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NOVEL

Un tournesol 〜深き悩み、加えて、新たなる波乱?〜
10

注意) 特になし

 ガタン、ゴトンと電車が進むごとに車体が小さく揺れる。
 お昼近くに家を出たせいか車内は割と空いていた。まばらに人々が乗るそれに、直輝と蒼衣も同乗し、ボックス席に並んで座っている。

「空いてて良かったね〜。午前中だときっとぎゅうぎゅうだったよ。」
「そうだな。やっぱ昼から出るのが一番だよな。」

 そんなのほほんとした会話をしながら、二人は互いの顔を見合わせて苦笑を交えた顔で笑った。
 普段大学に行く時は大抵他にも大勢の客が乗り合わせ、車内はぎゅうぎゅう詰めだ。その中には当然同じ大学の学生も多く、サラリーマンやOL、他の学生達に交じって身動きもままならない状態で通学する事がざらだ。但し、昼過ぎからの講義に出席する時は、通勤者があまりいないせいか電車は比較的空いている事も多い。だが、蒼衣が取っている講義は午前中に集中している事が多い為、こうして電車に座って乗れると言う事自体結構珍しかった。
 また、直輝と並んで電車の席に座る、という事も初めての事で、蒼衣はなんだかとても気持ちが高揚していた。
 だから普段ならあまりしない自分の話や思っていた事を直輝に語る。

「僕ね、最初この街来た時に、この電車の人の多さにびっくりしたんだよねー。」
「へぇ。そうなんだ。」
「うん。まぁ元々そんなに電車とか乗らなかったから電車自体が珍しかったんだけど、それに加えてこの人の多さでしょ? まさか電車に乗ってあんな苦しい思いをするなんて思いもしなくて、初めて大学に行く為に乗った時はびっくりしちゃったよ。降りようと思っても降りれないし、身動きとれないし……。だから最初はちゃんと学校に通えるかどうか不安だったんだ。」

 珍しく楽しそうに饒舌に自分の事を語る蒼衣に直輝は、やっぱり出かけるのを辞めなくて良かった、と思う。
 実を言えば、あの勇からの電話の後一度は出かける事を断念したのだ。
 勇の性格を思えば、あんな電話の切り方をした挙句、勇自身に何かしら思惑がある限り確実に直輝達を探しに出る。しかも、直輝の行動範囲は長い付き合いの為全て勇に把握されていた。直輝が遊びに行くならどこに行く率が高いか、直輝ならこの後どうするか、そんな事はすでに勇にはお見通しだろう。
 だからこそ、このまま予定を続行させて蒼衣の女装癖が勇達にバレるのを恐れて直輝は蒼衣に今日はこのまま家に居よう、と予定変更を提案したのだ。
 だが。
 蒼衣はその直輝の提案に、嫌とは言わなかったものの、もの凄く寂しそうな顔をした。その顔にはありありとどれだけ直輝とのデートを楽しみにしていたのかが窺えて、自身の提案がどれだけ蒼衣を悲しませているのを知った。
 だが、かといってこのまま出かければ確実に勇達に直輝と“女装した”蒼衣がデートをしている所を見つけられてしまうだろう。
 それだけは、蒼衣の為にどうしても直輝は避けたかった。
 だから、何度か蒼衣と意見を出し合い、言い合い、その過程で蒼衣が直輝を見ながら言った言葉が結局、こうして直輝が蒼衣とデートをする事を改めて決意させた訳なのだが……。

「……なぁ。」
「ん? 何?」

 一通り話し終え、ふと落ちた沈黙の隙間に直輝は蒼衣に声をかける。
 その直輝の声色に少し真剣な物が含まれているの事に気が付き、蒼衣がきょとんとした表情で直輝を見つめ返した。
 じっと直輝を見詰める瞳には、迷いなどどこにもなくて、今更また先ほどの問題を掘り起こしていいものか直輝は少し躊躇するが、結局ここではぐらかしても仕方がないと思いなおす。
 結局の所、目先の楽しさに心を奪われて蒼衣を悲しませる事になるのは直輝としては避けたいし、直輝自身は蒼衣が本心から先ほどの言葉を言ったのかどうか、それが少し気がかりだった。
 もしあの蒼衣の言葉が虚勢を張っての言葉ならば、無理を押して女装させた状態で蒼衣を連れまわす事は蒼衣の為にはならない。
 それになにより、勇に見つかってしまえばどんな結果になろうとも蒼衣は多少なりとも傷つく羽目になるだろう。
 だから、直輝は先ほどの問題を掘り起こすつもりで言葉を続けた。

「本当にいいのか? もし……、万が一だが、出先であいつらに会ったら少なくとも勇には間違いなくその恰好してても、お前だってバレるぞ? したら、勇達にお前の、それ、バレてもいいのか?」

 もしあいつらにバレたらまたお前が傷つく羽目になるかもしれないんだぞ、そんな思いを込めて、直輝は言葉を選びながら蒼衣に再度そう問い直す。
 すると目の前の蒼衣の顔が更にきょとんとしたものになった後、直輝の言わんとしている意味を飲みこんだのか、ふわりと笑顔になった。

「うん、大丈夫だよ。平気。さっきも言ったでしょ? 僕自身がどうこう言われるのは全然平気だって。この生い立ちのせいでそーいう事言われるのも、変な目で見られるのも慣れてるしね。……それよりも、直輝くんこそ、本当にいいの? 本当に嫌じゃないの? こんな僕と歩いてる所、友達にひょっとしたら見られちゃうかもしれないんだよ……?」

 直輝を安心させるように蒼衣は大きく頷き、大丈夫だともう一度強く直輝に伝える。
 しかしすぐに少しその表情を曇らせると、蒼衣自身も気になっていた事を再度直輝に尋ねた。
 先ほど、蒼衣の家で話した時も同じ事は聞いた。
 だが、直輝同様、蒼衣もまた直輝がこんな自分と街中を歩く事で人から奇異な目で見られたり、もし勇達に見つかった時にどんな目で見られるか分からない。蒼衣にしてみれば、やはり自分は異端者で、変態で、どうしようもない人間なのだ。
 そんな人間と直輝が親しく付き合っているというのを、その友人に見られ、バレ、そのせいで直輝が友人達から距離を置かれたり、色々と言われてしまうのではないかという危惧と不安がある。
 蒼衣は自分が他人にどんな風に酷く言われても、変な目で見られても、それは自分自身の生い立ちの特異さを考えれば仕方がないと諦めがすでについている。
 だが、直輝は蒼衣とは違うのだ。
 直輝は普通の人生を送り、一時はその手の中に自分の力で栄光さえも勝ち取ろうとした男だ。人として扱われず、流されるままに生きてきた蒼衣とは天と地ほども違う道を歩んでいた人間だ。そんな人間と、自分のような底辺と言ってもいいような人間と付き合う事はそれだけ色々なリスクを負うこととなる。その上、昔からの仲の良い友人の直輝に向ける視線が、こんな自分と付き合う事で今までと代わってしまう事だけは蒼衣としては避けたかった。
 だから直輝に問う。
 本当にこんな自分と街を歩いていいのか、と。友達に見つかってもいいのか、と。
 じっと直輝の瞳を見つめて、蒼衣はそういう思いを込めて尋ねた。
 そんな蒼衣の視線を受け止めながら直輝は想像する。
 確かに勇達とこの広大な都市の中で出会う確立はかなり低い。
 だが、その確率は勇の動き方一つで幾らでも高くなる。そもそも、勇はやたらに鼻が効く。先ほども言ったが、直輝の行動範囲はすでに完全に把握されている。蒼衣の存在が幾ら不確定要素だとしても、昨日蒼衣に会っているだけに、蒼衣の行動をつぶさに観察していた勇の中でそれなりに蒼衣の分析もすんでいるだろう。と、すると、二人で遊ぶならどの辺りに行きそうだ、くらいの予測はすでに立てているような気がする。
 それが実際に今から直輝と蒼衣が向かう先と一致しているかどうかは、確かにまだ解らない。
 だが、一致している確率もそれなりにある。0%ではないのだ。
 だからこそ直輝としては蒼衣の事を心配している訳だが、こうして蒼衣に逆に心配されるとどっちがどっちを思いやっているのかが解らなくなる。
 目の前の蒼衣は本当に心配そうな瞳で直輝を見返して、直輝と友人との間に自分のせいで亀裂が入るかもしれない、と言う事を心配している蒼衣を見ていると、直輝はとても俺の心配よりも自分の心配をしろ、とは強くは言えなかった。
 それに、気丈を装ってはいるが、直輝の友人に蒼衣が言う所の、どうこう言われる、と言う事が平気な筈がない。
 確かに、蒼衣自身が全く心を許していない、信用もしていな相手にならきっと蒼衣は何を言われてもある程度は平気なのかもしれない。そもそも、そういう人間の言葉でいちいち心を痛めていてはきっと蒼衣は今まで生きてこれなかっただろうから。
 だが、勇や順平はそんな人間達とは違う。
 蒼衣自身は気が付いていないのかもしれないが、直輝の友人である順平に昨日あれほどまでにつれない態度を取られた事を酷く気に病んでいた。それは、きっと蒼衣自身、直輝の友人に対して無意識に直輝同様の期待を持っていたからだろう。
 それがなんとなく解っているだけに、蒼衣のこの気丈を振舞う言動に直輝は少しばかり心が痛む。
 平気な筈はないだろう、と。
 だが、それはちゃちな同情だと言う事も直輝には解っていた。自分がそう思う事で、蒼衣の決意を無にしてしまうような気がして、それはどうしても口には出せない。
 だから変わりの言葉を口にした。

「俺は大丈夫だっつったろ。てか、お前もさ、もしあいつらに会った時に、俺の彼女……、あ、この場合彼氏、になんのか? まぁ、どっちでもいいが、ちゃんと俺のオンナのふりしろよ? あいつらにもし会ったら、マジな顔して新しいオンナだって紹介すっからよ。」
「かっ、かの……っ?! えぅ……お、お、オンナ……ってっ……っ!? あぅう……あう……。」

 わざとらしく意地悪な顔になると、蒼衣に顔を近づけ直輝はそんな下品な言葉をわざわざ言いなおしてまで選び伝える。
 それに蒼衣は驚き、戸惑ったように目を白黒させながら、直輝の予測通りに顔を真っ赤にしてしまった。

「別に間違っちゃいねーだろ? お前とは、シまくってんだし、それ前提の付き合いなんだし。まぁ、そりゃちゃんと面と向かって改めて、お付き合いしましょ、って事は言ってねーが、やってる事はそーいう事じゃん? それにあいつらにはそー言って紹介しときゃ後々面倒臭くなくていいだろ?」
「あぅ……そ、そりゃ、そうかもしれないけど……。ぅう……、で、でも、直輝くん、勇くん達に変態だって思われちゃうよ……? 女装癖の男と関係持ってるなんて、そんなの普通じゃないし……。それに、その……、そーいう嘘って、勇くん達にも失礼じゃないの……? びっくりすると思うし、ショック受けると思うけど……。」

 しらっとした顔で、自分の優柔不断を棚に上げて直輝が意地悪く言うと、蒼衣は顔を真っ赤にしたまま、まずは真っ先に直輝の立場を心配し、そして、少し真面目な顔になると、今度は勇達に与える影響などを考えて言われた方の心配を口にする。
 そんな蒼衣を見て、直輝はひっそりと笑うと、また口の端を意地悪く釣り上げた。

「んじゃ、どー説明したらいいんだよ。お前とのこの関係。」
「そ、それは……、えと、と、友達……?」
「お前はそれでいーのか? 俺に“ただのダチ”って扱いされていーのか?」
「え……?」

 勇達の受けるショックを考えて勝手に心配になっている蒼衣に、意地悪を込めて質問してみる。すると、蒼衣は戸惑ったように瞳を揺らして少し考えた後、口を開いた。
 蒼衣の答えに直輝は小さく溜息を吐くと、自分でも卑怯だとは思いながらも、真剣な顔をしてまた蒼衣が困ると解っている事を口にする。
 直輝の真剣な表情と、そして声と言葉に、蒼衣の心臓がドクッと一度大きく高鳴った。
 じぃっとまるで心を見透かすように瞳を覗きこんでくる直輝に、蒼衣は戸惑ったように瞳を激しく揺らし、眉を困ったように寄せる。
 本音を言えば、それでいい筈がなかった。
 だが、その本音は直輝の負担になると思い、蒼衣は今の段階で口には到底できない。それに、自分自身がそんな事を望んでいる、なんて事を直輝に知られるのは浅ましい気がして嫌だった。
 おろおろと瞳を不安と戸惑いに揺らし、蒼衣はどう答えるべきか悩む。
 かといって、友達でいいよ、なんて事ももう簡単には言えない。
 確かに先ほどは、友達で、とは言ったが、だが、それをまた口にする事は直輝のこの質問の後には素直な蒼衣にとって心情的に難しかったのだ。

「あ、えと……っ。その……。あの……っ。」
「……着いたぜ、蒼衣。」
「え……っ。」

 言葉に窮し、直輝の質問に懸命に答えようと口を動かすが、出る言葉は戸惑いが含まれている音ばかりで、蒼衣は焦ってしまう。
 どうしよう、どうしよう、答えないと……だけど、直輝くんの迷惑になったら……、でも……、と、そんな事を思いながら口をパクパクと動かしていたら、ふっと直輝の視線が蒼衣から外れる。
 それにドクッとまた心臓が大きく跳ね上がり、そして、まるで何事もなかったかのような声のトーンで直輝が降りる駅に着いた、と伝えると蒼衣の体から何故か力が抜けた。
 だが、そんな蒼衣の腕を掴んで直輝が立たせた瞬間に、直輝が蒼衣にしか聞こえない声で囁く。

「夜、ホテル行くまでの宿題な。」
「え……?」
「ほら、行くぜ、蒼衣。」

 驚いて直輝の顔を見下ろした蒼衣に、ニヤリと笑って見せ、直輝は蒼衣の手を握ると、その手をぐいっと引っ張りながら先に立って電車を降りた。直輝の手に引かれる形で蒼衣は直輝の後に続きながら、びっくりした顔を暫く向ける。
 そんな蒼衣に電車から降り、ホームを歩きながら直輝が声をかける。

「……まぁ、深く考えるなよ。少なくとも、お前がどんな答え出そうと、それは俺の迷惑にはぜってーなりえねぇから。だから、夜までにお前なりの答え考えといてくれ。俺も、たまには真面目に考えっからさ。」

 顔は蒼衣には向けずに、直輝はそう蒼衣の心を軽くする言葉を口にした。
 その少し後ろを手を引かれ着いて歩きながら、蒼衣はまた驚いたような顔をしたが、前を向いて歩く直輝の耳が微かに赤い事に気が付くと、胸の中に陽だまりの様な温かさが広がる。
 えへへ、と嬉しそうに笑い、早足気味に歩く直輝の隣に足を速めて並ぶと、握られている手をしっかりと握り返した。

「うん、答え考えておくね。……ありがとう。」
「ばーか。」

 礼なんか必要ねぇんだよ、そう付け足し、直輝は横目で蒼衣に笑いかける。
 直輝の笑みにつられた様に蒼衣も明るい笑みを浮かべると、更に直輝との間にある隙間を身を寄せる事で狭めた。
 背後からは、先ほどまで直輝と蒼衣が乗っていた電車が出発する音楽が流れ、車掌さんの「出発しま〜す」という声が聞こえていた。




 ガヤガヤと様々な雑音を巻き散らしながら勇の目の前を色々な人が集団が通って行く。
 その人波を通り越し、勇は通りの向こうに立つ昔からあるレトロな風情の映画館の扉をじっと見つめていた。今時珍しいビル一棟を借り切ったその映画館は一階にチケット売り場、受付、売店、休憩所も兼ねたホールなどを備え、地下と二階にスクリーンを設えた劇場型の映画館だ。しかしレトロな外観ながらも時代に合わせて改装を重ね、一階は総ガラス張りで現代風にアレンジされている。その為、道路を挟んでは居てもその内側は良く見え、ホールなどを行き来する人の姿も勇には手に取るように分かった。
 ここで会えればイイんだけどネ……、そう思い勇は左手首に巻いている時計へと一瞬だけ視線を落とす。
 時刻はそろそろ、夕方に近かった。
 順平が提案した街に着いて早二時間。残り一時間で直輝達に出会えなければ、この街は早々に撤収し、次の直輝達が行きそうな街へと移動しなければならない。いや、下手をすればもう陽が落ちる時間に近い為このままゲームオーバーになってしまう可能性もある。それだけは勇としてはなんとしても避けたかった。
 時計に落としていた視線を今度は、映画館へと向け直す。
 今、ビルの中で上映されている映画は後十数分もすれば終わるだろう。 
 昨日CDショップで蒼衣が直輝と共に観たそうな顔で眺めていた映画のポスター。
 そのポスターの映画は、確かにこの映画館で上映されていた。その映画のタイトルとポスター通りの看板が掲げてあるこの映画館を見つけた時、勇の中にある鋭い感覚がここに直輝と蒼衣がいるとそう閃きのように脳裏に予感が横切った。
 確信にも似た予感。
 一般的にそれは第六感だとか、虫の知らせだとか言う類のもの。
 本来ならかなりな現実主義者でもある勇だが、こと、己のこの手の勘だけは信じる事にしてた。
 そのお陰でどんな岐路に立とうとも、人付き合いにおいても、そしてなにより今までの人生においてこの勘に従えば道を間違う事も、迷った事もない。
 だからきっとこの映画館に蒼衣と直輝は来ている。
 順平ちゃんにしちゃ上出来ジャン、そう思いながら勇はサンドイッチの最後の一かけらを口の中へと放り込んだ。
 そして視線を手首へと巻いた時計へともう一度落とす。
 時計の針はそろそろ映画の終了時間を指し示そうとしていた。

「……ホント、いればいいんだケドね。」

 それでも多少の不安は拭いきれない。
 勘が良いとは言ってもそれは百発百中という訳ではないからだ。たまには外れる事もある。
 だが、外れたら外れたでまた自分の感覚をフル稼働させて、直輝と蒼衣の行きそうな所をシミュレートして先に進めばいい。幸いまだ今日はもう少し時間がある。大丈夫。最悪ゲームオーバーになったとしても、ゲームではなく普通に探せばいい。今日中には二人に絶対会える。そう己に言い聞かす。
 その思いを抱えて今までよりも更に視線を鋭くして映画館の出入り口を見張る。
 と、不意にジーンズの尻ポケットに入れていた携帯電話がぶるぶると震え始めた。
 ん? と思いそれに手を伸ばし、二つ折りのそれを開くと耳に当てる。
 すぐに聞きなれた声が聞こえてきた。

『なぁ、こっちには居そうもねーんだけど。』

 ぶすっと不貞腐れたような順平の声。挨拶もなく、言いたい事を言うだけの短い言葉。それが通話ボタンを押した瞬間に耳に当てた携帯電話から流れてきた。
 その言葉に、勇もまた短く少しだけ落胆の色を込めて、そう、と返す。
 順平とはこの街に着いた時に効率を良くする為に二手に別れている。勇は今居る映画館の方へ、順平はそれとは逆方向のショップの立ち並ぶ場所へと。
 若者向けの街なだけに多種多様なショップが並ぶ街道を順平にはしらみつぶしに覗くように勇は言いつけて、不貞腐れ、文句を言う順平と別れて蒼衣と直輝を探すゲームを開始した。
 それから二時間。
 電話越しに聞く順平の声には疲労が薄く積もっていて、不承不承ながらも順平なりにそれぞれの店を回って来たのが透けて見えた。
 それに少しだけ苦笑して見せると、勇は口を開く。

「コッチ側の店にも居ないみたいだケド、もう少しで映画終わるからそこに居るかも……、あっ、人が出てきた。順平ちゃん、とりあえずコッチ向かって来ててー。待ってるカラ。」

 勇の状況を簡単に説明し、だが、その説明の途中に映画館の出入り口からポツリポツリと人が出てくる。
 クレジットを観る前に席を立ったと思わしき観客たちが一足早く出てきたのだろう。
 一人、二人と、少しずつ間を空けて出てくる人間の顔を道路向こうで確認しながら勇は、早口で順平にこちらに来るよう言うと、順平の返事も待たずに携帯電話の通話を切った。
 そして、普段は穏やかに弧を描いている口元にあまり普段はしないような人の悪い笑みを浮かべる。

「……ドンピシャ。直輝、見ぃ〜っけ。」

 映画館の大きなガラスのドアの向こうに見なれた髪色がゆらゆらと揺れているのを認めて、勇はニヤリと意地悪な笑みを更に深めながら一人でそう呟く。
 そして左右を素早く見渡して車が通っていない事を確認すると、目の前にあるガードレールを軽々と飛び越え、二車線の道路を横切って行った。
 その視線はぴったりとガラス扉の向こうで揺らめく明るいオレンジ色の男に標準を合わせたままで。




 直輝はゆったりとホールの中にある太い柱にその背を預けながら、売店にあるパンフレットやグッズを売っているコーナーでそれらを楽しそうに眺めている蒼衣の後ろ姿を見ていた。
 先ほどまで観ていた映画は、思っていたよりも面白かった。
 よくテレビで流れるCMで、「泣けた」や「感動した」「サイコー!」などと観客が大絶賛する映画だった為、直輝は基本要素が恋愛の映画でもあったし、それ程内容には期待はしていなかったのだ。
 しかし、確かに恋愛要素の多い話ではあったが、直輝が好きなアクションも程良く織り込まれ、その中で描かれる男同士の友情や様々な葛藤が主人公の男とヒロインとの恋愛に対していいスパイスになっていた。
 元々恋愛を前面に押し出した映画やドラマなどはそう好きな方ではない直輝ではあったが、今回のこの映画はそれでも結構楽しめたし、なにより、蒼衣がとても楽しそうに観ていた事が直輝には嬉しかった。
 前に蒼衣の家で見た映画よりは面白かったな、そう思いながら、すっかり女装姿で歩いている、という事を意識しなくなってきている蒼衣を見詰める。
 元々男の格好の時でも物腰の柔らかい、どこか中性っぽい印象を受ける蒼衣だけに、女装姿の今、それは尚強調された形で、歩く姿にも何か物を取って見る姿にも“男”をほとんど感じさせない。だからこそ他の女性の観客達に交ってパンフレットやグッズを興味深げに見ている姿にも特に違和感は感じさせず、その集団の中に見事に溶け込み切っている。
 それ程文句なしに今の蒼衣は、男だと自分から服を脱ぎ、言いふらして回らなければ、誰も女装した男だとは思わないだろう。
 ただ一つ文句と言うか、問題点を上げるとすれば、その長身とその顔立ちのせいでやたらに目立つ、と言うことだろうか。
 そう、女装した蒼衣はとにかく目立つのだ。
 何せこの街に着き駅から街中を歩いている間中、そして、映画館に入るまで様々な視線が女装した蒼衣へと降り注いでいた。
 蒼衣自身は直輝しか視線に入っていないようだったので恐らく自分が周りの人間の視線を集めているという事実には気が付いていないだろうが、蒼衣の隣にいた直輝からは周りを歩く人間が蒼衣を見て通り過ぎていく姿が嫌でも良く目に入る。
 自分と手を繋ぎ少し照れたようにはにかみながら歩く蒼衣は、直輝から見ても本当に可愛い。
 何か些細な言葉を交わすたびに嬉しそうに綻ぶ笑顔がまた、とても可愛い。
 だが、直輝がそう感じるのと同じように、恐らく周りを歩いていた人間達もそう思ったのだろう。
 若い男などとすれ違う度に、蒼衣を見てどぎまぎしたような表情を見せ、数人でつるんで歩いている場合はそれぞれがそれぞれに顔を見合わせ何度も蒼衣の顔を見ながら話をする。中には露骨に口笛を吹いたり、直輝に羨ましそうな視線を投げてきたり、花火大会の時のように睨んで来たりするような奴もいた。
 壮年であっても、――それは若い男と比べ控えめな反応ではあったが――、どこか舐めるような、下心を持っているような視線でちらちらと、ねちっこく蒼衣を見られる。
 また若い女性や学生達とすれ違えば、二度見、三度見は当たり前。
 「今のコ、ちょーキレイじゃんっ!」とか「ひょっとしてどっかのモデル?」「背、たかーい! めっちゃうらやましー!」などとこちらに聞こえる様に囁かれる。
 そんな声を耳にして今時の女の子らしいその直球な言葉の数々に直輝は少しばかり嬉しくはなる。そう言われると言う事は、それだけ蒼衣の女装は完璧で、そして女性の目から見ても綺麗だとか可愛いのだと見える、もしくは思われるのならば、きっとそうなのだろう。己の目が体を繋げている関係で贔屓目に女装している蒼衣を可愛く感じているだけと言う訳でもないと言う事も知る事が出来て、それはそれでホッとする。
 だが、それでも、人目を引きすぎる蒼衣の風貌にちょっとだけ心配や不安も覚えた。
 男達の羨望や欲情を剥き出しにした視線を向けられる事は勿論の事、口には到底できないが、なんで俺なんだろうな、と今更ながらに直輝は思う。
 風体の悪い奴らに絡まれていた所を助けてやった縁でこうして今は蒼衣と過ごし、体を重ね、はっきりとは認識はしていないが恐らく恋愛感情を抱き、そして、今日など蒼衣に女装させてまでこうしてデートなんてものをしている。
 まだ恋人でもない相手、ましてや男相手に何をしているんだか。そう言った自嘲的な思いがない訳でもない。
 しかしその自嘲さえも吹き飛ばすほど、蒼衣と会えば会うほど、触れあえば触れあうほど、直輝の中で蒼衣の存在は大きくなり、そして愛しさは募る。
 だが、その半面、蒼衣がこうして自分と居る事を望む事が酷く不思議で、そして、直輝としては本当に蒼衣は自分でいいのだろうか、と言う思いまでがふと湧き上がる。
 蒼衣が直輝しか見ていない事など、幾ら鈍い直輝にだって良く解る。
 そして、自分自身もすでに蒼衣しか目に入っていないと言う事も。
 しかしだからこそ、時折ふと、何故自分なのだろう、とらしくもなく考える時があった。
 性格も良く、男の格好をしていても見る人間が見れば、その地味さに隠したその素顔は意外に整っていると解るその容姿を持って、人見知りをするとは言え、恐らく本来はかなり人懐っこいタイプだろうと直輝に対する態度に、何故今まで友達らしい友達も出来ず、恋人も作らず、孤独に過ごしていたのかが直輝には理解が出来なかった。
 勿論、例の養護施設では味方はおろか友人を作るさえも無理だったのだろう、というのは分かる。
 だがそこを出た後も、はっきりとは聞いた事はないが蒼衣には友人も恋人も居た気配がない。蒼衣の話にも一度としてそんな存在を匂わすような事が出た事もない。
 蒼衣ならば直輝に向ける笑顔を他の人間に向けさえすればすぐにでも友人も可愛い彼女だって、それこそ、自分の様な短気でデリカシーのない男でなくとも、もっと懐の大きい蒼衣の過去もそこで受けた傷もその全てをも受け入れるだけの男か女が現れ恋人にだって、友人にだってなってくれそうだ。
 それなのに、たかが一度、たまたま人相の悪い人間に絡まれていた時に助けただけの自分がこうして蒼衣の隣に居て、――揚句未だ恋人になるという答えを出していないというのに――、彼氏面をしてもいいものか、と本当にらしくなく直輝は思う。
 とはいえ、今更他の奴に蒼衣を抱かれる事も、蒼衣が抱く事も、それ以上に男だろうが女だろうが自分以外の人間に渡す事など出来そうにない程蒼衣に入れ込んでいる自分が、直輝自身酷く滑稽だった。
 誰にも渡す気はない癖に、未だ蒼衣へ恋人になる為の決断も告白すらできていない。
 それだけ直輝自身が、蒼衣との関係やその他付き合うことに対して真剣に考えている、ということに他ならないのだが、それでもやはりいつまでもこうしてダラダラと答えを先延ばしにしているという事実が直輝としては、自分らしくないと思うし、何より、待たせている蒼衣に申し訳ない。
 だが、だからと言って今すぐにでも蒼衣に自分の感情のすべてをぶちまけて、改めて「恋人になってくれ」という事も直輝にはできなかった。
 男同士で付き合うという事。恋人になるという事。そして、なにより、蒼衣の過去を含めた全てを受け入れると言う事。
 それらは、今まで付き合ってきた女の子達との交際がどれだけ軽い、適当なものだったかを直輝が知るのに十分な重さや真剣さを持っていた。

「……まじめに答えださねぇとな……。」

 少し離れた場所で様々な他の観客達に交じり真剣な顔でパンフレットやグッズを吟味している蒼衣の整った横顔を見つめながら思わずそう小さく呟く。
 と、そんな直輝の耳に突然、この場所にいるはずのない人間の声が聞こえてきた。

「ナンの答えを出すノ?」

 独特のイントネーション。
 笑いを含んだような声。
 その声に直輝の顔が弾かれるように左斜め上を見上げる。
 そしてその場所には、脳裏に浮かんだ通りのチシャ猫のような笑みを浮かべた顔があった。

「っ……なんで……っ。」

 居るはずのない男の出現に直輝は思わず動揺し、その目を見開いたまま男に感情そのものを投げつける。
 すると男は、勇は更ににやりと口もとの弧を深めた。

「グ、ウ、ゼ、ン。だよ。」

 くすくすと楽しげに笑いながら言われた言葉に直輝の顔が忌々しそうに歪む。
 偶然。まさか。そんな訳がない。
 どこでどう嗅ぎつけてこの場所まで現れたのかは分からないが、偶然というのは絶対に目の前の男に関してはあり得ない。
 そう直輝の中にある目の前の男との長い付き合いの中で培った経験が答えを出していた。

「ヤだな。そんな怖い目でみないでヨ。本当、ここに辿り着いたのはただの偶然ダヨ。――まぁ、もっとも。」

 直輝の視線が細まり、その目の中にある剣呑な光を読みとった勇は降参の意を示してか、両手を広げて顔の横へと上げ、少しおどけたように偶然だと言い張る。
 しかし、直輝を見下ろす目は形こそ笑みの形に細められては居ても、その奥にある光は決して笑ってはいなかった。しかも、一度言葉を止めると、口元に浮かべた笑みをどこか悪戯っぽく深めた。

「映画を観に行くってのダケは、昨日から確信してたんだけどサ。でもまさかこんな遠くまで来るとは想定外。最初は全然違う映画館探そうとしてたんだヨ。でも、気が変わってサ。だから、ココで直輝と出会えたのは、本当に偶然ダヨ?」
「っ、……嘘吐け……。」
「まぁ、嘘だって思うなら別にそれでもいいけどサー。俺が直輝に信用がないのはいつものコトだしネ。……ところで、蒼衣ちゃんは? 一緒じゃないノ? トイレ?」

 にこにこと一見人当たりのよさそうな笑みを浮かべながら紡がれる言葉に、直輝は目いっぱい不信感を表した瞳で睨みつけながらその言葉を否定する。
 すると勇は少しばかり呆れたような苦笑を浮かべて直輝の不信を軽く流す。そして、直輝が一番聞かれたくない言葉をあっさりと口にした。しかも、わざとらしく額に手を当てるときょろきょろと周りを見渡し始める。
 その言葉と行動に直輝の体がギクリと固まる。
 まさか女装して売店でパンフレットを見ている、とは口が裂けても言えない。
 どうやって誤魔化そうか……。一瞬そう直輝は思ったが、だが、ふと昨夜蒼衣に対して自分が言った言葉と、先ほど電車の中で繰り返された会話を思い出す。
 見つかったら、俺のオンナとして紹介する。そう、自分は蒼衣に向けて言いきった。
 そして、蒼衣も『バレても大丈夫』と、そう直輝にはっきりと言いきった。
 その事を思い出し、直輝は目の前できょろきょろと蒼衣の姿を探している勇に対して、誤魔化す事を止める。

「……蒼衣なら、売店で買い物してるよ。」
「へ? そうなノ……? でも、姿が見えないヨ? なんで嘘言うノ?」
「嘘じゃねーよ。居るって。よく見てみろよ。」

 蒼衣が直輝に言いきった言葉も思い出しながら、直輝は一度決意の溜息を吐いた後、相変わらずきょろきょろと見当違いの方向を見ている勇に向けて蒼衣の居場所を教えてやる。
 その直輝の言葉に勇は視線を売店の方へと向けた。
 先ほどまでのごった返していたような人波は勇が直輝と話をしている間に大分引き、残っている人間の数はそう多くない。だが、勇の瞳に蒼衣の姿はなかなか映しだされなかった。
 それもそのはず。
 勇が見つけようとしていたのは、男の恰好の蒼衣だ。
 地味で、長い髪を無造作に一本結びにして、黒縁の眼鏡をかけた姿だ。
 ワンピースを着て、長い髪は下ろし、眼鏡は外し、化粧をその顔に施してしてすっかり他の女性客達に違和感なく溶け込んでしまっている蒼衣の姿を見つけるのは、流石の勇でも予想外過ぎて、見つける事は出来ない。
 そもそも女性客は意識的に視界から除外して、蒼衣の姿を探していた。
 そんな勇に直輝は小さく苦笑すると、自身も視線を売店に向け、ようやく買うものが決まったのか嬉しそうな顔でレジの列へと並んでいる蒼衣の横顔を見る。
 あの蒼衣の姿を見たら、こいつは一体どんな反応をするんだろうな。
 そんな好奇心が湧き上がり、直輝は少しばかり楽しい悪戯を仕掛けた気分になる。
 勇は相変わらず“男”の姿の蒼衣を探し、えー、居ないヨー、ドコー?、と何度も直輝へとどこに居るのか問うような独り言を口の中で繰り返していた。
 そんな勇をちらりと横目で見た後、レジで精算を済ました蒼衣がこちらを向くタイミングで、もう一度口を開いた。

「ほら、居るじゃねーか。レジの前に。」
「え? レジの前……? えー? デモ、女の人しかいないヨ? 蒼衣ちゃん居ないヨ? 直輝が指差してるのは女の人ジャン……って…………。……ぇ……、え?」

 くつくつととうとう抑えきれなくなった笑いを洩らしながら、直輝はわざわざ丁寧に蒼衣を指さしながら勇にその居場所を教える。
 だが、直輝が指さす先を追いかけた勇の視線の先には長身の女性の姿しか見えない。
 その事に一度、ぱちくりと目を瞬いた後に、もう一度まじまじと視線をレジの前へと向ける。
 相変わらずレジの前には長身の女性の姿しか勇の瞳には映しだされない。他には、その女性と比べて小さな身長の女性達ばかり。後は、レジで客の対応をしている店員の姿。
 男の姿など勇の瞳には全く映しだされない。
 だが直輝の顔を見れば、まっすぐにレジの前を見ている。
 その視線をもう一度追いかけ、そこにはやはり長身の女性の姿しかない事を勇は認めた。だから、直輝は何を言っているんだろう、と思いながらも、一応失礼にならない程度にその指し示している女性を観察するように見つめる。
 そして、暫くの後、ようやく直輝の言っている事に意味が飲み込めた。
 途端に勇の眼が珍しく大きく見開かれ、その口からは驚きと戸惑いを含んだ声が漏れる。
 そんな勇の様子を横目に見て、直輝はくつくつとまた楽しそうに笑った。

「どうやら見つけたみてーだな。」
「え……? え、ひょっとして……、え、あ、あれ? ……、え、で、でも……え……?」

 驚きと戸惑いを浮かべた顔で、勇は直輝の顔と、そして視線の先にある長身の美女とを交互に見る。
 だが、視線の向こうにいた美女がこちらの存在に気がついたように驚いたような顔して少し先で立ち止まったのを見て、勇の中にある想像がむくむくとわいてきた。
 そして今一度、立ち止まっている女性の顔をマジマジと見る。すると、その想像は想像では終わらず、確信へと代わっていく。
 しかしその確信は、勇としては本当に珍しくあり得ない事だと、己の中の直感と確信を否定する。
 何度も何度も驚いた顔をしている美女と、隣で悪戯っぽい笑みを浮かべている直輝の表情を見比べる。
 直輝の顔には、確実に今勇が確信した事が当たっているとありありと描かれている。
 だが、勇はその想像をそのまま直輝にぶつけていいものか珍しく戸惑い、ただただ唖然と美女と直輝の顔を見比べることしかできなかった。
 そんな勇に直輝はこれ以上ないほど意地の悪い顔をすると、驚き立ち止まっている蒼衣へと顔を向けるとその名を呼んだ。

「蒼衣。」

 静かな声ではあったが、人が少なくなってきている映画館のホールにそれは響き、蒼衣の耳にも届く。そして、蒼衣は直輝が勇に対して自分の事を本当の意味で“紹介”する決意を固めていた事を改めて知る。
 その事に、思わず蒼衣は顔を綻ばすと、驚き固まっていた体をゆっくりと直輝と勇の方へと向けて歩きだす。
 蒼衣もまた、その心に一つの決意を固めて。
 そしてその一方で、そんな蒼衣と直輝の姿に勇は、驚きと、戸惑いと、そして何故か解らない不安のようなどす黒い雲が心の中に広がっていくのを感じていた。