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NOVEL

罪悪感 航矢編
〜第三話〜

注意)特になし

さぁ、歩き出そう。

もう一度、青い鳥を手に入れるために。

俺は俺の最善を尽くそう。

 俺の部屋を訪れた男との商談がまとまると、俺は愛着が湧きつつあったこの家を後にした。
 手に持つ荷物は最低限。
 この地に赴いた時と同じように、必要最低限の荷物。
 俺は、ほんの少しの間だけだったが、渉と過ごした幸せな記憶を後にした。
 赴く場所は、俺にとっては最後の舞台。いや、戦場。
 俺がどこまで自分の力を試す事ができるのか。
 俺がどこまで今まで身につけたモノで、闘う事が出来るか。
 その事に多少の不安はあれど、俺は確実に、そして絶対にのし上がってみせる。
 学もない、腕っ節だけだった男が、あいつの為に今、出来る事はそれだけだ。
 その為ならなんだってしてやる。
 憎むべき相手に跪いてでも――。
 その憎むべき相手の靴に、足の指にキスをしてでも――。
 俺がその決意を固め部屋を出ると、外で俺が出てくるの待っていた男と目があった。
 男は俺の目を見て、どこか楽しそうににやりと笑う。
 それはまるで俺がこれから何をしようとしているのか、何をしでかそうとしているのか全て見通しているように。
 分厚い唇に咥えていた煙草を足元に落すと、それをつま先で揉み消す。そして、俺に近づいてきた。

「――それだけでいいのか?」
「あぁ。これ以上は必要ない。」
「仁科渉に関するものは?」

 俺が手にしている小さいバッグを指差してその荷物の少なさを指摘する。それに俺が頷いてみせると、男はまた、にやり、とどこか意地の悪い笑みを浮かべて嫌な事を聞いてきた。

「――必要ない。」

 そう、必要ない。
 これから俺が赴く場所は、あいつの匂いをさせて行くべき場所ではない。そして、会う人間は、あいつの存在を感じさせて良い相手ではない。
 だからこそ、俺の荷物は俺に関するものだけだ。
 俺が渉の物は必要ない、と言い切った俺に男は少しばかり満足そうに笑う。

「なら大いに結構。……では、こちらへどうぞ。」

 俺の背中を軽く押し、アパートの下に止めてある大仰な黒の高級外車へと男は歩を進めた。
 カンカンカンと甲高い金属音を響かせながら古い階段を降り、俺は躊躇する事無くその男がエスコートするように大きく扉を開けている車の後部座席へと体を滑り込ませる。
 その車の運転席には、最初に野村と名乗った男がすでに座っており、俺がそこに乗り込むと俺の後ろに立っている男に向かって会釈をした。
 会釈をされた男は俺が後部座席に座るのを見て取ると、ドアを威勢よく閉める。
 そして、そのまま助手席のドアを開けると、その巨体を窮屈そうにそこに押し込めた。

「――出せ。」

 助手席に座った男がそう短く命令を下すと、運転席に座っていた男が無言のまま小さく頷き、車を音もなく発進させる。
 スーッと滑るように走り出したその車は、流石に高級車だけあってエンジン音も静かで、クッションも最高だった。
 他にもシートカバーや、ステアリング、車内に設えてあるオーディオ機器などを見ただけで、金が相当かかっている事がわかる。

「アンタ等、儲かってんだな。」

 自分達がつい先ほどまで住んでいた古ぼけたアパートが見る見るうちに視界の後ろへと遠ざかるのを横目に見ながら、車内にある調度品を値踏みしつつそう前の男に声を掛ける。
 すると、低く笑う声が応えた。

「まぁ、ぼちぼち、だな。」

 くつくつと笑いながらそう適当な返事を返した男は、バックミラー越しに俺の顔を見る。
 バックミラー越しに見える男の瞳は、確実に俺に答えた返事が嘘だという事を伝えていた。

「あんただってこんな僻地に来なければ、この程度の車、嫌になるくらい乗り回すような金持ちだったんじゃないのか?」

 そして、からかいの含んだ声でそう俺の表情を値踏みしながら会話を続けた。
 その事に俺は鼻の先で笑う。

「ふん。だったんじゃない。これから乗り回す側の人間になるんだ。」
「……ほぉ。」

 俺の言葉に、バックミラーに映る男の瞳が更に愉快そうに細められた。
 それは明らかに好奇心の色を伴っていて。
 こいつが俺の行動に関して仕事の枠を超えて興味を持ち始めているのを感じる。

「って事は、あんた、まさかあのお嬢さんとよりを戻すつもりか?」
「……そうだとしたら?」

 さっきの商談の中で俺はこいつらには、とりあえず美奈には会う、としか告げていない。
 だからか俺のこの返答に、ミラー越しに男は少しだけ予想外の答えを聞いたというような色を瞳に滲ませた。
 人を食ったような飄々として余り本心からの感情を面に現すことなど少ないだろう男の、それは、こちらとしてもなかなかに興味深い反応だった。
 何故、こいつがこんな事ぐらいで驚くのか。
 俺の答えなど、簡単に想像がつくものだろうに。
 そう思い、ふと先ほどの事を思い出す。
 ――この男は、渉を知っている。
 だとしたら話は簡単だ。
 拉致をした時に、渉から俺との関係も聞きだしてるのだろう。
 ただの幼馴染ではない、と言う事を。
 だからこそ、俺があっさり美奈との復縁を口にした事が意外だったのかもしれない。

「……まぁ、俺達の役目はあんたをクライアントの元まで連れて行くだけだ。その後に、あんたがあのお嬢さんとどうなろうが知った事じゃないがな。」

 ミラーに映っていた瞳がふいに消え、男が微かに溜息を滲ませながらどこか会話を断ち切るように言った。
 それを聞きながら俺は、薄く苦笑をする。
 どこまでも渉という男は罪作りな奴なんだ、と思いながら。
 たった短期間一緒に居たであろう男でさえ、この有様だ。
 もし、俺が渉ともっと長い期間体を繋げ、心を通わせていたなら、きっと俺は今こんな風に冷静に相手を値踏みし、その言葉の裏を探り、判断し、軽口なんて叩く事など出来なかっただろう。
 恐らくこの男が渉を拉致した犯人だと確信したあの時に、敵わないと本能で察していたとしてもその命を狙いに行った筈だ。
 それを思うと、この男が渉に対して浅からぬ好意を寄せている事に、苦笑する。
 そして、この好意を利用してやろうと思っている自分に対しても。

「――なぁ、そう言えば俺、あんたの名前聞いてなかったな。何て言うんだ?」

 俺がそう尋ねると一度だけチラリとまた視線をミラー越しに寄越す。
 そして煙草を口に咥えながら、俺の質問に一言だけ応えた。

「……楠木だ。下の名前は必要ねぇな。」

 応えた名前が偽名かどうかはその声色では判断がつかなかった。こんな仕事に就いている男がおいそれと本名を口にするはずもないし。
 だが、なんとなくの勘ではあったが、目の前に座る男が本名とまったく違う名前を口にしたとは思えなかった。もし、偽名であっても、恐らくはそれに近い音の響きの苗字だろう。
 下の名前を応えなかったのは、そこから足がつくことを恐れてか。それとも、男なりの俺に対する嫉妬心の表れか。
 まぁ、どっちでも良いだろう。
 男の名を意識に深く刻む。
 偽名だろうが、本名だろうがそんな事は関係ない。
 こいつがこの名前を渉に伝えているかどうか。
 そして、情事の際に渉の唇がこいつのこの名を紡ぎ、囁いたかどうかが問題なのだから。

「楠木、ね。よぉく覚えておくぜ。」

 口の中で相手の名前を復唱し、そう多少の凄みを混ぜて言う。
 すると、男はもう一度バックミラー越しに俺を見、にたり、と俺以上に凄みの利いた笑みを浮かべた。
 
 その後は、無言。
 車が港に停留してあるそいつ所有のモノと思われるクルーザーの傍に停まるまで、俺達は誰一人口を聞かなかった。

◆◇◆◇

 俺が渉の母親にあって、あの家で起こった全てのあらましを聞いてから、俺はただのチンピラで居ることをやめた。
 飯島さんに無理を承知で頼み込み、なんとか組が運営しているサラ金の会社に就職と言う形を取らせて貰った。
 仕事の内容は今までとそれほど大した違いはなかったが、だが、それでもただのチンピラでいるよりは一応の箔はついた。チンピラと、サラ金であってもちゃんとした“企業”に勤めるサラリーマンでは周りから見る目もまた違う。
 チンピラの時はだらしない格好でよかった。
 だが、サラ金といえども一営業職。新しく普通のスーツを新調し、社会人としての形も整えた。
 そうして俺はいつ渉の前に出ても恥ずかしくない人間になろうと、俺なりの努力をしたものだ。
 今まで逃げていた勉強にも、向き合うようになった。
 俺のような人間など相応しくないと思われるような場所、図書館にさえ赴いて様々な本を読み漁った。中学時代から勉強というもから離れていた人間にとって、それは、暫くはただの苦痛でしかなかったが、それでも、渉の事を思い、また、自分自身が社会人として生きていく為には、それはどうしても必要な過程であり、苦行でもある。
 その当時俺が身に着けようとしていたのは、一般的な学力の他にも、俺がこれからのし上がっていく為に必要だと思う分野、つまり、心理学に、経済学、他人との駆け引きにおける戦術などなど……。それらについてもひたすら本を読み漁り、独学で知識を身につけていく。
  ただ単に中学や高校で習っていた勉強を、復習を兼ねて改めてするだけなら大して面白みも何もないが、心理学や経済学をベースに、普通の科目、特に数学などの学術を紐解いてみるとかなり面白く、そして、吸収が早まる事が解った。
 それからはもうただひたすらに夢中になって、様々な参考書や辞書、書籍などを読み、その内容を吸収していく事を繰り返す日々で。
 今までの俺の人生がどれだけ無意味で、口ばっかりで、野望だけがでっかく頭でっかちなモノだったのかを痛感する。
 勿論、俺が当時していた事は勉強だけじゃない。
 それと平行して俺は昔の仲間にも頼み、渉の行方を捜させていた。
 しかし、幾ら仲間内が広域に渡って結束し、動いたとしても素人がする捜索などたかが知れている。
 当然のように、あの家を飛び出してからの渉の足取りはなかなか掴む事が出来ず、結局俺は自分自身も狩り出して仕事帰りにあいつを捜し歩き、夜遅くに部屋に戻ると、図書館から借りてきた参考書に目を通すという日々が暫く続いた。
 そして瞬く間に月日は流れ、気がつけば渉を探し始めて一年近くが経っていた。
 余りにもあいつの消息が掴めないことに焦燥感が募り、いい加減本職の人間に頼んだ方がいいんじゃないかと思いはじめた、そんなある日。
 たまたま営業で出かけた先で、思いがけず渉の父親だった男を見かけた。
 無心論者である俺でさえ、これはまさに神様の思し召しだと、その時は思ったものだ。
 渉の父親も仕事中だったのだろう。相変わらずパリッとスーツを着こなして、背中には恐らく仕事に使う設計書かなんかを入れた筒を背負い、颯爽と街中を歩いていた。そのあの幸せだった当時と代わり映えしない歩き方に少し懐かしさと嬉しさを感じながら、俺は急いでその後を追った。
 小走りに追いかけ、思い切って声を掛ける。
 すると、親父さんは俺を見て酷く驚いた顔をした後、嬉しそうに微笑んでくれた。
 どことなく渉とダブるその優しい微笑みに、思わず俺も釣られて笑い返す。
 その後、親父さんと仕事終わりに会おうと無理矢理約束を交わし、その晩、都内にあるとある居酒屋で酒を指しつつ近況を交えながら様々な話をした。
 俺と差し向かいで酒を酌み交わす親父さんの瞳は、とても懐かしそうに細められ、そして、偶然と言うのは続くもんなんだな、とどこか複雑そうに漏らした。
 どうやら俺と出会う数ヶ月前に、なんと俺の親父とも職場の近くでばったりと出会ったそうだ。
 その時も俺の親父は、俺と同じようにこうやって約束を取りつけ居酒屋で色々な話をした、と言っていた。
 親子ってのはこんなところでも似るもんなんだねぇ、と笑いながら酒を煽る渉の親父さんを見ながら俺は複雑な感情を抱えていた。
 まさか、そんな偶然があるとは。そして、自分の父親が渉の親父さんにしでかした事への罪悪感が募る。
 勿論、俺の親父の事を語る親父さんの瞳はやはりどこか複雑そうな、辛そうな色が多分に含まれていた。
 そりゃそうだ。
 俺の親父は、親父さんの大切な家庭を壊して奥さんと息子を奪ったんだ。
 そんな奴に今更出会って話をした所で、あまり楽しい事ではないだろう。しかも、強引に約束を取り付けられたなら尚更だ。
 それでも親父さんは、元友人であった俺の親父との久々の出会いを喜んだらしい。
 最初は驚いたけど、でも、やっぱり彼も色々悩んでの事だったみたいだし、それにやっぱり彼とは友達だしね、と言いながら親父さんは優しく微笑む。
 なんて心が広い人なんだろう。俺だったら、自分の家族を壊したような奴は生かしてはおけない。友達だろうが、なんだろうが、家族を奪うような奴はクソだ。馴れ馴れしく寄ってくるような、そんな外道、どっかの路地裏にでも連れ込んで、タコ殴りの刑だ。
 だが、まぁ、俺と渉の親父さんでは性格が違いすぎる。
 渉の親父さんは、本当に人の良い、穏やかで優しい人だ。そして、嘘が吐けない、今時珍しいくらい真面目で真っ直ぐな人だ。
 その人が、俺の親父をもう許している、というのであれば、それは本当の事なんだろう。
 何しろ親父さんが言うには、確かに離婚当初は、離婚の痛手はあったものの、今はその事を乗り越え仕事を生きがいにして日々を送っているらしい。
 だから、俺の親父との久々の再会も、また一つそれを乗り越えるために必要だったんだ、と何かを吹っ切れたように笑っていた。
 そんな話を聞きながら、親父さんの懐の広さに関心しつつも、俺は当初の目的だけは忘れない。
 ゆっくりと、不審に思われない程度に、俺は徐々に徐々に渉について聞き出す。
 そして、漸く渉の居場所の手がかりを得る事が出来た。
 親父さんは俺が渉の消息を聞く事を特に不審にも、可笑しい事だとも思わなかったらしい。
 軽く話を振ると、渉について詳しく教えてくれた。
 どうやら渉は、あの家を出て少しの間は父親の家に居候をしていたらしい。だが、すぐに親父さんに頼み込んで保証人になって貰って町田の方で安いアパートを借りて住み始めたそうだ。
 最初はこのまま一緒に住めばいいじゃないか、と渉に親父さんも言ったそうだが、渉はそれも断って一人で生きる道を選んだらしい。
 それを聞いて俺は、渉に尚更早く会いたくなった。
 だから親父さんに今現在渉が住んでいるアパートの住所を教えて貰うと、親父さんに礼を言ってその居酒屋を飛び出した。
 そんな俺の背中に親父さんが小さく漏らした、やっぱり親子だねぇ、という言葉の意味など考えずに。
 ただ、ただ、漸く渉に会えるという、たったそれだけの事に馬鹿みたいに浮き足立って。
 逸る気持ちを抑えながらタクシーに飛び乗り、行く先を告げていた。

 その先に、想像もしていなかった大きな裏切りが待っているとも知らず。








to be continued――…