ランチタイムの後片付けを終えてから午後のお茶までの数時間は、使用人たちにとって貴重な時間だ。早朝から息を付く間もなく続いた忙しさがぽっかりと抜け落ち、そこでやっと肩から力を抜くことが許されるからだ。
しかし、執事見習いとして仕えたばかりのディアッカには、その貴重な休憩時間もあって無いようなもので。
ゆっくりティータイムを楽しむ仲間たちを横目に、ディアッカは今日もノイマンの指示の下、キッチンで銀食器を磨いていた。
「一体この家、どれだけ銀食器あるんですか? 毎日毎日、もういい加減飽きてきたんですけど……」
なにしろここ数週間、銀食器の手入れのせいで貴重な休憩時間が全て奪われているのだ。これが自分ひとりだけに言いつけられた仕事ならば、適当に時間を遣り繰りしてこっそり休憩することもできるのだが、ノイマンから付きっ切りの指導を頂いているおかげで手を抜くことすらできない。
おぼつかない手つきで銀のゴブレットを磨きながら、ディアッカは重い溜息をついた。
本当はこんなちまちました作業よりも、庭師のマードックと一緒に庭の手入れをしている方が余程性に合う。
ディアッカの愚痴をしれっと受け流し、ノイマンは磨いたばかりの銀のトレイを陽にかざした。指紋や曇りが無いことを確認し、ビロード張りの食器ケースにトレイを収めた。
「正確な数が知りたいなら教えるけど、あんまり意味無いと思うよ。何個あっても食器磨きは毎日のものだから」
銀は空気に触れるだけで酸化し、黒ずんでくる。そのため銀食器を美しい状態で保つためには毎日の手入れが必要不可欠だ。その家の銀食器を見れば、使用人たちの質を含めてその家の全てがわかるとも言われている。家の体面のためにも銀食器の手入れは非常に重要な作業なのだ。
「いずれ慣れるから。っていうか慣れてもらわないと困るんだけどね。今は銀食器だけやってもらってるけど、燭台とか他にも銀製品はいろいろあるし」
「……全部、陶器製に代えればいいのに」
「代えてもいいけど、割らない自信ある?」
「……無いです」
「じゃあがんばって磨かないとね」
肩を竦めるノイマンに、引き攣った笑顔を返し、ディアッカは磨き終わったゴブレットをノイマンの前に置いた。見習いは食器磨きすら、執事頭のチェック無しでは終わらない。
二個目のゴブレットに手を伸ばした時、ノックも無しにキッチンのドアが開いた。
「ディアッカ、いる?」
開いたドアの陰から、ひょっこりとフラガが顔を出した。
「いますけど、ディアッカに何か御用ですか?」
立ち上がろうとするディアッカを、ノイマンが手で制した。
「街まで買い物に行こうと思うんだけど、ディアッカにお供を頼めないかなぁ、と思って」
えへへ、と愛想笑いを浮かべてフラガが答えた。若干腰が引け気味なのは、相手がノイマンだからなのか。
「最近、随分とディアッカがお気に入りのようですね。たまには私がお供しましょうか?」
「いやっ、忙しいノイマンにそんなことお願いできないよ! ノイマンが居なかったら、皆大変じゃないっ」
「別に構いませんよ。私一人が多少不在になったくらいで混乱するような使用人は、フラガ家には居ませんから」
にっこり微笑むノイマンに、フラガがぐっと言葉に詰まった。もごもごと口を濁し、うーっと低く唸っている。
この状況をぱっと見ただけでは、どちらが主人かわからない。二人の間では主導権は完全にノイマンにあるようだ。
「ウソですよ。私がディナータイム前に外出なんて出来る訳ないじゃないですか。行ってらっしゃい、ディアッカ」
飽きれ口調で出された許可に、フラガはぱっと顔を上げ目を見開いた。
「マジ?! ほんとにいいの?」
「アナタがディアッカを連れて行きたい、と言ったんでしょう? いらないんならいいんですよ。私もディアッカも、仕事は山ほど残ってますし」
「あー、違うってば、そういう意味じゃないの!」
今更前言撤回されてはたまらないとばかりに、フラガはディアッカの腕を取って引き寄せた。
「んじゃ、ちょっとだけディアッカ借りてくから。ディナーまでには戻るからね」
「はいはい、わかりましたよ。あんまり無駄遣いしないでくださいね。アナタ、街に出ると余計なものばっかり買うんですから」
「大丈夫! ディアッカが一緒だから!」
ノイマンの小言にひらひらと手を振り、フラガはディアッカを連れてキッチンを出て行った。
バタンとドアが閉まり、キッチンに静寂が戻る。ノイマンはディアッカが磨きかけたゴブレットを手に取り、くるりと磨き布を巻きつけた。
「ほんとに、随分とディアッカがお気に入りになったんですね……」
片手で顔を覆い、ノイマンは静かに独り言ちた。