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NOVEL

罪 悪 感  〜第四話〜

注意) 【現在】玩具 放置プレイ

苦しさが胸を埋める。快楽が体を貫く。

どうして、こんなことに……?

答えの無い、疑問ばかりが俺を縛り付けた。

 自分の中でその無機質なオモチャは変わらず猛威を振るっていた。
 椅子に腰掛ける事で、それは更に深く突き刺さり腸壁を刺激する。
 その痛みにも似た感覚を、テーブルの下で自身の太ももを酷く抓り上げる事で誤魔化していた。
 きっと今スラックスを脱いだら、太ももの至る所に内出血を表す青い痕がかなりの広範囲で広がっているのが解るだろう。
 だがその痛みのお陰で、なんとか、式は乗り切った。
 あいつとあの女が指輪を交換して、誓いのキスをするのも痛みと快感に耐え、あいつの命令通りに目は逸らさずに……。
 なんて俺って奴は従順なんだ、と、内心自嘲気味の笑いを漏らす。
 あいつの命令を聞く理由なんか、これっぽちもないのに。
 なのに、俺は何で真面目にあいつの言うとおりにオモチャを挿しこんだまま、あいつの結婚式になんかでてるのだろう?
 そんな思いは、何度も何度も頭の中でリピートした。
 だが。
 理屈ではなく。感情でもなく。
 ただ条件反射のように、俺はじっとあいつの命令に従い、この屈辱を甘んじて受けていた。
 ──後はこの茶番ともいえる、披露宴さえ乗り切ればこの辱めから開放される。
 その思いに必死にしがみつきながら、俺は耐えていた。

 しかし、オモチャを挿()れられてそろそろ二時間以上──。

 内壁は強すぎる刺激に絶えず痙攣を起こし、額には粘つく汗が浮かんでいた。
 ともすればその感覚に眩暈を起こし、意識が遠のきそうになる。
 それも、内股を抓り上げる事で意識を保っているような状況だった。
 そして、内壁を圧迫するソレに寄って食欲は沸かず、運ばれてくる最高級のフランス料理には吐き気さえ覚える。
 それでもただじっとうつむいている訳にもいかず、時折はナイフとフォークを使って無理に口に押し込め、ワインで流し込む。
 たまに視線を動かし、壇上に目を走らせると心底幸せそうなあの女と、そしてどこか冷めた目で、しかしその顔には人当たりのよさそうな笑顔を絶やさず適当に列席者や自分の妻となる相手を騙してる航矢の姿。
 だが、時折俺の方に視線を走らせ、俺の状態を認めて優越感に似た笑みを浮かべる。
 その姿に、俺は体の芯に何か電流にも似たモノが走るを感じた。
 それは断じて、快楽ではない、と必死で自分に言い聞かせる。
 だが、気を抜けば唇からは熱い吐息が出そうになる。そんな自分をまた必死で律する。
 もうそんな事を、ずっとこの二時間以上繰り返していた。
 そんな明らかに、尋常ではない俺の雰囲気に、だが、自分が着いている席に居る人間はまったく頓着していなかった。
 先程、航矢が言ったとおり、俺の着いている席には俺の所属している組織の連中ばかりで。
 それも普段俺がどういった目にあってるのかを、熟知している人間達だった。
 だから席に着いてすぐに、俺の状態は奴らに看破された。
 だが当然のように奴らは俺の状態には知らぬ存ぜぬで通し、時折、こちらに好奇と欲情の混ざった瞳を向ける。
 好奇は、恐らく“誰に今の状態を作り上げられたのか”に、ついて。
 そして、欲情は普段の俺の嬌態を思い出して、だろう。
 誰に作り上げられたのか……今この場にボスは居ない。これが一つの解答だった。
 つまり、俺をいたぶっているのはボスじゃない。それだけは確実。

 では、誰か?

 この席にはボスの命令以外でボスの情人を勝手に出来る奴など、居ない。と、言うか、出来るはずがなかった。
 ボスがどれだけ俺に対して並々ならぬ、執着を持っているかを知っているが故に。
 だからこそ、俺に手を出した人間を知りたくて、奴らは俺の様子を目の端で伺い、そして会場内にも視線を走らせていた。
 そんな奴らを横目で観察しながらも、俺はひたすら耐えていた。
 後ろからの刺激で牡が持ち上がりそうになる度、強く太ももをひねった。痛みに短い呼気が漏れる。
 何度目かのその音を聞きつけ、右隣の男が俺にニヤリと笑いかけてきた。
 そして小さく耳打ちしてくる。

「やけに辛そうだな。 便所にでも行って抜いてきたらどうだ? なんなら手伝ってやろうか?」

 低く笑い声を漏らしながら、わざと口から漏れる息を耳に吹き付けてくる。
 その感触に体が戦慄いた。

「遠慮、する。 それに、命令以外でお前が俺に手を出したら、ボスにどんな目に遭わされるか、良く知ってるだろ?」

 熱い息が漏れそうになるのをぐっと堪えて、俺は精一杯冷ややかな声で、平静を装って男を威嚇した。
 俺の言葉に、男はチッと小さく舌打ちをすると、興味を失ったかのように目の前にある分厚いステーキに齧り付いた。
 男があっさりと諦めた事に、俺は胸の中で安堵の溜息を吐く。執拗に求められたら、今の状態では断りきれない、と自分自身で解っていたから。
 と、突然後ろから肩を叩かれた。
 予期せぬその感触に一瞬だけ、体が大きく反応する。小さく唇から呼気が漏れた。
 マズイ……。
 そう、心の中で呟いた時。
 聞き覚えのある声が俺の鼓膜を震わせ、そして、内壁を擦る熱ささえも凍らせた。

「──久しぶりだね、渉。」

 耳元で囁いてきたのは、紛れも無く今壇上で幸せそうに笑っている新郎の父親だった。
 迂闊、だった。
 今まで体内にある異物や航矢の態度に気をとられて、根本的な事を忘れていた。
 あいつの結婚式なら、当然、その父親が出席する、という、当たり前の事を。
 式の時は、俺はひたすら一番後ろの席で目立たないようにしていた。だって、披露宴と違い、式は親族以外は割りと自由にどの席に着いても構わなかったから。周りに居る、自分達の関係者以外に自分の状況を知らせる訳にはいかなかった。
 そればかりに神経を集中させていたばかりに……。
 だから最前列に並んでいた、あいつ等の親族の存在なんかすっかり忘れていた。
 それが災いしたようだ。
 俺は自分の迂闊さに、唇を強く噛み締めた。

「良かったら、少し外で話さないかい? その……、君に話したい事があるんだけど。」

 硬直する俺に、新郎の父親──一也さんは柔らかな笑みを見せてそう言った。
 その笑顔に、懐かしい声に、俺の中に一本の氷柱がぶち込まれたような気がした。
 俺は一也さんの申し出に、返事をする事が出来なかった。
 心は凍りつき、唇は恐怖に戦慄き、その振動が歯をもカチカチと打ち鳴らす。

 行ってはいけない。
 話をしてはいけない。
 関わってはいけない。
 拒絶しなければ、いけない。

 そればかりが胸のうちを埋め尽くす。
 だが。

「おいおい、仁科。 折角の新郎の父親のご指名なんだ。 せめて話ぐらい聞いてやればいいだろ? どうせ披露宴も後少しで終わるんだ。 少々抜けたくらいじゃ渡良瀬も気にしないだろうし。」

 右隣の奴が、好奇心を丸出しにした表情で俺にそう話しかけてきた。
 その声に俺はゆっくりと顔をあげ、恐る恐る一也さんの顔を見直す。

「……今更だけど、あの時の弁解くらいさせてくれないか?」

 困ったような笑顔を浮かべながら、零された言葉に、体が硬直する。
 あの時の、弁解……?
 一体、何があると言うのだろう?
 俺に飽きた、それしか答えはないじゃないか。
 そう思った瞬間、突然、心臓を激しい痛みが貫いた。
 忘れ去っていた感情が急激に噴出し、激しく胸の内を掻きまわす。
 もうすっかりなくしたと思っていた感情だった。
 辛い、苦しい、怖い、痛い、痛い、痛い……!
 息苦しさを覚えたのは、一瞬。次の瞬間には、俺は激しい呼吸困難に陥り、自分の胸を掻き毟った。
 酸素を求める息遣いが、五月蝿いくらいに耳の中に響く。
 と、ぐらり、と視界が歪んだ。

「!? 渉───っ?!」

 頭上から、一也さんの心配そうな声が降り注いだ。そして同僚の声も。
 それと同時に、自分の身体が誰かに抱きとめられたのが解った。それで初めて、自分が苦しさの余り倒れかけたのだと、気がついた。
 しかし、抱きとめたのが誰かと言うのを確認するよりも早く、俺の意識は暗闇に閉じ込められた。


 意識のどこかで、気絶してはダメだ──と、強く思いながらも。

◇◆◇◆◇

 まるで見計らったかのように、そいつは登場した。



 一也さんの思い出を喚起するものを全て捨てた、その数日後。
 俺のアパートを、予期しなかった人物が訪ねてきた。
 何度も何度も繰り返し押される呼び鈴に、いい加減頭にきてドアを開いた俺に、そいつは久しぶり、と笑いかけた。
 子供の頃の面影をそこはかとなく残してはいたが、随分と大人びた顔で、更に自分より頭一つはでかくなったそいつ──渡良瀬航矢は、ドアの向こうで笑っていた。
 その余りに突然で予想外の人物の訪問に硬直している俺を航矢は押しのけると、強引に室内に入り込んだ。
 そのまま航矢は後ろ手にドアを閉めると、とっとと靴を脱いで部屋に上がりこむ。
 そこで漸く俺は我に返り、声を荒げた。
 勝手に上がりこむな、と。
 だが、奴はまったく悪びれる風もなく、勝手に人の室内を漁っていた。
 置いてあるものを手にとっては、すぐに興味を失ったように元の場所に戻す。
 その行動に俺は怒りで眉を潜めたが、それ以上文句をいう事はしなかった。元々、航矢は傍若無人な所がある。それは生まれたばかりの頃からの付き合いで嫌と言うほど、知り尽くしていた。
 だからこいつのする事に、腹を立てても仕方が無い、と言う事も。

「──で、突然何しに来たんだよ。 俺、お前にはこの住所教えた記憶ないんだけど?」

 俺は溜息を吐きつき、畳の上に腰を降ろす。

「住所は、お前の親父に聞いたんだよ。 つぅか、さ。 兄弟のように仲良く育った幼馴染に住所教えてくれねぇのって結構、薄情じゃね?」
「何がだよ。 薄情ったら、お前の方だろ。 今の今までまったくなんの連絡もなしで──、そうだよ。 大体俺はお前の連絡先も知らなかったんだから、教えようがないじゃんか。」
「あれ、そうだっけ? 教えてなかったけ? ま、いいや。 ──それよか、ここじゃ客に茶もださねぇの?」

 一通り室内を物色し終わると、航矢は俺の前に座りながらそんな事を言う。
 その言葉に、俺は折角降ろした腰をもう一度持ち上げ、渋々と言った体で台所に向かった。
 そんな俺に後ろから。

「あ、俺コーヒーな。 前、良く作ってくれた奴なー。」

 航矢の無遠慮なリクエストが飛んできた。
 それに俺は今一度深く溜息を吐くと、棚の中からインスタントのコーヒー粉末を取り出し、昔、幾度と無く作った奴の好み通りの濃さのコーヒーを淹れる。
 その後に自分のコーヒーも淹れると、マグカップを手に相変わらず何が珍しいのかキョロキョロと部屋を見渡している航矢の元へと戻った。
 無言でマグカップを航矢に手渡すと、一口啜り、これこれ、と航矢は小さく嬉しそうに呟いた。

「やっぱ、お前が一番俺の好み解ってるよな。 お前のコーヒーが一番旨い。」
「それは、どうも。 ──で、本当になんで今頃、それも突然尋ねてきたんだよ?」

 俺はもう一度腰を落ち着け、航矢の賛美に適当に返事を返すと、一番の関心事を口にする。
 俺の言葉に航矢はもう一口コーヒーを啜ると、何かを含んだ視線を投げて寄越した。
 そして、少しの間の後。

「お前に、仕事を紹介してやろうかと、思ってさ。」

 どこか凶暴なモノが含まれた笑みで、奴は俺を見詰めていた。


 それが、どんな意味を持つのか解らず俺はただ奴の顔を見返すだけだった。
 その先に待ち受ける、避けようも無い運命に巻き込まれ始めたのにも、──気がつかず。



to be continued――…