「一護・・・」

俺は、包帯でぐるぐる巻きになったままの手を一護の頬の傷へと伸ばした。
そして一護の頬を、親指でそっと拭う。
さっき来たばかりの時にはもっと乱暴に触れて、
包帯から飛び出てる添え木代わりの木切れで傷つけてしまった。
乾きかけた掻き傷のかさぶたが、ザラリと親指の腹を撫でる。

「・・・痛かったか?」
「あァ? 阿呆じゃねえか。これぐらい、痛てぇ訳ねえだろこのバカ」
「そうだな」

頬に添えられた俺の手首を掴み、鼻息荒く怒鳴り返してくる一護に思わず頬が緩む。


────もし。
もしオマエがこんな怪我をして俺のところにいきなり駆け込んできたら?
今日の俺みたいに、何も言わず部屋から引きずり出して、闇雲に歩き回るだけだったら?
それ以前に、俺の知らないところでオマエが消えてしまったら?
それを人伝いに知らされたとしたら?
俺も今のオマエと同じぐらい動揺するだろうか。

想像しただけで、頭の芯がグンと冷たくなる。
抑えきれない動悸が、身体中の血を暴れさせる。
息が詰まって、指先まで凍りつく。
何も考えられない、感じられない。
それでも全て奥深くへ沈めてしまうから、表面上はかなり冷静に保てるだろう。
俺は副隊長云々以前に、立派な大人ってやつだ。
ガキ丸出しのオマエとは違う。
だから誰に悟られることなくキチンと真っ当に日常をこなせるだろう。
少なくともしばらくの間は。



「あのな、恋次・・・」

問い掛けてくる一護の声はいつになくか細い。
見上げてくる眼も不安げに揺れている。

「なあ・・・、恋次? なあ、俺の話、聞いてるか?」
「・・・ああ、聞いてるよ」

そもそも、俺自身が先に死ぬというヘタさえ打たなきゃ、どっちにしろ人間の子供のオマエのことだ。
早く老いて俺を置いて逝く。
その先には、オマエの居ない時間という虚無が待ち受けてる。
尸魂界で魂魄として会える可能性も無いではないが、やはり、綿々と続く一方通行の時間の流れの中に絶えず在るのは不安。
未来の中に息衝いている。
まるで亡霊。
居ないものだから逃げようもない。
その矛盾に囚われている。

「なんかやっぱ今日の恋次、ヘンだぜ?」
「いつものことだろ」
「笑ってる場合かよ」

全くだ。
俺、死神なのにな。
しかも副隊長だぜ?
今更、何を怯える?

俺はガキの頃の恐怖を思い出す。
身体の芯まで沁み込んだ不安。
今日の命、今日のメシ、今日の水、今日の仲間。
明日どころか、一寸先さえ儘ならない足元がグラつく中で生きてきた。
流魂街を生き抜き、死神を目指し、ルキアを失い、朽木白哉を目指し、その激流の中でただガムシャラに前に進むことで後にしたはずの、忘れ去っていたはずのどうしようもない不安がまた、魂の奥底に居座っている。

────何で今更?

だが答えなど当に知れている。
俺は大事なものを手にしてしまった。
とてもとても大事なもの。
手放したくない。
これだけは何があっても手放せない。
自分だけがひとり居るというなら、そんな未来はいらない。

「なあ、恋次・・・」

一護が俺を見上げてきている。

ひたすら前を見て進んできたオマエが、
俺のようにふと後ろを振り向いてしまったとき、何をその眼に映すのだろう。
背負える以上のものを抱えて生きる凄絶なその生。
そのオマエが前に進むだけじゃどうにもならないことを知ってしまったとき、一体どうなるのだろう。
壊れてしまわないんだろうか。

何もかもに真っ直ぐなこの子供。
既に、虚無を身の裡に抱えている。
そして強い。
だから脆い。

「なあ、恋次ってば!」
「あ・・・?」
「何回も何回も意識飛ばしてんじゃねえよ! ちゃんとひとの話を聞け!」
「あ? ああ・・・、悪りィ悪りィ」

────壊れてしまえばいいのに。

壊れて俺と同じ空虚に飲まれてしまえばいいのに。
怯え、立ち竦み、進む方向を見失ってしまえばいいのに。
そうしたらオマエでさえも、失う恐怖に囚われて、無謀な戦いにも挑まなくなるかもしれない。
これ以上、命を削ることも無くなるかもしれない。

────俺はそのきっかけになれるだろうか?

なんて退廃的な願い。
それを求めることは永劫の檻に似ている。

────永遠に俺の側で。二人きりで。

ゾクリと背中を駆け抜けるこの戦慄はおそらく快楽。
何よりも甘美で、そして痛い。

────ほら、こっちへ来いよ、一護。

「あ・・・」

俺はまた、無意識に手を伸ばしていた。
引っ込めようとしたが、一護はすばやく俺の手を掴んだ。

「・・・ッ!」
「痛いのか?」
「・・・、いや、もう平気だけど」
「手ェやられるなんてオマエらしくねえな」

くくっと一護が小さく笑った。
それがいつになく柔らかで、困ってしまう。
オマエ、俺が今、何考えてたか知らねえからそんなツラできんだ。
俺の心ん中、見えちまったら、そんなツラ、二度とできねえぜ?

腹の奥に溜まった暗い想いが、少しだけため息になって零れ落ちる。
そんな俺をじっと睨みあげた一護は、

「恋次」
「・・・い、一護?!」

隙を衝くように俺のこと、抱き寄せた。
こんな真昼の往来で。

「テ、テメエ、何してやがるッ」
「いいから」
「何がッ?!」
「いいから黙っとけ」
「一護・・・?」

ぎゅっと抱き締めてくる腕に力が入る。
もしかして俺の考えてたこと、バレたんだろうか。
この暗闇を覗かれたんだろうか。
全身を貫く戦慄に皮膚が粟立つ。
だが一護の声はあくまでも柔らかい。



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