春を謳う


最初、それはとても小さな痛みだった。
普通なら気付かないほどの。
あのまま無視し続けられたほどの。

けど舞い上がってたところに喰らった一発がデカすぎて、後を引いちまったからもうダメだ。
意識を逸らせない。
チクチクしてた痛みがどんどん重なり合ってズキズキと互いを圧迫する。
それが胸いっぱいに広がってく。
苦しくて息が詰まり、手足も冷たくなっていく。
ちくしょ、なんだこれ。
こんなの、俺は知らない。

「う・・・」

思わず漏らしてしまった声は大きく響いて、先を行く恋次を引き止めた。
どうしたと振り向いた恋次の髪が大きく赤く、尸魂界の蒼天に弧を描く。
その鮮やかさに呼び起こされたのは、昨夜の記憶。
手に取った紅髪は、朝闇に溶けて暗く流れた。
指の隙間を零れたあの滑らかさは、たっぷりと二人分の汗を吸ったせいだろうか。
甦った感覚に、心臓がどくんと強く打つ。
ごくりと喉も鳴る。

「どうした?」
「・・・いや、なんでもねえ」
「・・・?」

恋次が盛大に眉を顰めた。
あ、ヤベえ。
何か言葉を返さなきゃ。
恋次もそれを待ってる。

「・・・」

けど言葉が出てこない。
どうしよう。
何て言ったらいい?

とにかく口を開こうとした瞬間、恋次が視線を逸らした。
遅かった。
妙に質量感のあるあの沈黙が落ちてきた。

マズい、と俺は思った。
だって俺たちはまだ始めたばかりだ。
ただのダチ同士だったときはどうってことのなかった沈黙ってやつは、最近じゃ直ぐに気まずさに変化して、どうしようもなく居心地を悪くする。
互いの目さえ見られなくなる。
だからこんな沈黙が幅を利かせだしたら、何か喋ったり、触れたりして、恋次を繋ぎ止めないといけないんだ。
今んとこ、それが俺が見つけた唯一無二の解決策。

だけど決死の思いで恋次と呼びかけた俺の声は、
「なんだ、また旅禍、連れまわってんのか」
というヤケに軽い調子の声に遮られた。

この声、この口調!
昨日、俺が恋次を訪ねていった時、部屋に長々と居座ったアイツがまた来た!
一瞬でイラつきが頂点に達した俺は、振り向いて何か一言、ぶつけてやろうとした。
だがその矢先、無駄に瞬歩を使って素早く恋次の背後に回ったソイツは、恋次の首に剥き出しの腕を絡みつかせた。
その上ぐっと締め付けたから、恋次はグェっとカエルが潰れたような声を上げる。
してやったりとばかりに檜佐木はハハッと軽快に笑う。

「油断しすぎだ、阿散井副隊長どの」
「アンタなぁ! 誰がフクタイチョウドノだ、嫌味か!」

無理やり腕を引き剥がしつつ、恋次は声の主を振り返る。
つかオマエら、顔が近けぇっての。
しかも入墨同士だから余計ウゼぇっての。

「嫌味に決まってんだろ」
とニヤリと人の悪さを全開にしたような笑みに、
ああもうどうでもいいから離してくださいよ檜佐木さんと恋次はため息をついた。
何、下手に出てんだ、恋次のバカ!
しかも檜佐木のバカは、離して欲しけりゃ昼飯おごれと来たもんだ。

まただ。
クソ。
俺は二人まとめて怒突きたくなった。
だって昨日からずっとこの調子。
檜佐木だけじゃねえ。
隊長ヅラして恋次をこき使いまくる白哉を筆頭に、六番隊隊舎でも鍛錬場でも街でも宿舎でも、誰でも彼でも恋次に構ってきやがる。
ちょっかい出してきやがる。
大した用事でもねえくせに、一々呼び止めてんじゃねえ。
しかも恋次のバカが気安く返すときやがった。
だからいつまでもいつまでも先に進めない。
二人きりの時間が削れて行く。
それに大体、テメエ、身体がデカすぎんだよ。
影になって俺、何にも見えねえじゃねえか。
これじゃ居ねえのとおんなじじゃねえか。
んだよこの扱い!

ぐいっと横から恋次の死覇装の裾を引いてみる。
けど檜佐木との口喧嘩に夢中すぎて恋次は気付かない。

テメエ。
俺の存在、忘れてんだろ。
頭にカッと血が上って殴りつけそうになったから、俺は一歩、下がってみた。
その一歩分の距離のせいか、副隊長だという二人がやたらガキに見えた。
だってまるで子犬じゃねえか。
急所を甘噛みし合って、じゃれ合って。
こんなの絶対、唯の副隊長同士とかじゃねえ。
ダチだとしても、なんか年季が入りすぎてる。
んでそんなにベタベタしてんだよ。
つかまさか昔の男とかそういうんじゃねえだろうな?

イラっと二重、三重の意味で腹が立った。
だって俺は恋次のそういうこと、全然知らないし、訊けないし、もちろん訊く気もない。
それに俺、そんなふうに恋次の肩に顎とか乗せらんねえ。
まだ背が届かねえ、チクショウ。

そして不意に脳裏に甦えったのは、白哉の能面みたいなツラ。
昨日の到着早々、急遽呼び出された恋次に付いていった時、六番隊の執務室で目にした二人を思い出すと無性に腹が立つ。
部下と上司なら部下と上司らしく、もっとキッチリガッチリしやがれ。
他のヤツラが全然分からない白哉の小難しい理屈とか、なんで全部恋次が調整してやってんだよ!
それじゃ翻訳じゃねえか。
白哉が大体、甘えすぎなんだろ、恋次ごときに!
つか恋次も恋次だ。
なんで眼ェ見るだけで何で白哉のことが分かんだよ。
しかもあの白哉とボケとツッコミなんかやってんじゃねえよ!
なんでそんなに呼吸があってんだよ!
つか恋次、テメエ、白哉を超えるとか超えないとか言ってたじゃねえか。
ありゃまるっきり嘘かよ。それとも心変わりかよ。
しかも白哉のあの余裕。
「時間が掛かる。我が屋敷で待つがよい」だと?!
んで俺がテメエのヤシキに行かなきゃなんねえんだよッ。

ああもう、イライラする。
知らずギリリと歯噛みをすると、眉間の皺がうんと深くなるのを感じる。
だって胸が痛い。
脳みそ沸騰するどころか、血がうんと下がっていく。
指先が冷たくなって、腹の底も重くなって、息もしんどい。
この二人を正視できない。
他のどんなヤツラも、みんな、みんな追い出してしまいたい。

つかもう、いやだ、こんなの。
俺、
こんな小せえ男だったのか?!



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