だが、まさに目が覚めたときの算段をし始めたその時、
「もう! いい加減にしないと出て行ってもらいますよ!」
と、金切り声と共に、ぴたりと静かになった。
すみませんと謝る声もするから、きっと四番隊の隊員に叱られたのだろう。
霊圧が一瞬ざわめき、落ち着いた。
あの三人がしょぼんと項垂れる様子が目に見えるようで、せいせいする。

だが敵も去るもの。
今度はこそこそと囁く声が聞こえだした。
クソ。さっさと帰れ。

「つかなあ・・・。先パイ、寝てんだし帰ろうぜぇ」

そうだ。帰れ、帰れ。

「もう、アバライくんったら! せっかくお見舞いに来れたのに」

コイツ、ヒナモリとか言ったっけ?
一年坊にしてはかなり威力のある赤火砲を打ったやつ。
よし。コイツはまともだな。女子だし。

──── だが。
後で聞いたところによると、ヒナモリが先頭切って戻ってきたから、残りの二人が追って来たと言うことだった。
情にもろい上に計算も出来ないということは、つまり、戦闘員としては、致命的だということだ。
あの助けがあったから、無事、全員、生き延びられたのだとしても、それは結果論に過ぎない。

「そうだよ、阿散井くん。なんてったって檜佐木先輩は席官候補なんだし、ちゃんと顔つなぎしておくべきだよ」
「吉良、テメエ、それが理由か。つか本当、計算高けぇよな。けどコイツ、弱えぇじゃねえか」
「藍染隊長は、すごく強かったわよねえ・・・」
「ていうかあんな虚だったら仕様がないんじゃないかな。いくら将来有望っていってもまだ学院生なんだし」
「何、冷静ぶって分析してんだか。雛森の後、追っかけて泣きべそかいてたヤツがよ?」
「ななな、なんだとッ! 阿散井くんだって追いかけて行ったじゃないか!」
「あの場合、仕方がねえだろ。一人で残ったほうが死にそうだったし」
「そんな理由で行ったのか、君は! 雛森くんを助けようとか思わなかったのか?!」
「あ? 結果的に助かったんだからもういいじゃねえか、面倒臭せぇな、テメーは・・・」
「阿散井くん! 僕は前々から君に一言言いたいと思ってたんだけど、君のそういう態度、」
「へえへえ、すんません。つかテメエ、先パイはどうした。憧れの先輩だから助けに行ったんだろ?」
「先輩は関係ないだろ・・・ッ! 僕は今、雛森くんの話をだね!」

なるほど。
団子みたいにゴロゴロと救援に来た割には、考えてたことはずいぶんと違ってたってえわけだな。

「もう、やめなよ! 阿散井くんも吉良くんも、煩いよ。先輩が起きちゃう」

・・・ とっくの昔に起きてますが。
いい加減、追い出そうと起き上がろうとしたとき、四番隊の看護隊員が駆けつけてきた。

「あなたたち、いい加減にしてくださいッ! 退室を命じます」
「す、すみませんッ」
「申し訳ありません! ほらッ、阿散井くんも謝って」
「オ、オウ。すんません」
「一体、ここをどこだと思ってるんですか? 患者に一番大事なのは休養なんですよ! 事情が事情なので特別に面会を許可しましたが、こんなことなら学院のほうに直接、指導していただきます」

きっぱりとした看護隊員の宣言に、うげっとかぐぅっとか声にならない悲痛な声が響き渡った。
学院から直接指導ってことは、かなりの減点が予想される。
コイツら、きっと追試だな。
ざまあみやがれ。
コホン、と四番隊隊員の咳払いが響き渡る。
薄目を開けてみると、しゅんとした三人が、こちらに背を向けて項垂れているのが見えた。

「ぶッ・・・」
「あら、起きてたの? 檜佐木くん」
「・・・今、目が覚めました」

思わず噴出したのを、看護隊員に見咎められたので、しぶしぶと体を起こす。

しつこい痛みは消えていた。
だがまだ動きが鈍い。
指の先まで、針金か何かを通されているような、奇妙な感覚が残っている。
この違和感はなんだろう。
一体、何の検査をされたもんだか。

ゆっくりと眼を動かしてみると、一年坊が雁首揃えて此方を見ている。
何か一言、言ってやろうとしたら、顔の傷が引きつった。
じくり、と記憶の中の痛みが甦る。
虚の爪を受けたときは火を噴くような激痛だった。
流れ続ける血で視界が塞がり、隻眼になったのだと覚悟していた。
だが。

俺は、手をじっと見た。

何もかも鮮明。
あの状況で、生きている。
ろくな後遺症も無く、生きている。
まだ強くなれる道も残っている。
だが、何でだろう。
それが不愉快だ。
たまらなく、不愉快だ。

目の辺りをなぞってみると、ピリリと鋭い痛みが走った。
あの虚に付けられた傷がはっきりと残っている。
消さないでいてもらえたのだと、安堵する。

「あの・・・、センパイ?」
「あ?」

一年坊の声に顔を上げた時、周囲の空気がざわついた。

「やあ。体の調子はどうだい?」
「あ・・・、藍染隊長ッ!!」

そこには、紛れもないあの藍染隊長が立っていた。
現世で見せた、あのとてつもない霊圧も圧倒感も、欠片も感じらさせない穏やかな佇まいに、逆に飲まれてしまいそうになる。
慌てて寝床から飛び降りたものの、まだ麻痺が残っていたのか、足がもつれて転びそうになったところを逆に支えられてしまった。
隊長格の手をまた煩わせてしまった。
なんと言う失態。
それでも何とか片膝をついて礼を失したことを詫びると、藍染隊長は泰然と、
「忙しいところ、邪魔してしまってすまないね」
と今度は一年坊たちに声を掛けた。

「い、いえッ!」
「す、すみませんッ」
「先日はありがとうございましたッ!」

さっきまでの舐めきった態度はどこへ消し飛んだやら。
一瞬にして畏まってしまった三人を見てると、
自分の緊張まで吹っ飛んで何やらおかしくなる。

「ところで檜佐木くん・・・、だったね? 先日の虚について少し訊きたいことがあるんだ」
「は、はいッ」
「立ってくれないかな。床に膝をついたままじゃ体に悪いし、何より話しにくい」
「は・・・」

対等に並んで立つだなどと気が引けたのは確かだが、声音は柔らかくても命令には違いない。
ふらつく足を宥め、気が遠くなりそうなのをかろうじて堪えながら、俺は姿勢を正した。



話を進める間、藍染隊長の眼はあくまでも穏やかだった。
現世実習の開始から虚の攻撃を受けるまでの経緯、霊圧を感じさせなかった虚の能力と特殊性や、俺個人の考察まで淡々と、しかし真剣に耳を傾けてくれた。

俺は、堪らなく嬉しかった。
俺の意見が、死神の頂点の一人である隊長格に真摯に受け止められていた。
時々挟まれる相槌には思いやりが篭っていた。
一通り話が終わると、全体的な行動評価と今後の改善点、努力目標などを言い渡された。
その上で、今回の的確な情報収集は今後の役に立つと褒められた。

俺は正直、舞い上がってしまった。
確かに今回は惨敗で、何も出来なかった。
だが、役には立った。
だから努力すれば、今までより更にもっと努力すれば、大丈夫なんじゃないかと思った。
そうすれば、いつか、目指すその高みに手が届くんじゃないかと、高揚する気分を抑えきれず、冷静さを失いそうになった。


だがその時、ヤツの眼が視界に入った。
藍染隊長の背後に控えたままの一年坊、三人。
他の二人は、尊敬や憧れの念もあらわに、藍染隊長を見上げているというのに、その赤い両眼は、そのどちらも映しはせず、酷く冷めていた。

何だ、この眼は。
何だ、そのツラは。

俺は眼を剥いた。
ヤツはそんな俺を見て、悪戯が見つかったとばかりに微かに口元だけ歪ませた。
その笑みに思い出したのだ。
虚の大群に追い詰められたとき、こいつの眼だけはまだ生きていた。
あとの二人が絶望で動けなくなって、涙さえ浮かべていたというのに。
俺でさえ死を覚悟したというのに。
だがコイツだけは眼の色が違ったのだ。

──── あの眼が、俺を見ている。
ゾクっと寒気が背筋を走る。
そして今、やっと、理解した。
あれは活路を探っていた眼だ。
虚の位置、仲間の位置、俺の位置、それぞれの力関係を探りながら、均衡が崩れた瞬間、どこがどう動くか、どうやったら生き残れるか、探っていた。
あの、状況で。
一年坊のクセに。

俺は、遠い昔を思い出した。
大きな背に隠れ、それでも動けずにいた怯儒な俺を。
頭から冷水をぶっ掛けられたような気分になった。


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