HOME >>

NOVEL

罪悪感 航矢編
〜第六話〜

注意) 特になし

曝け出そう。暴き出そう。

それが今、俺が伝えなければいけない事。

目の前にある力を手に入れる為に。

 目の前で、信じられない、とでも言うような表情をしている女に静かな声で自分の父親がどんな人間だったかを語る。
 外面は良かったが、家庭内では最低の親だった。
 母親はそいつの暴力に怯え、身を縮こまらせて日々を送っていた。
 勿論、俺が幼かった頃には、父親がそんな人間だなんて知る由もなかったし、母親が何故あの父に対してあんなにも委縮しているのか気が付きもしなかった。なにせ親父は、俺の前や他人の前では『優しい父親・夫』として取り繕い、振舞っていたからだ。
 だが、時が経つにつれ、成長していくにつれ、俺の目の届かない所で行われる父親の母親への言葉と肉体への暴力に気がつく。
 母親の服に覆われて見えない場所には常に青痣があった。
 そして優しさを湛えていた筈の頬が、少しずつやつれこけて行く。
 俺を見つめる瞳が優しさだけではなく、不安や恐れを湛えて行く。
 その変化はゆっくりで、静かで、ずっと傍に居た癖に外ばかりを見ていた俺には気がつかない程酷くゆっくりとした変化だった。
 今思えば、ゆっくりとはいえ幾らでもその母親の変化に気づく瞬間はあったのだ。
 だが、それを俺はことごとく見逃し、挙句、最終的に父と母は離婚した。
 それだけなら別にいい。
 だが、父親、いや、あの男、は母親が精神を病んでいる事を理由に俺の親権を無理矢理お袋から取り上げた。
 ――渉の母親に取り居る為に。
 あの頃の俺には、親父が一体何を考えているのかさっぱり解らなかった。
 何故、俺の母親と離婚したのか。
 何故、渉の母親と再婚したのか。
 だが、今になれば解る。
 俺や渉の母親はあくまでもあいつにとっては手駒の一つだったのだ。
 外面だけの優しさで渉の母親を誑かし、俺が渉と仲が良い事を利用して引っ込み思案の渉を手懐ける手はずだったのだろう。
 しかし、あいつの計画は俺が荒れて家出をした事や渉が部屋に引き籠ってしまった事で初っ端から破綻してしまったらしい。
 俺はあいつの思惑通りには動かず、渉もまた、動かなかった。
 それが幸いしてか、あの家に居る限りは渉にあいつは手が出せない。
 だから……、また、あいつは渉の母親を捨てた。
 渉が母親と共に暮らす事を望んでないのを見越した上で。
 渉を手に入れるチャンスをその手に掴む為に。

「――そんな男の血が流れているこの俺が、はたしてお前と結婚しても上手くやっていけると思うか? 俺にはあの卑怯で、卑劣で、最悪な男の遺伝子がしっかり刻まれているんだ。だから……。」

 俺と俺の父親にある軋轢を語って聞かせながら、俺は拳を握りしめる。
 目の前では美奈が、相変わらず俺の言葉を信じられないと言った面持ちで俺を見詰ていた。
 信じられなくとも、信じなくとも、それが真実だ。
 あの男は今俺が語ったままに最低な男。

「だから、俺はあの男を披露宴会場で見つけた瞬間、この結婚はするべきではない、そう思ったんだ……。」
「っ、航矢……っ、だけど……!!」
「俺があいつのようにお前に暴力を振るわないとも限らない。元々俺は粗野な男だ。喧嘩や暴力の世界で生きてきたような、そんな男だ。……お前との結婚は、無理なんだよ……。」

 拳を握りしめたまま美奈との結婚が俺には無理だと伝えると、美奈は慌てたように口を挟んできた。その言葉を俺は頭を振って遮ると、弱々しい声で再度美奈との結婚は無理だと口にする。
 すると美奈は心底驚いたような顔をし、また俺にむしゃぶりつくようにその腕を俺の首に回し抱きついてきた。

「嫌っ!! 嫌よ……っ!! 航矢は私と結婚するのよ……っ!! 誓ったじゃないっ。病める時も健やかなる時も、傍に居るって……、プロポーズでも、私を、幸せにする……って、そう、約束……、したじゃない……っ……、ぅ、えぐ……っ。」
「美奈……。」

 俺に抱きつき、声を抑える事もせず美奈は泣きじゃくる。
 そんな女を少しだけ意外に思いながら、俺は努めて優しい声を出してその女の名を呼んだ。
 ボロボロと零す涙に濡れた瞳が俺を映し、いやいやをするように頭を振る。

「――俺は、学もない、才もない。しがない中卒のダメな男だ。しかも、餓鬼の頃には補導された事も一度や二度じゃない。挙句選んだ仕事も、ヤクザ絡みのヤバいモノばかり。お陰で俺の人生はずっと暴力が付きまとっていた。餓鬼の頃ならそれでもまだいいだろう。だが成人して、大人になって、好きな女が出来ても、そんな世界から完全に足を洗う事が出来ないような人間なんだ……。だから、お前を幸せにするなんて、無理なんだよ……俺には。」
「航矢っ……、そんな……っ、そんな事……っ。」
「否定できないだろう? そんな男がお前のようなイイ女と付き合えて、結婚直前まで行けただけでも奇跡なんだ。……だから、解ってくれ……。」

 俺の首に巻きつくように回されている女の手を外しながら俺は、殊更感情を押し殺したような淡々とした声で、そう言うと美奈は大粒の涙を零しながら、必死になって俺の言葉を否定しようと躍起になっていた。
 だが、俺が暴力が蔓延している世界に身を置いていたの事実だ。
 だから美奈は俺の言葉を明確には否定できない。
 そんな美奈に俺は努めて優しい声を絞り出すようにして言葉を続ける。

「だから、美奈。これで、さよならだ。俺がお前の呼び出しに応じたのは、これを伝える為だった。ありがとう、いい夢を見させてくれて。」

 うっすらと微笑み、美奈の髪を撫でる。
 泣きじゃくる女を抱きしめ、その額に別れのキスをする。
 その行為がどれだけ女を、美奈を苦しませるか解っていながら。

「――俺と、別れてくれ、美奈。」

 涙で濡れた瞳を見つめ返し、もう一度俺は美奈にそう別れの言葉を告げる。
 すると美奈は、ぶんぶんと頭を振って俺の言葉を否定した。そんな美奈に優しく笑いかけると、俺は瞳から零れ落ちる涙を手で拭ってやる。

「嫌……っ、いやぁぁあああ……っ!! そんな事、言わないで……っ! 私納得できないっ! そんな理由じゃ納得できないんだからぁあああ……っ!!!」

 涙を拭う俺の手を払いのけると、美奈はそう泣き叫び、俺の胸にしがみついてワンワンと泣き始めた。
 余程、俺からの別れの言葉が堪えたらしい。
 臆面もなく泣きじゃくり、俺のシャツにその涙と鼻水のシミを作っていく。
 そんな美奈を上から見下ろしながら、俺は緩く笑った。
 俺の撒き餌は余程食いつきがいいと見える。
 まんまと俺の撒いた餌に食いついた、とてつもない大きさの獲物に俺は酷く満足した。

 そして、俺は更なる餌を女に差し出す。
 今度は真実ではなく、嘘に塗り固めた餌を。
 だが、それは女にとって堪らなく母性本能とかいう奴をくすぐり、満足させるであろう餌を。

「……美奈。」

 そっと泣きじゃくる美奈の体を抱き返す。
 そして、その名前を掠れた声で呟いた。

◆◇◆◇

 その日はそれ程待つことなく、すぐに訪れた。
 奴が珍しくパチンコにも行かず、渉のアパートへと帰ろうとした日。
 俺は先回りをし、渉のアパートの少し前で奴を待ち伏せた。
 奴は俺の顔を見るなり、驚いたような顔をしてアパートへと向けていた足先をくるりと反対方向に向け、早足にその場から立ち去ろうとした。
 その想像通りの行動に俺は口元を吊り上げると、すぐに奴の後を追う。
 そして、充分に渉のアパートから離れた所で、ダッシュをして奴の背後に迫った。

「親父! 待てよ、親父!!」

 そう親しみを持っていると取れるような声色を使い、奴の肩を掴んで無理矢理こちらを振り向かせる。
 奴は、俺の顔を見るとどこかビクビクとした怯えた目で実の息子を見た。
 それににやりと凶悪な顔で笑ってみせる。

「久しぶりじゃねぇか、なぁ、親父。」
「あ、あぁ……そうだね。……航矢。」

 俺の声にビクリと小さく体を震わせながら、親父はそれでも実の息子相手にビビるのは情けないと思ったのか、気丈に振舞って言葉を返した。
 そんな親父にもう一度、にやりと笑ってやる。

「親父、さっき渉のアパートの傍に来てたよな? あんたも渉に用事?」
「い、いや、俺は……。」
「俺もさー、最近になって漸くアイツの居場所突き止めてさ、んで、これから会いに行こうと思ってたんだよ。元気にしてっかなー。あー、そいや、親父はさ、アイツとはちょくちょく会ってんの?」
「……。」

 完全に立ち止まってしまった親父に、矢継ぎ早に質問を繰り返す。
 それに親父は、オドオドと困ったように瞳を左右に動かしながらごにょごにょと口ごもった。
 そこに畳み掛けるように俺は、言葉を続ける。
 親父は、それには答えず更に困ったような顔をして瞳をうろつかせていた。

「……親父さ、俺に隠し事あるだろう?」

 そうして暫く他愛もない事を親父に質問し、親父の反応を見ながら俺は頃合を見て声のトーンを一段下げると、そう切り出す。
 と、途端に親父の体も表情も過敏に反応を返した。
 驚いたような、それでいて、どこかぎらついた殺気のようなものが漂う瞳で俺を見返す。
 そんな親父に俺は、一層凶暴そうに見える微笑を口元に浮かべると、親父の肩に手を回した。

「……あのさ、この近くにいい店あんだ。そこ、あんま客も来なくてさいいトコなんだ。そこでさ、人に聞かれちゃヤバイ話でもしよーじゃねぇか。……例えば、アンタと渉のエロイ関係の事とか、さ、親父。」

 有無を言わさない声で、低く親父の耳に恐喝めいた言葉を吹き込む。
 すると、親父は俺の顔を信じられないものを見るような目で見た。
 その目には俺に対する恐怖も含まれていて、俺はその事に満足してもう一度微笑む。

「くくく、親父さぁ、実の息子に向ける目じゃねーよ。それ。傷ついちゃうなー、もう。」
「航矢……、お前……。」

 親父の恐怖する瞳に俺は殊更茶化すように軽く言葉を続ける。
 そんな俺に、親父はますます恐ろしいものを見るような瞳で俺を呆然と見詰め返した。

「さ、行こうぜ、親父。久々の親子水入らずだ。たっぷりと、話、しよーぜ。」

 くつくつと低く嗤いながら、俺は親父の肩に回した手に力を込める。
 メキッと親父の肩の骨が軋む音が聞こえ、続いて親父の痛みに呻く声が聞こえた。
 その呻き声を俺は無視し、そのまま親父の肩を強い力で掴んだまま半ば引き摺るような形で先を歩き始める。
 俺の腕の中で親父は小さく痛みに呻きながらも、だが、素直に俺に着いてくる気がないのか微かな抵抗をしていた。
 それが酷く俺の癪に障る。

「……あのさ、親父。一応、アンタは実の親だから手加減してやってるんだ。無駄な抵抗してっと、抵抗出来なくなるまで“実力行使”させて貰う事になるけどいい?」

 低く、ドスの聞いた声で親父に”丁寧”にお願いをする。
 すると、腕の中で親父の体が固まったのが解った。

「あ、言い忘れたけど、俺、アンタ達の倫理観めちゃくちゃな教育のお陰で今じゃ立派なヤクザの構成員って奴だから。」

 息子を見る目つきではなくなっていく親父に向かって、トドメの一言を浴びせる。
 途端に親父は、俺の腕からへなへなと崩れ落ちた。

「そんな……なんで……。」

 茫然自失と言った体で座り込んでしまった親父の腕を掴んで、力任せにその体を持ち上げる。
 そして、怯えと後悔と様々な感情でぐちゃぐちゃになっている親父の瞳を覗き込んだ。

「さぁ、行こうぜ。――アナタの知らない世界って奴へさ。」

 くすくすと笑いながら、体から抵抗する力も自力で歩く力もなくしかけている親父の体を支え、歩き始める。
 親父は辛うじて俺に引っ張られる事で足を前に出してよたよたと歩いていたが、ずっと小さな戦慄いた声で、どうして、と、なんでを繰り返していた。
 俺の存在に、二度と会いたくないと思うほど、ビビればいい。
 恐怖で引きつる親父の顔を見ながら、俺は、これから行う一種の儀式めいた暴力に対して湧き上がる喜悦を抑えられなかった。

 もう少し。
 もう少しだから、待ってろ。
 渉。
 心の中でそう、あいつが開放される瞬間を涎を垂らして待ちわびる。

 古いビルの一室に親父を連れ込み、仕掛けていた盗聴器で録音した内容を聞かせる。
 顔面蒼白になり、俺に許しを請うように膝を折り、くだらない言い訳をし始めた親父に俺はその髪を乱暴に掴み上向かせる。

「――アンタが渉にした事、今の職場にバラしてもいいんだぜ? 義理の息子だった男を暴力で犯して支配化に置いて優越感に浸ってる男が職場に居るなんて知れ渡ったら、アンタ、今の会社首になるだけでは終わんねーかもなぁ。下手したらもうどこにも就職できなくなるかもしんねーし。どうするよ? なぁ、親父。」
「……っ、お前は、俺にどうして欲しいんだ……っ、航矢っ! 金か? それなら、今はこれだけしか……、他にも必要なら、また持ってくる……っ、だから、会社には……!」

 哀れにも俺の言葉に顔面蒼白だった親父は、更に顔を白くさせ作業着の後ろポケットに入っている長財布を取り出すと、その中からしわくちゃな紙幣を数枚出し、俺の顔面に突きつけた。
 その余りの情けない哀れな姿に俺は、こんなのが実の親父だという事が心底悲しくなる。
 目の前に突きつけられた紙幣を俺は叩き落し、その胸倉を掴んだ。

「金なんざ、要らねーよ。……なぁ、親父? 俺が望むものはたった一つだ。それが何かわかるか?」
「金……、金じゃないなら……なんだ? 航矢、お前は、一体何を……。」

 俺の剣幕に恐れをなし、おどおどとその視線を動かしながら俺の言葉の意味を考える親父に俺は凶暴な顔で嗤ってやる。

「……簡単な事さ。お前があいつの前から未来永劫居なくなる事。それが俺の望みだ。」

 そう親父の耳に囁き、驚き俺を見つめ返した親父の頬に手加減なしで拳を打ち込む。
 そして、俺は思う存分親父に、いやもう親父とは呼べない肉の塊に対して、際限のない暴力を振るった。

 いっそのことこのまま死ねばいいと、思いながら。