注意) うじうじ/女装/いちゃいちゃ
「……聞いても、いい?」
風呂場で長々と慰めのキスを繰り返し、そして蒼衣が完全に落ち着いたころを見計らって改めて二人で風呂に入った後、珍しくキスだけでセックスはせずに風呂からあがり着替える。そしていつものように狭いベッドに二人で潜り込んだ。足を絡ませ、蒼衣は直輝の腕に頭を乗せた状態で直輝の背中に腕を絡めて抱きついた状態で、直輝もまた蒼衣に腕枕をしその肩を優しく抱いた状態で暫く二人は無言でベッドの中で過ごす。
そして、どれくらいの時間そうして互いの体を抱きしめあっていたのだろうか。
不意に蒼衣がそう小さな声で直輝に向けて聞いてきた。
その声に直輝は閉じていた瞳を持ち上げて開くと、暗闇の中蒼衣へと視線を向ける。
いつもなら背が高く見上げなければ見えない蒼衣の顔がほぼ直輝と同じ位置にあり、暗闇でもどこかまだ不安を湛えているように見える瞳がはっきりと直輝の瞳に映った。
「ん? どした?」
蒼衣の体温に心地よさを感じうとうとしかけていた所だった事もあり、直輝は少し掠れた声でそう蒼衣の言葉に反応を返す。
すると目の前にある蒼衣の瞳が戸惑ったように揺れた。暫く闇の中で薄く光を反射させ白く光る瞳が左右に小さく揺らしながら蒼衣は自分から声をかけた癖にどう直輝に対して言い出すか迷っている。
こうして直輝が蒼衣に腕枕をしその肩を優しく抱く。それだけで蒼衣の心に幸福感が満ちる。
だが、その半面蒼衣の心にはさっきからずっと一つの事がわだかまり、不安となって凝っていた。それを今更直輝に聞いてどうなるものでもない、と言う事は蒼衣にも解っている。
あの後直輝が蒼衣の体を求めなかったのが一つの答えだと言う事も。
それでも心にわだかまる不安を振り払いたくて、思わず衝動的に直輝に声をかけた。
「蒼衣?」
戸惑い瞳を揺らす蒼衣を促すように、直輝が優しい声で蒼衣の名を呼ぶ。
その声に後押しされた形で蒼衣は気持ちを固めると揺らしていた瞳を改めて直輝へと向け、自分を見つめるその瞳を見つめ返した。
「……あ、あのさ、直輝くん、……ひょっとして呆れてる……?」
「? は?」
不安を前面に押し出した瞳で目の前にある直輝の眠そうな目を見つめながら尋ねた言葉に、直輝の瞳が不思議そうに二、三度瞬かれる。
その直輝の反応に蒼衣はまた戸惑ったように瞳を揺らすと、言葉を続けた。
「えと……、だから、僕の事、呆れてる……? それとも、怒ってる……?」
「? なんで? 別に呆れてねーし、怒ってもねーけど? てか、なんで俺が怒ってるなんて思うんだよ。」
再度同じ言葉を尋ねた蒼衣に、直輝はますます不思議そうな、怪訝そうな表情をすると蒼衣の言いたい事の意味が解らず半身を起こすと蒼衣の顔を見下ろす。だが一応そう蒼衣に向けて否定の言葉を口にした。
直輝の顔を見返しながら蒼衣は、直輝の返答にまた戸惑ったように瞳を揺らす。
そして困ったように眉をハの字に下げると、直輝の胸に絡めていた腕を外し、ぽりぽりと自身の頬を掻いた。
「だ、だって、その……、僕、結局、あの後、直輝くんの言う事聞かなくて、せっ、洗、じょう……、し直さなかったし、その、嫌がったし、男なのに情けなく、あんな大声で泣いちゃったから……、だから、直輝くん、その……っ、もう、僕の事、呆れちゃって……、言う事聞かない僕に、怒って、だから……、その、え、えっち、……もぅ、しないの、かな……って……。あっ! で、でも別に、その、僕が、エッチ、して欲しいって訳じゃなくて……っ、その……、でも、あの……、もう、僕、と、エッチ、し、したく、なくなっちゃった……? 嫌に、なっちゃった……?」
「……。」
自分でも何を言っているのだろう、と蒼衣は思う。だが、風呂場でのあのやりとりの後、直輝は蒼衣にキスをしただけで、今に至るまで全く性的な意味で手を出してこない。それが蒼衣としては不思議で、そして、不安に思う要素の一つだった。
冷静になって思い返せば直輝はまだ一度もイってない。しかも蒼衣が半狂乱になって直輝を拒絶した時から直輝のモノはすっかり萎えてしまっている。その上、あの後、蒼衣を宥める意図があったにしてもあれだけ蒼衣に触れ、キスを繰り返したと言うのに、直輝のモノはその後一度も勃起する事もなく今に至っていた。
今までこんな事は一度としてなかった為に、蒼衣としては自分が直輝の意地悪を受け入れずあんな風に拒絶したせいで直輝が自分に対して呆れたのだろうか、それとも、冷めたのだろうかと言う不安を直輝に抱きしめられて幸福感を感じる一方で強く感じていた。
それをそのまま直輝に聞くのは恥ずかしいし、だからと言って、このまま聞かずにもやもやした想いを抱えたままでいるのも嫌で、結局散々逡巡した挙句、こうして顔を真っ赤にして直輝にもうエッチはしないのか、と蒼衣は恥ずかしさで消え入りそうになりながら聞く。
すると直輝は無言で蒼衣の顔をじっと見下ろし、少しだけ何かを考えるように眉をひょいっと持ち上げた。
「な、直輝、くん……?」
返事がないのが怖くて、そう蒼衣は直輝の名を呼ぶ。
するとまた直輝は無言のまま、今度はくるりと瞳を回した。
その直輝の無言と表情が一体どう言った答えを含んでいるのか蒼衣には読めず、何も答えてくれない直輝に対してちくりと胸が痛む。
これはもう本気で呆れられたんだろうか、嫌われたんだろうか、とあまりにも蒼衣に取って気まずい沈黙が流れ続け、しまいにはそんな事を思い始めてしまう。
胸の奥がちりちりと焼きつけるように痛い。
頭の中は、嫌われちゃった、どうしよう、と言った思いで一杯になり図らずもツンッと鼻の奥に痛みが走るとじわっと瞳が潤んでくるのが自分でも解る。だが、ここで泣いたら更に直輝に嫌われるような気がして、蒼衣は自分を無言で見下ろしている直輝から視線をやっとの事で逸らすと、横を向いて薄く唇を噛んだ。
嫌いになったのなら早くそう言ってくれればいいのに。こんな風に抱きしめなくてもいいのに。そんな事を思いながら、蒼衣の心はすでに断罪され、罪状を言い渡される罪人の気持ちになっていた。
と、半身を起こして蒼衣を見下ろしていた直輝の腕がゆるりと動く。
そして、横を向いてしまった蒼衣の顎に手をかけると、その顔を無理矢理元の位置に戻した。
「っ……っ!」
「……蒼衣。」
蒼衣の顔が抵抗しつつも直輝へと完全に向くと、直輝は緩く唇を微笑ませると囁くように蒼衣の名を呼ぶ。
その声に蒼衣はびくりと体を固めると、涙が盛り上がっている瞳をぎゅっと閉じた。途端に、ぎりぎりまで溜まっていた涙がほろりと零れ、一筋頬へと流れて行く。
零れた涙を見て一瞬直輝は驚いた顔をしたが、その涙で蒼衣が何を考えていたのかをなんとなく理解すると驚きを苦笑に変えその唇に浮かべた。
そして、一つ小さく溜息を吐く。
すると直輝の溜息に蒼衣の体がまたびくりと強張り、今度はきゅっと傍から見ても解るくらいその唇を強く噛む。そんな蒼衣に今一度苦笑を深くすると、直輝はくるりと瞳を回してどう今の自分の心境を説明するべきかを考えた。
蒼衣がネガティブな方向に思考を持って行っているのは解る。それを否定する事は簡単だが、だが、ただ否定しただけではきっと蒼衣は上辺だけ理解したふりをして内心はずっと不安を抱えたままになるだろう。一番いい方法はこのまま蒼衣をいつものようにたっぷりと抱いてやる事なのだろうと直輝は思う。しかし、先ほどの事もあり直輝は今日は蒼衣にはもうこれ以上無理強いをさせたくないと思っていた。それに、また蒼衣に手を出して自分がさっきみたいに暴走して蒼衣の心を傷つけるのも嫌で、直輝は今夜の所は蒼衣には手を出さず、他の方法で不安を取り除くのが先決だとも思う。
視線を蒼衣へと向けると、やはりぎゅっと瞳を閉じたままどこか観念したような表情で、だけど、暗い不安を感じている事がその寄せられた眉根に現れている。
その表情は直輝の性欲を刺激するには十分な魅力を湛えていた。
いつもならこんなに可愛い蒼衣を目の前にして自制する事など直輝にはきっと出来なかっただろう。
それでもこれ以上手を出そうと思わないのは、きっと、さっき蒼衣の本気の涙を見たせいだ。
あんな風に泣かれるのはもう二度とごめんだ。そう胸の中でそっと呟く。
そして顎に当てている手をそっと離すと、そのまま蒼衣のつるりとしている頬を指先で撫でる。直輝の指が先ほど涙が零れ落ちた後を拭うように動くと、蒼衣の体が不安でますます固まっていく。それを指先に感じながら直輝は小さく小首を傾げると、そのまま顔を蒼衣へと近づけて行った。
薄く蒼衣の唇に自身の唇を合わせる。
軽くついばみ、噛み締められているその唇を解すようにちろりと舌を出すとそこを舐めた。
「……っ、ふ……、っ。」
微かに蒼衣が驚いたような、戸惑ったような吐息を零す。
そして恐る恐るその瞳が開き、間近で直輝を見上げるように不安で彩られた瞳を向けた。
蒼衣の瞳が直輝の瞳を捉えると、直輝は笑みで瞳を細め、名残惜しそうに蒼衣の唇から自身の唇を離す。
「……蒼衣。」
蒼衣の濡れた瞳を見つめながら直輝は口を開いた。その言葉に蒼衣が怪訝な表情を見せると、安心させるように直輝はもう一度柔らかく微笑む。
「なぁ、明日、デート、しようぜ?」
「?」
デート、と言う部分を殊更強調させ、直輝はそれが冗談ではないと示すように柔らかい微笑みは口元に湛えたまま、瞳には真剣な色を浮かべて蒼衣の瞳を覗きこんだ。
だが、その直輝の言葉に蒼衣はますます怪訝な表情をその顔に浮かべると、何を言っているの、とでも言いたそうな瞳で直輝の顔を見返す。
すると直輝はその蒼衣の反応がまるで当然だったかのように少しだけ口元に苦笑を滲ませた後、蒼衣の顎に置いていた手を伸ばしそのまま蒼衣の髪をぐじゃぐしゃと掻き回した。
「だ、か、ら、デートだよ、デート。折角二人して休みなんだ。たまにゃ外でデートとかしようぜ。家でセックスするばっかが恋人になる前提の友人付き合いじゃねーだろ?」
「……は……、へ? え?」
くすくすとどこか楽しそうな響きの笑いを織り交ぜながら直輝は蒼衣に先ほどの言葉を詳細に説明した。その時にも、デート、と言う単語の強調は忘れない。
そんな直輝の言葉と手癖に蒼衣は困惑を濃く浮かべた表情で直輝が何を言っているのか解らないとでも言うように、八の字に眉を下げて瞳をきょろきょろと動かす。
頭の中では今直輝が言った言葉が、いや、単語がその意味を持たずぐるぐると回り続けた。
でーと、でーと、でーと……? えっと、でーと、ってなんだっけ? 食べる物、じゃないし……、聞いた事はあるけど、えーと……、でも、外でって事は何か遊びに関係する言葉? なんだろう。変だなぁ、つい最近もこの言葉聞いた事あったんだけど、思い出せないや。ていうか、なんだろう、なんか嬉しいような気もするんだけど、でもなんで……? そんな風に蒼衣はぐるぐるする頭で、その言葉の意味の本質を恐らく無意識に避けて考えていた。
それほどまでに直輝のこの言葉は、蒼衣にとっては予想外の言葉で、直輝が口にするとは全く思っていなかった言葉だったのだ。しかも、蒼衣としては、直輝が自分をデートの対象者だと見ているとは全く思っていない。だから直輝がこんな風に蒼衣の名を出してまでデートに誘う、と言うのがそもそも全く頭の中にないシチュエーションなのだ。ましてや、蒼衣は男で、直輝も男なのだ。男同士でエッチをしているというのはこの際置いておくとしても、こんな風に外に出て遊ぶ事をデートと呼んだ事は今まで一度もなかった。
しかも、今蒼衣がした質問は、エッチをしないのか、というもので。
それの答えが、デート、と言われても蒼衣にはなんのことか解らない。
その為蒼衣はきょろきょろと瞳を動かし、懸命に直輝の言うデートの意味を見出そうと頭を捻る。
だが、どれだけ考えても本来の意味を避けている限りその答えは出てきそうにない。
目の前では直輝が小さく苦笑しているのが見える。そんな直輝を困ったように見上げながら、蒼衣はそれでもひたすらに空回りする思考を回転させていた。
そして明らかに言葉の意味が解らず思考を空回りさせている蒼衣を直輝は見下ろしながら、更に苦笑を深くしていく。
幾らなんでも言葉の意味を理解するのに時間がかかりすぎている。
蒼衣が直輝のこの言葉の意味を理解するのにある程度の時間がかかる、と言う事自体は想定済みだ。そもそも、蒼衣は直輝がこんな事を言いだすとは露とも思っていないだろうし、そんな事をする関係だとも思っていないのだろうから。だが、それにしても、いつまでも困ったような顔をして未だに言葉の意味を理解せずひたすら考え込んでいる蒼衣の鈍さに直輝は少しだけ呆れてくる。
仕方なく直輝は小さく溜息を一つ吐くと、未だ考え込んでいる蒼衣の上に覆いかぶさった。
「……ぇ……?」
小さく蒼衣の驚いたような声が聞こえる。
それを口の中に封じながら直輝は、改めてどう説明するかを考えた。
直球で言うのが一番いいとは思うが、今の蒼衣にそれが通じるかどうか。そもそも、今の段階でかなり直球で直輝は蒼衣を誘っているのだ。これ以上の直球があるかどうかも怪しい。
かといって遠まわしに言えば確実に意味は通じないだろう。
ならば、やはりし直球かないか。
そう決意を固めると、直輝は蒼衣の柔らかい唇をぺろりと一度舐めた後、ゆっくりと唇を離した。
「――だから、お前明日、女装しろ。とびっきり可愛く。」
「へ?」
「で、俺と出かけんだよ。そのまま映画観に行ってもいいし、服とか見に行ってもいい。」
「え……? え?」
「まぁ、女装すんのが嫌なら男の恰好のまんまでも俺はかまわねぇが、ただ、明らかに男同士って感じの二人連れじゃデートって感じになんねーじゃん。てか、男の恰好じゃ手とか繋げねーじゃん。その状態で手とか繋ぐんだったらあれだな、それ専用の街行かなきゃいけなくなるが、それはまたデートって感じにゃ程遠いし、流石にゲイ専用の街でも昼間っから手を繋いでる男カップルなんて居ねーだろうし、かといって映画観るっつってもあそこはホモ映画だけしかねーだろ? お前が観たがってた奴ってあの手の街の映画館じゃ上映してねーし。だからさ、あの映画観たかったら、お前は明日、女装しろ。んで、俺と手を繋いで、映画観る以外にも飯食ったり、服見たりしする為に俺と一緒に出かける事……解ったか?」
「は……? へ? え? え?」
息が触れあうほど間近に顔を寄せたまま直輝は、明日の事について一気にまくしたてる。その直輝の言葉についていけず蒼衣は思いっきり大きな疑問符をその顔に浮かべたまま、間近にある直輝の顔をきょとんと見返す事しかできなかった。
かろうじて蒼衣が聞きとれ、意味が理解出来たのは、明日女装をしろ、と言われた言葉と、どうやら直輝は明日映画を観に行くつもりらしい、と言う事。
それで何故自分が女装をしなければならないのかの意味は、まだ蒼衣には飲み込めていない。
先ほどと同じように何度も何度も頭の中で直輝が言った言葉を反芻し、その言葉の中にまた頻繁に出てくる、デート、と言う言葉に頭を捻る。
だが、暫くそうやって直輝の言葉を反芻していると、漸く鈍い蒼衣にもうっすらと直輝が言いたい事が解って来た。
途端にさっきまで空滑りしていたデートと言う言葉の意味がはっきりと蒼衣の頭の中でビジュアル付きで浮かび、さぁっと顔に赤みが差して行く。
「……明日俺とデートするよな?」
顔色が変わった蒼衣を見て、直輝が苦笑と共にそう確認をする。
すると蒼衣は、かぁぁ……ッと更に頬を赤く染め上げ、戸惑いと、驚きに満ちた表情で、だが、恥ずかしそうにしながらもこくんと小さく頷いた。
何故、どうして、の疑問は頭の中に大量に渦巻いている。
だが、それらをひとつひとつ直輝に確認する事は今の蒼衣には無理だった。それよりも今はただ、明日直輝とデートする、と言う事があまりに驚きで、そしてそれを直輝が言いだしたのが意外で、唖然としたまま直輝の言葉にただこくこくと頷く事しか出来なかった。
それでも、言葉の意味を理解すればおのずと蒼衣の心には喜びと嬉しさが込み上げてくる。
エッチをしてくれなかった事への不安もそのお陰で少しだけ吹き飛んだ。
蒼衣が漸く理解した事に直輝はホッと息を吐き、そして、今一度蒼衣の頭をぐしゃぐしゃに撫でる。その髪の下で蒼衣は恥ずかしさからか、驚きからか、それとも嬉しさからか、おろおろと視線を彷徨わせ、ぱくぱくとまるで金魚のように口を開けたり閉めたりしていた。
そんな蒼衣に直輝はくすりと笑いかけると、真っ赤になっているその頬に唇を落とす。その赤さが示すように蒼衣の頬は熱くて、そこに淡く唇を滑らしながら直輝は胸の中に何とも言えない楽しさが湧きあがってきたのを感じる。それは、普段の蒼衣との遊びや買い物に対する楽しみとはまた違った感情で、純粋に明日蒼衣とある意味ちゃんとデートとをする、デートが出来ると言う楽しみだった。
「くくっ、明日、楽しみだな。」
湧き上がってきた感情をそのまま直輝は口に乗せる。
すると蒼衣が真っ赤になって、恐らく肯定の意味でまた小さく頷く。その反応がまた直輝の中にある楽しみを倍増させ、そして、困った事に収めていた性欲まで取り戻してしまう。
蒼衣の頬に滑らせていた唇をそのまま蒼衣の耳まで移動させ、髪の毛に埋もれていても真っ赤になっていると解る蒼衣のそれを口に含む。髪の毛ごと口の中に含んだせいか、蒼衣のシャンプーの香りが強く鼻腔を刺激し、また、直輝の性欲まで刺激した。
その事に内心ヤバイなーと思いながらも、直輝は目の前にある蒼衣の真っ赤になっている可愛い顔と耳に自制出来そうもないと悟る。むくむくと体の中に欲情が膨らんでいき、それに呼応するように下半身にも血液が集まり始めた。
さっきの事もある為、まだ心の奥には蒼衣にこうして欲情する事への罪悪感がある。
それでもつくづく蒼衣に対してだけ、こんな風にふとした瞬間にさえも押さえるのが困難なほどの性欲を感じてしまう自分に、馬鹿みたいだ、と少しだけ直輝は笑う。
直輝の唇が蒼衣の耳を食み、舌がその耳朶を舐め上げると解り易い位簡単に蒼衣の体はびくびくと震え、直輝の耳に聞こえる蒼衣の小さな息遣いが上がっていくのも解る。その反応ひとつ取って見ても、直輝の欲情を加速させることはすれど、押さえる事は無理そうだった。
それでも、直輝はなんとかその欲情をぐっと抑えようと試みる。
幾らなんでもさっきの今で蒼衣に手を出すのは、自分の為にも、何よりも蒼衣の為にもいけないような気がした。
後ろ髪を惹かれる思いで蒼衣の耳に寄せる唇をそっと離し、顔も蒼衣から離す。
直輝が離れて行く気配に蒼衣の瞳が薄く開き、直輝の顔を見る。その瞳は微かに欲情に潤み、目の回りも赤く上気しかけていた。
「直輝くん……?」
突然離れた直輝に蒼衣は少しだけ不安の絡みついた声でその名を呼ぶ。
蒼衣の声に直輝は体を離した事を後悔したが、だが、やはりここで自分の性欲を優先させてはいけないと自分に言い聞かせ、蒼衣を見下ろす形で不安を浮かべている蒼衣に向けて微笑んだ。
「明日の為にももう寝ようぜ。」
「え……、あ、えと……う、うん……。」
さらりと蒼衣の頭を撫で、安心させるように微笑みつつその頬にキスを落とす。
直輝の言葉に蒼衣は面食らったように瞳を見開いた後、どこか不安な面持ちを残したまま、それでも直輝の言葉に頷く。本音を言えば蒼衣としてはこのまま寝たくはなかった。だが、直輝自身がそう言うのなら、きっともう本当に今夜はする気はないのだろうと思う。
直輝がする気がないのに自分だけがその気になっても仕方ないので、蒼衣は直輝の言葉に内心渋々と言った感じだったが頷く。
そんな蒼衣を見下ろしながら声に絡まる不安と、不満そうな響きに直輝はちょっとだけ苦笑をした。
そしてもう一度蒼衣の上に覆い被さると、その頬にキスをする。
「……明日さ、デート帰りにホテル行くっつーのもプランに入れようと思うが、どうだ?」
くすくすとからかいを半分交ぜたような笑い声を忍ばせながら直輝は蒼衣にそう提案した。その提案に蒼衣の瞳が驚いたように開かれる。そして、パチパチと何度か瞬きした後、蒼衣は視線を動かして直輝を見ると、口を開く。
「へ……? ほ、ホテル……? え……、な、なんで……?」
「折角のデートじゃねぇか。たまにゃ部屋じゃなくて、ラブホとかでスルっつーのよくねぇ?」
「……え? えぇ……?!」
「なんだよ、嫌なのか?」
直輝の口から、ラブホ、と言う単語が出た事に驚き、そして更にそこでエッチをすると言う直輝の言葉に蒼衣は目を白黒させて、困惑を隠せない表情で直輝を見返す。
その蒼衣の表情に直輝が蒼衣の頬から顔を離し、微かに唇を尖らせて蒼衣の同意を得られなかった事に薄く不満を漏らした。
「えっ?! い、いやっ、……嫌じゃ、ないよ……。だ、だけど、明日って、その、僕、女装姿だし……、てか、男同士でホテルって入れるの……? 普通、断られるんじゃないの……?」
「大丈夫だって。ひいき目に見てもお前の女装姿、ちゃんと女に見えてんぞ。まぁ、俺より背がたけぇのはちょっとアレだが、最近は背の高い女も多いしな。だから安心しろ。お前の女装は完璧だ。」
一体何をどう安心すればいいんだろうか、そんな複雑な心境を抱えながら蒼衣は目の前にある直輝の何故か凄く自信満々な顔を見返す。
だが、ここでどう反論した所でこの状態の直輝には勝てないような気がする。
だから蒼衣は困ったように笑いながら、ちらりと直輝を見た。
「……でも、その、直輝くんは、女装姿の僕と街中とか歩いたり、その、ホテルとか入るの、平気なの……?」
そもそも直輝がどう言うつもりでこんな事を言いだしたのかも解らず、しかも、女装姿の蒼衣を連れて街中を歩くと言うリスクを冒してまでこんな事をしたがる意図も見えず、今更ながらにそう蒼衣は直輝に尋ねてみる。
すると直輝の顔が酷く怪訝そうなものになった。
「はぁ? 何、言ってんだお前。平気じゃねーと女装姿でっつー条件出してまで誘う訳ねーだろ。……つーか、何、お前実は嫌なのか? 明日俺とデートすんの。」
「ち、……っ、違うよっ! で、デート自体は、すっごく嬉しいよ……! ……で、でも……その、直輝くん、元々ノーマルでしょ? なのに僕みたいな女装した男連れてデートなんて、直輝くん、嫌じゃないの……? もし、知り合いとかに見られたりしたら……困るのは直輝くんなんだよ……?」
呆れた顔で蒼衣の言葉を真っ向から否定した後、ふと思い当ったように眉を顰めると直輝は蒼衣に明日のデートが嫌なのかと詰め寄る。
その直輝の剣幕に慌てて今度は蒼衣が否定をし、だが、困ったように不安そうに蒼衣も眉を寄せると、ぽつりぽつりと心にある不安と、心配を口にした。こうして改めて不安を口にするとそれは更に現実味を帯びて蒼衣の中に強い不安を呼び寄せてしまう。
それにまたもし、明日、今日あったように直輝の他の友人達と街中で鉢合わせしてしまったら、確実に直輝は困るだろう。そもそも直輝が今まで蒼衣にあまり他の友人の話をしないのも、その友人達に対して蒼衣をあまり会わせたくないような素振りをしているのも、蒼衣がこうした性癖と趣味を持っているからだと蒼衣は思っている。そうでなければ、今日、蒼衣のバイト先であんな風に勇達が来た時に慌てて店を出るような事はしなかっただろう。
だから、蒼衣としてはどうしてこんな風に直輝が、蒼衣に女装をする事を条件にデートをするなどと言いだしたのかが解らない。
もし本当に明日、街中で女装をした蒼衣を連れた直輝を直輝の友達が見て、そのせいで自分の存在自体が直輝にとってマイナスになり、そして直輝の友人達に対しても嫌な思いをさせてしまうのではないかという事にまで蒼衣の不安は広がっていく。
しかも今日会った順平は、女装をしていない蒼衣でさえあれだけの拒絶反応を示したのだ。あからさまな無視や不機嫌な表情、敵意をむき出しにした視線。順平のその蒼衣に対する態度を思い出し、じわりと蒼衣の中に不安以外にも悲しみが広がっていく。
その時、不意にバイト先で朱里に言われた言葉が脳裏に蘇った。
――積極的になりなさい。……今日の友達の事だって、気になってるんでしょ? だったら尚更自分から直輝くんに今日来た友達の事、聞くくらいしないと。――
朱里の蒼衣を思いやっての言葉が蒼衣の脳裏をぐるぐると回り、押し寄せる不安と悲しみの中、蒼衣は直輝を見上げて口を開いた。
「そ、それに……僕がこんなだから、直輝くん、本当は今日近藤くんや壬生くんに、僕を会わせたくなかったんでしょ……? こんな変態な趣味持ってる男と直輝くんが友達だって、知られたくなかったから……だから……今日、壬生くん達が来た時に、急いで出て行ったんだよね……?」
自分で自分の中の不安を口にしながら蒼衣は段々と直輝を見上げる瞳が霞んでいくのを感じる。今日はどれだけ涙を流せばいいんだろう、女みたいだ、と少し自分に呆れながらも、脳裏に浮かんだ朱里の言葉に後押しされながら蒼衣はもうこの際だとばかりに直輝に今日感じた不安を全て洗いざらい話してしまおうと、潤む瞳も気にせずに言葉を続けた。
蒼衣の不安が強く感じられる言葉と、泣きそうな表情に直輝は一瞬驚いたような顔をしたが、次の瞬間呆れたように盛大に溜息を吐く。
「はぁああ……、お前ってホントー、馬鹿つーか、鈍いよなぁ。」
「っ、な、なんでっ!? 僕、馬鹿じゃないよっ!! そ、そりゃ、に、鈍いのは……否定できないけど……っ。」
直輝の溜息と馬鹿と言う言葉に、蒼衣はムッとした表情を見せると反論をする。だが、途中で拗ねたような顔つきになると唇を尖らせて、鈍いと言われた事だけに関してはもごもごと弱い口調になった。
そんな蒼衣を見て苦笑をしながら直輝は、もう一度小さく溜息を吐くと口を開く。
「あのなー。俺があいつらにお前を会わせたくなかったのは、別にお前とこうして付き合ってんの知られたくなかったからじゃなくて、お前があいつらに嫌な思いさせられるかもしれねぇって思ったからだよ。」
「……え?」
「順平の態度見りゃわかんだろ? あいつは、まぁ、解り易すぎるんだが、……俺の元々のダチはあーいう、なんつーか、先入観で勝手に相手を判断して態度を悪くするような奴が多いんだよ。……まぁ、俺も含め、なんつーか、いじめっ子タイプが多いっつーか……。気が弱そーな奴は悪気なく使いっぱしりにしたり、弄りの対象にしちまう奴が多いの。しかも、お前って如何にも、いじめて下さい、って感じじゃねーか。あいつらの恰好の標的になるのは間違いねぇ。」
「う……。」
直輝の思いもしなかった言葉に蒼衣の目が丸くなる。
だが、確かに言われてみれば勇はともかくとして順平の方は、初対面の蒼衣にあんな態度を取る所を見るといじめっ子タイプだと言われるのも解る。そして、直輝が蒼衣をいじめられっ子っぽいと思っていると言う事も、蒼衣にはよく理解できた。
しかし改めて直輝に真正面から、いじめて下さいだと言う感じに見られていると言う事を言われて、蒼衣は複雑な心境になる。何か文句を言おうと口ごもるが、それよりも先に直輝が更に言葉を続けた。
「お前が女装趣味だとかそーいうのは俺はもう全然気にしてねーし、それもひっくるめて俺はお前と付き合っていきてーとか思ってるし、お前の趣味があいつらにバレて女装趣味の奴と俺がダチしてるって言われるのも、陰口叩かれるのも構わねぇ。俺が悪く言われる分には無視しときゃいいし、そんなのにも興味ねーからな。けど、お前はそれがバレてあいつら、……まぁ、主に順平になるだろーが……、あいつらに、その事で酷くからかわれたり、気持ち悪がられたりすんの、ヤだろ? 実際、今日だって、お前、順平の態度に落ち込んでたじゃねーか。あんな風に落ち込むのが解ってたから、……その、だから、俺はあいつらにお前を会わせたくなかったんだよ。」
一気にまくし立てられた直輝の言葉に、蒼衣は直輝が自分の気持ちをそこまで汲み取って気にしていた事を知る。今まで全くそんな事を直輝が考えているとは思っていなかっただけに、それは蒼衣にとっては驚きで、そして、嬉しくもあった。なにせ今まではずっと直輝が友人の話を蒼衣にしないのも、会わせる事もしないのも全て自分のこの性癖と、趣味のせいだとばかり思っていた。それなのに直輝はそんな事は気にしてないときっぱりと言い切って、なおかつそれもひっくるめてこれからも付き合っていきたいとも言ってくれた。その言葉が嬉しく、蒼衣は心に渦巻いていた不安と悲しみがすーっと晴れて行くのを感じる。
……そうか、直輝くん僕が変態だから、近藤くん達に会わせたくなかった訳じゃないんだ……。そう心の中で呟き、じんわりと体を強張らせていた妙な緊張感が溶けて行く感じを蒼衣は覚えた。
見上げると直輝が薄く苦笑を浮かべている。
その苦笑には照れたような色も見えていて、恐らく内心で喋りすぎた、と思っているのが窺われた。
そして直輝は実際、喋りすぎた、と思っている。あまり自分らしくない説明の仕方自体を照れている訳ではないが、それでも、ここまで自分がムキになって蒼衣に順平達に会わせたくなかった理由を力説しているのがこれまた自分らしくなくて苦笑するしかなかった。
なんで蒼衣にだけはこーやって自分の思ってる事ちゃんと話そうと思うんだろうな、そんな事を思いながら直輝はこの問題に対しての締めを口にする。
「ま、まぁ、そんな訳で、俺は別に女装したお前と歩いて、もしまたあいつらに会っても平気っつーか、大丈夫だから。変な事気に病むな。」
「……直輝くん。」
「あ、でもな、蒼衣。」
直輝の言葉に軽く感動して、嬉しさを堪え切れない声で直輝の名を口にする。その声を聞いて満更でもない顔を一瞬した直輝だったが、すぐに表情を引き締めると、少し申し訳なさそうな瞳を蒼衣に向けた。
一つ言い忘れた事を思い出したのだ。
「もし明日、俺のダチや知り合いに街中で会って俺に話しかけてきたら、お前、すぐに俺から離れろよ。んで、偶々俺に道を聞いた他人のふりしろ。俺もそう言う対応すっから。」
「……ぇ……?」
しかし直輝が次に口にした言葉に軽く蒼衣はショックを受け、今しがた感じた感動がけし飛ぶようなそんな感情を覚える。
だが、ショックを受けている蒼衣を見た直輝はまるで蒼衣のそのショックを笑うように、口元を笑みの形に釣り上げると呆然と直輝を見返している蒼衣の頬に手を置き、撫でると蒼衣へ顔を近づけて行く。
「――そうすりゃ、俺のダチや知り合いにお前だってバレる確率は低くなるだろ? それにお前が女装趣味だっつー事も。まぁ、これはお前がバレたくない場合の対応だから、もしお前がバレても構わないっつーならそのまま俺の横に居ろな。――俺の新しい彼女、って紹介してやるからよ。」
「あ……。」
鼻先をくっつけるようにしながら、喉の奥で低く直輝は笑う。
その直輝の言葉と笑いにまずは感心と驚きを蒼衣は表し、そして最後に付け加えられた冗談混じりの言葉にぱぁっとその頬に赤みが差した。
そんな蒼衣を間近で見ながら直輝は、また低くくつくつと楽しそうに笑うと、赤くなっている蒼衣の頬にキスをする。
と、そんな直輝の首に蒼衣の腕がするりと絡まり、蒼衣の頬に口付けをしている直輝に向けて蒼衣は顔を向けた。そして自分から直輝の唇に唇を重ねて行く。
「ん……っ。」
甘く鼻を鳴らしながら、蒼衣は直輝の唇に深く自分の唇を押し当てて、薄く開いているその隙間に舌を遠慮がちに、だが、それでも大胆に差し込んでいった。
その蒼衣のキスに直輝は少し驚きながらも受け入れ、自分からも口の中に入ってくる蒼衣の舌に舌を絡めて深く唇を交じ合わせる。
直輝とするキスにも大分慣れ、積極性を増しているそれは元々性技に長けている蒼衣らしくいやらしく直輝の舌に絡まり、その唾液を啜っていく。くちゅ、ちゅ、と唾液を絡ませる音を響かせながら、蒼衣は自分の思いの丈を伝えるように、直輝へ濃厚なキスを繰り返した。
顔の角度を変える度に口の端から二人の唾液が少しずつ零れて行く。その唾液で、てらてらと唇を光らせながら蒼衣は、直輝とするキスに呼吸を荒くしていった。
「ふ……っ、ん、ん……っ、ちゅ……っ、ふ……っ。」
はぁ、と息を漏らしながら、舌を突き出して直輝の舌を舐め、その唇を唇で味わう。
直輝の唇をこうして唇に感じているだけでも、体温はどんどんと上がり、先ほど直輝が、明日の為にももう寝よう、と言った言葉さえもどこか遠くへと消えて行ってしまった。
直輝の首に回している腕を動かし、その逞しい肩や背中を切なさを交えて撫でる。
足を擦り合わせ、覆い被さっている直輝のふくらはぎに足を絡めて、直輝の欲情を煽る様な事まで無意識にしてしまう。
「っ……ぷは……っ、ちょ、蒼衣、ま、待った……っ!」
「ん、……ヤダ……待たない。」
「あ、お……っ、んん……っ。」
直輝の背中に回っていた腕の片方が当然のように直輝の腰を撫で、そして体の前の方に回ると、直輝が驚いたように蒼衣から唇を離し、蒼衣の行動を制止しようと声をかける。
だが、そんな直輝に蒼衣は潤ませた瞳で直輝を見上げた後、珍しくぷるぷると頭を振って直輝の言葉と制止を無視するような事を言い、更に制止をしようとする直輝の口を強引に奪った。
そのまま蒼衣は直輝の体を自分の上から浮かせ、位置を逆転させる。
まさか蒼衣がここまで強引に自分を求めてくるとは思ってなかった為、直輝はその蒼衣の積極的な行動に唇を塞がれたまま目を白黒させていた。
「っ、ん……、明日に、響かないようにするから……。」
完全に体の位置を逆転させ、直輝の腰に半ば馬乗りの様な形になると蒼衣は漸く直輝の唇を解放する。
そして、完全に欲情に潤んだ瞳で直輝を見下ろしながら、欲情の絡んだ粘ついた声でそう直輝に自分からセックスを求める言葉を口にした。
直輝と蒼衣の唾液で濡れそぼっている唇からそんな風に欲情に濡れた声で、言葉で求められてしまうと、直輝もそれを拒否する事はなかなか難しい。そもそも、直輝自身、半ば無理矢理に先ほど蒼衣に感じた欲情を抑えつけて、明日の為に、などと言ったのだ。こんな風に求められると、その時決意したその思いさえもぐらついてしまう。
「蒼衣……。」
「ごめんね。でも、僕……、今、直輝くんが欲しい……。」
困ったように蒼衣の名を呼んだ直輝に、これまた困ったように眉を下げて、でも、熱に浮かされたように欲情の吐息を漏らしながら蒼衣は、そう自分の中に渦巻く直輝に感じる欲情を、求める気持ちを直輝へ伝える。
そのまま蒼衣は直輝の返事は待たず、顔を直輝の首筋に埋めるとその肌に唇を這わす。
蒼衣の唇の感触にぞくぞくとした電流にも似た快感が背筋を這い、体の中に蒼衣を求める感情が爆発的に増して行くのを感じ直輝はこれ以上蒼衣を拒絶する事など無理そうだと、早々に蒼衣を説得する事を諦めた。
そして小さく諦めの溜息を吐いた後、直輝は蒼衣の腰へと腕を回し、そのまま蒼衣の尻に手を這わす。
途端に蒼衣の体がびくんと敏感な反応を返し、直輝の欲情を更に煽った。
「……明日、起きれなくなってもしんねーからな。」
「……っ、ん、ん……っ、大っ、丈夫だよ……っ、僕が意外にタフなの、知ってるでしょ?」
蒼衣の臀部を当然のように撫でまわしながら、直輝は苦笑交じりにそう蒼衣の誘いに乗る事を蒼衣に伝えると、蒼衣は微かに甘い声を漏らしながら、直輝のその言葉にくすくすと笑う。
そんな蒼衣に直輝は、確かにな、と蒼衣の意外なほどセックスに対するタフさを改めて思い浮かべながら頷いた。
互いに暫くそうしてくすくすと笑いながら、じゃれあうように互いの体を弄り、身に纏っていたシャツや下着を互いの手ではぎとっていく。
そして、あれだけ直輝が決意した事は蒼衣自身の手に寄って崩され、結局二人は濃厚な夜を今日もまた過ごして行った。
翌朝、そんな夜を送っていた癖に、直輝が起きた時には蒼衣はすでにある程度の身支度を済ませ、直輝が起きてくるのを見計らって作っていたのか、ベッドから少ししか離れていない小さなテーブルの上に朝食を並べていた。
「おはよう。」
本当なら寝不足であるはずなのに、妙にすっきりとした、昨夜あれだけ淫らな顔を見せたとは思えないほどすがすがしい笑顔を浮かべて、起き上った直輝に蒼衣は声をかける。
それに、寝起きで掠れた声で、おう、と返し、つくづく蒼衣のタフさに直輝は感心するとともに少しだけ苦笑をした。あの細い体のどこにそれだけの体力があるのか、全く想像がつかないためだ。練習のハードさに定評のあるボクシングをしていた直輝でさえ、蒼衣とセックスした翌朝は今までに感じた事のないダルさを体に感じると言うのに。
それでも蒼衣の幼少時代からの事を思えば、事、セックスに関してだけ上手く体力を配分して挑む事が出来るように無意識に蒼衣は体の動きなどをセーブしているのだろうと直輝は想像する。それはそれで直輝としては面白くない事ではあったが、それがあるからこそ直輝の欲望のまま行うあのセックスにも蒼衣が耐えれているのだと思えば、仕方のない事だと嫌々ながらも諦めがつく。
昨夜も結局、あっさり目に済まそうと思っていたセックスを直輝は蒼衣の積極的な行動や、淫らさに我慢が出来ず、がっついてしまった。
バックで一回、騎乗位で一回、正常位で二回……、昨夜自分と蒼衣が射精した回数を頭の中で数え、幾らなんでもがっつきすぎだったなー、今日もあんのに……、と昨夜の自分を反省する。とはいえ、蒼衣も夕べは歯止めが効かない位欲情していた事を考えると、まだこの回数で済んだだけマシな方か……、そんな事を思いながらベッドの上でボーッとしていると、蒼衣がテーブルの上に朝食を並べ終えたらしく直輝に近づいてきた。
近づいてくる蒼衣に視線を向けると、照れたようにはにかんだ笑顔をその顔に浮かべてベッドの傍で膝を突いて直輝の顔を覗き込む。そして、そのまま直輝の唇に自身の唇を押し当てて、触れるだけのキスをするとすぐに顔を離す。
「えへへ……、おはよう。」
「あ、あぁ……、おはよう。」
キスしちゃった、とでも言うようなはにかんだ笑顔を直輝に向けながら、蒼衣は再度直輝に向けて朝の挨拶をする。
その蒼衣の笑顔に直輝は面食らったように目を瞬かせた後、すぐに瞳を細めて笑い返すと改めて蒼衣に向けて朝の挨拶を返した。
直輝の言葉に蒼衣は、またその顔を嬉しそうに綻ばせる。
そして、ご飯を食べよう、と直輝は促され体の位置を変えると、蒼衣ともどもテーブルの横にちょこんと座った。
そのまま二人は、いただきます、と手を合わせて蒼衣の作った朝食を食べ、昨夜の濃厚な時間が嘘のような妙にまったりとほのぼのとした時間を過ごす。
しかし朝食を食べた後は、また蒼衣に促され急かされながら直輝は浴室へと追いやられる。
昨夜掻いた汗と、そしてまだ互いの精液と体液が体にこびり付いているのでそれを流してこい、と言う事らしい。それは蒼衣とセックスした翌朝の習慣になっていたのだが、風呂場に追いやられた時に蒼衣が真剣な顔をして、直輝に言った言葉がシャワーを浴びる直輝の顔をだらしなくさせていた。
「……僕が呼ぶまで出てこないでよ、か……。」
改めて蒼衣が口にした言葉を舌の上で転がしながら直輝は、くすくすと楽しそうに笑う。
直輝が起きた時にはまだ蒼衣は“男”の恰好をしていた。化粧もしていなかったし、コンタクトも入れてないらしく眼鏡をかけたままだった。それを踏まえると、どうやら直輝がシャワーを浴びている間に女装をするつもりらしい。
一体どれくらい俺はシャワー浴びてりゃいいんだろうな、つか、どこまで気合いを入れるつもりなんだか……、そんな事を思いながらも、直輝は風呂から上がるのがまた一層楽しみになる。
直輝から見て蒼衣の女装は、昨夜も蒼衣に言った通り完璧だった。
初めて蒼衣の女装姿を見た時も、その前の男の時の姿を知っていなければ普通に女に見えるほどに蒼衣の女装は完璧だ。そして、それは蒼衣がバイト先でメイド姿の女装で働いている姿を見た時に、改めて確信へと変わった。確かに、多少女にしては低い声と、長身、筋張った体ではあるが、それでも体の線や肌が極端に出なければそれは十分誤魔化せる範囲だ。声にしても、最近は男よりもよっぽど掠れた声の女も多い。そして、蒼衣は仕草も表情も、女装している時は意識しているせいか女よりも女らしい時がある。その事を思えば蒼衣が今日女装してデートをしても周りの人間には、男だとバレる心配はないだろう。
但し、蒼衣の女装は完璧すぎて、他の男が言い寄ってくる可能性が高いのが難点だった。
なにせ蒼衣は自覚していないが、バイト先で結構な人数の客から本気の告白を受けているらしい。その内訳を先日、朱里から聞いた。
花火の日に蒼衣から聞いていてある程度の予想はしていたが、改めて朱里から聞いたその人数に直輝はその場では苦笑をするしかなかった事を思い出す。
男の時はあれだけ地味で目立たないようにしている癖に、女装をした時は否が応でも蒼衣のその長身と整った顔立ちに他人の視線が自然に集まってしまう。
大体があの花火の時にも、散々周りの人間が蒼衣に集まり、女達の嫉妬混じりの視線や、男達の欲情でギラギラした瞳を向けられていたのだ。しかも、蒼衣の隣に居る直輝には、明らかに攻撃的な視線を向けられ、直輝がもし気の弱い男であればすぐさま蒼衣は奪われてしまっただろう。それくらい、蒼衣は気が付いていなかったが直輝に向けられる瞳には敵意が込められていたのだ。だが生憎直輝は睨まれるくらいでビビるような男ではなかった。向けられた瞳以上に剣呑な光を湛えた瞳でそんな男どもを牽制しつつ蒼衣と一緒に人ごみを歩く。だからこそ、蒼衣から見れば直輝が怒っているように見えた訳で。
完璧すぎるっつーのも問題だよな、そんな事を思うが、もし一発で男だとバレてしまう程度の女装ならばあの店で働いていく事も出来なかっただろうし、あれだけの人数に告白される事もなかっただろう。
その事を喜んでいいのか、悲しんでいいのかは解らないが、だが、完璧な女装と言う一点のみを見てみると、こうして男同士と言うのを感じさせずに、人の好奇な視線を気にせずにデートが出来る事は利点のような気が直輝にはする。
勿論、それを蒼衣自身が望んでいないのであれば女装でデートをするという行為自体を辞めるべきではあるのだが、今の所蒼衣がそれを嫌がっているようには直輝の目には見えない。
そもそも嫌なら今、こうして直輝を浴室に閉じ込めて用意を入念にする筈がない。
風呂から上がった時に蒼衣がどんな格好で、どんな表情で部屋で待っているのかを想像するだけで直輝も今まで感じた事のないワクワクするような、心から楽しみだ、という感情が後から後から湧き上がってくる。
今まで直輝が見た蒼衣の女装はコスプレ紛いのものも含めて、大体十種類前後だ。女子高生の様なセーラー服姿やブレーザー系制服姿、最初に見たような今時の普通の女の子の恰好、いわゆるロリータファッションのようなひらひらとした格好も見た事があるし、その恰好でセックスをした事もある。ちなみに蒼衣の話に寄れば、その女装衣装はまだ蒼衣が朱里達と一緒の暮らしていたころに朱里が割と頻繁に買ってきては、バイト終わりに蒼衣で着せ替え人形をして遊んで居た頃の名残らしい。勿論、新しい物もある。それらの中にもまた朱里が買ってきたものもあったが、何枚かは蒼衣自身がネットで購入した衣装もあるらしい。
ただ、どの衣装が蒼衣が買ったものなのかは直輝は教えて貰っていないので、今一つ蒼衣の好みの服がどんなものか直輝には解らない。
その事に思い当たり、直輝は折角の機会だし、今日のデートで蒼衣の好きな服を聞き出してやろうとそんな事を思う。
そして改めて頭の中で今日の予定を立て直して行く。映画を観る事は決定として、他の時間をどう過ごすかを考える。
今まで付き合った歴代の彼女たちとしたデートを改めて思い出しながら、どうしたら蒼衣を喜ばせる事が出来るだろうかと思いを巡らせている途中で、ふと直輝は冷静になる。
何、男相手のデートを他の女同様の内容で考えてんだか、そう胸の中で呟き、口元に苦い笑みを浮かべる。
まさか自分が男相手のデートの内容をここまで真剣に吟味するようになるとは思わなかった。しかも今までにないほど、真面目に。蒼衣の喜ぶ顔を想像しながら。その上、蒼衣が男だと言う事さえも忘れて、まるで女相手のデートのように、いや、女相手でさえもこんなにも心は躍らなかっただろうし、実際は女とのデートなど面倒臭い行事の一つだった筈だ。それなのに、蒼衣に対してだけはどうしてこうも今までの女とは違う対応をしてしまうんだろうな。
そう言った感情と思いが込められている苦笑を口元に貼りつけたまま、シャワーのコックを捻り冷水を流す。そして、その冷たい水を頭から被った。
体を洗い幾分火照った体にその冷水は心地よく馴染み、足元へと流れて行く。
「……なんつーか……、まいったな。」
困ったような感情を乗せ直輝はそう口にする。但し、その言葉には決して蒼衣とのこの関係を後悔する意味は籠っていない。寧ろこれからどんどん今よりも更に深みに嵌っていくだろうと思う自分自身に対する高揚感を自嘲する意味合いを込めた言葉だった。
多分、恐らく、確実に。
直輝は蒼衣に対して感じている、抱いているこの想いをそう遠くない日に、抑えきれなくなり、蒼衣に対して伝える事になるだろう。
もうすでに日々の会話や態度を見ていれば伝えているようなものではあったが、それでも直輝の口からはまだはっきりと蒼衣に、恋人として付き合おう、と言う言葉は伝えていない。恋愛事にはとことんまで鈍い蒼衣が、どれだけそれに類似した言葉を言おうと、明らかな嫉妬をしてみせたとしても、きっとそれだけでは直輝の真意には気がつかないだろう。
それに、蒼衣が例えうっすらとでも直輝の想いに気が付いていたとしても、きっと、気のせいだと、自分の思い込みだと、そう自分を厳しく律するだろうと言う事は、直輝にも簡単に想像がついた。
他人に寄せられる好意に蒼衣はとことん鈍い。
そして、何より、蒼衣自身が自分は他人にとことん嫌われる人間だと、他人が本気で自分に対して親身になる筈などない、と思い込んでいる節がある。
それは蒼衣の態度だけではなく、直輝は朱里と話している最中に朱里からぽろっと寂しそうに、『蒼衣ちゃんってさ、未だに私達に完全に心許してくれてないのよねぇ。なんか相変わらず見えない壁が立ちはだかってるのよー。だから直輝くんが羨ましいわ〜。』と呟かれた言葉に集約されているのだろう。その言葉だけ取って見ても、蒼衣が朱里達にさえ距離を置いていると言うのがよく解る。
そして朱里のその言葉に当時の直輝は酷く驚き、そして、酷く納得した事も思い出す。
「……つっても俺にもまだあいつちゃんと本音言わねーもんなぁ……。」
冷水を頭から浴びながら、朱里との会話を思い出し、そして蒼衣の普段の態度をも思い浮かべながらそう小さく呟いた。
多分蒼衣は、過去の虐待と周りの人間の対応のせいで、朱里も言っていたように他人に対してなかなか素直に自分の心を開く事が出来ないのだろう。それは、自分が他人に嫌われている、自分を好きになったり親身になったりする人間など本当の意味では居ない、と思ってるのが、傍で見ていてもはっきりと解るぐらい他人に対しての壁を無意識で作っていることからも窺われる。
確かに年も近く、恋愛感情を抱いている直輝に対しては、朱里や馨よりも蒼衣が打ち解け、本心を見せる事も多いだろうと直輝は自惚れではなく蒼衣の態度を見てそう思っている。
だがその反面、蒼衣が直輝に対してその心に宿している危うさも、脆さも、そして何より暗い闇の部分も曝け出していない事も解っていた。直輝の前では蒼衣は常に笑顔で、気を使ってかあまり暗い顔を見せないようにしている。そして、その心にある深い悩みも苦悩も辛さも直輝には話してはくれない。直輝と居る時に話す話は大抵が当たり障りのない事だ。蒼衣とこの関係になった当初に聞いた過去の話も、それ以降、蒼衣が自ら口にする事も少ない。
だが蒼衣には確実にまだまだ沢山の秘密がある。朱里や馨は知っていても、直輝には隠しているような秘密が……。
その全てを知りたいとも、言わせたいとも直輝は今の所それ程思わないが、それでも蒼衣が直輝に対してその事でいらぬ負い目や引け目を感じ、直輝のやる事なす事全てに遠慮している事が直輝としては少しだけ面白くない。
昨夜のことだってそうだ。
あれだけ蒼衣が嫌がる事をした直輝の事を、最終的には許し、更にはまるで自分の方が悪かったとでもいわんばかりの態度で直輝に謝る。
本来ならばもっと蒼衣は直輝に対して怒ってもいい。それなのに、蒼衣は直輝に謝る。そして、自分からあれだけ嫌がった事をまたする、などと言いだす。
それが直輝にとっては少しだけ悲しい。
蒼衣としては直輝に嫌われたくない一心での言葉なのかもしれないが、直輝としてはもっと蒼衣に自分を大切にして欲しかった。確かに、あれだけセックスの時に蒼衣に対して意地悪をしたり傍若無人に振舞う直輝がそう思うのは単なるエゴかもしれない。だが、やはり蒼衣には嫌な事には本気で嫌だと言う勇気を持って欲しかった。でないと、直輝は蒼衣に対してもっとその心を傷つけそうで、壊してしまいそうな気がして、気が気ではなかった。
もし、夕べもあれ程蒼衣が泣いて、直輝に対して本気で怒らなければ、直輝は確実に蒼衣に対して更に直腸洗浄だけでなくもっと恥ずかしい事を無理矢理強いただろう。そして、蒼衣はその直輝の無理を心を少しずつ切り刻みながらも従うだろう。
そんな事を積み重ね、どんどんと蒼衣の心が傷つけられ、今でもどこか危うい場所に居るようにしか見えないその小さな足場を崩してしまいかねないのが直輝は怖かった。そして、それだけは何としてでも避けたかった。
昨夜の事まで思い出し、直輝はぷるぷると頭を振ってその心に湧き上がる蒼衣を自分のせいで壊してしまうのではという恐怖を、振り払う。
「あーっ、やめやめっ! 大丈夫。俺はあいつをこれ以上傷つけねぇ。大切にする。……そう決めたんだ。」
冷水をもう一度頭の上から浴びせかけ、浴室内に貼ってある鏡の横に両手を突きそれを覗き込むと、自分の目を見つめながらまるで自分に言い聞かすように、直輝はそう呟いた。
鏡の中に居る直輝も、いつもは眠そうに垂れている目に真剣な色を滲ませて直輝本人を見つめ返している。その瞳を強い意志でもって見つめながら、直輝は口の中でもう一度、あいつを大切にする、と繰り返した。
と、浴室と脱衣所を仕切ってあるガラスの引き戸を遠慮気味にコンコンと叩く音が直輝の耳に届く。
体を起こしガラス戸を見ると、曇りガラスの向こうに細いシルエットが立っているのが見えた。そしてそのシルエットが、少し恥ずかしそうな声色で直輝の名を呼ぶ。
「……用意終わったのか?」
「うん。待たせてごめんね。」
蒼衣の声に直輝はふっと心が軽くなるのを感じながら、ガラス戸越しに蒼衣に尋ねると、シルエットが微かに動いて頷くような仕草をする。そして、本体からも返事があった。
その言葉を聞き直輝は薄く唇に笑みを浮かべると、冷水を出していたシャワーのコックを捻り水を止め、シャワーを元の位置に戻してからガラス戸へ手をかけ、がらり、と音を立てて引き戸を引きドアを開け直輝は浴室の外へ出た。
そこで改めてシルエットではない蒼衣の姿を見て、一瞬動きが止まる。
「……へ、変、かな……?」
小首を傾げ、少しばかり不安そうな面持ちで直輝に自分の恰好が可笑しくないかどうかを聞く。
直輝は素っ裸のまま浴室と脱衣所の狭間に立ちつくしたまま、目の前に居る蒼衣の全身を穴が開くんじゃないかと言うくらい凝視していた。
その直輝の視線に蒼衣は更に不安そうに顔を曇らせる。
なかなか直輝が口を開かない事もまた蒼衣の不安を煽っていた。
「だ、ダメ、かな……? 似合わない……? 可笑しい……?」
何も言ってくれない直輝に、内心蒼衣はどうしようこの女装は失敗だったかも、と不安に思いながら、それでも更に言葉を重ねて直輝に感想を聞き続ける。
そして当の直輝はと言うと。
すぐに蒼衣に返事をしなかったのは、いや、出来なかったのは蒼衣に見惚れていたからだった。
そして、蒼衣の言葉は一応耳には届いていたが、全く直輝の頭には入ってきていなかった。
蒼衣は長い髪をまっすぐに降ろし、頭には華奢なカチューシャを付けている。そして、顔には派手になりすぎない程度の化粧。眼鏡は外し、コンタクトにした瞳には綺麗にアイシャドーなどでアイメイクが施され、相変わらず元々長い睫毛はくるんとカールしていて艶やかな黒のマスカラで彩られ、蒼衣の切れ長の瞳を更に強調している。また頬にはピンク色のチークがふんわりと乗せられ、薄い唇にはいつも使っている淡いローズピンクの口紅が乗り、その上からグロスでたっぷりと艶が与えられ、唇はぷるるんと潤っていた。
そして服装は薄ピンクのキャミソールの上に裾にフリルがふんだんに使われた白いワンピースを重ねて着ており、肩幅などを隠す為かその上からゆったりとした薄手の七分丈のレース編みカーディガンを羽織っている。その緩く開いた胸元には華奢なネックレスが巻かれていて、蒼衣の頸の細さを程良く強調し、ちらりと見える鎖骨に健康的な色気を与えていた。そして膝上のワンピースの下から伸びるすらりとした長い脚は暑苦しくならないようにか、肌色に近い色の網タイツ風のストッキングを履いている。
その目の前に現れたいつもセックスする時にするどこか多少コスプレっぽさを感じる女装とはまた違った正統とも言うべき女装姿と可愛さに直輝の眼は釘づけになっていた。
「直輝くん……?」
流石に何度尋ねてもなんの反応も、返事もしない直輝に蒼衣は、表情を曇らせ、怪訝な顔になると脱衣所の入口に立っていた足を一歩中へ入れ、直輝に近づいていく。
微動だにせず蒼衣を見詰めたまま、全身ずぶ濡れの状態で、髪からはぽたぽたと雫を垂らし続け、その雫さえも拭く素振りも見せない直輝が些か心配になる。
「直輝、くん?」
もう一度直輝の名を呼び、そっと手を伸ばして直輝の筋肉が盛り上がっている肩に指先を触れる。その爪にも控えめに薄いピンクのマニキュアが塗られていて、蒼衣の完璧主義とも言うべき拘りにも直輝は気がついた。
そして、漸く我に帰る。
「……、あ、わ、わりぃ。いや、……うん、似合ってる。マジ、すっげぇ、可愛い。俺とした事が思わず見惚れちまったぜ。」
目を何度が瞬いた後、薄く自分に向けた苦笑をしガシガシと濡れた髪を掻きながら固まっていた事を謝る。そして、改めてまじまじと蒼衣の姿を見た後、直輝は顔を綻ばせて素直に蒼衣を見て思った事を感想として伝えた。
すると直輝の言葉に蒼衣の頬が乗せられているチークよりも更に赤く染まっていく。
「っ、そ、そう……、かな……? 本当、に……? 大丈夫……? 可笑しくない……?」
「マジだって。安心しろよ。前の花火大会の浴衣姿もめっちゃ綺麗で見惚れちまったが、うん、こっちのがお前らしくて可愛い。似合ってる。」
「……ぅ、あ、ありがとう……。」
直輝の真面目な顔で繰り出されるべた褒めの嵐に、最初は不安顔だった蒼衣の顔がみるみる真っ赤に染まり、そして、最終的には困惑したものになる。朱里や馨に女装姿が可愛いや、似合うと言われる事は結構多い。だからその言葉自体は物珍しいものではないのだが、直輝にそう言われると他の人間に言われるよりも蒼衣の心にダイレクトに響き、言葉に出来ない恥ずかしさと嬉しさが一気に胸の中に広がる。
朝シャワーを浴びて汗を流した後だというのに、直輝のその言葉に蒼衣は体中がカーッと熱くなっていくのを感じ、汗が噴き出すのも感じた。
薄手のワンピースがそのせいで肌に張り付き、自分が直輝の言葉に体温をあげているのが嫌でも解り、蒼衣はますます恥ずかしくなる。
小さな声で直輝の言葉に礼を言った後は、カチューシャで抑えられている黒髪から覗く耳まで真っ赤に染め上げ、蒼衣は直輝の顔をまともに見返す事も出来ず俯いてしまった。
そんな蒼衣の恥じらう姿に直輝は思わず劣情を感じ、一瞬このまま蒼衣を押し倒してしまいたいと言う衝動に駆られる。それを慌てて打ち消し、直輝は小さく自分に向けて苦笑した。
「ダメだなぁ……。」
「え? や、やっぱ、僕、変……?」
「あ、いや、違う違う。お前に対してじゃねーよ。似合ってるか安心しろって。」
「本当? 良かった……。」
直輝の苦笑と小さく漏らされた言葉に、蒼衣が不安そうな面持ちで顔を挙げる。そして改めて自分の恰好を見下ろし、おろおろとワンピースやキャミソールを触って確認するような仕草をする蒼衣に、直輝は慌てて無意識に呟いた言葉を否定した。
その直輝の否定に蒼衣は、ホッと胸を撫でおろした後、小首を傾げで直輝を見る。直輝が、妙に真剣なまなざしで蒼衣を見返していたのだ。
どうしたの、そうその唇が動く前に直輝の手が蒼衣に伸びて来て、その頬に軽く触れた。直輝の指の感触に蒼衣は改めてまた頬を薄く染めると、開きかけた口を軽く閉じて直輝を見下ろす。そして目を瞬かせた。
直輝は相変わらずどこか真剣な目で蒼衣を見上げている。
その瞳に再度蒼衣は小首を傾げると、もう一度、どうしたの、と直輝に問いかけようとした。だが、その言葉が口から出る前に、直輝が背伸びをして蒼衣の唇に軽く触れるだけのキスをする。淡く唇が触れあい、そして、すぐに離れた。
「直輝くん……?」
「……今は、キスで我慢しとく。」
「え……?」
きょとんとした顔で直輝を見下ろす蒼衣に、直輝は苦笑の様な自虐の様な笑みをその唇に浮かべながらそう、少しだけおどけたように言うと、さっさと蒼衣の横をすり抜けて行ってしまう。その直輝の言葉と、全裸のまますり抜ける途中に手に取ったバスタオルを持って部屋へと歩いていく直輝の背中に蒼衣は驚いたような、戸惑ったような声を投げかけるが、直輝はそれに片手だけを挙げて応えただけだった。
「え……、直輝くん? え、何?」
直輝の返答に納得がいかず、蒼衣は慌てて直輝の背中を追いかける。
そして、直輝が和室に入る直前にその背中に追いつくと、バスタオルで荒く体を拭いている直輝にもう一度同じ言葉を投げかけた。
すると、振り向く形で直輝が蒼衣を見上げると、ニヤリと意地悪く笑う。
「お楽しみは、夜までとっとかねーとな。」
「へ? え、何、何の事?」
「何の事だろうな〜?」
くすくすと意地悪く笑いながら、直輝は蒼衣の疑問を適当にはぐらかす。そしてまたさっさと和室へと入っていく。そんな直輝に蒼衣はますます困ったような顔になると、直輝の後を着いて和室に入り、また直輝へ声をかけた。
「え、何の事? 夜って……? え、……ぁ。」
だが途中で直輝の言葉の意味にうっすらと気がついたのか、小さく、あ、と漏らすと足を止める。そして顔をまた赤らめると、指を唇に持っていき、恥ずかしそうに俯いた。
「ま。そー言う訳だからよ、今夜も覚悟しとけよ。二時間プラス一時間延長は確実だからな。」
蒼衣が気がついた事に直輝はまた意地悪く喉の奥で低く笑うと、蒼衣の家に置きっぱなしになっているVネックのシャツを頭から被りながら更に蒼衣が真っ赤になる様な事を言う。
蒼衣はと言うと、やはり顔を真っ赤にして直輝の背中を見ながら困ったように眉を下げていた。
直輝の言葉にどう答えていいか解らず、もじもじと顔の前で右手と左手の人差し指をちょんちょんとくっつけている。
そんな蒼衣を目の端で認め、直輝は口元だけに笑みを浮かべると、チノパンに足を通して穿いた。
「――さて、と。とりあえず、映画でも観に行くか?」
蒼衣が真っ赤になって恥ずかしがっている間に直輝は服を全て身に着けると、蒼衣を振り返ってさっきまでの意地悪さを引っ込めた声と笑顔で蒼衣に声をかける。
その声に蒼衣はチラリと直輝を見た後、頬を染めたままコクンと頷いた。
蒼衣の頷きに直輝は満足そうに笑うと、じゃ、行くか、と蒼衣に声をかけ、和室の端に置いてあったボディバックを手に取るとそれを斜めに肩にかける。
そして蒼衣に視線だけで玄関へ向かうように促す。
それに蒼衣はまたコクンと頷いた後、慌てたように一度和室の奥へと戻り、押入れを開けその中に置いてある三段の衣装ケースの二段目を開ける。そこには女装する時の小物類が入っているらしく、中に手を突っ込むと女物の白い小さなショルダーバックを取りだした。
「蒼衣ー?」
「あ、ご、ごめん。荷物鞄に詰め替えるの忘れてたっ! すぐに行くー。先に外出ててもいいよー。」
玄関で靴を履きながらなかなか戻ってこない蒼衣を呼ぶ。すると、焦った声で蒼衣から後で追いかける旨の返事が返ってきた。
それに直輝は薄く苦笑をすると、トントンとつま先を床で蹴りながらしっかりとスニーカーの中に足を入れながらその場で待つ事にする。
和室では慌てながら蒼衣が、今引っ張り出した女物の鞄に元々の自分の鞄から出した携帯電話や財布、他にも細々としたものを移し替えて行く。そして、またさっきの衣装ケースの中に手を突っ込むと直輝が風呂に入っている間に使っていた化粧品も取りだす。ファンデーションと口紅、そしてグロスだけをより分けるとそれも鞄の中へ放り込んだ。
忘れ物がないかをもう一度ざっと確認した後、蒼衣は立ち上がると小走りに玄関へと向かう。
「あ、……待っててくれたんだ。」
玄関が目に入り、そこに直輝が立っているのを見て蒼衣の顔がパッと明るくなる。そして、タタタ……と直輝へと近寄ると、あらかじめ玄関のたたきに置いてあったバレエシューズの前に立った。そのまま足を靴の上に降ろし、履きなれないそれを少しおぼつかない手つきで履く。
「……ごめんね、女装で出かけるなんてしないから、手間取っちゃって……。」
「ん、気にすんな。」
直輝を待たせてしまった事に蒼衣は肩をしょんぼりと竦めると、明るく輝いていた顔を申し訳なさそうに曇らせる。それに直輝は、小さく笑うと手を伸ばして蒼衣の頬を軽く撫でた。
そのままもう一度背伸びをすると、蒼衣の唇に自分の唇を寄せ、薄く口づけた。