Top >> Gallery(to menu)

ボレロ 13


「総員、第一戦闘配備。繰り返す。総員、第一戦闘配備」

CE71年9月27日。
けたたましく何度も繰り返される艦内放送は今まで何度も聞いたものなのに、今日は常ならぬ緊張感を孕んでいるように聞こえた。それは多分、今日これから始まる戦闘がいつもの戦闘とは違うことを皆わかっているからだろう。
そう思うと、この戦いが何だかとても神聖なものに思えてくる。
ディアッカはいつもより丁寧に、まるで儀式の手順を踏むかのようにパイロット・ルームで出撃の準備を整えた。
パイロット・スーツに着替え、背中の生命維持装置が正常に動作していることを確認し、ヘルメットを片手にMSデッキに向かおうとドアをくぐったところで、ディアッカはふと立ち止まった。
背後を振り返り、考え込むように首を傾げる。暫らく佇んだ後、ディアッカはまた自分のロッカーの前へ引き返した。
ついさっき鍵をかけたばかりのロッカーを開け、ハンガーにかかった服を整える。雑然と突っ込まれた雑誌やガラクタを取り出し、それぞれトラッシュボックスに廃棄した。クリーナーで小さなゴミを吸い取り塵一つ無くなったところで、ディアッカは満足気な笑みを浮かべるとロッカーの扉を閉めた。今度は鍵はかけない。

「何してるんだ?」

自分を呼ぶ声に振り向いてみたら、ノイマンが訝しげにディアッカの手元を覗き込んでいた。

「ん、あと片付け」
「何で今そんなことを?」
「だって……次にココを開けるのが俺とは限らないでしょ? あんまりヘンなモン残しといたら、開けた人に悪いじゃん」

ニコルが逝ってしまったあの日。
自分たちが本当にニコルがもういないことを現実として認識したのは、パイロット・ルームに戻ってニコルのロッカーを見た、あの時だった。イザークも、アスランも、自分も、ちゃんと戻ってきたのにニコルだけがいない。ロッカーの中では、ほんの数時間前までニコルが着ていた制服がハンガーに吊るされ、また主が袖を通すのを待っていたのに。
その制服を手に取るニコルは、その場にいなかった。

そして、楽譜。

ニコルが大好きだったピアノ曲の楽譜が、ロッカーの奥に隠すように仕舞われて。

辛かった。辛くて、悲しくて。心が、痛かった。
ブリッツのシグナルが消えたのを見た時よりも、炎上する機体を見た時よりも、その楽譜を見つけた時が一番悲しくて。
こんな場所に来ても忘れられない程ピアノが大好きだったのに、戦場で散ってしまったニコル。
二度と弾いてもらえない楽譜がニコルの不在を痛烈に語りかけてきた。

だから。もし自分がいなくなったしても、誰かがその時の自分と同じ思いをしなくても済むよう、できるだけ悲しみが小さくて済むよう、自分の匂いがするものは出来るだけ減らしておきたかった。

「死ぬ、つもりなのか?」
「違うよ。そんなんじゃない。ただ……準備だけはしとこうと思ってさ」

ディアッカは眉を寄せるノイマンを見上げ、微笑んだ。

「元々、俺の私物なんて殆ど無いんだし。あんまり深く考えなくていいよ」
「いや、でも……死出の旅に向かうみたいで……そんなにキレイに後始末されると、もう二度と戻ってこないんじゃないか、って……不安になる」
「やだなぁ。俺、ちゃんと生き残るつもりだよ? だって、俺がいなかったら誰がこの艦を守るのさ?」

この艦にはノイマンがいる。だから頑張れる。自分が生き残ることが、ノイマンを守ることになるのだから。
ディアッカは身体ごと振り返りノイマンの両頬を両掌で包んで、こつんと額を合わせた。

「俺さ、誰かを守るために出撃するのって初めてなんだ」
「ディアッカ……」

背中にノイマンの腕が回り、緩く抱き寄せられた。暖かな胸に抱きこまれ、ディアッカの口からほぉと安堵のため息が漏れた。これから死線に出なければならないのに、不思議なくらに心は穏やかで、知らず笑みがこぼれてくる。

「ノイマンさん。絶対に死なせないから」
「俺も絶対にこの艦を沈めないから。ディアッカが戻ってくるのをここで待ってるから」
「うん……」

どちらからともなく瞼が伏せられ、唇が寄せられた。啄むようなキスを何度も繰り返した。

やがて艦内放送でパイロットにMSでのスタンバイが告げられ、離れ難さを押し殺しディアッカはノイマンから身体を離した。

「じゃ、俺、行くから」
「あぁ。気をつけて」

二人並んでパイロット・ルームを出て、MS格納庫に向かった。AAの操舵士であるノイマンに、今この状況でヒマな時間などある筈がないことはわかっていたけれど、もしかしたらこれが最後かもしれない、と思うと、どうしても「来るな」とは言えなかった。
格納庫に着き、キャットウォークを歩き、バスターのコクピットの前に立つ。

「ご武運を」
「そちらも、ご武運を」

二人ともに軍人の顔に戻り、敬礼を交わした。
本当にこれが最後になるのならば、せめて情けない顔だけは見せたくない。ディアッカは万感の思いを込めてノイマンを見つめた。

きっと、これが最後の戦い。

地球連合も、ザフトも、「相手を撃破する」という明確な勝利の基準があるけれど、第三勢力である自分たち「三隻同盟」にはそんな基準などない。
だから「生き残ること」「死なせないこと」。それだけを願って、ディアッカはバスターのコクピットへと身を躍らせた。