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ボレロ 12


「あの男を、殺して」

最後にもう一度そう呟くと、ディアッカは落ちるようにノイマンの腕の中で意識を失った。蒼褪めた瞼が時折苦しげに震え、ノイマンの胸を締め付ける。

あの優しい子が、誰かを殺したいほど憎んでいる。
それが悲しい。
悲しくて、苦しくて、やりきれない。

ノイマンの認識では、フラガは間違いなく「良い人間」の部類に入る。思いやりもあるし、懐も深い。頭でっかちの石頭が多い軍において、全く得難い人物だと思う。
そんな人物がディアッカが絡んだ時だけ狂ってしまう。ディアッカへの執着がフラガを狂わせてしまった。
ディアッカを愛するが故、フラガはディアッカのすべてを奪い、自分のものにしたいのだろう。
その心情は理解できる。
だが、そのせいでディアッカが苦しんでいるのであれば、看過することなど出来ない。

ノイマンはディアッカを自分のベッドに横たえ、そっとその髪を撫でた。
秀でた額にはうっすらと汗が浮かんでいる。

ノイマンは己を鼓舞するかのようにぎゅっと拳を握り、ひとり静かに部屋を出た。




コツコツと暗い通路にノイマンの靴音だけが響く。交代時間を過ぎた居住区は、しんと静まり返り人の気配は無い。
ノイマンは一つのドアの前でひたと立ち止まると、インターフォンを押した。

「少佐。いるんでしょう? ノイマンです。開けてください」

応えは無い。だが確かに中から人の気配がする。ノイマンはじっとドアを見つめて待った。
たった数秒だったような気もするし、何十分も待ったような気もする。
シュと軽い音が聞こえ、目の前のドアが暗い口を開けた。
一瞬躊躇った後、ノイマンは真っ暗な部屋の中に足を踏み入れた。

「少佐?」
「何の用だ?」
「とりあえず灯りを点けませんか?」

小さな舌打ちが聞こえ、突然部屋に強い光が満ちた。眩しさに目がくらむ。目の前に手のひらをかざし指の間から視線を前に戻した瞬間、目の前に広がった光景にノイマンは息を呑んだ。

「どうし、て……」

部屋の中は、嵐の後のようにあらゆる物が散乱していた。本や書類は引き裂かれ紙の屑と化し、その上に備え付けの家具が引き倒されている。
その真ん中にフラガは立っていた。

「あなたが……やったんですか?」
「おまえには関係ない。俺に用があるんだろ? さっさと言えよ」

搾り出すような声に苛立ちが潜んでいる。ノイマンを見据える眼光は、射殺さんばかりの殺気すら放っているようだ。
荒んでいる。何もかもが荒みきっている。
ノイマンは大きく息を吸い込み、一息に言葉を吐き出した。

「ディアッカがどこにいるか気にならないんですか?」
「……どうせ……お前のところにいるんだろ?」
「そうですよ」
「……やっぱりな」

すっとフラガの眼光が和らぎ、唇に笑みが浮かんだ。そうか、と何度も小さく呟いている。

「何故おまえはここにいるんだ? アイツ、普通の状態じゃなかっただろう?」
「傷だらけですよ。身体も、心も」
「……だろうなぁ」

フラガはゆっくりと視線を巡らし、ため息をついた。そのため息は、どんな言葉よりも雄弁にフラガの心情をノイマンに伝えてくる。

「あなたはディアッカをどうしたいんですか?」
「おまえに言う必要はない」
「愛しているんでしょう?」
「知らない。わからない」
「わからない訳はないでしょう? あれほど執着しておいて」
「……知らねぇって言ってんだろっ!」

フラガは声を荒げ、ノイマンを睨み付けた。苛立ちと憤怒が陽炎のようにゆらゆらと立ち昇っている。
それを見た時、この人はとても不器用なのだ、とノイマンは思った。

「ディアッカは……愛情深い子です。誰よりも愛情を欲しているし、誰かを愛したがっている。しかし、貴方の愛し方では……彼に伝わらない」
「伝える必要なんか無いだろう?」
「どういう意味、ですか?」
「俺はあいつが欲しい。あいつが俺から逃げ出そうとするなら、捕まえる。俺を拒むのなら、奪う。それだけだ」
「それでは何も始まらない……」

ノイマンは軽く頭を振ると、ドアに向かって踵を返した。
これ以上フラガと話しても、恐らく永遠に平行線のままだ。あまりにも考え方が違いすぎる。ノイマンがフラガを理解できないように、フラガもまたノイマンを理解できないだろう。

「ノイマン」

立ち去ろうとするノイマンを、フラガの声が引きとめた。

「おまえは何をしにここに来た? ディアッカを痛めつけた俺を、このまま放っておくつもりか?」

ノイマンはドアをくぐり通路に出たところで足を止めた。ゆっくりと振り返り、醒めた目でフラガを見据える。
暫し睨み合いが続き、沈黙が二人の上に重く圧し掛かかった。

「俺は貴方と違って力ずくで物事を解決しようとは思いませんから。本当は、もうディアッカに手を出さないよう頼みに来たんですけど、それも無理みたいですしね。でも……」

一旦口を噤むと、ノイマンはフラガに背を向けた。この先を今ここで言葉にすることが、良いのかどうかわからない。だが、言わなければいけないのだと思う。

「もう貴方の出る幕は無いんですよ。今更何をどうしようが変えられません。でもね、そうさせたのは、貴方自身なんです」

それだけはフラガにわかってほしい。
ノイマンはフラガのために、心の底からそう願った。