ノイマンと別れ、ディアッカは追われるように自室へ逃げ込んだ。
ドアをロックし、バスルームに飛び込む。シャワーのコックをひねり、頭上から降り注ぐ冷水を受け止める。
冷水を浴びても、まだはっきりと頬に残るノイマンの唇の感触。自分を慰めようとしただけのキスだったのに、無意識に身構えて身体が震えた。
頬に触れるノイマンの唇が、そのまま自分の唇を塞いでくれるのではないか、と期待して。
自分のあまりの淫らさに、自己嫌悪で泣きたくなる。
「出生率低下」という問題に悩み、「婚姻統制」を取り入れてまで次代の出生に拘るコーディネーターにとって、出産を伴わない同性愛は決して推奨されるものではなく、どちらかといえば侮蔑の対象となっている。
それでも表立って同性愛が禁止されないのは、ナチュラルの古い歴史の中で、同性愛を認めるか否かが社会的平等の成熟度を測る指標の一つに数えられていたからだ。
プラントのアッパーサイドで育ったディアッカにとって、「次代の出生」というコーディネーターの最重要課題に逆行している、という点だけをとっても、同性愛とは唾棄すべきものだった。
しかし、自分が男の欲望の対象になりうることを教えられ、無理矢理結ばされたフラガとの関係は、ディアッカのアイデンティティを根底から揺るがすような衝撃ではあった。しかし、ナチュラルによるコーディネーターへの暴力行為の中には性的な暴力も少なからず存在することをアカデミーで教えられていたため、投降した時点で多少の覚悟はしていた。
だからフラガとの行為も、捕虜への暴力行為の一つ、と考えることで、自らの矜持を保っていられる------筈だった。
目を逸らそうとしても、自分の身体がフラガを受け入れることに慣れ始めたことは疑いようもなくて。
肉体の変化は、心までをも変えてしまった。
ノイマンの優しさを素直に受け止められなかったように、これから先、同性の何気ない動作を意識してしまうのか?
イザークやアスラン、友人たちと、肩を組んだり、じゃれあったり、そんなことすら自然に受け止められなくなっているのだろうか?
-----俺は、汚い。
変わってしまった自分を消してしまいたかった。