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EVA・きっと沢山の冴えたやり方

・第二十六話 静止した闇の中で・母U   by saiki 20040515



私は、闇と光の狭間でまどろむ。
ここは何所?

『生きて行こうと思えば・・・どこだって天国になるわ・・・』

どこかで聞き覚えのある声が、霞んだ世界で幾重にも響きゆっくりと消えて行く。

『男の子ならシンジ、女の子ならレイと・・・』

何故か酷く落ち着く、男の声が闇に響く。
これは誰?・・・何故か、私はその声を良く知っている気がする・・・

『この子には、人類の明るい未来を見せておきたいんです』

二重三重に響く再生された声の谷間の暗闇に、
幼い男の子のイメージが、ゆがんだガラスに映るように薄っすらと浮かび上がり消える。
私は、この子を知っている・・・
シンジ・・・そう、私が自らのお腹を痛めて産んだ子供。

まどろみにも似た闇の中、突然、私の辺りを光が埋める。
その中で、走馬灯のように悪夢が私の中へと流れ込み、心に刻み込まれた。

使徒の影に取り込まれるシンジ、使徒の手で切り刻まれる赤と蒼のエヴァ、
ゼーレから送り込まれた少年を泣きながら殲滅するシンジ、
ほのかな好意・・・でも、その心を砕く朱金の少女、そして自爆し消滅する蒼銀の髪の少女、
量産型エヴァに食い散らされる赤いエヴァ、傷つき蝕まれていくシンジを含む三人の子供達、
そして、唐突に広がるどこまでも赤いLCLの海・・・
そこには私の求めた明るい未来など、どこにも無かった・・・

私の心は、声にならない叫び声を上げる。
なぜ?何故?ナゼ?・・・なぜこんなことが?
私は、いま見た悪夢が幻覚ではなく、どこかで実際に起こった事だと何故か確信していた。

自らの体を、血の涙を流しながら自分の手で掻き毟り、引き裂き抉る幻影の中で私は心を震せる。
私はシンジを守れなかった?

闇の中、絶望と後悔の中で一人震える私を、突然優しいぬくもりが包みこみ、
泥の中から引き抜かれるような感覚と共に、体中の感覚が蘇る。

床にばらまかれる水音の後、体が冷たい外気の中に晒された。
そして、唐突に自分がエヴァに引き込まれる感覚が蘇り、私はのたうち回り悲痛な悲鳴を上げ仰け反る。

「はっ!ひはああっっ・・・あっ!ひっ!・・・」
「大丈夫か?ユイ!」

力なく震えながら頭を上げた私の頭上には、めっきり老け込んだ夫の覗き込む顔が有った・・・
そして、穏やかな笑みを浮かべるあの記憶の中の少年・・・シンジと、
私を、その手で押さえつけるように支える、朱金と蒼銀の少女達。
では・・・この、私に焼き付いた地の果てまで広がる赤い海の記憶は、いったい・・・

「貴方達・・・無事だったのね・・・
でも、あの赤い海は・・・あなた?・・・シンジ?」

夫とすっかり大きく育ったシンジが、顔を見合わせ戸惑いを浮かべる。
そして、あの人がさんざん躊躇した挙句、皆を代表するように私へ口を開いた。

「ユイ・・・何故・・・それを知っている?」
「それは・・・」

私は、どう答えて良いのかわからず、言葉を濁した。
自分はエヴァに取り込まれて、狂いかけているのだろうか?

「・・・問題ないわ・・・それは、後でも構わないはず・・・」
「そうよお義父さま、そう言うのは後にしてください、シンジ!タラップを下げて頂戴」
「ん、わかったよアスカ」

蒼銀の少女が男達を嗜め、朱金の少女が私に大きなバスタオルを被せ、シンジへと声を掛ける。
その動作に、まるで長年連れ添った夫婦のような阿吽の呼吸を見て、私は戸惑いを深めた。

「・・・あなた・・・」
「ユイ、立ち入った話しは後だ、まずは検査を受けろ」

あの人が、私におずおずとした硬い笑みを浮かべ、私のまだ濡れたままの髪を優しくすき上げる。

「・・・はい、ゲンドウさん・・・」

あの人の笑みの前に、私はバスタオルを纏ったまま、ただ頷くしか無かった。
紫の巨大なエヴァの傍らを、タラップがゆっくりと降下していく。
エヴァの紫の装甲外骨格に残る幾つもの傷が、これが既に多くの戦闘を潜り抜けてきたのを私へと語っていた。

タラップが床に近づくと、下でてきぱきと動き回っている4人の女性達が私の目に入った。
シンジと同じぐらいの歳の、少し頬にニキビの後の残るお下げの黒髪の少女。
見る角度によって紫に光る黒髪の30ぐらいの女性と、まだ20台に見えるショートカットの黒髪の女性。
そして・・・信じられない事に、あの頃と変わらない知り合いが其処に居た・・・

「お帰りなさい・・・ユイ」
「キョウコ?キョウコなの?」

私は、全身を襲う気だるさを振り払って、思わず大きな声を上げた。
ショートの少し茶色がった黒髪に、
澄んだ湖のような青い目をした、日独ハーフの女性・・・惣流・キョウコ・ツェッペリン。
彼女は白衣を翻し、私へ向け思わせぶりにチチッとその人差し指を振ると、窘めの言葉を口にする。

「駄目よユイ、検査が済むまでは貴方は私達の患者、患者は大声を上げてはいけないわ。」

まじめそうな口ぶりとは逆に、キョウコの目が笑っていた・・・
そして、傍らのお下げの少女へ振り向くと、まるで同僚のように気安く声を掛ける。

「ヒカリちゃん、私達はこの後もデータの取り纏めがあるから、後ユイに付いててくれる?」
「はい、キョウコおば様・・・ユイお義母様、私の後に着いて来て下さい」

お下げの少女がキョウコに頷き、私に人好きのする可愛い笑顔を向ける。
その時、私の後ろに付いて来ていたあの人が、おもむろに重い口を開いた・・・

「・・・うむ、私も付いて行くぞ」
「お義父様、いかに既婚者とは言え、
男の貴方が着いて行ってはいけない場所がある事は、もちろんご存知ですわよね」

そばかすの消えかかった頬を、薄く桜色に染めて、
少女は、濃い茶色の目でゲンドウさんの瞳をまともに見つめ返す・・・
その目線に、あの人の目が揺れ・・・ついと、その目をそらした。

「・・・そ、そうだったな・・・すまない。
ユイをよろしく頼むぞ、洞木君・・・」
「はい、もちろんですお義父様」

ずいぶん久しぶりのように思える、あの人のかわいい仕草に、
私は、懸命に笑いをこらえ、その頬をピクピクと痙攣させる。
そんな私に、分っていますとお下げの少女は、アイコンタクトを交わして、
素早く自分を、ゲンドウさんの前から連れ出してくれた・・・

「ありがとう・・・洞木さんで良いのかしら?
良かったわ、ゲンドウさんたら、私が笑うと拗ねるのよね」
「はい、キョウコおばさまから聞きました・・・」

先に立って歩く少女は、私の声に振り返り、穏やかな笑みをその口元に浮べる。

「ところで・・・なぜ、洞木さんは
私とあの人を、お義母様やお義父様って呼ぶの?」

自分の問い掛けに、少女はその茶色の瞳で意外そうに私を見上げた。
そして、微かに首をかしげ、その薄くリップが塗られたように艶々とした唇を開く。

「えっ?
だって、ユイお義母様とゲンドウお義父は、碇君のご両親じゃないですか」
「ええ、もっともシンジに最後に会ったのは、もう随分前の事のようだけど・・・」

私は、この賢そうなお下げの少女へ、
どこまで話しても良いのか分らず、要点をぼかした説明でお茶を濁す・・・
だが、それは杞憂だったようだ、少女はついと目をそらすと軽く頷いた。

「はい、碇君に何もかも教えてもらいました・・・」
「そう・・・あなた、シンジに信頼されてるのね・・・
ひょっとして、あなた・・・シンジの彼女なの?」

私は、シンジとずいぶん親密そうな少女に、ふと思い付いた疑問を投げかけてみた。
途端に、見かけの歳以上に落ち着いて見えた少女の頬が桜色に染まり、
まるで祈るように両の手を胸の上で合わせ、恥ずかしそうに控えめな笑みをその顔に浮べる・・・

「あ、あの・・・ユイお義母様・・・」

私は、少女のその初々しい仕草に、新鮮な感動を覚えながら、
自分の唇に余裕の笑みを浮かべ、
彼女の、息子への思いを聞こうと、期待に心を弾ませながら身を乗り出す。

「くすっ・・・なに?」

だが、私は次の瞬間、唖然とまるで瞬間凍結したかのように、
凍りつく羽目になろうとは・・・小指の先ほども、思っていなかった・・・

「わ・・・わたし・・・
碇君の3号さん・・・なんです」
「・・・3ごう・・・さん・・・」

頬を赤く染めた少女の魅惑的な唇が、私に理解不能な・・・
いえ、理解しがたい単語を紡ぎ出し・・・
私の、賢明なはずの頭は、その言葉の意味を理解する事を完全に放棄した。

「3号さん!?」

ふらりと意識が揺れるのを感じながら、私は、何時の間に日本の憲法は、
一夫多妻制を容認したのだろうと、頭の片隅の冷静な自分が考えているのを不思議に感じた。

「はい、ユイお義母様・・・本妻が綾波さんで、2号が惣流さん、3号が私です」
「あ、はは・・・キョウコの娘さんが、2号なの、それであなたが3号なのね・・・」

目頭を抑えた私の口から、虚ろな笑いが漏れる・・・

「洞木さん・・・」
「はい、お義母様」

私は思わず、お下げの少女・・・
シンジの3号さんを自称する、彼女の両の肩をがっしりと掴んで真剣に視線を合わせた。

「ほんとなの?」
「え・・・は、はい、お義母様・・・」

少女は私の勢いに、タラリと脂汗をにじませながらも、かろうじて首を縦に振る。
なんて事なの・・・私のシンジが、こんなに可愛い娘さんと、
キョウコの娘と、後一人の娘さんに、あろう事か三股を掛けてるなんて・・・

あんなに、あの子が穏やかな笑みを浮かべいたから、私は・・・てっきりゲンドウさんが、
私が事故に会った後も、ちゃんとシンジを育ててくれたのだとばかり思っていたのだけど・・・
あれからどうしたのか、ゲンドウさんにきっちり問い詰めなければ、私は心に固く誓う。

「洞木さん・・・あなたは、それで良いの?」

私は、恐る恐る少女の濃い茶色の瞳を見つめ、戸惑いながらも問い掛ける、
お妾さんでも十二分に酷い扱いなのに、例え我が子の事とは言え3号さんで良いのかと・・・

「はい、碇君は私達にとても良くしてくれます、お義母様」

でも、それは杞憂だった、身びいきかも知れないが、
彼女はまったくと言って良いほど不幸そうな雰囲気をまとっていない・・・
むしろ、頬をバラ色に染めるその姿は、
少女が、誰もが思わず代って欲しくなるほどの、幸せに包まれているようにも思える。

「は―――っ・・・私の、感覚が古いのかしらね・・・
2号さんとか、3号さんとか言うと、
どうしても、暗いイメージを思い描いてしまうのだけど」
「先ほどから、お話がおかしな方向へ行くと思っていましたけど・・・
ユイお義母様、そんな事を考えてらっしゃったのですか?
彼は・・・碇君は、そんな人じゃ有りません。」

少女は、私の眼を正面から見つめたままで、きっぱりと言いきる。
そして、その言葉に、1ナノの揺らぎさえなかった。
私は、ほっと胸をなでおろす・・・
この子・・・いえ、この子達ならきっと、シンジと共に人生と言う長い道を歩んでくれるだろう。

「洞木さん・・・あの子・・・シンジを、よろしくお願いするわね・・・」
「あ、はい・・・ユイお義母様」

少女は、私の言葉に、頬を更に赤く染めて、勢い良く何度も頷く。
私は、その姿をほほえましく感じ・・・
この事は、早めにシンジとゲンドウさんに、事情徴収せねばと、心のメモに朱文字で大きく書きとめた。

「ごめんなさいね、引き止めて、
さあ、検査とやらを早く済ませてしまいましょう」
「はい、お義母様」

気の済んだ私は、さっさと実務モードに心を切り替えて少女に先を促す。
彼女はまだちょっと夢心地で、
ふわふわと雲の上を歩くような足取りながらも、軽やかに私の先に立って薄暗い通路を歩き出した・・・

   ・
   ・
   ・

DNA、核磁気、超音波・・・幾多にも及ぶ検査の合間に、3人のシンジのお相手が、一堂に私の前に集まる。

「・・・碇君にはお世話になっています・・・
綾波レイと申します、ユイお義母様・・・
碇君は、用事で遅れるそうですが、もう少しすれば来ると思います・・・」
「そう、シンジは来てくれるのね、ありがとうレイちゃん」

どことなく私に似た容貌の少女、シンジの本妻ともくされるレイちゃんが、
その蒼銀の髪を揺らして、体を二つに折るよう、私に丁重に挨拶をする。
私はその姿に、彼女が素直で少し引っ込み思案な、大人しい少女と言う感触を得た。

「お加減はどうですか?ユイお義母様?」
「ええ、もう大丈夫みたいだわ、キョウコも元気そうで・・・」
「はい、母は元気だけがとりえですから」

はきはきとした物言いで、朱金の髪をなびかせながら、キョウコ嬢りの青い瞳の、
シンジの2号さんを自称する、彼女の娘のアスカちゃんが私へと声をかける。
なんとなく彼女は、レイちゃんとは対極にいるような少女だ、
キョウコに似て、くりくりと忙しなく動き回るその青い瞳がとても可愛い。

「お義母様、もう少し待ってください・・・
はい、検査はこれで終わりです、お疲れ様でした」

意外な事に、自分への検査を取り仕切り、
その年に似合わぬ堅実さを見せる、ヒカリちゃんが、やっと私へ検査の終了を宣言した・・・

そして、僅かな時間で、私を取り巻く、少女達の姦しい華やかな話の輪が形作られる。
シンジの3人のお相手たちは、ほんとに幸せそうだ、今夜の献立の話や、ゴシップネタ、
のろけ話を、私に披露する・・・どうやら、私の心配をよそに彼女達は、お互いとても仲が良さそうだ。

私は、シンジがいない間に、思い切って彼女たちに、あの子との馴れ初めを聞いてみようと声を掛ける・・・

「貴方たち、シンジとはどんな風に知り合ったの?」

賑やかだった少女達の囀りが、私の声にぴたりと止まり、背筋をぞくりと震わせる様な、
重苦しい静寂が、自分が上半身を起こしたまま横たわる、ベッドの周りへとたちこめる・・・

「ヒカリの事はともかく・・・アタシとレイの事は、
赤い海の事を知ってるお義母様は、もうご存知じゃないんですか?」

たちこめる静寂を破り、アスカちゃんが、
ちょっとおずおずと、3人を代表して私へと口を開く・・・

私は、どう彼女へ答えればいいのだろう・・・
確かに私は、あの赤い海を見た・・・
いえ、その強烈なイメージを刷込まれたとでも言うのだろうか?
なにしろ、自分にとっても未知の体験だったので、
どう言い表せば良いのか・・・私にも良く言い表せなかった。

「知ってるわ・・・でも、断片的なイメージが多くて、
あれが、現実に起こって事だと私は確信しているけど、
その確信に自信がもてない・・・とでも言えばいいのかしら?」

私は、ごくりとつばを飲み込み、あのイメージ・・・
自分にとって、信じたくないほど悲しく
耐えがたい記憶に、無理やり焦点を合わせようと柳眉をしかめる。

「たしか、レイちゃんは大怪我をして体中包帯を巻いていて、
アスカちゃんは、大きな空母の上で黄色いワンピースを着てる・・・
でも、ヒカリちゃんは出てこないの・・・そして、それが二重に重なって・・・
同じ場所、同じ時間のはずなのに、二種類の違うイメージが有るのよ」

私は、掌で額を抑えて、頭痛を振り払うように頭をゆする。

「お義母様・・・それで合っています。
アタシ達は、前世と今世に渡って2重に存在しています・・・
そして、前世のあの世界は結局、全ての生物が全滅しました」

アスカちゃんが、私のぞっとするほど生々しいイメージを肯定し、
それを越えるほど驚かせる事実が、その艶やかな唇から漏れ響く・・・

「人類補完計画・・・お義母様は、
これが、どういった物かはご存知ですよね?」

キョウコの娘さんの口から出た名前に、私はその顔を青く染め微かにうなづく。

「知っているわ・・・でも、なぜ貴方たちが知っているの?
あれに関する事は、マスターデータを含めて、全て破棄したはずなのに・・・」
「前世では、あれが不完全ながらも実行されました・・・
そして誰一人、赤いLCLの海の中、補完の揺り籠の呪縛から、
現世に復帰できず、やがて全ての人は、その個性が均一化し、
個のパターンの減衰現象の末、思考のノイズの海の狭間へ、消えてしまったんです・・・」

朱金の少女の口から、自分が最も聞きたくない前世の終末の様子が語られる・・・
そして、アスカちゃんは悔しそうに唇を歪め言葉を続けた。

「アタシは、サードインパクトの直後、錯乱したシンジに首を締められた後、
体調の不調を訴え、LCLになって彼の前から消え去ってしまったから、
良く知りません・・・でも、アタシが消えた後の、シンジの精神状態はかなり酷かったようです」
「そう・・・私が知ってるのは赤い海と、あの子の絶望感だけだけど・・・」
「・・・お義母様・・・あれは、もう終わったことです・・・」

アスカちゃんが私から目をそらし、レイちゃんが、
それ以上は聞かない方が良いとほのめかす、
でも、この胸が心痛でどんなに痛んでも、
自分は前世の補完の果てに何が起きたのか、知っておかなければならない・・・

「前世とは言え、やっぱりそれは私の罪なのよ・・・
だから、教えて頂戴・・・あの世界の私が、どんな罪を犯したかを・・・」

私は、声を震わせながらも、彼女達へと訴える・・・だから教えて欲しいと・・・
その決意を感じてくれたのか、レイちゃんがその重い口を開き、シンジに何が合ったのかを語り始めた。

「・・・私は、碇司令に補完の寄代として位置付けられ、そうなるべく人形のように育てられました・・・
そして・・・碇君に、人の暖かさと、ほのかな心を教えてもらった二人目の私が使徒戦で、
零号機と共に自爆して果てた後、3人目の私は、初号機を通した碇君の絶望の声に目覚めました・・・」

アスカちゃんの目が、信じられないものを見るように大きく見開かれ、蒼銀の髪の少女を見つめる。

「・・・碇君への想いを取り戻した私は、司令より彼を選び、既に阻止限界点を越えていた、
エヴァ量産機が引起したサードインパクトを、少しでも碇君の意に添うものへと捻じ曲げる為に、
既に無い零号機の代わりに、リリスと同化して彼の元へと行ったのですが・・・
心を砕き欠けた、何も知らない碇君は・・・私の姿を形どったリリスを、悲鳴を上げ拒絶・・・拒絶して・・・」
「・・・拒絶されて・・・辛かったのね」

私はその時、この蒼銀の髪をした、線の細い彼女が何を思ったか考えると更に胸を痛める。
人を捨て、リリスと化してまで想い人の元へと駆け参じたあげく、拒絶されては・・・

「・・・その後は、良く覚えていません・・・次に気が付いた時、
私は、まるで幽霊のように、心だけが碇君とアスカの横たわる、赤い海辺の空中へ漂っていました・・・
そして、アスカがLCLになって消えた後・・・私の目の前で、碇君が・・・碇君は、最初の自殺を・・・」
「あ、綾波さん・・・」

ヒカリちゃんが息を呑む、さすがにシンジも此処まで詳しくは、彼女へ口にはしなかったのだろう。
私は、唇を白くなるほど噛締め、蒼銀の髪の少女の潤んだ赤い目を見つめた・・・

「・・・包丁を突き立て、抉られた彼の手首から・・・
血が途切れなく床に流れて、それを止めたくても・・・
幻影のように存在の希薄な私は、何も出来なくて・・・
でも、痛いはずなのに・・・碇君が、薄っすらと嬉しそうに笑うんです・・・」

その時のやるせない時を思い出したのか、少女は赤い瞳から涙を流し、
まるで、自分の掌にシンジの血を受けてでもいるかのように、その両の掌を凝視する・・・

「・・・でも、それだけじゃ無い・・・
手首を切っても死ねなかった碇君は、次はビルから飛び降りました・・・
今でもはっきり覚えています、碇君の飛び降りたビルは、24階建でした・・・」

私を含めた皆は、普段は寡黙であろう少女の、少したどたどしく、心が芯から冷え込むような、
その長く辛い話を、耳を塞ぐ事も出来ず、心へ針を突きたてられるような思いで聞き続けた・・・
そして、そのルビーの瞳を涙で潤ませながら蒼銀の髪の少女から掠れた声が響く。

「・・・アスファルトの上へと落下した碇君は、原形を留めていなくて・・・
でも、そこまでしても既に使徒としての力に目覚めていた彼は、死ねなかったんです・・・」

彼女の語る話を、心を削られるような思いで聞き続ける私の眼からも、
目の前の少女と同じように涙が溢れ、頬を伝い幾筋もの塗れた後を残す。

「・・・碇君は、一昼夜呻き声を上げ続けながらも翌朝には歩けるまでに回復し・・・
アスカ・・・貴方のプラグスーツを握り締めたまま、彼は歩き続けたわ・・・」
「・・・シンジ・・・」

綾波さんの瞳がアスカちゃんを少しだけ羨ましそうに見つめる、
その視線を受け、朱金の少女のサファイアの瞳が寂しそうに伏せられ、
彼女の艶やかで魅惑的な唇から、掠れた声で私の息子に名が搾り出された。

「・・・そして、打ち捨てられた戦略自衛隊の基地でN2弾頭を見つけた碇君は、
嬉しそうに笑いながらそれを爆発させたわ・・・そして、近くに流れていた川から流れ込む水が、
爆発の後を覆い隠し見る間に湖になっていった・・・その後には、何も残っていなくて・・・
少なくともそう感じた私は、そのまま心を閉じて赤い海の中で眠りについてしまいました・・・」

彼女が話を締めくくり、その口を閉じると辺りを薄ら寒い沈黙が支配する。
その居心地の悪い時間を破ったのは、自ら2号を自称する朱金の少女だった・・・
アスカちゃんは、レイちゃんにハンカチを渡すと冷気を払うように、
そのきれいな朱金の髪の毛を梳き上げ、私の眼を見つめると、おもむろに口を開く。

「ありがとうレイ、その後はアタシが・・・」
「・・・ええ、お願いアスカ・・・」

蒼銀の少女が、目じりをハンカチで抑えながら疲れた声で答え。
それを受けて、アスカちゃんがシンジのあの赤い世界での話を続ける。

「N2弾頭の爆発で、その構成物質のほとんどを失ったシンジは、
新しく爆発で出来た湖の中で、その酷く傷ついた心を癒す為に永い永い眠りに付いたわ」

一息に、言葉を吐き出したアスカちゃんはその形の良い唇をきゅっと引き締める。
そして、その後の言葉を待ち受かるかの様に、私を囲むアスカちゃんを含めた、
三人の少女達の指が、何かに耐えるようにぎゅっと握り締められた。

「心の再構成・・・老いや死に打ち勝つ体、それを得た後も、
ただの人だったシンジの心は、長い眠りが必要なほどの傷を心へ負っていた・・・
だから、長い長い眠りに付いたんだろうって何時かシンジがアタシへ
自分の推測を語ってくれたけど、アタシもそのとおりだと思います・・・」

アスカちゃんの翡翠にも似た青い瞳が、私の眼を射る様に見つめる。

「もっとも、アタシが知っているのは、
シンジに赤い海から掬い上げられてから後のことだけ・・・
それまでに、何が合ったのかはレイが言ってる事を聞いただけですけど」

少女の青い瞳が、探るように赤い目を射抜くと、
レイちゃんは薄っすらと頬を染め、控えめな笑みを洩らす、
アスカちゃんと再び出会うまでに、シンジとこの少女との間に何が合ったのだろう?

私は非常に興味を持ったけど、彼女と一番親しいアスカちゃんでさえ
知らないと言う事は、きっと誰にも探り出せないのかもしれない。

「と、ともかく・・・その時アタシは、自分の心の固い殻に閉じこもって、
ひたすら他人を拒絶していました、何も不安の無いでもひたすら凍えるような闇・・・
そんな所で安息を貪るアタシを、ある日とても暖かい物が、
まるでいとおしむかのように包み込んで、優しく揺り起こしたんです」

少女の頬が、自身の髪の色に近づくかのように、薄っすらと艶やかに上気する。

「・・・碇君は努力したもの、あの激変を生き残っていたメモリーや、
果ては怪しい古書から架空の物語まで掘り出して、貴方をサルベージするまで、
あのアストラルボデイの試作だけでも、相当な回数を繰り返したわ・・・」
「・・・そう、なんだ、
だからあの時のシンジの部屋が、わけのわからない機械や本で埋まってたんだ」
私には、アスカちゃんの蒼い澄んだ目が、いまはっきりと潤んでいるのがわかる。

「・・・そして、それに付き合ったのは私・・・」
「うん、もちろんレイにはたくさん感謝しているわ」

青と赤、異なる色の視線が絡み合い、ヒカリちゃんを残してお互い微笑を交わす。
そして、一人取り残された黒髪の少女は、目に不安を浮かべ思わず口を開いた。

「わ・・・私は?前の私はどうなったの?」
「・・・碇君から聞いてなかったの?・・・」
「・・・あ、あんまり気にしないほうが良いわよヒカリ」

蒼と朱の二つの目が、ヒカリちゃんの目線からそろってそらされ、
二人の少女の曖昧な物言いが、ますます彼女の不安を煽るのが手に取るように見て取れる。
私は、無意識に少女の肩へと手を回すとやさしく抱きしめた。

「お、お義母さまっ?・・・」
「レイちゃん、アスカちゃん、なまじ中途な知識は不安を煽るのよ、
大丈夫、ヒカリちゃんはちゃんと、その事実を受け止められるわよね」

私の腕の中で、お下げの少女は薄く頬を染めながらその首を縦に振る。
それをレイちゃんは少しだけ首をかしげ、アスカちゃんは疑わしそうな目つきで、
しばし眺めていたが、ため息をついてしぶしぶといった様子で口を開いた。

「ほんと〜にっ・・・後悔しないわね、ヒカリ」
「・・・女に二言はないわ、アスカ」

アスカちゃんの駄目押しの問い掛けに、ヒカリちゃんはその目を見つめながら、
きっぱりと言葉を返す・・・でも、相手の少女はその目から視線をそらした。

「・・・だめ・・・レイあなたの口から言って上げてくれる?」
「・・・そう、これも本妻の勤めなのね・・・
洞木さん、貴方は前回は同じクラスの鈴原トウジ、当時14歳に愛を告白し、
サードインパクト時に他の人と同じようにLCL化、以後消息不明。
おそらく、鈴原トウジと相互補完した後、さほど時間を置かずに完全消滅したと思われるわ・・・」

何時もは無口な蒼銀の髪の少女の口から、
一息にヒカリちゃんの知りたがっていた真相が、白日の下にさらされる。

「・・・う・・・嘘っ!」

それは・・・おそらく彼女が、
思いもしなかった事実だったのだろう・・・お下げの少女の顔が失望に染まった。

「前の私は・・・よりにもよって・・・
す、鈴原に最初をささげちゃったって事・・・
そして・・・あんな事や・・・こんな事して・・・あ、悪夢だわ」

呆然と体を震わせて、少女の口から呻き声が漏れる。

「いや・・・その・・・ヒカリ・・・最初をささげるって・・・
相互補完て、バージンをささげるのとはちょっと違うんだけど・・・」
「・・・相互補完・・・それは、とてもとても気持ちのよい事・・・
私はあの時、碇君と一つになれた・・・とても素敵だったわ・・・」

私の目の前では、ヒカリちゃんの呻き声を聞いてアスカちゃんが、
その顔に縦線の幻影をまとって、言いずらそうに慰めの言葉を口にし、
そして、レイちゃんはぽっと頬を染め、なにやら妄想のようなことを一人呟く。

「ふ、不潔よっ!・・・や、やっぱり、悪夢だわっ!」
「れ、レイ・・・あんたって・・・」
「・・・LCLに浸り、私は全裸で、
同じように一糸纏わぬ碇君の腰の上に跨って、彼に語りかけるの・・・」

ぽっと、頬を桜色に染めた綾波さんが思い出を反芻でもするように、
艶やかにその身をくねらせ、悩ましげにその指を自らの口元に当てる。

「れ・・・レイちゃん?」

私は掛けた声を無視されて、絶句した、事態はわずかに自分が静観している間に、
まさに黒、青、赤、三者三つ巴、一触発の状態へと雪崩込んでしまったように思えた。
どこから、話が横道にそれてしまったのだろう?
たしか、シンジの話のはずだったのに・・・
事態を収拾するすべを見出せない私は、おろおろとうろたえる。

「・・・みんな、どうしたの?」

そこへ、事態をまったく把握していない能天気な声をかけられた私が、
少々の苛立ちと共に、非難の声を上げたとしても、責められないのではないだろうか?

「貴方!この三つ巴の状態がわからないの?!・・・てっ・・・シンジ?」

私が振返った先には、シンジが困ったように微笑を浮かべて立っていた。
そして、シンジの後ろではキョウコがお腹にプリントアウトを抱えて、
懸命にもれ出る笑い声をこらえようと努力している。

「く、うふふっ・・・シンジ君、貴方も気苦労が絶えないわね」
「いえ、キョウコさん・・・
こんな苦労なら。僕はいくらでも大歓迎です。
それがじゃれ合いでも皆が仲良くしてくれる、それが一番ですから。」

かろうじて爆笑するのを堪えたキョウコが、シンジへとからかいの言葉を掛けた。
でも、シンジはその口元に微笑を浮かべたまま、さらりと受けて見せる。
シンジ、出来るわね・・・私も、ついシンジの微笑みにつられて顔を綻ばせた・・・

   ・
   ・
   ・

かしましい少女達が、シンジに連れられて病室を去った後、
ただ一人残ったキョウコは、彼女から渡されたプリントアウトに、
せわしなく目を走らせる私へと、その口を開く。

「まあ、詳しい解析はユイが、
自分でやりたがるだろうから、私は、簡単に表層だけ纏めてみたわ」
「で、キョウコ・・・あれは・・・私が見たシンジの記憶は・・・」

キョウコが、額を揉み解しながら答える。

「私の時は、同じような現象は起きなかったから・・・
おそらく・・・親子の間の記憶の共振現象じゃないかしら」

キョウコはため息を吐きながら、私に同情的な目を向けた。

「まあ、疑っていた訳じゃないけど・・・
私は、彼の記憶を知るのを辞退してほんとによかったと思うわ。
貴方のその顔色だと、シンジ君、よっぽど前世に酷い目にあったようね、
そんなので、よくゲンドウさんはシンジ君に許して貰えたものだわ」

私は、サルベージの瞬間に見た、あの幻影にも似たシンジの記憶を思い出して顔色を更に青くする。
シンジを後に残し立ち去るあの人の背中、触れ合うのが怖いとあの子を無視するゲンドウさんに、
私は深い憤りを感じる・・・でも、その記憶の中の何かが私の心の隅に引っかかった。

「・・・どうしたの、ユイ?」

レイちゃんのスペア達が、その体を赤い光のもと侵食するように崩されていく・・・
その前で、泣きながらリツコちゃんが悲痛な声で叫ぶのが聞こえたような気がした。
『あの人の為ならどんな陵辱でも・・・親娘そろって大ばか者だわ』

あ、あ、ああぁ・・・ゲ、ゲンドウさん・・・あなた・・・あ、な、た!
私の心が、ぎしぎしと軋む音を立て、
こめかみの血管がどくどくと音を立てて、血圧が上がっていくのを感じる。

「・・・ユイ?」

手にしていた分厚いプリントに、ぎしぎしと音を立てて破れ目が広がっていく。
こんな時、僅かなヒントから真実を引き出す、優秀すぎる自分の頭を呪ってしまいたくなる。
生涯、私だけって・・・結婚式でっ、誓ってくれたじゃないですかっ・・・それをっ!
私の細く白い指に引き裂かれていくプリントアウトに、ぽつぽつと頬を伝う涙がしみを広げていく。

「すまん・・・おそくなった・・・?」

そんな時、小さく空気の抜ける音と共に白く塗られたドアが開き、
お見舞いが遅くなったことを誤りつつ、私の病室へとゲンドウさんが訪れた。

「ユイ?・・・どうかしたのか?」

そして、ぴりぴりとした病室の雰囲気に飲まれ、何事かと私へ問いかける。
その、今まで心地よいとさえ思っていたあの人の物言いが、いやに自分の癇に障った。

「どうかした・・・
ですって・・・ゲンドウ、サ、ン・・・」

私は、怒りで体を震わせながら、三つに千切れかけていた、
分厚いプリントアウトから、ギチギチと軋むように、
ゆっくりと顔を上げて、あの人を睨みつける。

なぜか、私の目線の先のゲンドウさんの顔色がいやに悪い、
それに、視野の端のキョウコの顔も盛大に引きつっていた。

「ゆ、ユイ・・・」

ゲンドウさんの裏返ったかすれ声が、静まり返った病室の中でいやに大きく響いた・・・

   ・
   ・
   ・

後にキョウコが・・・あの時、私に修羅を見たと言ってたけど・・・
いやねキョウコったら、昔から表現が大げさだったけど、ちょっとそれは言いすぎだわよ。


To Be Continued...



-後書-

『生きて行こうと思えば・・・』 = TV本編21話 の冬月の回想時の碇ユイの台詞です
 またその後の『男の子ならシンジ・・・』『この子には、人類の・・・』も同様
唐突に自分がエヴァに引き込まれる感覚が蘇り = 記憶のフラッシュバックがあるという
 当SSの独自設定です、同様の現象は当SS第19話・母Tでアスカの視点から観察した物があります
傍らのお下げの少女へ振り向くと、まるで同僚のように気安く声を掛ける = このあたりはいずれ
 書く予定ですが、当SS第24話・初夜V以降、ヒカリは両親の血筋ゆえか(一応二親ともネルフに
 勤められるぐらいの優秀な人物ということで)めきめきと才能を伸ばし、いまやATF使用
 量子コンピューターのエキスパートとして、一応非常勤でネルフに通っています(苦笑
碇君は、最初の自殺を = 某SS掲示板に掲載していた”赤い海の淵で・・・”のエピソードです
 あの後、復活編アスカバージョンと続く予定でしたが断念してます(滝汗
す、鈴原に最初をささげちゃったって事 = もちろんこれは、ヒカリの勘違いです、
 当SSでは鈴原&相田はチョイ役ですほとんど出てきません(笑
”あの人の為なら・・・” = TV本編24話 綾波レイの水槽の前での赤木リツコ女史の台詞


なんだかずいぶん間が空いてしまいました、軽く済ませるはずがこの話での、シンジがどうして
悟りきっていて、料理がうまくて、いろいろと知っているか書こうとして見事に行き詰りました(爆笑
しかし、パワーキーに引かれて今風のキーボードに代えてみたところ、
すごく書きにくいことを再発見・・・前からわかっていたんだけど、なんか使いやすいのを探さねば(涙

ご注意!:新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAXの作品です。


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