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NOVEL

罪 悪 感  〜第六話〜

注意)特になし

堕ちていく。

堕ちていく。

底の見えない、亀裂へと──。

 次に目を覚ました時、事態は可笑しな方向へと転換していた。
 朦朧とする頭で辺りを探り、隣に一也さんの存在が無いことに安堵する。
 そして自身の身体に、また綺麗にガウンが着せられていることを、多少疑問に思った。
 だが、すぐに一也さんが着せたのだろう、と自分を納得させ、未だギシギシと痛む身体を起こす。
 しかし、それと同時に俺は今までとは違う事態になっている事に気がつき、身体を硬直させた。

 今、俺の目の前のベッドとベッドの間の床の上には、一也さんが転がっていた。

 その身体は縄で縛られ、更には口に猿轡。
 しかも気絶をしているのか、それとも……? 兎に角、彼はどうしてかピクリとも動かなかった。
 ただの物体であるかのように、床の上に身体を折り曲げて転がっていた。

「──か、一也、さん……?」

 恐る恐る声をかけてみる。
 だが、彼からは返答は無く、その事に最悪の事態を想像してしまい俺の心臓は早鐘のように脈打った。
 しかしすぐにその最悪の想像を打ち消すと、ドキドキと高鳴る心臓を深呼吸で落ち着かせ、ベッドからゆっくりと降りる。そして、せめて一也さんの生死だけでも確かめようと、そっと手を伸ばした。
 と、突然。
 後ろから手が伸びてきて、俺の腕を掴んだ。
 思わず小さな悲鳴が口から漏れる。
 しかしその悲鳴もすぐに手で覆われ、口の中でくぐもった音だけを反響させた。

「馬鹿、そんな驚くなよ。」

 口を塞がれたと同時に、後ろから零された苦笑の混じる声に、俺は目を見開く。
 そして後ろを振り返ると、そこには、先程までの式で主役だった男が居た。

「……航、矢……。」

 思わず見知った人間が居た事で、安堵の溜息を漏らす。何故そいつが此処にいるか、という事に不覚にも思い当たらず。
 そんな俺に航矢は、微かに苦笑を漏らし掴んでいた腕を解いた。

「お前がこのクソ親父に抱きかかえられる様に会場抜けたの見てさ、披露宴が終わった後、急いで親父の泊まっているこの部屋に来て見たら……案の定って訳だ。」

 俺が何かを言うよりも早く、航矢はしゃべり始めた。最後の方には、嫌悪感を丸出しにして吐き捨てるように言う。
 その言い様に、俺は罪悪感が胸の中を満たしていくのを感じた。
 理由はどうあれ、航矢の父親と、航矢の晴れ舞台であるこの日に肉体を繋げてしまった。それは、どれ程の侮辱と嫌悪感を航矢の中にもたらしたのか、想像に難くなかった。

「……すまん……。」

 思わずその思いが、口をついて出る。
 だが、航矢は俺の言葉にニヤリ、と肉食獣の笑みを浮かべ。
 そして。

「ま、確かに人の結婚式だっつーのに、人の父親と男同士でセックスしてんだもんな。 お前らのお陰で巧くいきかけてた披露宴は滅茶苦茶だ。」
「ぅ……本当に、悪い……。」

 航矢の言葉に、俺はただ心からの謝罪を口にするしか出来なかった。
 披露宴の最後には確か、肉親に対して贈る言葉とかのイベントもあった事に思い当たったからだ。
 一也さんが俺を連れて出て行ったため、そのイベントはきっと余り盛り上がりをみせなかったのかもしれない。いや、それどころか、新婦の御両親に航矢が激しくその事で叱責されたかもしれない。
 それを思うとますます居たたまれなくなり、俺は一也さんの状態の事も忘れ、うなだれてしまった。
 そんな俺を見て、航矢はまた苦笑を漏らした。

「……まぁ、俺は結婚式が失敗だろうが成功だろうが、お前らの関係があっちにバレてこの話がなくなろうが、まったく気にしないがな。」
「航、矢……? なんで、そんな事……? だって、お前これで漸くのし上がれるって……。」

 自嘲気味に漏らされたその言葉に、俺は思わずポカンと航矢の顔を見詰める。
 だって、今の台詞は余りにも今までの航矢が言ってた事と違っていたから。いつもこいつが語っていたのは、いかに人を利用してのし上がるかで……。
 いくら基本的に人や物に執着しない奴だと解っていても、漸く掴んだチャンスをこんな事でふいにするようには思えなかった。
 どんな手を使っても、この事を有耶無耶にして誤魔化すのが、こいつだと良く知っていたから。だから、この言い方が酷く引っかかった俺は、更に言葉を繋ぐ。

「冗談だろ? そう言って、ただ俺達を困らそうって思ってるだけだろ? 相手が怒ってるなら、俺と一也さんで謝るから、そんな事、言うなよ。お前らしくな……。」
「お前にっ! 俺の何が解ってるっつーんだよっ!!」

 しかし俺が最後まで言う前に、航矢は激情を隠そうともせず言葉を遮った。
 その剣幕に、声の鋭さに思わず俺の体が縮こまった。

「……怒鳴って悪かった……。」

 俺の変化に気がつくと、航矢は疲れたように溜息を一つ漏らしながら、そう謝ってきた。
 そして身体を移動させ、一也さんが転がっている方向のベッドの縁に腰をかける。

「──まったく全て裏目に出てやがる……。」
「え……?」
「……いや、何でもない。 それよりも、渉、お前──。」

 小さく、小さく呟やかれた航矢の言葉を聞き逃し、思わず聞き返したがそれはすぐにはぐらかされた。
 追求してもまたはぐらかされるのは目に見えていたので、俺は次の航矢の言葉を待つ。

「お前、こいつとよりを戻すつもりなのか?」

 こいつ、と言った時、航矢は転がっている一也さんの脇腹をつま先で蹴っ飛ばす。と、微かに一也さんの口から呻き声が漏らした。
 思わず一也さんの声が漏れた事に意識が持っていかれ、その時の俺には航矢が何故俺と一也さんの関係を知っているのか、という疑問にまで思考が及ばなかった。

「一也さ……!?」
「何だよ、こいつ死んでると思った? はっ、まさか。ただちょっと殴って眠って貰ってるだけだっつーの。」
「……そうか、生きてたんだ……。」

 航矢の言葉に思わず安堵が溜息が漏れる。
 しかし、すぐにその言葉の意味に気がつき、俺は驚きの声を上げた。

「って、お前が殴ってこんな事をしたのか!?」
「何、今頃気がついてるんだよ。この部屋には俺とお前とこいつしか居ねぇんだから、それしかねぇだろ?」
「なんで、そんな事……。」

 航矢と一也さんを交互に見て、俺は疑問を口にした。
 そんな俺に、航矢は口元に苦笑を浮かべる。

「なんで、って聞かれてもなぁ……。そうだな、しいて言えば、」

 そこで言葉を止めると、苦笑を獰猛な笑みに変えて俺を見た。

「お前を助ける為、とか?」

 酷く人を小馬鹿にした笑顔を顔に貼り付け、心にもない台詞を航矢は口にする。
 その笑顔と台詞にどこか薄ら寒いものを感じ、俺は少し後ずさる。しかし、すぐにベッドのヘッドに体が当たり、動きは止められた。
 そして、そんな俺を見て、また航矢は唇を吊り上げた。そのまま、ベッドの上をにじり寄ってくる。

「な、なんだよ……。」

 その言いようの無い不気味さと逃げられないこの状況に、震えた声がでた。

「何、怖がってんだよ。俺が、怖いのか? なぁ、渉……。」

 くすくすと喉を鳴らして、馬鹿にしたように航矢は言う。
 そのままじりじりと奴は近づき、両手を壁につくと俺の動きを封じる。
 俺は蛇に睨まれた蛙のように、体が竦み、ただ近づいてくる航矢の顔を見詰めることしか出来なかった。

「……なぁ、あのクソ野郎の事、本気なのか? よりを戻すのか?」

 だが、鼻が触れ合うほどに近づいてきた奴が囁くように言った言葉に、俺は思わず目を瞬いた。
 そんな事をどうしてコイツが気にするのか分らなくて、その言葉の真意を測ろうとまじまじと航矢の顔を見直した。
 だが航矢の瞳には特になんの感情も表してなく、ただ瞳を細めて俺の瞳を覗き込んでいる。それがどうにも理解できなくて、俺は狼狽する。

「なんで、そんな事……。今は、もう俺達は……。」

 覗きこむ航矢の視線の圧力に耐えられず、俺は顔ごと奴から逸らした。
 だが、その顎は航矢の手に捕らえられ、強引に引き戻された。また、真正面から航矢の視線がぶつかってくる。

「今は、もう……なんだよ? 終わった関係だって? 心は繋いでないって?」
「航矢……。」
「じゃあ、なんであっさり犯(や)られてんだよっ!! あいつの背中に爪痕残すほど、激しく抱き合ったんだろ!? 此処でっ!」
「ちょっ……航矢、痛いっ……。」

 肩を強く掴まれ、あいつの怒鳴り声と共に体を上下に揺すられる。その度に背中をベッドヘッドへと打ちつけ、更にはあいつの爪が肩に食い込んでいく痛みに眉をしかめる。
 しかし次に零された航矢の言葉に、俺は痛みも忘れ、息を飲んだ。

「全部、知ってるんだよ! お前があいつに抱かれて、もっとってせがんでるのも、自分から腰を揺らして求めたのもっ……!!」
「っ……航矢っ…!?」

 いつから……? どうして……? なんで……?
 俺の頭の中は、疑問符で一杯になる。
 その疑問は我知らず、口の上らせていたみたいだった。それを聞き止め、航矢は嫌悪の浮かんだ瞳を眇め、口元を歪めた。

「お前があの野郎に組み敷かれて、喘ぎ始めた頃からだよ。──勿論、最後までしっかり見させて貰ったぜ? 男同士のセックスってあーいう風にすんだな。勉強になったよ。」

 くつくつと喉の奥で低く笑い、航矢は言う。と、ふと何かを思い出したように笑うのを止め、俺に顔をまた寄せてきて、低い声で囁いた。

「あぁ、そういえば……。 お前、今日一日で俺たち親子にオモチャにされたんだよな。なぁ──、俺とあいつ、どっちが良かった? 答えろよ、渉。」

 蔑みを含んだ航矢の言葉に、俺は何かが自分の中で木っ端微塵に砕けたのを感じた。


 そして、もう自分にはどこにも自由はないのだと、そう、思い知らされた──。

◇◆◇◆◇

 後戻りの出来ない道へと、俺は踏み込んでいく。


 結局、航矢の紹介で俺は暴力団の手下になった。
 いや、少しこの言葉には御幣がある。
 正確には、その暴力団の運営しているとある金融会社の経理の仕事を任される事になった。俺は最終学歴が中卒だったが、そんな俺にも一から経理の仕方を教えてくれ、数週間後には任されている仕事を問題なくこなせるようになっていた。
 元々、頭の出来が普通より少々良かったのが功を奏したようだ。
 お陰で上司の覚えも良く、任される仕事も少しずつ増えていった。
 それと共に、俺を紹介した航矢も上から評価をして貰え、重要な仕事にも着かせてもらえるようになっていた。少しずつではあったが、どうやらあいつの目論見は形になっていってるようだった。
 それからと言うもの、部署は違えど同じ職場で働く航矢と俺はまた昔ほどではないが、一緒に居る時間が増えていった。
 まるで、それは今まで自分の身に降りかかった事の全てが嘘だったかのようで。
 恐ろしく平和で、穏やかな日々だった。
 航矢の目指す先にはきっと、大変な波乱が待っているだろう。
 そして、俺自身も航矢と行動を共にする限り、波乱が待ち受けている。
 でも、それは自分自身で決めた道。
 つまらない平凡な人生を生きるよりは、きっと充実した日々になる。
 そんな事を航矢と共に酒の席で話、そして笑いあった。
 航矢との野望に夢馳せた日々、そして何事もなく過ごしていけるこの仕事の場は初めて見つけた安心できる俺の居場所だと、いつしか思うようになっていた。
 
 だが。

 俺がそこに就職して、一年程たった頃。
 視察だといって、その組織のボスが俺の職場を訪れた。


 それは、俺の穏やかな日々の終わりを意味していた――。


 ボスは、思った以上に若い男だった。
 そして、思った以上に美形な男だった。

 いかにも切れ者、と言った風貌で、長めの前髪をオールバックにまとめ、細い銀のフレームの眼鏡がその切れ長の目を覆っていた。
 薄い唇に、通った鼻筋、切れ長の目は綺麗な二重で長い睫毛が眼鏡のレンズに届きそうだった。
 しかし、その整いすぎるほど整っている顔に、余り人間らしい表情は宿ってなかった。あるのは、獰猛な肉食獣のような冷酷さと残忍さ。
 それは、この世界でのし上がっていった人間特有のもの。
 彼の登場に、俺の居る職場には今まで味わった事のないような緊張感が走り、部長にいたっては額に浮かぶ冷や汗をハンカチで拭いながら、ボスの機嫌を損ねないように必死に言葉を繋いでいる。
 近頃の業績の事、大口の顧客の事、返済が滞っている人間に対しての処遇等々。
 それをただ黙って暫く聞いていたボスだったが、不意に視線が動き、俺を見据えた。
 その氷のような瞳に、俺は射すくめられ、心臓に鋭い氷の刃を突きたれられたような錯覚を覚えた。

「――彼は?」

 低音の素晴らしいバリトンの声で、部長の言葉を遮るとボスは俺を見据えたまま、そう部長に聞いた。

「は? あ、あぁ、彼は仁科渉君と言いまして、半年程前に渡良瀬の紹介で雇ったものです。なかなか優秀な男で、現在経理の仕事を任せております。……彼が何か?」
「…………。」

 突然のボスの質問に、一瞬怪訝な表情を見せた部長だったがすぐに表情を和らげると俺の説明をする。
 その説明にボスはなんの答えもださず、座っていたソファから立ち上がった。そのまま足音も立てず、俺のデスクまで歩み寄ってくる。
 突然の接近に俺はただ無言で、ボスの瞳を強張った表情で見詰め返していた。

「……仁科君?」
「は、はい。」

 すぐ傍まで来ると、ボスは俺のデスクに手を置き俺の顔を覗き込むように軽く身を屈めると、その酷薄な唇に緩く笑みを浮かべ声をかけてきた。
 その整った顔を間近まで近づけられ、決して視線を外す事無く囁くように自分の名前を呼ばれる。
 彼の声に、視線に、恐怖のような感情がゾクリと俺の背筋を振るわせた。

「君は、今日から私の元に来なさい。」
「え? あ、あのっ……。」
「いいね。」

 告げられた言葉の意味が一瞬掴めず、しどろもどろになる。しかし、すぐに有無を言わさない口調で、言い切られた。
 そして俺の返事を待たず、漸く俺から視線を外すと顔だけをくるりと回し、背後で困ったように佇んでいた部長を見る。

「そう言う訳だ、川崎君。仁科君は今日から私が預かるよ。――勿論、構わないだろう?」

 落ち着いた声で、しかし有無を言わさない響きを湛え部長にもそう言い切った。

「はっ、はいっ。そりゃーもうっ! 社長の仰せの通りに……!」

 ボスに見詰められ、部長は更に額から汗を噴出しペコペコとお辞儀をしながら、俺の移動を快諾した。


 結局俺は、何がなんだか分らないうちに、社長に腕を取られ半ば引きずられるように愛着のあった職場を去った。
 去り際に見た他の社員達の哀れみの色が濃く浮き出ていた瞳の意味に、俺はその時気がつかなかった。
 ただその時思っていた事は、これで航矢がまた一歩のしあがるチャンスを得たんだろうか、と言う漠然とした希望だった。

 だが、それが自分自身にとっては、絶望を意味していたとは。


 こうして俺は平穏な日常から、今日を限りに戻れないほど遠ざかる事になる――。





to be continued――…