「ああ…………」
空が堕ちる。
堕ちていく。
宵闇の中で。
暗い、重い。
……ああ、重い。
人というものは、何故同じ事ばかりを繰り返すのだろう。
光が走る。
爆風はこんな所まで届きはしなかったが、アムロの目には堕ちていくコロニーも、その衝撃も、全てが見えた気がした。
軽く意識を失っていたのだろう。
気がついた時には光はもうなく、空は静かだった。
神経がざわめいて、思わず身体を掻き抱く。
また、多くの人が死んだ。
しかし、この地上での被害より宇宙の攻防の方が、余程神経に堪えている。
コロニーが堕ちたのだ。たくさんの人が死んだのだ。しかし、それをまともに受け止めては壊れてしまう。
だから、なのだろう。意識は自然に宇宙へと逃れようとする。
戦闘はもう、殆ど終わっている様だった。
身体が痛い。バラバラになりそうだ。
窓の外は暗く、垣間見える宇宙には星が瞬くばかりでその光など視認できる筈もない。
感情もなく戦うことなど出来ない。その漂う感情のあまりの熱さに、アムロは寒気さえ覚えた。
何があって、誰が、何の為に戦いを起こし、そして、何故コロニーが堕ちたのか、そんなことは分からない。
けれど、熱い想いが錯綜し、弾け、星が消えて空は堕ちてきた。それだけは確かなことだった。
今日は眠れそうにない。
ベッドを抜け出し、壁に設えてあったサイドボードからバーボンのボトルを取り出した。氷を取りに行くのは億劫で、そのままグラスに満たす。
平素からストレートで飲む程強くはないが、飲まずには居られない気分だった。
口をつけると胸がかっと熱くなる。
ああ、これより熱い。
その感情がアムロには辛く、また羨ましかった。
アムロがそれまで転々としていた居所を漸く落ち着けることが出来たのは、0084年春、シャイアン基地のほど近くだった。
軍属でありながらも基地内の宿舎ではなく広い豪邸を与えられたのは、実験体への不要なストレスを回避する為なのだろう。
二十歳にしては過分な待遇だが、それだけアムロは「特別」な存在だった。
一見すれば親の財で遊び暮らす若造にも見えたことだろう。
しかし、その目は死んでいた。
基地での通常の任務はアムロにとってはむしろ歓迎すべきものだったが、それ以外は大変に厳しいものだった。
限りなく自由の少ない生活は、それ自体はアムロの気にするところではなかったが、常に監視されている状態というのは他人がそもそも苦手なアムロには酷く堪えた。
軟禁は構わないから、定期通信を入れるだけなどにとどめて欲しいものだと思う。覚醒してしまった感覚は、監視付きという境遇と相成ってアムロから全ての平穏を奪っていた。
軍内では、表向き技術士官、と言うことになっている。実際に触らせて貰えるものは型の古いものだけだったが、まあそれでもいい方だったろう。型の古い機体を心ゆくまでカスタマイズする。それを、「普通の」技術士官やアナハイムの技術者達が新型や新装備に生かしていく。
まだ僅かながら父テム・レイの名が生きていた。連邦でもトップクラスの技術士官。そしてその息子でありガンダムを駆るエースパイロット、NT。
疎ましくてしかたのなかったものが、今のアムロの世界を作っている。
機械弄りが好きで、得意で、良かったのだろう。
NTの力やパイロット適正の他に、テムの血と知識が受け継がれていると、取り敢えず連邦のお偉方は信じている様だった。
そんなことで、稀に新型の情報が流れてくることもあったが、およそ新しい流れとは縁遠い世界に今のアムロは生きていた。
ホビーは幾ら作っても止められはしないから、ハロのカスタマイズだけは着実に進んでいたりもする。さすがに、武装まではつけられなかったが。
シャイアンに来る前は、ムラサメ研究所、オーガスタ研究所と渡り歩いた。
その数年の間に粗方のデータは取られてしまっている。抜け殻のようなものなのだ。だから、こんな辺鄙なところに結局配属されたのだろう。
シャイアンにはオーガスタの出先機関のような小さな施設と、陸軍・空軍の駐屯施設。そして、規模の小さなMSの工場があった。
昨秋の中頃、まだオーガスタ研究所にいたアムロの手に渡った一揃えのMSに関する資料があった。
白く、美しい機体。
GPシリーズと名付けられていたそれは、なかなかに興味を惹かれるものだった。
ロールアウトしたという話を聞いたが、資料はこの春に何故か回収されてしまった。
久しぶりに見るガンダムタイプに惹き付けられるものがあって、データは密かに抜いてある。何があったのかは分からないが、いつからか頭の片隅にざわざわとした気配が常駐するようになった。
そのデータを手にしたのと同じ頃、閃光を見た。
空が落ちた。
宇宙が激しく燃え、星が消えていった。
関係している機体なのか。
ガンダムというのは、そんなMSなのだ。
白い、美しい姿をして、人の血を吸う。
父は何というものを作り、自分は何というものを乗りこなしてしまったのだろう。
軍人や政治家達に、夢や希望を見せてしまった。
後悔しているのか、と聞かれれば、テム・レイの息子として、そしてパイロットとして、そうも答えるだろう。
だが、こんな優れた基本モデルをただ断じてしまうには、アムロはあまりにも機械が好きだった。
つい、そのデータを一部拝借して、今いじっているジムのカスタマイズに当てていたとしても、それは責められる行為ではなかっただろう。
優れた機体を求める軍、より優れたものを作り出したい自分、その為のデータだ。
たとえ計画が失われても、作ったものまで失わせてしまってはせっかくの技術も後退してしまう。
「…………そろそろテストしたいんだけどな……」
トーチを床に起き、アムロは額に流れる汗を無造作に腕で拭った。
汗が拭き取られる代わりに、腕に散っていたオイルが付着して額に黒い線が走る。
夏の日差しだけはどうにか屋根と空調で遮断されてはいるが、暑いものは暑い。つなぎは腰から下に引っ掛かっているに過ぎず、上半身はランニング一枚という軽装だ。それも汗ばんで、所々肌が透けていた。
自分で乗り回せば何より分かりやすいのだが、それは一切許されていないし、アムロ自身もMSに乗り込むつもりは毛頭なかった。あの閉塞的な、けれども果てしのない感覚を齎す空間が怖い。
「大尉、こちら終わりました」
「ん……ああ、ありがとう。テストパイロットを用意してくれないか。こっちも一応終わった」
「パイロット、ですか」
ここはまがりなりにも基地である。テスト専門でなくても人はいる筈だ。
だが、回答は中々なかった。
「どうした?」
「大尉はご存じないんですか。キャリフォルニアで大規模な演習を行うってんで、出払ってるんですよ。みんな」
そんな話があっただろうか。
多分あったのだろう。文書が回ってきていたのかもしれない。どうせ自分には関係のないことだとすぐに抜け出てしまっただけのことだ。
「……みんな、って言ったって……残ってる連中もいるだろう、少しは。基地ががら空きなんてあり得ない」
「ここは基地の中でも規模が小さいですからねえ。大きいところが近いんで余計に。人手が足りないって事ですよ」
「うーん…………全く無理なのか?」
「そもそもこの基地で大尉カスタムの機体に乗りたいってやつは、少ないですからね……何も知らない近くの基地に問い合わせてみましょうか?」
「そうだな……うん。そうしてみてくれ。そんなに酷い機体を作ってるつもりはないんだけどな」
「基地司令の命令書がいりますがね。……大尉の理想の機体に、誰が対応できるってんです」
「面倒だな。大きな演習なんだったら司令も出てるんじゃないか? 僕がごり押ししたって、後で言えばいいさ。何とかなるだろう」
「……そっちの方が面倒になりそうですが」
「僕が被れば大丈夫だよ」
にっこり微笑む顔には全く大人びる気配も見えない。
整備士達は、大きく溜息を吐いた。
周りに点在する小規模な基地のうちの一つから了解の回答があったのは、それから程なくしてだった。
暇を持て余していたらしいパイロットが二人、了解したと言うことだった。
回されてきたデータは、二人とも少尉。実戦経験はないという。
歳は、アムロと同じらしかった。
去年士官学校を卒業してパイロット、ということは、確かに実戦機会などはなさそうだ。
しかしデータを眺めて、アムロはちりりとした痛みとも疼きともつかない感覚をこめかみに覚える。
「……何だ」
ディスプレイに映し出される二人の青年の顔を見て、アムロは不思議そうに首を傾げた。
一時間ほどして、彼らはやってきた。
新型ではない機体のために、わざわざ軍紀違反をしてまでやってくるくらいだから、余程に酔狂か、余程に暇だったのだろう。
まあ、厳重注意で済む程度の話の筈だった。アムロの感覚では。
「オークリー基地所属コウ・ウラキ少尉、参りました」
「同じく、チャック・キース少尉、参りました」
「ご苦労様」
同じく暇だったアムロは二人を出迎えた。
同い年……。
少し目を細めて二人を見上げる。
二人とも軍人らしい体格をしている。
しかし、まだ顔立ちは少年の様だった。少し羨ましくなる。昨年の士官学校卒、というのは、軍に入ったのは戦後と言うことだ。あの一年戦争を知らない。それだけで、アムロは何処か苛立ちのようなものを感じた。
「アムロ・レイです。よろしく」
二人の顔が変わったのが分かった。
キース少尉と名乗った方は、まあ、分かりやすい表情だった。今までも、人と会う度、名乗る度、その都度ごとに厭になる程見てきた。有名人に会ったという驚きや憧憬だ。その中に全く妬みややっかみ、また、不信感やNTに対する不快感などが含まれていないのは、アムロにとって随分接しやすそうな人間だという判断になる。
しかし……。
「ウラキ少尉、僕の顔が何か?」
彼には、表情がなかった。
いや、いろいろ渦巻いているのは分かる。
何を考えてるのだろう。熱気の様なものを感じて、アムロはじっとウラキの顔を見上げた。
軍人だなと思う。がっしりと広い肩幅に、鍛えられていることが分かる身体。アジア系の顔の割に背も高く、いつまでも子供の様な体型のアムロとは違った。童顔具合は同じようなものだが、歳を間違えられる程には思えない。
キース少尉より、少し取っつきにくいかもしれない。こんな顔で見られたことはなかった。
「白い……流星……」
「…………その呼び名は、古いね」
ぎり、と歯を噛む音が聞こえた気がした。
さらに表情が変化する。燃え立つ様だった。
胸座を掴まれる、根拠もなくそう思ったがその衝動は来ず、ウラキ少尉はキース少尉に押さえ込まれていた。
彼が、一歩踏み出していたのは確かだった。
「コウ! 何やってんだ!! この人は、大尉だぞ!」
キース少尉に怒鳴られ、必死で止められ、ウラキ少尉は何とかその場で自分を押さえた様だったが、熱気は去らない。
凄い目で人を見る。
こんな目で人から見られたことがあっただろうか。
ああ、いや、全くないではなかったか。あの頃……五年も前には。
「……早速だけど、あんまり時間がないんだ。演習からみんなが帰ってきたら、余計に怒られるから。僕も、君達も。どのみち始末書だろうけどね」
「はい!」
ウラキ少尉はまだ返事もせずに睨んでいる。
キース少尉に腕を強く引っ張られ、渋々彼も頷いた。
「……はい」
二人を連れ格納庫へ向かう。
時間がないと言いつつも、少し話したかった。
彼らの到着前に、演習の資料には改めて目を通した。三日間の長期演習との事だった。宿営や夜戦の模擬戦まで含めるらしい。仰々しいことだが、アムロには少し気が楽だった。
「ジム改をベースにね、随分カスタマイズしてある。二人とも、ジムは?」
「大丈夫です」
「そうか。君は?」
「……触ったことはあります」
「操作系統は変えてない。少し扱いづらいだろうけど、乗れない機体じゃないと思うよ。何か質問ある?」
「あの、」
「何?」
「どうしてこの基地のパイロットを使わないんですか?」
キース少尉の疑問はもっともだ。
しかし、アムロは小さく首を傾げた。
「何故か知らないけど、みんな厭なんだって、僕カスタムのに乗るのは。それでも、上官がいればごり押しで乗ってもらうんだけど……今日は演習とやらで人手がないらしくて。だけどせっかく仕上がったから気が焦ってさ。こんなところまで来てもらって、済まないと思ってる」
「何で嫌がるんですか? あの、アムロ・レイカスタムって……もの凄い気がするんですけど」
歳が近い……むしろ見た目にはアムロの方が幼くさえ見える為だろう。「大尉」と言う肩書きに対する敬意はあるが、何処かキース少尉は砕けていた。
しばらくは歳の近い人間と話すこともなかったアムロには、ただそれだけでも十分だった。
「それに、レイ大尉ご自身が乗られた方が……」
「僕はね、駄目なんだ。乗ることは許されないし、そもそももう乗れない」
「乗れない、って」
もの凄い戦果を上げたパイロットだというのは周知の事実の筈だ。たとえ目の前のこのひどく細くて小さな少年(キースから見ても、アムロは十分に小柄だった)が本人だとは信じられなくても。
「君達、どれくらい乗れる?」
アムロはキース少尉を遮り、曖昧に微笑んで二人を見た。
「どれくらい……というのは……」
「MSを動かした回数。模擬戦とか、どれくらいやった?」
二人の表情が何となく変わったのが分かった。
こめかみがちりちりとする。
「ああ…………済まない。ええと、実戦経験は?」
アムロは眉を潜めて頭に手を当てながら、もう一度尋ねる。
この二人には、そう聞くのが正しい様な気がした。データでは実戦経験などないことになっていた。近年、小競り合いはあっても、こんな地球生まれ地球育ちの士官がわざわざ出向く様な事態は、少なくともアムロの耳には入っていない。情報としては。
「…………ありません」
ややあって、キース少尉が答える。ウラキ少尉は、やはり口を開かなかった。
カマをかける気分で、アムロは声のトーンを落とす。
「機体のベースはジム改なんだけどね、そのカスタマイズのベースには、別の機体のものを拝借してる」
格納庫まではまだもう少しある。アムロは疲れてきていた。インドア派も極まっている。夏の日差しにくらくらした。
小さな基地とはいえ、実際に歩くとなると人にとってはそう小さくもないものだった。
周りに人気はない。自身の身体には盗聴器はない。二人はそんな人間ではなさそうだ。いや……。
「ウラキ少尉、ちょっといいかな」
「……はい」
手招きされ、日差しと同じくらいの熱気をまだ漂わせながら、ウラキ少尉は一歩近寄った。
アムロは手を伸ばし、ウラキの軍服のカラーへ触れる。
「何なんですか」
「…………あった」
何かを摘み出す。
小さな機械……盗聴器だった。
地面にそれを捨て、軽く靴の踵で踏み潰す。
ちらりとウラキ少尉を見上げると、わなわなと唇を震わせている。
溜息を吐く。随分熱い性格の様だ。必死で抑えているのだろう。
「他にはなさそうだけどね。……済まない。僕の所為だな」
「違う!」
声音以上の叫びが、アムロを劈く。
その感覚に驚いて、アムロはウラキ少尉を見上げたまま固まってしまった。
「……済みません…………貴方の所為じゃない」
「コウ……」
キース少尉が脇腹をつついている。ウラキ少尉の雰囲気が僅かに緩んだ。
仲のいい友人らしい。アムロは微かに目を細めた。
「…………それで、別の機体って、何なんですか」
ウラキ少尉も、このままではいけないと思ったのだろう。話題が露骨に変えられる。
「あ……ああ。君達は、知っているのかもな」
何故、知っていると思ったのかなど分からない。だがそう感じた。
閃光の散ったあの日。
コロニーが落ちた、あの日。
この黒髪の少尉が未だそのままに纏っている熱気を、宇宙に感じた。
そんな気がした。
それを感じてからまだ一年と経たない。あれは戦場の熱気だ。
アムロ自身、忘れたくて、忘れられなくて、忘れたくなくて、どうしようもない熱だった。
「知っている、って?」
漸く格納庫まで辿り着く。
アムロは歩き疲れと暑さで何処かふらふらしている。
頭の片隅……こめかみを中心に、ざわめく感じもあった。
問いかけには答えず扉を開けて中に入り、壁に手をついて肩で息を継ぐ。気分が悪いのは、熱中症とこの感覚の所為と、一体どちらなのか分からない。
少尉二人も続いて日陰に入り、呼吸を整えるアムロを不審気に眺めていた。
こんな虚弱そうな人間が自分達より二階級も上であることが何処か釈然としない。MSでの戦闘がどれ程消耗するものか、二人は身を持って知っている。こんな程度で息を乱す程体力がなくて、教科書に載る様な激戦をどうやって凌いだというのだろう。
格納庫の中には、数機のMSがあった。その内の一つの前まで何とか進み、足を止める。見た目には全く変わらない、ジム改だ。
「……これが、テスト機ですか?」
「ああ……」
軽く息を吐いたアムロは側のデスクに近寄り、置いてあったコンピューターを立ち上げる。
いくつかの厳重なパスワード操作の後に、ディスプレイにある機体が表示された。
「なっ…………」
ディスプレイを後ろから覗いていた二人が絶句するのが分かる。
アムロは口の中が苦くなるのを感じていた。
厭な感覚だ。本当に。
別に人の過去など知りたくもないのだ。でも、その反応と二人の……とりわけウラキ少尉の気配に、分かってしまった。
彼は、まだ戦っていたのだ。
「…………RX-78GP01。君達は…………知っているのか」
「これ、コウ…………何でっ……いや、どうして、大尉が、こんなデータ」
キース少尉は慌てている。ウラキ少尉は……画面を睨んでいた。
「技術士官だからね。僕は。ガンダムには一番詳しいって事になってるし。だからロールアウトしたらしい頃にガンダムタイプだからと言うことで見せてもらって……その後データの回収と消却を命じられたけど、これだけのものは勿体ないからこっそり取っておいた。機体を一見しただけじゃ分からないけど、基本は、これだよ。作った本人が見れば一発で分かっちゃうだろうな。盗作疑惑が起こったら、否定は出来ない」
黒い瞳が揺れていた。涙ではない。不安などでもない。
熱に浮かされている。その、熱による、炎による揺らぎだ。
その目にアムロは背筋が粟立つのを感じた。
なんと熱い事だろう。
自分はもう、あの頃にこんな熱さは失ってしまった。
まだこの男にはあるのだ。それだけ血を滾らせるものが。
その事が、何処か羨ましかった。
「僕は何があったのかなんて知らない。だけど……これだけの機体があって、それが消されてしまうんだから……大きな事があったんだろうって言うのは分かる」
「貴方は、デラーズフリートの演説を聴かなかったのか。軍にいたんだろう?」
ウラキ少尉の口から、漸く長い言葉が出てくる。低く言っても、まだ少年の様な声だ。
そう感じた自分も同じ事だと苦笑しながら、アムロは尋ねた。
「……いつの話だ?」
「昨年……0083年10月31日」
「僕は、あまり世間とは触れ合わせて貰ってないからね……どんな演説?」
「宣戦布告です。地球上では、ほとんど話題にもならなくてそれっきりになったらしいけど」
「……そんな大事じゃあ、尚更僕は聞かせて貰えなかったんだろうな。あの頃は大体オーガスタにいて……施設に籠もりきりのことも多かったし」
「施設って、こんなMSの」
「ニタ研があそこにあるってのは、聞いたことくらいあるだろう?」
微かに顔が曇る。いい思い出のある軍基地などない。その中でも、ニュータイプ研究所関係は最悪の部類に入った。
「だけど…………見たな。閃光と……重い、暗い想いが空から落ちてくるのは。11月の半ばくらいだったか」
「自分の時間では、11月13日です」
「そうか」
この男は、まだ戦っているのだ。
魂をまだ戦場に残してきてしまっている。
「コロニー公社のコロニー移送中の事故って言うのが嘘なのは……感じた。あの時宇宙が燃えて、星が消えていった。あの中に、君達がいたのか」
ウラキ少尉は、俯いたのか頷いたのか分からない状態に、顔を下へ向けた。
アムロはいたたまれなくなってディスプレイを落とした。
先程の盗聴器は、アムロに会う可能性があるからつけられたのではなく、ウラキ少尉当人が監視付きだと言うことなのだろう。
こんな気分でテストなど出来ない。勿体ないことをした。せっかく来てくれたというのに、自分の一言で不意にしてしまったのだ。
「止めにしよう。やっぱり。こんなところまで来て貰って悪かった」
運が悪い。こんな形で不用意に会うべき相手ではなかったらしい。
溜息を一つ落として、アムロは格納庫を出ようとした。
扉の向こうが白くハレーションを起こして見える。
暑いのだ。どうしようもなく。
「何で……」
ウラキは低く唸った。
背筋がすっと冷えるのを感じた。しかし、アムロは聞かざるを得ない。この男の持つ熱が、羨ましかった。
「……何?」
「何で、あんたは生きてるんだ!?」
力任せに両手を机に叩き付ける。
ディスプレイが一瞬浮かび、また着地する。
アムロは身を竦ませながらも、ウラキ少尉を見上げる。
ああ、熱い。
焼け付いてしまいそうだ。
こんな感情が、そういえばあったのだと言うことをアムロは久しぶりに思い出した気がした。
しかし、それにしても難しいことを聞く。同い年だ。高々十九年や二十年生きた所で、そんな難しい問題の結論を出せる人間などいるのだろうか。
……いるのかもしれない。
たとえば、あの赤い彗星だとか。
後で聞いた年齢では、ちょうどあの戦争の時、今の自分の同じ歳だった筈だ。自分が追いつくと、あのときの状況の異常さがよく分かる。
あの男に会えば自分もこれくらい熱く滾る感情を思い出せるのかもしれないが、二度と会いたい相手でもなかった。きっと、また誰かを失うのだ、あんな男に付き合っていたら。
「…………僕が死んでいたら、君の何かは変わったか?」
それだけを言うのがやっとだった。
何も変わる筈はない。
初めて会った男に、自分が何の影響を与えている筈もないだろう。
「……貴方が死んでいたら、僕は軍人になんて、なってなかったかもしれない」
「コウ! お前落ち付けって!」
キース少尉がウラキを宥めようと必死になっている。
まっとうな友人だ。自分にはそんなものすらいない。
そんな男に……まだこんなにも熱くて、普通の友人を持っていて、それでいて普通に士官学校を出た様なご立派な軍人なんぞに、そうまで言われる謂われなどない。
「そんな言い草……もうたくさんだ!」
熱は、伝播するのだろうか。
久しぶりに大声を出した。
アムロはウラキ少尉に掴みかかる。
ウラキ少尉も、なんと、上官であるアムロの胸座を掴んだ。
勝負にもなりはしない。
体格差が大き過ぎる。アムロは直ぐさまウラキ少尉に負け、コンピューターを置いてある机に押さえ込まれる。
「く、っぅ……」
体重をかけられて背骨が軋んだ。
「コウ! やばいって、コウ!!」
キース少尉が必死でウラキを羽交い締めにして引き離そうとしているが、効果はない様だった。
アムロは痛みに顔を歪めたが悲鳴一つ上げずコウから手を離しもしない。
「連邦で、敵にも知れる様な二つ名なんてあんたしか持ってなかったじゃないか! ジオンにはあんなに大勢エースパイロットがいて、それなのになんでみんな死んだんだ!?」
「……っ……く…………」
胸を圧迫されて息が吸えない。
アムロは目を閉じた。苦しいが、そして、あまり過ぎれば死ぬも知れないが、それはそれでどうでもいい。
ジオンの中に誰か戦いたい人がいたんだろう、この少尉には。
自分には誰もいない。戦いたい相手なんて。勝ちたかった人には勝ってしまったし、分かり合いたかった人も殺してしまったから。
羨ましい。
戦場に魂を置いてきたまま、こんなにも熱く、真っ直ぐでいられるこの男が。
「コウ、マジでやばいよ!」
血の気がなくぐったりとして見えるアムロに真っ青になったのはキースだった。
渾身の力でウラキを引き離す。
反動で、二人は思いきり床に尻を着いた。
「いてててて」
下敷きになったキースはいい迷惑である。
「どけって、コウ! 大尉は?」
上に乗ったコウを蹴り落とし、飛び起きてアムロを助け起こす。
力のない身体は、本当にまだ子供の様だった。
「大尉! しっかりして下さい!」
肩幅もなく、欠食児かと思う程肉付きが薄い。これでMS戦のGにどう堪えたのだろう。一年戦争は、もう五年も前の話だ。
アムロ・レイなら歳は殆ど一緒……確か当時は十五だか十六だかだった筈だ。成長期を越えてこれでは、その頃にはどれだけ小さかったというのだろう。
「大尉ってば、起きて下さい〜〜」
「……だいじょ……ぶ…………」
切羽詰まっているキース少尉の声を受けて、アムロは何とか返事を返した。まだ胸が痛い。声は上手く出なかった。
何度か咳き込んで、肩で息を継ぎながらアムロは目を開けた。
ウラキ少尉は少し離れた所で、顔を背けている。
まだ足りないという顔をしていた。
助けてくれたキース少尉の手を軽くいなして体勢を立て直す。
「ありがと……キース少尉」
漸く表情を緩める。ウラキ少尉の直情は嫌いになれなかった。怒るつもりはない。
痛みも苦しさも取り立てて命に別状がある程ではない。
ただ、ウラキ少尉が触れた所が、熱くてひりひりする。服の布越しの筈なのに、肌にまで彼の熱気が移っていた。
軽く胸元に手を当てて、ほっと息を吐く。
その様子を見てキースも一息ついた。
「大丈夫ですか? すみません。こいつ……一回切れると、手がつけられなくて」
「…………いや……いい。僕が、悪かったんだ」
「そんな……大尉は別に、何も」
肩を突いて謝罪を促すが、ウラキは拳を握って俯くだけだった。
「…………そうだな。ジオンのパイロットの何人かと戦ったけど……二つ名のある様な人達は、凄い人ばかりだった。戦いの意味を分かっているあんな人達より、戦う意味もまともに持たなかった僕の方が、生きるに値しなかっただろう。だけど、僕は生きている……」
アムロは机の上へ両足を上げ、膝を抱えた。
空気が重い。
膝を抱えて丸くなると、アムロは余計に小さく見える。小さいと言っても、背丈は小さ過ぎる程でもなかった筈だ。ただ、肩や腰の辺りがやけに細い。
キースとしては大変居たたまれなかった。こんなもの凄まじく重い話は苦手だ。それも、こんなどちらというと幼げな容貌で傷ついた顔をされると。
何とか場を取り繕おうと口を開く。
「……あ、あの、大尉、大尉は、お幾つですか?」
「…………え? 僕? 僕は……二十歳だ。今年で二十一だけど……何か?」
キースが気を使っているのが分かり、アムロは素直に応えた。
場を弁えないのではない。空気を読み過ぎるのだろう。嫌いなタイプではない。今まで身近には居なかったが。
ぴりぴりとした空気が微かに緩む。
いいコンビなのだ。多分。
「いやー、何か、可愛いなぁと思って……」
空気が、固まった。
アムロは、一瞬で先の考えを撤回することにした。
猫が毛を逆立てる瞬間というのは、まさしくこんな感じなのだろう。
まだ近かったキース少尉を突き放す。
「可愛いって何だよ!」
「えっ、え、ぁ、す、すみません、大尉!」
上官なのだ、この人は。どれ程そうは見えなかったとしても。
本気で怒っている様だが、怒りの質が違うのが分かる。こういった軽口に慣れていないのだろう。反応が、余計に可愛い感じだった。
せっかく和らいだ筈なのに、再び険悪ムードだ。
「そうだ、キース。大尉に失礼だよ」
一度怒鳴った後また黙っていたウラキが静かにそう言うものだから、キース余計に萎縮した。
「済みません、大尉。やり過ぎました」
ぺこりとウラキ少尉に頭を下げられては、取り敢えずアムロも怒りを収めるしかない。
可愛いは禁句だった。好きでこの体格で居るわけではない。
「……いいよ。もう。僕も、不用意だった。済まない、ウラキ少尉。キース少尉も。明日と明後日もあるから、今日は止めておこう。それより、少し話をしないか」
机に浅く尻を乗せ、二人を見る。
上官に言われて、否やはなかった。
「君達は、いいコンビみたいだね。何時から一緒? 士官学校?」
「はい。自分達は、ナイメーヘン士官学校で知り合って、これまで一緒に」
「いいね、そういうの」
ここにはティーサーバーなど気の利いたものはない。
茶の一杯も出せはしないが楽にしていいと伝え、自分も殆ど机の上に乗り上がって膝を抱えると、ウラキ少尉ははジム改の足に凭れ、キース少尉はその足下に簡単に尻をついた。
まだ学生気分が抜けていない様にも見える。だが、アムロにはそれが心地よい。
この格納庫には盗聴器も隠しカメラもなかった。監視カメラは当然ついているが、人手がないと言っていたしそう厚く監視されている訳でもないだろう。カメラだけで音声は入っていない筈でもある。現に、そう見られている気配はない。
「本当は、君達の方が階級が上の方が普通だと思うんだよね……僕、まともに士官もしてないし」
「自分は……貴方と、貴方の乗るガンダムに憧れて、軍を目指しました。だから、これでいいんだと思います」
「……憧れの現実なんて、こんなものなんだよ。悪いけど」
多くの人に言われ慣れてしまった。
憧れだの、尊敬だの。
そんな重いものはもう欲しくない。
ウラキ少尉は憧れていた自分の姿に失望して、あんな風に激昂したんだろうとも思える。
もう、ウラキ少尉は随分落ち着いた様に見えた。
「僕には、君達の方が羨ましい。いいな。友達とか、そういうの」
「大尉にだって、友達くらい居るでしょう?」
「仲間とか、大切な人ってのはね。いるけど……友達か……縁遠いよな。今までも、多分……これからも」
「ハイスクールの友達とか」
気休めにキースが言った言葉に、アムロは小さく笑った。
「一年戦争が何時だったか……僕が何時白い流星なんて呼ばれたか……知ってる?」
「そりゃあ……勿論。0079の…………ああ!」
あからさまにしまった、と言う顔でキースは口を覆った。
その仕草に、アムロ堪えきれず吹き出す。
「いいんだ。そういうことだよ。正確に言えば、ジュニアハイも出てないし、ジュニアスクールだって、半分くらいしか行ってない。地球と宇宙をうろうろしてたし、外に出るのなんてどうでも良かったから」
今思えば、行っておけば良かったとも思う。こんなに「普通」からかけ離れてしまうと思っても見なかった。
こんな風になってしまうのなら、堪能しておきたかった気がしなくもない。
「やっと君達みたいな人が入ってきて、僕が最年少、って状況を抜け出せたのは嬉しい。…………久しぶりに、こんなに話したな。少し疲れてきた」
本当に体力がない。
ウラキとキースは顔を見合わせて肩を竦めた。
「そんなので、よくMS戦なんてやりましたね。体力とか」
「夢中だったからだよ。あの時は……死にたくなかったから。ただそれだけだった」
その必死さが、覚醒を促してしまったのだ。
生き残っていく為にはとてもありがたい力だったが、今はもう要らない。欲しいならくれてやると、幾度叫んだだろう。だが、誰にも届かなかった。
「……本当によく話してるな、僕。歳が近いからかな。君達がいい人なのは分かるし」
普通の人って言うのは、こういう風なんだろう。きっと。
あの赤い男の様に側にいるのはNTでなくてはならないなどという幻想は、アムロの中にはなかった。
本当に深い所で理解し合う為には、今のアムロにはどうしても求めてしまうものだろうが、ただの人付き合いにそこまで深いものは必要がないことくらい分かっている。
「大尉のお仕事は、具体的に何なんですか?」
「うーん……アムロでいいよ。僕の仕事は一応技術士官。ここで、MSを弄らせて貰ってる。新型は触らせて貰えないし、機密の高い機体も滅多に教えては貰えないけどね。専ら……こういう量産型を心ゆくまでカスタマイズしてる。それを、他のもっと信頼の厚い技術士官とか、アナハイムの連邦サイドとかが新型機の発想に生かすらしいよ。本当のところどうなってるのかは知らない。このジム改だって……出来たと思ったら、データを取って、中を戻して消えていく。砂の城でも作ってる様なものだよ。それでも、何も作らないよりマシだから。……僕の遊びに付き合わされる人達には、気の毒だと思うけど」
「大尉……アムロさんは、MSお好きなんですか」
「さん、もいらない。好き、なのかな。MSとかどうでもいいかな。……うん。どうでもいい。機械が好きなんだ。ハロ、って知らないか? ああいうのとか。ホビーとしては結構売れたみたいだけど」
「知ってます。持ってた」
「うん。僕も……いろいろカスタマイズしたりしてさ。キースのも触ってやったことあったっけ」
「君も好きなのか? その、機械とか」
「僕は、元々テストパイロット志望だったんです。戦ったり、そういうのより……MS弄って、乗り回せるだけで良かったから。……成り行きで今は通常の勤務ですけど」
「そうか」
アムロは漸く、本日最も和らいだ笑みを浮かべた。
軍人とはあまり話が合いそうには思わないが、同い年の、機械好きの青年となら話せそうな気がした。
「ジム改っていうのはさ、更にカスタムするにはいい機体だと思うんだよね。性能も悪くないし。本当にバランスが取れてるんだけど、このままじゃ面白くない。量産型するにはそういうのが一番いいのは分かってるんだけど、新型の参考にするなら、ってことで。普通のMS技師が見たら怒られるかもなぁ」
「……どういう機体なんですか?」
「僕は、言った通りジュニアスクールさえたいして行ってないから。基本なんて知らないんだよ。だからね、僕が使うんだったらどうしたいか、ってことしか基本的には考えてなくて……。ブースターとジェネレーターとスラスターのリミッターを付け替えて、機体関節の耐用基準内ギリギリまで出力を上げてある。アブソーバーユニットも、もう少し詰めてあって……大分使い勝手は違うと思う。あと、一部オートバランサーを切った。操作次第では、この方が負担が少ない筈だよ。関節に使う部品も結構見直してるし、通常のジム改よりは数倍堪えると思う。要するに壊さなきゃいいんだ。パワード・ジムとの違いは、コストと反応速度、それから重量だな。量産するにはそこが一番肝心だろうから。パワード・ジムは評価用だからなぁ……量産するにはいろいろ困るだろう? 殆ど従来のパーツだけど、細かい手作業による改良、っていうのがメインになってる。オートメーション化してしまえば、初期費用以外コストは変わらない筈。システムはGP01のを一部踏襲してるけど、システム自体にもオートパイロットも無駄が随分多かったから……パターンはかなり組み直したかな。やっぱり他人のプログラムって弄りにくい」
「……その無駄の多いデータが、多分僕なんだけど」
つい、ウラキはそう洩らした。
アムロはやっと得心する。
GP01は彼の乗機で、コロニーが堕ちたのに関わって、熱く戦って、燃えて、燃え尽きられないまま戻ってきてしまったのだ。
「ああ! それで僕、君達が知ってるかも、って思ったのか」
「って、知らずに!?」
「さっきも言ったじゃないか。戦いがあったのは分かるけど、何があったのかは知らない。宣戦布告とかも知らない。事故ではない理由でコロニーが堕ちたってのも分かるけど、だからどうして堕ちたのかは知らない。そういうことだよ」
「それがNTってものなんですか?」
「分からないな……だから、いくつもの研究所が必死で調べてるんだ」
「自分のことでも?」
「自分のことが、一番よく分からないよ」
アムロは軽く肩を竦めた。
全く、自分自身のことが一番分からない。だからこそ、それなりに大人しくニュータイプ研究所の実験にも付き合ってきたのだ。
「しかし…………そっか……君が、あの機体のパイロット……」
戦後初めてのガンダムタイプ、そのパイロット。
「いい記録だったと思う。ただ、オートパイロットの素地に使うには難しかったから。記録をそのまま使ったんじゃ、その時の状況にしか対応できないからな。無駄を削ぎ落とすのは、技術屋の仕事でパイロットの仕事じゃない」
「GP03のデータは、ないんですか?」
「04まで開発されたって話は聞いたことがある。でも、手元にはここまでが限界。01の、地球上でのデータ……それ以上は、僕の手には入らなかった。宇宙に上がったんだよな。……勿体なかったな、それは。上層部にハック掛けてもいいけど、見つかったら面倒だしなぁ…………バレない自信はあるけど」
キーを叩き、データを繰る。それなりに詳細ではあるが、並より優れているといった程度のものでしかない。
「少なくとも、君のデータは現状のジムのデータよりは優れているからね。問題はないと思うんだけど」
「ジムで使われてるのは、基本的に貴方のデータだって聞きました」
「使いやすい様に変えられてるよ。このデータの方が効率がいい。そんな、どんな状況にも適応できる無駄のない戦い方なんてね、出来ないものだと思う」
「うん……それは、分かる理屈です。でも、だからって、バランサー切ったってどういう事ですか?」
それを切ったら動くものも動かせまい。
だが、アムロの反応はのんびりしていた。
「そのままじゃ反応が遅いんだよ。せっかくの推力が無駄になる。一部だけだから大丈夫だと思うけどなぁ……。データを見たことあるけど、一年戦争末期にロールアウトされたNT専用ガンダムとかって言うのは、ほとんど切ってあったらしいし。でも動かした普通の人がいたらしいしねぇ」
「テストにしか使えない機体?」
「そういうわけでもないと思うけどな。一度だけ、戦闘記録が残ってたみたいだし。慣れれば動かせる。慣れる時間があればな。でも、僕だって乗り始め三ヶ月で何とか生き抜いたんだし……」
「それは、貴方が……」
「関係ないよ。NTなんて。たまたま取扱説明書が手元にあって、見ながらで何とか動いた、ってそれだけのことだ。慣れるまでは、ガンダムの性能に助けられただけだったし。ザクのマシンガンを受けても無傷だったんだから」
「MSはそんなの見ながら勘で動かせるものじゃないと思うんですけど」
「細かいことは知らなくても、父さんが家に帰るたびに得意げにいろいろ話してくれたからな。機密だって言うのに……まあ、僕が誰にも会わないし、ハロ以外の誰とも話さないのを知ってて話してたんだろうけど」
穏やかだが、何処かおどおどとした気配がある。妙な雰囲気だった。
ウラキはよく分からないながらそわそわと落ち着かない気分になる。
機械の話をする時には饒舌になるが、それ以外は何処か控えめな気配の漂う、この大人しそうな人物が白い流星だとは思えなかった。
襟に付いた階級章も、本人が名乗った名前も、それから、昔見た雑誌に載っていた顔写真とこの顔も、一致はする。しかし。
こんな、たった三ヶ月で伝説を作り上げてしまったエースパイロットが、自分を羨むなんてあり得ない。
死にもせずに。
死にもせずに!
ウラキ少尉の顔にまた炎と熱が揺らいだ。
アムロはやはり、その熱さを羨んだ。
この少尉は、夏の様な男だ。熱気に当てられて、目眩がしそうだった。
夏の様に、分かりやすく熱い。
アムロは小さく溜息を吐いた。自分の呼気にまで熱が移った様な気がする。
「……君は、いいね。本当に羨ましいんだよ。健全だ。それって、凄いことなんだよ」
分からないだろうなと思いながらも口にしてしまう。
普通というものは、普通である間には気がつかないのだ。
今を当然のものだと思える、その状態が羨ましい。
「何だよ……なんで、そんなこと……っ……」
怒らせた、また。
この直情型の少尉のことは、嫌いではないのに。清潔そうな顔に、純粋そうな表情に、惹かれすらするのに。
せっかく好きな機械の話で、空気が和らいだというのにまた壊れた。
だから厭なのだ。他人と話すのは。
熱くて泣き出しそうだ。アムロはそれでも、口を閉ざすことができなかった。
今ぶちまけてしまわなければ、もう二度と、誰にも言うことなどできないだろう。気が逸っていた。
「友達がいて、普通の感覚で、普通に暮らせて。学校とかちゃんと行って、好きな女の子の一人でもいてさ、それで、好きだからとか憧れとかで仕事選んで……そういうの、当然だとか思ってないか?」
熱い。
暑い。
アムロは制服の胸元を寛げた。
何だというのだろう。この熱い男に当てられたとでもいうのか。
戦場でもない場所で、軍人なんかと、こんな会話。
考えながら、そういえば、自分も今は軍人なのだと思い出す。
選択の余地もなかった。
そうだ。他の人達みたいに……カイの様にジャーナリストになったって、ハヤトの様に博物館の館長になったって、それから、セイラの様に身を潜めて生きたって、構わなかったのだ。自分は。
そうだ。趣味を生かしてホビー屋になっても良かった。ジャンク屋だって。
監視が付いていたとしても、それでも、良かったのだ。
しかし、自分にだけはその程度の自由さえ与えられなかった。
憧れなんて曖昧なもので仕事を選べるというのが、どんなに幸せなことか。
「羨ましいんだよ、ウラキ少尉。君は、本当にちゃんと生きてる」
どう表現していいものか分からず、アムロはそう言うしかなかった。
「貴方だって……生きてる」
「死んでいればよかったんだ。多分。そうしたらこんなに悩まなくて済んだ。だけど……あの時の僕には、僕が生きてることを望んでくれる人達がいたから……そこが、僕の帰る場所だって、思ったから……死ねなかった」
ウラキ少尉は勢いよく立ち上がり、アムロの肩を掴んだ。
「それで、白い流星は生きて、ジオンのエースパイロット達は死んだんだ!」
顔が近い。
星が消えた只中にいた男。アムロは重い気配を感じて眉を顰めながら、それでもウラキ少尉から目は逸らさなかった。
厭な……違う。苦しい感覚がする。
「…………勝ち逃げされた……? もしかして。あの、星になった人の内の一人に」
ウラキ少尉は、凄まじい形相になってアムロを睨み付けた。
やっとアムロにも分かる。
あのコロニーは、ジオンの残党が落としたのか。それも、二つ名付きの、エースパイロットが。
そして逃げられたのだ。決着も付かぬまま。
「普通、じゃなくなったんだな、君も。…………ジオンの、その人は死んだのか」
普通じゃない状態からもう少し進んでしまった自分より、普通から普通でなくなったこの少尉の方が、衝撃は大きかったのかもしれない。
こんなにも、普通の……本当に、とても普通の青年なのに。
「……分からない。だけど、もう二度と会えないのは分かる。戦えないのは分かる!」
勝ちたかったのだろう。その、ジオンの、エースパイロットに。
その思いが勝ちすぎて、ウラキ少尉の魂はまだ戦場に残されたままなのだ。
それは苦しいことだろう。
時間があれば勝ったかもしれない。けれど、死んだ人間には、もう二度と会えないのだ。
聞きたいと思った。
自分が失くしてしまった熱を、思い出せる気がした。
「……君の、戦いの話を聞きたい。GPシリーズが関わる……その話を」
アムロの我侭と、何処かそれを許してくれる整備士達により、格納庫へは暫く誰も近づかなかった。
アムロの機械にかける情熱と腕前は他の技術仕官達や整備士達に引けを取るどころかどちらも上回るほどで、故にか、基地内でもパイロットや事務官達に比べて随分アムロを受け入れている人間は多かった。
機械をいじっている限りには、大人しく内向的な、人付き合いの得意ではないただの引き篭もりの少年のままだった。一年戦争の時から年を経た様にも見えない姿は、年嵩の整備士達からは息子の様にさえ見えたのだろう。可愛がっている、というのに近い状態の人間も、いないではなかった。
その他の何処にいるより、アムロが落ち着ける場所がこの格納庫なのである。
多くが出払っている為により広く感じるその片隅で、三人は話に興じた。
ウラキ少尉はあまり説明が得意ではないらしく、キース少尉のバックアップを度々受けていた。
それを見ても、いい友人なのだということが分かる。
アムロは二人が話すのを、穏やかな表情で聞いていた。
0083年10月13日オーストラリア、トリントン基地で起こったこと。それから駆け抜けた、嵐の様なひと月のこと。
出会った人々。
死んでいった人々。
そして、敵。
ウラキ少尉はその敵に関してだけは、ひどく口が重かった。
否。
説明できないのだろう。
あまりに絶対的な存在なのが、様子から見て取れた。
敵に良いも悪いもないが、「羨ましい」敵だと、アムロは思った。
女のことなんて絡む余地もない、至極まっとうな理由で戦える敵に、彼は出会っていたのだった。
戦いたくないなんて、言わなくてもいい相手がいたのだ。
たとえ自分が死んでも……そんな覚悟でぶつかっていける敵。
嵐の様な、そして、熱病の様な、荒々しくて、熱い……熱い、感情が半年以上経ってもまだ薄らぐことなくそこにあった。
二人の少尉が大体を話し終わり、アムロがほっと息を吐いた頃、開いた扉から外を見ると視界が赤く染まった様に感じた。
今聞いたばかりの話の様に、赤く、熱く燃えるような色が、扉の向こうに広がっている。
やはり、熱かった。そして、暑かった。
空調は入っている筈が三人とも汗だくで、上半身は皆裸か下着だった。
水はないわけではなく、ホースで引っ張ってきてたまに口くらいは漱いだけれども、暑いものは暑い。
「……泊まりは許されるかな。できれば、僕の家に招待するよ。自由はないし、ここでの様には話もできないけど。うーん……今日はがらがらだし、宿舎の方が良いかな」
この格好のまま外を歩いては怒られる。汗染みのできた服に袖を通す。気持ちが悪い。
「今から申請して、外泊許可なんて取れるかな」
キースは外の様子を伺う様に身体を揺らした。
「じゃあ、僕の名前で任務の遅延申請を出しておく。それなら、君達に責任はないし」
何時間も話し込んでいれば、そして、その内容が、人一人の人生を狂わせる程の壮大なものであるならば、同い年の人間三人が……うち二人は根が人好きのする性質だということもあって、打ち解けるのは容易かった。
アムロはいつの間にか二人を階級付けで呼ぶのを止めてしまったし、二人もいつの間にやら敬語を忘れていた。
当人達が良くて、他に聞く者がないならそれで構わないのだ。
「泊まっていくとして……始末書何枚くらいかな」
「営倉が近いかも」
「……まあ、いいさ。とりあえずここ、暑い」
営倉なら多分、まだ上出来な方だ。知られたら……いや、もうとうに知られているだろうけれども、軟禁状態は悪化するだろう。それでも、今日の出会いには祝杯の一つでも上げたい気分だった。
知る必要はなかったことなのだろう。消えたガンダム、消えた紛争。そんなものは。重要機密であるらしい自分が、さらに背負い込むには重い。
ただ、その代わりに得たものは大きい。
こんな風に、命のやり取りなんて関係のない場で、親しい者を得ることなど考えたこともなかった。
アムロは立ち上がって……ふらりとした。
とっさにウラキとキース、二人の手が伸びる。どうもアムロは危なっかしい。
「大丈夫か?」
「ん……平気。でも、何か冷たいもの飲んだ方が良さそう……」
「気分が悪かったりは?」
「ない。ちょっとふらふらするだけ、かな」
「とりあえず、水でも被った方がいいんじゃないかな」
「えー、濡れる……」
「そんな場合じゃないって」
「うわっ!」
突然、水が降ってくる。
アムロは身体を竦めた。
「おい、コウ…………俺まで濡らしてどーすんだよ!」
サンドアッシュの髪が濡れて色濃くなっている。
「あっ……ああ! ごめん、キース!! そこまで考えてなかったよ」
「ええーい、お前も濡れろっ!」
ウラキから水の溢れるホースを奪って、キースは口のところを軽く抑えた。勢いよく水が噴出す。
「ああーっっ! ひどいよキース! 僕は濡れてなかったのにー!!」
黒い髪が瞬く間に濡れてぺったりと頭に張り付く。
二人はそれから、ホースの取り合いになって、取っ組み合った。
喧嘩ではない。二人とも楽しそうだった。
アムロはどうすればよいのか分からずに立ち尽くす。
楽しそうだが、床が水浸しになっていく。
止めるに止められず、踊るホースの下でアムロは益々濡れていた。
友達というのは、こういうものなのだろう。多分。
こんな輪に入ったのは初めてで、どう振る舞えばよいのかなど分からなかったが、アムロは興味津々で二人に魅入っていた。
水が散る。
温いが、何もないよりはずっといい。少し涼しくなった気もして、くらくらしていた頭がはっきりとしてくる。
床は、どうしようもないほどの水溜りになっていた。
そしてその原因は大尉である自分で。少尉二人と大尉一人……誰に責任があるかは、明確だった。
状況に気付いてはっとする。
「ウラキ少尉、キース少尉!! やめっ! やめろ!……どうするんだ、これっ!」
できる限りの声で怒鳴る。
二人はぴたりとじゃれあうのを止めた。
ホースは床で踊っている。
アムロは慌ててそれを捕まえ、水を止めた。
「……どうするんだよ、これ…………ここで遊んでたのがばれたら……怖いんだぞ、整備長…………」
まだ暑そうだが、二人の少尉の顔が何処となく青褪めた。
整備長は実のところ、確かに頑固親父でよく怒鳴るが、怖い人間ではない。気は少し荒っぽいが、アムロを息子の様にして可愛がってくれる。だから、もし見つかったとしても、自分で掃除して、後は肩でも揉んで彼の手伝いをしてやればことは済むだろう。
だが、二人の顔を見て、もう少しだけ脅してやりたくなった。
「やだよ、僕。これで始末書とか。怒鳴られるのとか」
腰に手を当てて大袈裟に溜息を吐いてやる。
二人はぴっと姿勢を正した。
「片付け! 急がないと」
「こんな色の夕日ってことは、食事まで時間がない!」
大慌てで二人は周りを見回した。
モップは遙か彼方の壁にかかっている。
速い。
アムロはすぐさま遠ざかっていく二人の背中を眺めていた。
楽しい。
こんなに楽しい気分になったことなど、今までにあっただろうか。
びしょ濡れの姿で必死に走る二人に思わず吹き出して、腹を抱える。
笑いが止まらない。
楽しい。
こんな、ただの馬鹿をやっているだけなのが、こんなにも楽しいものだとは知らなかった。
多分、これが人並みというものなのだろう。そして自分はこれまで並以下だったのだ。
あと何時間、この二人といられるのだろう。
これがおそらく、人生の中でもかけがえのない時間になるのだろうと、アムロはモップを手に戻ってくる二人を眺めながら確信した。
続
作 蒼下 綸