Exception



─── 何やってんだかなあ。

ため息代わりの紫煙を空に向かって吐き出してみると、勉学とやらにいそしむ制服姿の一護の背中の幻が見えた気がして、恋次は苦笑した。
意識しだしてからというもの、以前より頻繁に一護のことを考えるようになってる。
なのに、思い出す姿が横顔や後姿だというのだから、お笑い種だ。
この執着は一体、何なのか。

当初は、ルキアに関わったヤツだからだと思っていた。
恋次一人では何一つ打破できずにいた状況を、それこそ力尽くで恋次の矜持ごと叩きのめした。
そしてルキアの笑顔を取り戻した。
悔しいけど、凄いヤツだと思った。
そして絶対、コイツより強くなってやると誓った。
だが現世に赴き、人として生活してる姿を目にして、愕然とした。
人の姿の一護は小さかった。
悩んだり、苦しんだりしてる横顔に、胸が締め付けられるようだった。
普通に、本当にごく普通に生きてきた人間の子供なのだ。
母親は居ないとはいえ、あんなに恵まれた環境で、何一つ不自由なく生きているというのに、
何であんなに重いものを背負い、血塗れになりながら前に進むのか。
逃げればいいじゃないか。
なかったことにすればいいじゃないか。
それが人の”普通”ってやつだろう。
だがそれをしない。することを己に許さない。
恋次は、煙草で誤魔化すことさえ忘れ、大きくため息をついた。
気に掛け始めたらきりがない。
もっと知りたくてたまらない。

─── ヤべェよなあ。こりゃあ重症もいいとこだ。

そもそも恋次の視界は極端に狭い。
ルキアと白哉以外にこんなに拘ったことはない。
今だ嘗てなく自分を見失い始めているような気がして、恋次は、さらに大きなため息をついた。



「何だ。気になる女でもできたのか?」
「…!」

急に声を掛けられ、
─── 俺、声に出してたか?!
と振り向くと、至近距離で覗き込んでくる、キラキラと輝く黒い瞳にぶつかった。

「あ…、先輩。居たんスか」
「んだと! さっきから居るだろ! つか一緒に昼飯食おうっつったのはテメエだろ!」
「じゃあ言い直します。まだ居たんですか」
「んだとおッ!! 恋煩いだからって先輩をないがしろにするとは許せんッ」
「誰が恋煩いだよ、オイ…。つか俺は休暇でアンタは仕事。さっさと戻ったらどうっすか?」
「…」

修兵があからさまにムっとしたので、恋次は肩をすくめた。
窮状に置かれた九番隊の責任を一身に背負おうとする修兵がどこか痛々しかったから、息抜きしよーぜと恋次が無理やり連れ出してきたのだが、すぐに帰るかと思いきや、まさか戻りたくないと駄々を捏ねられるとは思わなかった。
恋次は懐に手を突っ込み、煙草を一本取り出した。

「しょーがねーなー。ホラ、これ吸ったら仕事戻るんですよ」
「っせえ。テメエは姉さん女房か」
「誰がアンタなんかの」
「こっちこそ願い下げだっての」
「アンタなあ…、煙草、返せ」
「やだね」
「…」

修兵はひょいと恋次をかわし、空に向かって大きく煙を吐いた。
うんと細められた目は、空の向こうを伺ってるようにも見えた。
その横顔に、少し胸が痛む。
この人も辛れェんだよなと空を見上げると、何故か突然、ぽっかりと一護の姿が目に浮かんだ。
心臓がどくんと鳴る。

─── アイツ、どうしてっかな。

恋次が思い浮かべる一護はいつも泣きそうな肩をしている。
記憶に残る一護はあんなに強くて、今を生きていたというのに。
吹っ切れた顔で尸魂界を後にしたというのに、現世で目にした一護の姿が頭から離れない。

─── くそッ。

一護の残像を振り払うように、恋次は大きく頭を振った。
修兵はそれを横目で見遣り、また空に向かって大きく煙草をふかした。

「…なぁ、恋次。一体、何処の女だ?」
「あ…? 何の話してんだアンタ」
「何言ってんだ。ツラに、気になって気になって仕方がない女がいるって書いてあんぞ」
「んなたくさん書けるほど俺のツラァでかくねえっすよ」

大体、女じゃねえし色恋沙汰でもねえ、と恋次は内心、反論した。
それを知ってか知らずか、修兵は、
「テメエの本気で落ちねえなんて大したタマだな」
と空に向かって気持ちよさそうに煙を吐いた。

「人聞きの悪い言い方しねえで下さいよ。つか俺の本気なんてアンタ知らねえだろ」
「いや知ってる」
「ウソつけ。大体、俺、アンタなんか口説いた覚え、ねえっすよ」
「俺も口説かれた覚えはねえ。けどオンナってのはな。テメエみてえにそこそこ目立つ容姿でガラが悪くって素性も知れねえ、しかも実力があるくせに努力を惜しまず、それでもあと一歩で成功しない不憫なタイプってのに滅法、弱えェもんなんだよ。しかもお前の場合、本気の女を作れねえときた」
「…それ、褒めてます?」
「オウ。羨ましいぐらいだぜ。副隊長にもなったことだし、ますます運気上昇だろ。隊長じゃあ手が届くはずはないけど、副隊長なら収入も安定してるし、アタシならきっと…、てな」
「…つかアンタも副隊長だろ」
「まァな」

思わず無言になった恋次に、だからテメエみてえのが突然、自分の方を向いて本気を見せたら大抵のオンナは落ちると、自称・恋のエキスパートの檜佐木修兵は親指を立てて断言した。

─── もしかして俺、励まされてるのか?

恋次はこめかみを押さえた。
そんな恋次の様子をどう勘違いしたのか、修兵は恋次の耳に口元を寄せ、まるで内緒話をするかのように囁いた。

「しかもだぞ? その努力が自分のためだって分かったら、そのオンナ、一発で落ちるぜ」

─── なんだ、この人もやっぱりルキアと勘違いしてるのか。誰がエキスパートだよ、オイ。

目をキラキラさせて覗き込んでくる修兵を前に、恋次は思いっきりため息をついた。
いきなりルキアのことで揶揄されたり祝福の言葉をもらったりするようになってから随分経つ。
何がなんだか分からず、目を白黒させていたところに、理吉がいろいろと教えてくれたのだが、ルキアに対する恋次の”片恋”は秘かに有名だったらしい。
それが今回の騒ぎでやっと進展を見せたという、沈みがちな護艇で数少ない明るい話題なのだから、盛り上がらないはずがない。
人々は無責任に噂を吹聴しては、以前より気安くなった感のある恋次に構うようになっていた。
だが恋次としては、ルキアとの間に再確認したのは、家族のような絆である。
自分のこの手でルキアを幸せにすると誓ったこともあるが、それも長い隔絶を経て失われたと知った。
ならばそれ以上、望むことはできないではないか。
しかも自分は何を成せたというのか。
あちこちに吼えて回っただけで、ルキアを救うなんの手助けにもなっていなかったではないか。
尸魂界全体が藍染の掌の上だったとはいえ、一人の男としてこれでいいのか。
疑問も自責も尽きることがない。
だからこの騒ぎも、未だ、はらわたが煮えくり返るような思いを深く残す恋次という一人の死神ではなく、恋次を材料にして勝手に作られた偶像が一人歩きしているのだと思った。
つまり他人は他人。
親切心だのなんだの善意に端を発していようが、ただの好奇心だろうが、果ては悪意に基づいていようが、騒ぎそのものの顛末と、それを愉しむ人々の心持に何ら変わりがあるわけでもない。
人ってもんはそういうものなのだと恋次は断じ、この件については耳も眼も塞ぐことにした。

─── ったく勝手なもんだぜ。ひとをエサにしやがって。

恋次は、そういう風にしか思えない自分を思って微かに嗤った。
情に厚いだの、兄貴肌だの評されることも多いが、生まれ育ちのせいか、他人を本心から信じることのない、酷く醒めた部分があるという自覚があった。


恋次は目前の修兵に目を向けた。
からかうような雰囲気の中にも、真剣なまなざしが見え隠れしている。

─── 悪い人じゃねえんだ。

おそらく道が、当の昔に分かれていたのだろう。
仕方がないことだと恋次は肩をすくめた。
そして、定番になりつつある、へらりとした表情を意識して顔に乗せた。

「あー…、オンナっていうか、あいつは家族みてーなもんだし」
「お。やっぱ図星か? つか他の男にゾッコンらしいもんな、ルキアちゃん」
「…アンタねえ。そういう言い方、やめてもらえます?」
「よしよし、じゃあこの檜佐木大先輩がルキアちゃん攻略相談に煙草一箱で乗ってやろう。て、あッ、俺の煙草ッ!」

だが、ここら辺りが切り上げ時だろう。
これで修兵という人物は中々カンが鋭いのだ。
何を嗅ぎ付けられるか分かったもんじゃない。
恋次は、機嫌よく吹かしていた修兵の煙草を口から抜き取った。

「テメエッ、返せッ!」

ものすごい勢いで飛びついてきたのをかわし、吸い差しの煙草はこれ見よがしに地面に落として思いっきり踏み消す。

「ぎゃああ! 俺の煙草…」
「っせえよ。さっさと仕事に戻れ」
「うわああ、本気の阿散井さんが怖い…」

恋次は指を鳴らしつつ、修兵を睨みつける。

「…お仕事、大丈夫なんですか、先輩…?」
「うっ…、じゃあそろそろこの辺で…」
「うっす。お疲れっす」
「恋次…、オマエ、オンナができると友達失くすタイプだぞ」
「アンタは早く女作ったほうが友達できますよ」
「…」
「…」

二人はしばらく睨みあっていたが、何が実るわけでもない。

「…ま、次まで借りにしといてやらぁ」
「へえへえ」
「つかなあ、恋次」
「んですか」
「どっちにしろさっさと決着つけろよ。辛気臭くっていけねーや」
「…んだよそれ」
「散るなら散るで、さっさと派手に散って来いっつってんだよって…、お、マズい、時間がッ!! じゃなっ」

修兵は、恋次の返事を待たずに踵を返した。
結局、心配されてたのは俺のほうかよ、だからのこのこと昼飯食いに外出てきたのかよと、恋次は、瞬歩で隊舎へと向かった修兵の残像を見送った。
その肩に、どこからともなく地獄蝶が舞い降りる。

─── よし。せっかくの休暇だし、斥候を兼ねてとはいえ、現世へ行く許可も取ってあるんだ。とにかくアイツに会いに行こう。会ってみりゃ、自分がどうしたいかも分かるだろ。

急に歩き出した恋次の肩から、ふわりと地獄蝶が飛び立った。


→Exception 2

2009 10万hit企画
ふみちをママさまへ
一恋で、一護が好きだと自覚してしまった恋次が、一護を落とす為にあれこれ考え、動き、努力する様をというリクエストをいただきました。
どういう形で自覚したら恋次が動き出すんだろうって考え出したら、長くなる一方なので、数回に分けて書かせていただくことにしました。しばらくお付き合いいただければ嬉しいです。リクエストありがとうございました!


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