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NOVEL

罪 悪 感  〜第十五話〜

注意)特になし

昏い奈落はどこまでも深い

 落ちるとどこまでも堕ちていくしかない

 そして、這い上がる事はもう無理なのだろう

 ――翌日。
 時間はあっという間に過ぎ去り、主税との別れの日がやってきた。

「渉。もう着くぞ。」

 コンコンと、開け放してあるドアの横の壁をノック代わりに叩いた主税が俺の返事を待たず、俺に宛がわれている部屋に入ってきた。
 そろそろ時計は夕方を指し示す頃で。
 俺はベッドに腰掛けたまま、外の景色を映し出している窓へと向けていた。窓から見える外の風景は、今までと特に何も変わったところはないような気がする。見えるのは相変わらず海の青と空の青だけ。陸地のようなものは俺の目には見て取れない。
 だけど、主税がこうして尋ねてきたと言う事は、確かに俺達が上陸する陸地は近くにあるのだろう。
 そんな事を思いながらぼんやりと外の風景に視線と心を奪われていると、隣に主税が腰をかけた。

「……不安か?」

 そして俺の肩を抱き寄せると、らしくもない言葉をかけてくる。それに、外に向けていた視線を主税に戻して、俺は曖昧に笑い返すと緩く頭を左右に振った。

「うぅん。今更、不安なんてないよ。ただ……。」
「ただ?」
「もう、本当にあそこには、航矢の元には戻れないんだなぁ、って思っただけ。」
「…………。」

 笑みの形に歪めた唇のまま、俺は主税の肩に頭を甘えるようにのせる。そして、素直な自分の気持ちを伝えると、主税は何も言わなかった。
 ただ、黙って肩を抱いている手の力を少しだけ強める。

「――渉。」
「ん。何?」

 そして暫く無言で居た後、おもむろに俺の名を呼んだ。
 その呼びかけに俺は答え、主税の肩にもたれかけていた頭を起こすと相変わらず表情の読み取れない主税のポーカーフェイスを見詰め返す。

「お前を引き渡す相手は、女だ。」
「え?」
「本当は規約違反なんだがな。まぁ、この程度の情報ならいいだろう。どうせもう会うんだしな。――渉、お前は今からある女の持つ別荘に連れて行かれる。そっから先は俺はノータッチだが……、多分お前にとって航矢って男の所に居たような安らぎを得るような場所にはならないだろう。」
「主税……、いいの? そんな大切な事、俺に教えても……。」

 突然語られたクライアントの情報に、俺は目を驚きで瞬きながら目の前で淡々と語る主税の顔を見る。
 すると、主税はふっと口許を緩めて柔らかく笑った。

「さっきも言ったが、この程度なら大した情報じゃない。」
「でも……。」
「アンタを散々抱いて良い思いをさせて貰った。その対価だと思えば良い。……尤も、本当はこれっぽちの情報じゃ、対価には全然足りないんだがな。」

 くくく、といかつい顔を綻ばせて笑い、主税はガシガシと自分の頭を掻くと俺の肩に回している手に更に力を込めて、自分に俺の体を引き寄せる。
 そして、至近距離で俺の顔をまじまじと見ると、また柔らかく微笑んだ。

「渉。俺は元々女大好きな男だが、アンタはそんな俺が唯一抱いた男だ。もし出会い方が違ったのなら、アンタとはきっと良い恋愛も出来たと思う。守ることも、大切にする事も出来たかもしれねぇ。だが、残念だな。アンタはこれから俺の手の届かない所に行く。それに何より、アンタの心を持ってちまってるのは、その“航矢”って男だ。俺じゃ、どうやら太刀打ちできねぇみたいだし。」
「ち、主税っ……それは、あの……!」
「今更取り繕う必要はない。お前の気持ちは、全部解ってる。アンタは自分が思うよりも、よっぽど解りやすい男だ。」
「…………ごめん。」
「――だが、渉。昨夜も言ったがそいつの事は忘れろとは言わねぇが、会う事に希望を持つな。そいつに会う事を望み続けても、待ってるのは絶望だけだ。」
「……解ってるよ、主税。俺、もうその事には希望なんて持ってない。それにアンタのクライアントが女って聞いて、ますます航矢とこれから先会う事はないだろうって、はっきり解った。だから、俺、もう航矢に会いたい、なんて思わないから安心して。」

 俺の頬をその大きな両手で包み込みながら主税は、最初の頃とは想像もつかないような優しい顔で俺の瞳を覗き込んでくる。
 それに俺は柔らかく微笑み返しながら、自分の中にある想いに改めて決別した。
 航矢の事はきっとこれから一生好きだろうけど、でもこの想いはもう二度と航矢にも誰にも伝えられないから。
 でも、あの一夜があるから俺はきっとこれから先の人生、航矢に会う事なくても生きて行ける。どんなに辛くて酷い目に遭うとしても、きっと大丈夫だと、そう自分自身に言い聞かせた。
 そしてそこで主税との話が一旦途切れると、俺は主税の胸に自分の頭をすり寄せる。

「主税……、俺さ、アンタに会えて、セックスできて良かった。誘った相手がアンタで、本当に良かった。たった四日間の短い間だったけど、俺、アンタと過ごせたこの時間忘れない。軽い男だって思うかもだけど、俺、アンタの事ケッコー好きだよ。セックスの最中とかに言ってた言葉、半分は本気だった。――色々、ありがとう。」
「………渉。」

 すりすりと分厚い胸板に自分の頬を甘えるように擦り付けながら、俺は主税に感謝の言葉を述べた。
 俺はその言葉の通り、主税には感謝していたし、確かに主税の事を好きになり始めていた。但し、それは恋愛感情とは多分違うものだったけど。だけど、主税の腕に安心感を感じて、その仕事に対してストイックで忠実な態度にはとても好感が持てた。
 だから俺は主税に、素直に好きだと伝えられた。
 主税は俺の言葉を聞くと、俺の頭をしっかりと手で抱きしめてくれる。
 その筋肉のついた逞しい腕に抱きしめられると、不思議と俺はとても安心した。だけど、この腕とも今日でお別れ。
 それでも今ある確かな安心感に包まれながら、俺はつくづく人との縁が薄いのだろうと、自分に関わって通り過ぎて言った人たちの顔を思い浮かべる。
 肉親とはもうすっかり疎遠になってるし、初めて恋人と呼ぶようになった一也さんにさえ短い期間で離れてしまった。そして、ボス――崇さんも、肉親以外では結構長く一緒に居たけれど、でもこうして別れは来た。
 それに、航矢。
 航矢とは幼馴染で、何度となく離れたり、また一緒に過ごしたりしてて……。結局なんでか最後には一緒に手を取り合って沖縄に逃げちゃって、そしてとうとう幼馴染以上の一線を越えて。
 だけど、すぐにこんなに離れることになった。
 主税だって、たった四日間だけの関係だ。これから先、きっと二度と会う事はないだろう。
 そんな今まで俺の回りに居た人間の顔を思い出しながら、俺はその関わりの短さに主税の胸板に顔をすり寄せながら苦笑をする。
 これから俺が連れて行かれるその女――多分、航矢の花嫁になる女だった美奈さんは、一体俺の傍にどれだけの期間居るのだろうか。
 恐らく俺の顔なんて見たくないだろうから、すぐに航矢とは絶対会えないような場所へ、彼女の目の届かない場所へ連れて行かれるような気がする。ひょっとしたら海外とかに売り飛ばされるのかもしれない。
 ……まぁ、彼女の実家はそんなダークサイドになんて、関わりなんてないような気もするからそこまではないかもしれないけれど。
 周りに居た人達から、これから先の俺の行く末に思いを馳せていると主税の腕がゆっくりと俺の背中から離れた。

「渉。」

 短く俺の名を呼ぶ。
 その声は、また酷く苦いものを含んでいて。

「ん。」
「……何があっても、死ぬ事だけは選ぶな。」
「え?」

 唐突に言われた言葉に、俺は主税の胸板から顔を離しえらく物騒な事を呟いた主税の顔を下からまじまじと見詰める。
 だが、その顔はもうすっかり仕事モードのポーカーフェイスになっていた。
 感情のまったく読み取れない静かな顔に、俺は急速に主税が遠くに行ってしまった感じを受ける。それと共に、もう主税との関係も終わりなのだと、解った。
 そしてその終わりの瞬間に、主税はきっととても大切な事を俺に伝えようとしている。

「死なんて選ばないよ。俺、そんなに弱くないから。大丈夫。」

 だから、俺は主税に対して安心させるように微笑む。
 ただ、その言葉の後に続きそうになった言葉は飲み込んだ。
 俺が死を選ぶのは、航矢がそれを望んだときだけだから……。そう口にしかけて飲み込む。これは主税に伝える必要のない言葉。
 俺の死は俺自身はもう決められない。
 少なくとも、航矢との想い出がある限りは。
 主税の感情を表さない瞳が、その真意を読み取るように俺をじっと見詰めた後、不意に主税の腕がもう一度俺の体を強く抱きしめた。

「アンタとはもっと色々な事、話したかったな。セックスだけじゃなく、普通にありえる生活を送ってみたかった。そうすれば……。」

 そう俺の髪に鼻先を埋めながら、小さな声で主税は呟く。だが続きそうになった言葉を飲み込むと、抱きしめていた腕に力を少しだけ込める。
 そして、それが別れの合図だったらしく抱きしめた時と同じようにあっという間に俺の体を離すと、主税はベッドの上から立ち上がった。そのままピンと背筋を伸ばすと、それまで纏っていた雰囲気は霧散し最初に会った頃のような静かで慇懃無礼な雰囲気が戻ってくる。

「さぁ、仁科様。クライアントの元へ、貴方をご案内します。」

 肉厚の唇にビジネスライクな笑みを浮かべると、俺に向けて手を差し伸べてくる。その手を俺は取ると、ベッドから立ち上がった。
 俺が立ち上がるのを見て取ると、主税はベッド傍にあるテーブルの上にあった俺の荷物をもう片方の手に持つと、先に立って歩き始めた。
 その時、微かな振動が足元に伝わり船が接岸したのが、俺にも解った。
 視線を動かし、窓の外を見ると先程までどこまでも続くかと思われた海原はなくなり、停留している多くの船とそして遠くの方にはビルなどの建物が見える。
 その風景を認めた後、俺は主税に手を引かれこの四日間宛がわれていたその部屋を後にした。
 船内を静かに歩き、タラップが降りている場所まで来ると主税は無言で俺に荷物を手渡した。それを受け取ると、俺は主税に笑いかける。

「楠木さん、ありがとう。さようなら。……元気で。」
「はい。仁科様も、お元気で。」

 俺を見る主税の顔は下で待っているクライアントに配慮してか、やはりビジネスライクな味気ない笑顔だったが、その瞳の奥にある静かな色が俺の行く末を案じていた。
 その主税の瞳に、大丈夫だと小さく頷くと、俺は陸地へと続くタラップに視線を戻した。
 すると桟橋の上に居た数名の男の内の一人が、俺に向かって歩いてくる。

「仁科渉様、お待ちしておりました。お嬢様があちらでお待ちです。どうぞ。」

 男がタラップを上って俺の前まで来ると、そう言い、桟橋の向こうにある道路に止まっている一台の黒塗りの車を手で指し示す。そして、俺を誘導するように先に立ってまたタラップを折り始める。
 俺はその男の後ろを素直に着いて、タラップをゆっくりと降りた。その間、背中には主税の視線がずっと降り注いでいて。
 俺が完全に桟橋に降りて、そこを歩き始めた頃に漸くその視線の気配は消え、そして後ろでタラップが上がる微かな音が聞こえた。
 主税と俺を別つその音を背中越しに聞きながら、俺はそっと胸の中でもう一度主税に別れと感謝の言葉を述べる。
 そして案内役の男が桟橋の向こうに走っている道路へと辿りつくと、そこに停めてある黒塗りの車に近づいていった。

「仁科様、こちらにお乗り下さい。」

 後部座席のドアを開け、主税が最初に俺にしたのと同じようにエスコートするようにして、俺を車に乗るように促す。その男に、ぺこりと小さく会釈をして俺は促された後部座席へと乗り込もうと体を屈める。

「お久しぶりね。仁科渉――いいえ、薄汚い泥棒猫さん。」

 その時、ずっとそこに乗っていた一人の女が俺を睨むように見詰めながらそう声を掛けてきた。
 女の声に俺は視線を上げ、車の後部座席に深々と腰を降ろし腕を組んだ姿勢で、不敵な表情をして俺を睨みつけている女を見る。
 そこには想像通り、航矢の花嫁だった如月美奈が座っていた。

「……久しぶり。如月さん。」

 女の憎しみ全開の視線を愛想笑いで流し、俺はそのまま後部座席に乗り込む。すると、女のむせ返るようなキツイ香水の香りが鼻を刺激した。
 そのすでに悪臭に近いくらいの濃い香水の香に俺は、作った笑顔を少しだけ崩すと苦笑を浮かべる。俺も香水は嫌いじゃないけど、流石に密閉空間でこれはキツイなぁ……、なんて自分の立場を忘れてそんな暢気な事を思いながら女の隣に腰をかけた。
 すると、美奈は俺の隣に体を滑り込ましてきた男に目配せをする。

「失礼します。仁科様。」

 そう男が声を掛けてくると同時に俺の肩を男が掴むと、俺が抵抗する間もなく俺に目隠しを施した。
 素早いその動きに俺は、一瞬にして視界を奪われると同時に今度は俺の手首にカチャリと微かな金属音を響かせて、冷たい硬質な物質がその手首を拘束する。

「何を……!!」
「ごめんなさいね。これから向かう先までの道のり、貴方に知られたくないの。それに、逃げ出されても困るしね。」

 くすくすと軽やかな笑い声を立てながら美奈が、そう悪びれた風もなく言った。
 その声に、隣に座る男の体から溢れてくる雰囲気に、俺は一つ溜息を吐くと体を座席に沈める。

「良いですよ。今の俺は貴女の手の中の駒だ。好きにすればいい。」
「あら、なんだか余裕なのね。もっと取り乱してくれなくちゃ面白くないじゃないの。」
「……生憎、俺は貴女を楽しませる気はないですから」
「! 本当、なんて憎たらしい……!!」

 美奈の言葉に俺が答えると、酷く憎々しげな口調で女は低く呟いた。
 それを少しだけ心地よく感じる俺は、きっと性格が悪いのだろう。
 今、危機的状況にあるのは俺のほうだ。だけど、きっと精神的に追い詰められてるのは美奈の方。
 なにせ美奈は夫になる人間に逃げられた側で、俺はその男に想いを告げられて体も重ねている。
 それだけでも俺の方にある種の余裕があったし、相手を追い詰める切り札を持っているといってもいい。
 ならば切り札をちらつかせ相手の出方を見極めれば、きっといつかなにかしらの光明は見えてくるはず。
 それが“逃げる”事を指しているのか、それとも、もっと違う答えなのかは今の自分には分らなかったけれど。
 ただ、美奈は決して俺と航矢を会わせるような方向には向かわないだろう。
 そう、先ほど主税も言っていた。
 ならば一番の願いは聞き入れられなくても、生きながらえる方法を俺は見つけなければならない。
 その方法を見つけるためにも、この女相手に負ける事は出来なかった。
 そんな事を考えながら俺は、努めて美奈に対して余裕のある口調で、こんな状況に関わらず自分の優位を示した。
 と、俺の右隣に座っている男が微かに動いた気配がする。途端に、俺の首筋に何か冷たい刃物のような物が押し当てられる。

「お嬢様と会話されるのでしたら、どうぞお言葉に気をつけて下さい。」

 静かな声でそう告げられ、俺はやれやれと溜息を吐くと小さく頷いた。
 流石にこんなに早く自分の人生を終わらすわけには行かない。
 だからこそ美奈にも美奈のボディガードの男達に対して、抵抗する意思がない事を伝える。
 その俺の態度を見たからか、女は隣でフッと鼻を小さく鳴らして笑うと口を開く。美奈の零した言葉に俺は、目隠しの下で瞳を細めた。

「――私、何があっても航矢と結婚するわよ。」

 その言葉と共に、彼女の方から香水の香りに混ざって煙草の甘い香りが漂ってきた。
 車内に充満していく彼女の香水と煙草の煙のにおいに俺は、瞬間胸がむかむかする。だけど、それを押し殺してくすりと笑うと、俺は彼女の宣戦布告に余裕の笑みで持って切り返す。

「何が可笑しいの。」
「別に。ただ、そこに航矢の意思は介入してないなぁって思って。」
「航矢の意思、ですって? 何を言ってるの。彼は私との結婚を望んでいるわ。航矢は私の事を本気で愛してくれているのだから。だから、航矢が私と結婚する事にNOと言う訳がないでしょ!?」

 俺がくすくすと笑いながら言った言葉に、女は食いついてきた。
 心底不思議そうなその声色は、女に対して航矢が今まで紡いできた嘘のくどき文句を頭から信じ込んでいるみたいで。それが酷く可笑しくて俺は、喉に当たっている冷たいナイフの感触にも構わず、密やかな笑い声を漏らし続けた。

「な、何、笑ってるのよ!」
「いや、貴女は幸せな人だと思ってね。俺は素直な貴女が、心底羨ましいよ。」
「どう言う、意味……。」

 俺に食って掛かってくる彼女に、俺は口許だけで柔らかく微笑んで彼女の問い掛けには答えなかった。答えてしまえば、きっと彼女は本当に怒り狂ってどんな行動に出るか解らなかったし、何より答える義務なんて俺にはないのだから。
 ただ、その代わりに俺自身の疑問を彼女にぶつけた。

「……ところで如月さん。貴女は何故、航矢ではなく俺を? 貴女が求めてるのは航矢であって、俺じゃないでしょ?」

 俺の質問に彼女は、コロコロと笑った。
 と、突然俺の顎を彼女の爪先が食い込むような勢いで捉えると、彼女の方を無理矢理向かされる。

「決まってるでしょ。貴方を野放しになんて出来ないからよ。貴方さえ彼の前から消えてしまえば、航矢はあの場所に留まる必要性を感じなくなるわ。そうすれば、すぐにでも私の元に戻ってくるもの。だから先に貴方を攫ってきて貰ったの。貴方を私の手元において監視し続ければ、二度と貴方は航矢には近づけないもの。――そうすれば、航矢は戻ってくるわ。貴方ではなく、私の元にね。」

 恐らく美奈は俺を鋭く憎しみの混じった瞳で睨み付けているのだろう。
 目隠しをされている状態でも彼女からの痛いほどの視線が、俺の顔に突き刺さるのを感じた。
 そして、彼女の答えに俺の中にあった、どうして?の疑問の一つが氷解する。

「――あぁ、なるほどね。そう言う事か、これで漸く合点がいった。如月さん、答えてくれてありがとう。」
「どう致しまして!」

 彼女の頭の中にある計画が薄っすらと読め、俺は美奈に一応の礼の言葉を述べる。それに彼女は何故か怒ったように怒鳴ると、俺の顎に食い込ませていた爪を更に一度食い込ませると、一気に手を離した。
 そして、ドサッと音がして美奈もその体を座席に預けたのが解る。
 そのまま俺達は口を閉じた。
 俺も言葉を発しなかったし、美奈も発しなかった。
 そして当然、美奈の部下の男達も。
 ただ、俺の喉に押し当てられていた刃物は少しすると外された。その事に微かに安堵しながら、俺は暗闇の中、一体この辺はどこなんだろうかと、ふと考える。
 恐らく美奈が向かっている別荘は山の中にあるのだろう。
 先程からどうも坂道を登っているのか微妙に車に傾斜がついていて、更には曲がりくねった道なのか体が重力に引っ張られて左右に揺れていた。
 となると。
 海があってそこから割りとすぐに山がある場所。そして、沖縄から船で四日間ほどかかる場所。
 ――尤も、あの主税がまっすぐこの土地まで移動したとは考え難かった。時間から割り出される情報なんて、ルートに寄って幾らでもかく乱する事が可能なのだから。
 少しだけこの場所を特定しようと考えを巡らせたが、自分の持つ情報の少なさにすぐにそれは諦めた。
 どちらにしろ、俺はもう自分の行きたい所へ行けない。
 この車が今から向かう場所は、主税が口にしたように俺が死を選びたくなるような場所だろうから。
 逃げる事も叶わない、牢獄。




 俺はまた翼を失ってしまった。
 得たと思った翼は呆気なく、綻び、散り落ちた。

 まるで、それが俺の運命であるかのように――。

 空を飛ぶことを許されない鳥なのかもしれない。
 その運命のかたちは。


 そして。
 ひょっとしたら。

 あの航矢との逃避行と、体を交わしたあの一夜は――。

 その後の不幸せを、絶望を、更に深いモノにする罠だったのかもしれない。


 どこまでも俺は不幸でなければいけないとでも言うように。
 きっと俺は自分自身でも気がつかないうちに罪人になったのだ。
 そう、尤も汚らわしく愚かしい罪人に。

 彼女から航矢を奪った罪。
 航矢以外の男に自ら抱かれた罪。
 航矢以外の男の手の中で引き裂かれる事を望んだ罪。


 そしてなによりも重罪なのは。


 航矢と体を繋げた、事――。


 だから、これから先の人生。
 決して幸せを求めちゃいけない。

 否、求める事など出来ない、そこは地獄。





to be continued――…