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NOVEL

Target
ラストエピソード

注意事項:男女キスシーン

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「起きてる? ご飯だよ。」

 ぼくが部屋に入ると、ベッドの上に居るあの子はゆっくりと虚ろな瞳をこちらへと向ける。
 相変わらず感情の色はゼロ。
 その眼は昔のように負けん気の強い色は少しもなく、ただ、綺麗な硝子玉が嵌っているように透明だった。
 あまりにごっそりと抜け落ちている感情のないその瞳に、少しだけ悲しさを覚える。
 それでもぼくは彼に向けて微笑む。

「食欲はある? 一杯食べて早く元気になろうね。」

 我ながら惚れ惚れするような慈愛に満ちた表情を浮かべて、あの子が寝ているベッドをまたぐように置いてあるテーブルの上に食事が乗っているトレーを置く。
 そして彼の虚ろな瞳を覗き込むようにすると、その瞳の中に少し異質な感情が混ざった。

「ひ……っ、ぁ、あ゛ーーっ! あ゛ーーっ!」

 怯えたような声を出す彼を安心させるように抱きよせ、抱きしめ、その背中を優しくさする。

「もう大丈夫だよ、もう大丈夫。……君を虐める奴はもう誰一人として居ないから。大丈夫だから。」
「あーーっ!!」

 何かを訴えかけるように、酷く怯えたようにぼくの腕の中で震える彼を酷く愛おしく思いながら、ぼくはその耳に呪文のように囁き続けた。
 そうして暫く抱きしめていると、漸く彼の興奮は落ち着いたらしく、ベッドの中で動かない体をじたばたと動かすのを止める。
 ホッとし、抱きしめていたその体を離し、その顔を覗き込むと相変わらずその瞳には色濃く怯えの色が浮かんでいた。
 だけどそれはもう仕方がない事なのかもしれない。
 この子は、もう誰が相手でも今はこんな態度だ。
 母親を見ても、主治医の先生を見ても、看護師さんを見ても、一度は必ず怯える。
 彼の心はもうすでにずたずたに引き裂かれ、聡明だった彼の頭にはただただ恐怖しかない。
 あの日、ぼくが彼に伝えた言葉が彼の中にある恐怖を引き出し、彼の心を壊してしまった。
 ……確かにぼくの言葉でこうなってしまった事に、少しの罪悪感はある。
 だけど、それでも。
 目の前で酷く怯えながらもぼくの腕から逃げだせない彼を見ていると、前以上にどうにもならない愛しさが込み上げてくる。
 この子はぼくの宝物だ。
 きらきらと輝く宝石。
 しかも長い長い回り道の末、漸く手に入れた。
 気が強くて、素直じゃなくて、意地っ張りで、強情で、プライドの高い、だけど可愛い、可愛いぼくの宝物。
 だからか、遠回りした分、こうして漸く自分の手に堕ちた宝物が酷く愛しい。

「大丈夫だよ、一生ぼくが傍についていて上げるからね。君を守ってあげる。それがぼくと君との約束だから。」

 不安でギョロギョロと室内を見渡している彼に、ぼくは優しく微笑みかけ、そのかさかさに乾いてしまっている唇にキスをした。
 ゆっくりと唇に潤いを与えるように、ひび割れている唇を舐め上げ、震えるその舌を優しく吸い上げて絡める。
 そして、胸の中で小さく呟いた。
 もしまた君を虐める奴が居たら、ぼくが裁いてあげるよ。
 ……あいつらのようにね。
 あの屑共はぼくの命令を無視し続け、そしてぼくの大切な君を汚し続けた。
 ぼくが望んだのは、この子を周りから孤立させることだけだった筈なのに。
 何故、あそこまでこの子を追い込み、そしてあんな汚らわしい行為をこの無垢な天使に強いたのか。
 全てを終わらせた今でも、ぼくのあいつらへの怒りは未だ収まらない。

「っ……う゛、う゛ぅ……っ!」

 ぼくの心に巣食う怒りに気がついたのか、腕の中の彼が怯えたように唸る。
 それにぼくはハッとし、すぐに自分の中に芽生えた怒りを押さえつけるとまた安心させるように彼の体を掻き抱き、その髪を優しく撫で、唇にキスをしてやる。
 いやいやをするように頭を振る彼がまた愛おしくて、ぼくは今回の事件ですっかり人相が変わってしまっているその彼の頬やなくなってしまっている左耳に唇を押し当てた。

「秀一くん、一臣どう? ご飯ちゃんと食べれそうかしら?」

 そんなぼくの背中に、コンコン、というノックの音と共に彼の母親の声が聞こえる。
 慌てて彼から体を離すと、ぼくはドアに向けて返事をした。

「大丈夫だよ、和美さん。……それよりもそろそろ出ないと会議に間に合わないんじゃない? ご飯はちゃんと食べさせるし、体もぼくが拭いておくから早く会社行かないと。」

 ドアを開けて入ってきた女性に安心させるように声をかけ、ぼくの横に立った彼女にちらりとテーブルの上にある時計に視線を走らせるとそう出かける事を勧める。
 そのぼくの言葉にちょっとだけ寂しそうに微笑むと、彼女は体を折り曲げてベッドの上で放心しているように虚ろな瞳を空に向けている彼の頭を優しく撫でた。
 そして名残惜しそうにその手を離すと、ぼくへ向き直る。

「本当にごめんね。秀一くんも大変な時期なのにこの子の面倒見させちゃって。」
「気にしないでって、もう何回も言った筈だよ? ……それに、いつかぼくが和美さんと結婚したら、一臣はぼくの息子になる訳だし。だから本当に気にしないでよ。ぼくは和美さんの役に立てることが本当に嬉しいんだから。」

 彼女に向けてぼくは優しい笑顔を振りまき、いつものように彼女の気持ちをほぐす為に上辺だけの励ましと、女が喜ぶだろうという計算しつくされた言葉を口にする。
 すると彼女の顔がみるみると赤くなっていき、彼そっくりの顔を照れたように綻ばせた。

「もぅ、やだ。本当、秀一くんには私、ずっと励まされてばっかり……。母親、失格だわ。……でも、嬉しい。ありがとう……。」

 泣き声のように掠れた声でそう呟くと、彼女はぼくの首にしがみつくように抱きついてくる。
 そしてたっぷりと赤い口紅を引いているその唇をぼくの唇へ押し当て、年増らしいいやらしいねっとりとしたキスをしてきた。
 それを当たり前のように受け入れながら、ぼくの瞳は彼女の向こうに居る彼女の息子しか見ていない。
 彼はぼくと自分の母親が自分の隣で濃厚なキスをしている事なんて見えていないかのように空中に視線を彷徨わせ、時折、何かを見つけたように一点でその瞳を止める。
 一体彼の瞳には今、何が見えているのだろうか。
 もうこの世にはいないあいつらの亡霊だろうか。
 それを思うと、ぼくの心は恋しさで張り裂けそうに苦しい。
 優しいぼくの天使。
 病んでさえいても、あの屑の亡霊をその目に映すなんて、なんて健気なんだろう。
 長いキスを終え彼の母親を玄関まで見送った後、ぼくはまた彼の部屋に戻る。
 相変わらず硝子玉の瞳を中空に彷徨わせている彼の隣にぼくは腰を下ろすと、その肩を抱き寄せた。
 びくりと体を硬直させる彼に、愛しさを隠そうともせずぼくは、母である癖に一丁前に自分の息子と同い年の男に欲情をするあの雌豚の汚らわしい口紅がべったりと付いている唇をその無垢な唇に押し付け消毒をする。
 腕の中で嫌そうに身を捩る彼を、ベッドに押し付けながらぼくはその唇を貪り続けた。
 可愛い、可愛いぼくの一臣。
 君はぼくの、大切な大切な……愛しい人形。
 目の前で硝子玉のような透明な目をした一臣の眦から一粒の涙が零れ落ちた。
 それを舌先ですくいながら、ぼくはうっとりと微笑む。
 昔からずっと思い描いていたぼくの本当の幸せ手に入れた幸福を噛みしめながら。

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