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NOVEL

罪 悪 感  〜第十二話〜

注意)特になし

永遠って何だろう……?

ずっと続く事?

ならば、俺は、永遠を手に入れたい

 過去と現在が交わり、そして話は一つになって続く――。





 俺と航矢は初めて体を繋いだ。
 本来なら、これから先ずっと航矢との幸せな関係は続くはずだった。


 だけど。


 それは俺達の最後の逢瀬でもあった。




****






 「木島、雄一さん――?」

 バイト帰りの帰り道。
 突然後ろから肩を掴まれ、そうやたらと低い押し殺しているような声で尋ねられた。

「――え?」

 余りに突然に湧いて出た人の気配と、尋ねられた声に驚き俺は反応が遅れてしまう。と、俺の肩を掴んでいる男はその手に痛いくらいの力を込めると、また俺の耳元で俺にしか聞こえないくらいの声で囁いた。
 俺の本当の名を――。
 この地では誰も知ることのないその名を囁かれ、俺は先程よりも更に体を固めてしまう。
 それはこの男に、その名が自分のモノだと伝えたようなもので……。
 そして、それはまた俺自身に降りかかる災難の始まりを意味していた。

「やはり、そうですか。」
「ち、違います……! 人違いです!!」

 後ろで男が低く声を押し殺して笑うのを聞き、俺は全身に鳥肌が立つ。慌てて男の言葉を否定して、その手から逃げようとした。
 だが、俺の肩に食い込んでいる男の手はそう易々と離れてはくれない。
 それどころかますます男の肩に食い込む指の力は増し、その痛みに俺は顔を顰める羽目になった。

「うっ……痛……っ。」
「これ以上手荒な事はしたくないので、私に指示に従って頂けますか? 仁科渉様。」

 俺が痛みに呻いていると男はまた俺の耳元で静かな声で、そう命令してきた。
 言葉は丁寧だったが、その口調はあくまでも命令。しかも有無を言わさない凄みまで含んでいて。
 俺はどうにかしてこの男から逃げたかったが、この静かな命令を聞いて、それはどうあがいても無駄だと思い知らされる。それは崇さん達の持つ一種独特な威圧感のようなものととても良く似ていた。俺のような人間には、逆らうことを許さない、そんな雰囲気を男は身に着けていて。
 そして、ここで俺が逃げれば、確実に男はこれ以上の暴力で持って俺を捕らえようとするだろう。
 それが如実に解り俺は早々にこの場で逃げることを諦め、ゆっくりと男に頷いた。
 すると男は俺の肩を掴んでいる手の力を緩め、どうやら微笑んだようだった。

「素直に従って頂いたこと、感謝いたします。」

 相変わらずの静かな、柔らかささえ感じるような口調で、男はそう俺に言うと肩を掴んでいる手を、俺の手首へと移動させた。それは完全に俺の言葉を信用していないから。
 そして俺を導くように緩くその手を引っ張る。

「――あの車に、乗って頂けますか?」

 男が俺の手を引きながら、少し先にある路地に隠すように止まっていた黒塗りの車を指差した。その車はまるでこの夕暮れに溶け込むようにその場に静かに止まっていて、俺は後悔を覚えた。
 あの車は確実に一般人が乗る車じゃない。
 あれは、“権力”を持つ人間が乗る車だ。その事が一瞬で解り、今俺の手を引いている男が、一体何者なのかが少しだけ解ったような気がした。
 多分、崇さんが差し向けた人間。
 それか航矢の花嫁になる筈だった女が差し向けた人間か。
 そのどちらかの差し金であることは、確かだった。
 だから俺は、後悔をする。
 何故俺は航矢の言う事を守って、素直に今日のバイトを休みにしなかったのか、と。
 そうすればせめてもう少しは航矢と、大好きな航矢と一緒にこの土地で生きていけたのに。
 きっとこの男に連れられてあの車に乗せられれば、もう二度と航矢には会えない。

 ――それは、確実な予感だった。

「さぁ、乗って下さい。」
「…………貴方は、一体……。」
「私の素性など貴方には関係のない事です。――さぁ、どうぞ。」

 車の前まで連れてこられ、エスコートされるかのように男が後部座席のドアを静かに開けると俺の乗車を促す。
 その時になって俺は初めて男の顔を真正面から見た。思わずその男が誰に雇われたものなのかを聞きたくなり口を開いたが、強面の男は顔を不似合いな程柔和に微笑ませるとそう凄みを利かせて俺の背を押した。
 どうあっても俺には答えてくれないだろうその言葉に、俺はそれ以上の言葉を飲み込むと素直に男の指示に従って車の中に乗り込む。
 車の中には男の仲間と思われる屈強な男達が、後部座席に一人、運転席に一人、そして助手席にも一人座っていた。
 みなラフな格好はしてはいたが、明らかにその雰囲気や体つきはカタギの人間ではないと言っていて。
 しっかりと鍛えられた体に、鋭い眼光。そして何より、何らかの格闘技や武道を習っている人間独特の、研ぎ澄まされた雰囲気。
 それらに少しだけ懐かしいものを感じながら、俺は広々としたその車内へと身を滑り込ませる。続いて俺を車まで案内した男が隣に腰を降ろして、ドアを閉めると、車は静かにその路地から発進した。車は緩やかな発進から、すぐにスピードを上げて俺が馴染み始めていた土地を通り抜けて行く。

「どこに、向かうんですか?」

 車のエンジン音を遠く聞きながら返ってくるとは思わない質問を隣の男に聞いてみる。
 案の定、男は俺の顔をチラリと横目で見ただけで応えはなかった。

「……教えてはくれないんですね。」

 答えの無い男達に対して、小さく呟く。
 すると俺を車に案内した男がひょいっと片眉を上げると、俺の肩をポンと叩いた。

「誘拐犯が誘拐した人間に対して、行き先を教えますか? 教えないでしょう? そう言う事です。」

 穏やかな顔で静かな口調で、男は酷く物騒な言葉を口にした。
 男の口にした言葉が、ズンッと鳩尾辺りに低く重く響く。
 ――誘拐。
 それは、なるべく考えないようにしていた現実だった。
 俺は素性も知れない男達に、誘拐された。
 でも、何故俺を――?

「で、でも、俺達お金なんて……。」
「お金? ははは、これは良い。」

 少しだけ震える声で、俺がそう言うと男は弾けたように笑い始める。
 そして、細めた瞳で俺の顔を見下ろすとまたポンポンと肩を軽く叩いた。

「ご安心下さい。金銭などどこにも要求しませんよ。――あぁ、どうやらこれだけで私の言葉の意味を理解下さったようですね。そうです、私達の目的と要求は、貴方自身です。仁科渉様。」

 男の言葉に顔色を変えた俺に、くくく、と喉を震わせながら男は尚も楽しそうな顔でそう続ける。
 それは、俺にとって金銭目当ての誘拐よりもコレは遥かに性質が悪いモノだと、教えていた。
 つまり俺は何かと引き換えにこの命も体ももう二度と開放される事はない、と言う事。
 そしてもう二度と航矢の元には帰れない、と言う事。
 その男が言い放った絶望が暗く俺の視界を染め上げる。

「――仁科様、貴方はとても聡明な方とお見受けします。ならば、こんな時どうすれば一番自分の身に害が及ばないかも解る筈でしょう?」

 真っ青になった俺に男は、ゆるりと口許を吊り上げて偽りの笑顔をその顔に浮かべると、それ以上俺に質問するのを許さなかった。
 俺は男の言葉に少しだけ俯くと、ぐるぐると混乱をきたし始めている頭を冷やそうと浅く呼吸を何度か繰り返す。
 そうしながらどんどんと男達の向こう側の窓に映る外の夕闇に染まった景色が流れていくのを目の端で見ながら、俺は航矢の事を考えていた。
 今夜俺が帰ってこなかったら、航矢は一体どんな事を思うだろうか。感じるだろうか。
 そして俺からの何の連絡ないまま、一生航矢の前に姿を見せなくなったら……。
 一也さんに捨てられた俺みたいに、航矢の胸の中にも穴が開いたような空虚が出来るのだろうか。
 それとも、俺とは違ってすぐに立ち直って新しい生活を歩んでいくのだろうか。
 そんな事をつれづれと思っていると、不意に胸の中を悲しみが埋め尽くしてくる。
 気がつけば俺は、屈強な男達に囲まれたまま外を見る事も忘れて、顔を両手で覆って声を押し殺して泣いていた。
 こんなにどうにもならない感情が、切なさや悔しさ、そして寂寥の思いに駆られてしまうのはとても久しぶりで。
 俺にはもう溢れ出してくるそれらの感情をコントロールできるほどの、冷静さが今は失われていた。
 ただただ溢れ出てくる涙を覆った両の掌に溜め、ポタポタと更に下へと零していく。
 暫くすると、堪えきれないような嗚咽が喉を切迫し始め、呼吸の度にそれが口から静かに零れた。
 男が人目もはばからず泣くなんて、普段なら恥ずかしくてどうしようもなくなるだろう事を、今俺は小さな嗚咽と共にしていた。
 だが、俺が泣いている事に当に気がついているだろう男達はその事についてもこれからどこに向かうのかも、そして仲間同士の会話も全くする事もなく、そこにまるで居ないかのようにただ座っている。
 それが今の俺には、ありがたかった。
 革張りの座席に深く腰掛け、俺は体を折り曲げてただただ静かに涙を零し続けた。
 車が一艘の船に乗り、航矢の居る土地を離れても。
 俺はずっと、ずっと泣いていた。

 航矢に会いたくて――。




****






 泣き疲れて寝入った俺が運ばれたのは、船内にある一室だった。
 真夜中に目が覚め起き上がると、そこは暗闇で。
 途端に鋭い恐怖が襲ってきた。
 別に暗闇が怖いわけじゃない。航矢が傍に居ないことに、俺は恐怖したのだ。
 これから先、俺自身どんな目に遭うのかも解らなかったけど、それよりも何よりも俺の知らないところで航矢がどんな目に遭うのか解らないのが、凄く怖くて。
 もし俺を誘拐した奴等が崇さんの手下なら、俺を連れ出した航矢に対して穏便な方法を取るとは思えなかった。
 それに美奈さんの手下であったとしたら、確かに航矢に危害は加えないかもしれないけど、でも結婚式をアンナ形で終わらせてしまった航矢に対してそれ相応のけじめを取らされるかもしれない。
 それがどんな形でのけじめかは解らなかったけど。
 だけどそれは少なくとも、航矢の望んでいないけじめだろう。
 俺は必死になってこの場から逃げ出そうとした。
 逃げて航矢のところに戻って、俺に何が出来るわけではないけど、どうにかしたくて。
 やたらに上等なベッドから俺は降りると床の上に綺麗に揃えて置いてある自分のスニーカーを足に引っ掛けて、暗闇の中手探りで出口へと向かう。
 暗闇に目が慣れてくると、その部屋がやけに広いことに気がついた。
 そして、置いてある調度品の見事さもおぼろげに解ってくる。
 明らかにVIP用に設えてある、一室。
 それは俺を攫った人間がやはり“権力”を持っている事を指し示していた。
 その事に歯噛みしながら、ゆっくりと出口を探る。
 俺が寝かされていた部屋を出ると、今度は広いリビングのような部屋に出た。そこを反対側へと真っ直ぐに突っ切ると、目の前に立派なドアが現れる。
 そして、俺がそのドアのノブに手をかけた瞬間。
 突然俺の後ろに人の気配が現れた。

「――!?」
「そこから先はご遠慮下さい。」

 ノブに手をかけた俺の手をしっかりと握って、後ろに現れた男は静かな声で俺にそう言う。
 それは最初に俺を車に案内した男だった。
 だが、最初に会った時とは雰囲気がかなり違っていて。

「で、でも、俺……、帰らないと……。」
「どうしてもそれ以上先に行かれる、と言うのなら私も貴方に優しくは出来ませんが。仁科様。」

 後ろを振り返り、後ろ手にドアのノブを握りながら俺は震える声で男を見上げた。
 男は暗闇の中俺を白々とした瞳で見下ろしながら、更に暴力的な雰囲気をその体から溢れ出す。それは決して脅しではないのだと、はっきりと語っていた。
 余りに昼間の男とは雰囲気が違い、男から噴出してくる暴力的な威圧感に俺は体中にゾワリと鳥肌をたてた。男は、夜に、暗闇に酷く気を高ぶらせていた。
 だけど、俺はどうしても航矢の元へ帰りたくて。
 その場で無駄な足掻きをしてみる。

「どうしても……駄目?」
「勿論です。貴方を逃がすな、とのクライアントの命令ですから。」

 暗闇の中、男を上目使いに見詰めながら、俺はもう一度駄目元で聞いてみる。
 だが返って来た答えは、予想通りのもので。
 俺はうなだれると小さく溜息を吐いた。
 今の自分は酷く無力だ。昔から無力な人間ではあったが、今この時程その事を痛感した事はない。
 でも、それでも。
 このまま連れ去られてしまえば、きっと二度と航矢の元には帰れない様な気がしていた。
 だけど、今の俺には何も出来なくて。

「……俺、逃げたりしないから。少しだけ、少しだけでいいんだ。家に帰らせてよ。用意だってあるし、それに同居人に何も言わずに出てきてるから……。」
「そう言う訳には行きません。着替え等のご心配でしたら、こちらである程度の物は用意させて頂いております。また、同居人の方に関してはちゃんと納得行く形でこちらからご連絡するよう手配済みです。ご安心を。――尤も、貴方の言葉を信じて帰してあげたくても、もうすでに船は離岸してますので、どうにもなりませんけどね。あぁ、それから貴方の携帯電話も貴方が眠られている間に、こちらでお預かりしておりますのでご了承の程を。」

 下唇を噛み、上目使いに男を見ながらまた少しだけ悪足掻きをしてみた。
 しかし返って来た言葉に、俺は更なる無力さを感じ一度は上げた瞳をまた伏せ、暗闇の中暗く沈む色の絨毯に虚ろに視線を這わせる。
 船はもう出発している……。
 そして携帯電話も取り上げられている……。
 じゃあ、やっぱりもう航矢の元には戻れない。連絡さえも取れない――。
 男のもたらした言葉は、一度は足掻こうとした気持ちをみるみる萎ませた。
 だけど、ふと頭の中で反芻していた男の今までの言葉の中に引っかかる単語を見つける。
 クライアント――。
 男は確かにそれを口にした。
 俺を攫った当初は、まるで自分達がこのことの主犯格のような口ぶりだったのに、今、確かに男は自分がただの雇われ人だと言う事を俺に漏らした。
 それは故意だったのか、無意識だったのかは解らなかったけど。
 でも、その単語が漏れた事で俺の中にある希望が頭をもたげてきた。
 クライアント。
 それなりの権力を持っている、クライアント。
 では、それは――?
 俺の頭の中には、ある人物達の顔をすぐさま思い浮かべられた。
 その顔は、俺にとっても航矢にとってもとても馴染みの深い人たち。
 そして俺達が裏切った、人たち。
 それなら話は早かった。
 男の言うクライアントの正体さえ掴めれば、もう船が出発した後でも新たな土地に着いた後に、航矢の元に戻る為の活路が見出せるかもしれない。
 確かに絶対とはいえないけど……。
 でも、男の口を割って、クライアントの正体を喋らせれば……。
 そうすれば、俺が航矢の元に帰れる確立は0%ではなくなる……。
 例えその確立が限りなく0%に近いものであったとしても、そのわずかな可能性に賭けるしか今の俺には取る術がなかった。
 今までの自分の人生のように、ただ、相手の言いなりになって後悔だけは、もうしたくはない。
 俺に出来る最大限の力と知識を使って、盛大に足掻いてやる。
 それがどんなに惨めで己のちっぽけなプライドを粉々にしてしまうような事であっても。
 俺は、足掻かなくちゃいけない。
 大好きな航矢の元に帰る為に。
 俺を好きだと、そうはにかみながら言ってくれた航矢の為に。
 だって、俺の存在はもうすでに航矢の為だけにあるのだから――。
 そう俺は心の中で決意をすると、チラリと上目使いで男を見上げた。
 男は相変わらず感情の読めない表情で暗闇の中、俺の一挙一投を見詰めている。
 この男相手にどうやって、クライアントの正体を掴むか。
 俺には腕っ節もなければ、男を丸め込めるほど口は達者ではないから。

 だから。
 今、俺に出来る事なんて、一つしか思い浮かばなくて。
 それしか俺には武器がなくて。
 それが相手に効くかどうかはまったくの未知数だったけど。



 俺は、その思い浮かんだ事をすぐに行動に移した。



 心の中で航矢に、謝りながら――。

 そして、自分の身に付いている所作に男が引っかかってくれる事を願いながら。





to be continued――…