夏影
「兄様・・・!」
今ではどこか懐かしくさえ感じるその気配にルキアが振り向くと、帰宅直後なのであろう、隊長服を身につけたままの義兄が立っていた。
「お帰りなさいませ!」
ルキアは、義兄の纏う純白の眩しさに眼を細めた。
今は早夏。
朽木邸を囲む緑が色濃く季節を映す中、主人然と立つ白哉の羽織や牽星箝が、中天から照り付けてくる陽光を弾き返し、強く輝いていた。
「今日はお早いご帰宅なのですね」
「本来なら休みの筈だったのだがな」
ルキアが駆け寄ると、白哉は眉ひとつ動かさぬまま答えた。
以前なら、邪険にされているのだと俯いてもいたかもしれない。
だが義兄は義兄なりに心を開いてくれたのだと、今のルキアは知っている。
その最たるものが、こうやって穏やかに流れてくる白哉の霊圧だった。
普段の白哉の霊圧は静かで、およそ感じ取れるものではない。
まるで枷をかけるように、あるいは周囲を拒否するように、己の強大すぎる霊圧を極限まで抑えている。
だがルキアに近づく際には、まるで合図を送るかのように少しだけその枷を緩めてくれる。
”そのお蔭でこうやって、礼を失することなく兄様の側にいられるのだ”
ルキアは、義兄の心遣いに感謝すると同時に、家族として認められているのだと自分のことも少しは誇らしく思えるようになっていた。
それなのにあの二人と来たら。
ルキアは半ば諦めたような目つきで、白哉の視線の先を見遣った。
庭というよりは広大な庭園といった朽木家の一角。
代々、護艇の一員として重責を担ってきた家柄だけに、景観に溶け込む形でとはいえ、敷地のあちらこちらに鍛錬用の場所がしつらえてある。
ルキアもそこで、白哉に直接、稽古をつけてもらったことがあった。
だが今そこで、木剣を手に気炎を吐き、怒鳴りあいながら手合わせしているのは、朽木家の名とは程遠い二人、白哉の副隊長・阿散井恋次と、嘗ての旅禍・黒崎一護だった。
「あの、兄様。あの二人なのですが・・・」
「彼奴らは全く私に気付いておらぬようだな」
「え・・・?」
朽木家で勝手にあの二人が手合わせしている理由と経緯を詰問されると身構えていたルキアは、虚をつかれた形になって戸惑った。
だが義兄の言も確かに一理ある。
ここは四大貴族の朽木家。
二人は真っ先に兄の霊圧に気付いて挨拶に来るべきなのだ。
なのに、
あの気性と年齢の一護はともかく、ルキアより遥かに白哉の霊圧に敏くあるはずの恋次さえも、この有様。
護艇十三隊の隊士として叩き上げてきた矜持と副官としての責務は何処へ消えたのか。
「も、申し訳ありません、今すぐ呼んで参ります」
「よい。捨て置け」
「し、しかし・・・!」
「・・・」
有無を言わせぬ義兄の無表情に、ルキアは申し訳無さそうに項垂れた。
「・・・だがルキア。そもそもあの二人は我が朽木家で何をしているのだ」
”そう、そこなんですよ兄様!”
ルキアは心の中で叫んだ。
「それぞれ別の用向きで来たようなのですが、今日こそ勝負をつけるだのなんだのと、顔を合わせた途端あんなことに」
その言は決して嘘ではない。だが真実でもない。
純粋すぎる義兄を騙しているのかもしれないと、ルキアは良心の呵責に目を伏せた。
”今日、彼奴らが鉢合わせたときの騒ぎと言ったら・・・。兄様が居られなくて本当によかった”
ルキアは眉間を押さえた。
非常に不本意ながらルキアは二人の道ならぬ仲を知っている。
そこへほとんど二人して同時刻に訪ねてきたものだから、てっきり待ち合わせしてきたのか思って自室へ通してみれば偶然だったらしい。
互いを確認した途端、二人の間に火花が散った。
最初に口火を切ったのは一護。
ルキアの目前だということでさすがに恋次は自分を抑えていたようだが、やがてあっさり一護の直情的な物言いにキレた。
”何故、私がこの二人の喧嘩に立ち会わねばならぬのだ?!”
詳しい事情はわからぬが、目前である種のびのびと怒鳴りあった二人の話を総合してみると、ここしばらの恋次の多忙を理由にすれ違いが過ぎ、不仲になってしまったらしい。
それならそれで理由が判明した今、さっさと仲直りすればいいではないかとルキアは思う。
なのにそう簡単にはいかないらしく、それはもう大騒ぎだった。
否応無く仲介に入ったが、収められるわけもない。
挙句、闘って勝負をつけるときた。
朽木家で。
義兄の留守に。
痴話げんかなら他所でやってくれとは思ったが、こんな醜聞、あっという間に尸魂界中でネタにされるのがオチ。
それはさすがに避けたい。
キレてテンションが上がりきった二人を止めること敵わず、斬魄刀を取り上げて木剣を渡し、霊力を使わないと約束させるのが精一杯だった。
”何故、私がこんな苦労をせねばならぬのだ、このうつけ者どもめ!”
そしてルキアはふつふつと湧き上がってくる不満を堪えつつ、義兄の帰りをまだかまだかと待っていたのだ。
「犬猿の仲というか、寄ると触ると争いになるのです、あの二人は・・・」
”だから兄様! 今日こそあの二人を思いっきり懲らしめてやってください! ルキアは縋るように見上げたが、義兄の反応は、
「そうか」
の一言だけだった。
”え?! それだけなのですか? 他にこう、もっと疑問とかは無いのですか?!”
だがルキアの疑問を他所に、白哉の視線は静かなままだった。
留守中に朽木家以外のものが勝手に刀を抜いて鍛錬場を無断使用するなど、誇りを大事にする兄なら絶対怒ると思ったのにと、ルキアは呆然として白哉の視線の先をまた追った。
一護と恋次は顔を付き合わせたときの剣呑さそのままに、夏の日差しを燦々と浴びつつ、剣を振り回している。
ほんの数刻ほどしか経っていないのに、すでに死覇装も着崩れるどころかあちこち破れ、手足や顔も泥と血に汗に塗れ、酷い有様。
とても義兄の前に出せたものではない。
”また礼を失してしまった・・・! こやつらに絡むとろくなことがない!”
ルキアは、青筋が浮きそうになったのを感じて慌ててこめかみを押さえた。
”全く・・・。これのどこが恋仲なのだ?! ただの敵同士ではないか!”
とはいえ、全くの偶然且つ不本意の極みで二人の睦言の最中に出くわした身。
その目でしっかと見てしまったのだ。
あれは久々に訪れた現世でのことだった。
せっかくだから挨拶のひとつでもと威勢よく窓を開けたのに、
「久しぶりだな、い、・・・一護・・・?!」
と絶句してしまったのはとんでもないものを目にしてしまったから。
超至近距離の一護の部屋のベッドの上。
恋次の乱れ髪と着崩れた死覇装。
それに圧し掛かっている一護。
一護の背中に回っていた恋次の両腕がまだ目に焼きついている。
「お、おまえたち・・・・」
ルキアの闖入と共に一瞬で凍りついた空気の中、
「ル、ル、ル・・・ッ!!!」
阿呆のようにルキアのルを繰り返し、
慌てて着物の前を掻き合わせて取り繕うとした恋次の面を思い出すと頭痛がする。
いい年して貴様はこんな真昼間から現世で何をしておるのだ!
振り向いた一護の面食らった莫迦面を思い浮かべるとまた怒鳴りつけたくもなる。
接吻の一言で赤面していた貴様は一体どこへ行ったのだ?!
ひとの幼馴染になんてことしてくれる!
そもそもなんで一護が圧し掛かっているのだ!
普通なら年齢的にも体格的にも逆ではないのか?!
果てしなく暴走していく多少見当違いのツッコミはともかく、いくら色事に疎いルキアでも、あれでは誤解のしようがなかった。
呆然と窓枠から動けなくなったルキアを前に、二人揃って鎮座して、求めてもおらぬ釈明を始めたので、目を逸らしたかった現実から逃げようも無かった。
だからだろうか。
しどろもどろに口ごもるばかりの二人を叱りつけた上、聞きたくも無い(筈の)なりそめから現在進行状況まで問いただしてしまった。
そのせいで、二人に何かあるたびに相談役として呼び出される破目にまでなった。
そして挙句の果てのこの状況。
”一体、私の何がいけなかったのだろう・・・”
ルキアは初夏の蒼天を見上げたが、浮かんでくるのは空しい答えばかり。
ただ、まだ始めたばかりだったらしくて二人とも衣服を着けていたのが幸いだったとは思う。
”あれが正に乳繰り合ってる真最中だったら私は立ち直れていなかったかも知れぬ”
とルキアは眉間をグリグリと押さえた。
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