものは増しているし、直輝にとってもうすでに蒼衣はなくてはならない存在へと変わりつつある。
 過去の事をとやかく言うのは直輝の性に合わない。
 それにそもそも、蒼衣の過去は蒼衣自身が望んで、選んだ過去ではない。周りに強要され、教え込まれ、そこには蒼衣の自我だとか尊厳だとかは一切存在しない。またそれに従わなければ誰の庇護もなかった蒼衣がこの年まで生きて、生活出来ていられたかどうかさえも怪しいのだ。
 だから、その“過去”も含めて直輝は蒼衣を受け止めたい、とも、真剣に最近は思うようになっていた。
 だが、それでもやはり実際にこうして無理矢理作られ、倫理観さえも破綻させた淫乱さを見せつけられると胸が苦しくなる。
 もし、この世にタイムマシンが存在するのならば、直輝は迷わず蒼衣の過去に行って幼い蒼衣を暴漢達の手から奪い、幸せな道へと歩ませる為のありとあらゆる手段を取るだろう。
 だが、そんな都合の良いマシンなどないし、直輝はそんな事を夢見るほどロマンチックな男ではなかった。
 目の前で欲情で目を潤ませ、体を密着させた状態で直輝の勃起した性器をその手で巧みに扱き上げている蒼衣を見上げながら直輝は、悔しさとそして言い難い欲情を感じる。
 過去は過去。
 そう頭の中で数回反芻し、気持ちを切り替えると直輝は手を伸ばして蒼衣の頬へと触れる。指先が淡く蒼衣の頬へと触れ、そのまま指を滑らすようにその頬を手のひらで包み込むようにすると、直輝は背伸びをして蒼衣の唇へと自身の唇を押し当てる。
 最初は薄く、軽く。
 そして二度目は舌先で蒼衣の唇を舐め上げ、柔らかい唇の感触を堪能しながらその口の中へと舌を滑り込ませた。
 直輝の今のありったけの想いと、欲情を絡めて。