「う〜〜…………」
 唸り声が聞こえて、アムロは眠い目を擦りながらのそりと起きあがった。
 朝は弱い。それは昔から変わらない。
 身体が泥の様に重く、あまり動かない気もした。
 確かにそんな唸り声でも上げたくなる程だが、それほど不快ではなかった。
 この倦怠感は酒だ。
 そういえば、朝方近くまで飲んでいた様な……。

 そこで漸く目が覚める。
 時計を見ると、ぎりぎり朝寝坊にも許容範囲の時間だった。
 人が少ないとはいえ、残された人間の日々の予定が変わる訳ではない。
 朝食の時間は決まっているし、朝のミーティングもある。軍は、怠惰な生活を許しはしない。

 部屋を見回す。まだ少し頭が寝ていた。
 豪邸の自室……自室と言うにはあまりに冷たいあの部屋ではない。
 床には大きなブランケットの固まりが二つ。
 そして、酒瓶が幾つか転がっていた。
 酒盛りなんて初めてした。
 楽しかったが、こんなに身体が重くなるとは思っていなかった。

 そうだ。酒盛りをしたのだ。
 アムロは寝台から降りて、自分を起こした唸り声の主達の身体を揺らす。
「そろそろやばいぞ。朝飯食いっぱぐれるよ」
「う…………ぅ〜〜ん…………」
「僕、先に行くよ。ミーティングもあるし」
「ぁ…………ぁい…………」
 寝ぼけている。
 アムロは呆れてブランケットを剥いだ。空調がよく効いている為か、少し肌寒いくらいだ。
 コウもキースも、何とか目は覚めている様だった。だが、起き上がる様子を見せない。
「……大丈夫か?」
「……………………うっ……」
 二人揃って顔が青い。
 アムロは、この二人程アルコールが残ってはいなかった。
 見回せば、一応小さな冷蔵庫がある。開けると何本かのミネラルウォーターが入っていた。二本抜き取り、二人の頬にそれぞれ当ててやる。
「ひゃっ」
「ゆっくりしてていいよ。医務室行きたいなら、一階にあるから」
 二日酔いに付き合っていても仕方がない。
 制服にさっさと腕を通し、アムロは一人部屋を出た。

「そろそろ、いいか? 今日こそ乗って貰いたいんだけど」
 人が少ない為か何処かのんびりとした調子で朝のミーティングが終わり、朝食の乗ったトレーを、まだ床で撃沈している二人の側に置いてやる。
「……ありがとう……」
「ぅ…………でも……いらないかも…………」
「……君達、弱いんだな。それなのに無理するから。僕、別に勧めてないぞ」
「……アムロが強いんだと思うけど」
「僕は普通だと思うけどなぁ……。僕だってちょっと飲み過ぎた。誰かと飲むとか、初めてだったから楽しかったけど」
 二人は漸く起き上がって、少し温くなったミネラルウォーターを口にする。
「二人とも、乗れる?」
「多分……いや、俺は……乗らなくていいかな……」
「……僕が乗る。乗ります……だけど、もうちょっと待って……」
 せめて、と手を伸ばした野菜たっぷりのコンソメスープの中身を見て、コウは慌ててスープカップをトレーに戻した。
 仕方なく、温野菜のサラダを取り直し……眉を潜めた。
 フォークでカリフラワーとポテトを突き刺し、マスタードマヨネーズに絡めて口に放り込む。
 赤い存在が、消えては行かなかった。
 蕪や敷かれたレタスも何とか飲み込み、コウは朝食を終えた。
 半端に残された皿の上を見て、アムロは苦笑する。

「……コウ、にんじん嫌いなんだ」
「っっ! 何で分かった? NTって凄いな」
 …………これがNT能力だと言うなら、世の中全員NTになれるだろう。
 どう返せばいいのか分からなくなって、アムロはキースを見た。キースは曖昧に笑って、肩を竦める。いつものことらしい。
 一晩飲んで話してよく分かったのだが、ウラキ少尉は戦闘のことや、世界のことを考える時にはひどく熱いがそれ以外では本当にただの普通の青年だった。
 普通の、と言うには語弊があるかもしれない。アムロの様に万事を構えて見るタイプの人間には、その純粋さは疎ましい程だ。
 素直過ぎるのだろう。昨日の反応からすれば直情型の様だが、普段それを感じるにはあまりにお坊ちゃんだった。
 絵に描いた様に幸福な家庭がその背に透けて見える。
 アムロとはいろいろと正反対の様だった。だが、この柔らかい感覚は嫌いではない。
 うち解けて、さんざん話をして、気付けば階級何も関係がなくなっている。他人が……上官が聞かなければ大丈夫だろう。
「顔を洗ったら、昨日の格納庫へ行くよ。どっちが先に乗ってくれる?」
「僕が!」
 コウは大きく手を挙げた。
 ガンダムタイプに乗った、と言うことはそれなりの腕はあるのだろう。アムロは頷いた。
「キースは後でいい?」
「え、い……いや俺は乗らなくていいかな。コウのバックアップがいい」
 昨日バランサーが一部切ってあるという話をしていたことを思い出して、キースは辞退することにした。
 どう考えても、コウの方が向いている。コウは、キースが知るパイロットの中でも頭抜けた腕を持っていた。
「そっか……データは多い方がいいんだけどな」
「そういえば、何でアムロは乗らない……乗れないんだ?」
 素直に疑問だ。
 この二人は、どちらも何処か素直だった。
 アムロはどう答えたものかと少し考えた。
 関係のない部屋に転がり込んだので、そこまでの監視は効いていない筈だ。言葉を選びながら口を開く。
「……うーん…………乗れないって言うか、乗りたくないしなぁ。……整備中にコックピットに入ったりはするけどね。まず、軍のお偉方が僕にはMSに乗って欲しくないらしい。一年戦争直後には、いろいろデータを取るって言うんで無理矢理乗せられたりしたけどな。今は……ティターンズが結成されたろ? あの人達は、NTが嫌いらしいから。……僕自身も、乗りたくない。どうも乗って動かそうと思うと気分が悪くなって。ハッチ開けてればまだ平気なんだけど……何回か意識失くしたこともあってさ。多分、もう一生分乗ったんだろうと思うよ。だから、乗らないし、乗れないし、乗りたくない。…………もっとずっと時が経って、全部が落ち着いたら、テストパイロットには興味がなくもないけど」
 最後はほとんど聞こえなかった。何処かにあるかもしれない盗聴器がそうさせている。
「意識失くす、って……そんなに?」
「まあ、その頃はドラッグ中毒みたいなものだったし。…………さあ、行こう。昼飯前には、ざっとデータを浚えておきたいんだ。午後から詳細に掛かりたいから」

 アムロが意図的に人払いをした昨日と違い、今日は格納庫内でそれなりに人々が働いていた。人数が少ないのは、整備士達も演習に駆り出されているからだろう。
「様子はどうか」
「昨日動かさなかったんで、変化ないですよ」
「そうだな」
 パイロットスーツを着込んだコウと二人で昇降機に乗り、コックピットの位置まで上がる。
「ウラキ少尉は、これで演習地まで行ってくれ。僕とキース少尉はジープでついていく。指示はそこから出すよ。午前中は、駆動テストだと思って気構えないで。飛んだり跳ねたり走ったり……まあ、そんなところだ。焦らなければ問題なく動く筈。君が、あのデータのパイロットなら」
「了解」
「指示を出したら、動かしてくれ。頼んだよ」
 コウの身体を軽く押し、コックピットへと入れる。
 シートに座り周りを見回して、コウはハッチの前に立つアムロを見上げた。
「レイ大尉、あの……このコックピット、二人乗りできないかな」
「……え?」
「いや、だからさ。大尉と二人で乗れないかな、って。そんなに狭くはないから、駆動テストくらいなら大丈夫なんじゃないかと思って」

 NTでもないくせに。
 アムロは得も言われぬ表情になった。大きめの瞳を瞬かせて、コウを見る。

「……乗らないよ、僕は。君達と違って、始末書や営倉入り程度じゃ済まない」
 声が掠れた気がした。アムロは唾液を飲み込む。
 コウは真っ直ぐにアムロを見ていた。
 黒い瞳は表情が読みにくい。コウが何を考えているのか……アムロには分かるとも言えたし、分からないとも言える。
 コウはOTなりの感覚で、何かを感じ取ったらしい。だからと言ってどうするのかなど、恐らく彼は考えたわけではないだろう。ただ、口から出るままに任せているのだ。
 理屈ではない。その率直さが好ましかった。
「バランサーのない機体なんて、僕一人じゃ無理だ」
「完全に切ってる訳じゃないし。大丈夫だよ、ウラキ少尉なら。この基地にだって、何人も、取り敢えず駆動させた人はいるんだから」
「演習地まで辿り着けるのか?」
「格納庫くらいは出られるさ」
「答えになってないよ」
 コウは手を伸ばし、アムロの腕を掴んだ。
 細い。けれど、骨筋張っているのではなく、何処か柔らかだった。女とは違うが、何処かが。
「本当に、乗りたくない?」
「………………ああ…………乗りたくない」
「…………そっか…………。分かった。……ウラキ少尉、指示があるまで待機します。ハッチ閉めます」
 困った様な顔をしていた。ハッチが閉じる瞬間まで、アムロを見ていた。
 こめかみに疼きが走る。アムロは軽く頭に手を当てた。
 すぐに昇降機を下げる。これ以上、コックピットの近くにはいたくなかった。
 顔が強張り、頬から血の気が引いている。
 昇降機から降り、微調整の為に側のコンピューターを立ち上げるアムロを、キースは心配した。
「大尉、大丈夫ですか? 顔色が」
「それは君も一緒だよ、キース少尉。まだ酒が残ってるだろ。車乗れる?」
「は、はい。多分」
 曖昧な返事だ。ここへ来る前にシャワーは浴びたが、二日酔いは、まだ覚めていない。
 キースの様子に苦笑しながら、インカムを取る。
「ウラキ少尉。シート位置とかは任せる。mm単位でコンソールから動かせる様になってるから。他はこっちで君に合わせて微調整するから、言う通りに動かしてみてくれ」
『了解』
「ハンドル、右手。指を動かしてみてくれ」
『右手指、了解』

 両手両足の調整を済ませ、簡単にシステムの説明をして駆動に移る。
「使わなくても大丈夫そうなら、オートパイロットは切って欲しい」
『了解。やってみます』
 明朗な返事は、コウの二日酔いがかなり緩和されていることを示している。出がけにざっと浴びたシャワーが良かったのだろう。
 インカムを付け、アムロとキースも幌を掛けたジープに乗り込む。
 後ろにデータ調達機材を積んでいる為に、二人しか乗れない。
 大規模なデータ収集ではなくむしろ秘め事に近い為に、基地の大掛かりな設備は使えない。
 この小ぢんまりとした装備が、アムロには丁度良かった。
 ジム改が動き出す。
 その動きはひどく緩慢に見えた。
 と、すぐにバランスを崩しかけ、壁に手がかかる。
「落ち着いて。いきなりじゃなくていい。頭で考えないで普通に動かせばいいから」
『そんなこと言ったって……これ、難し過ぎます』
 ひどく焦って困った声が聞こえる。誰が聞いているか分からない状況の為か、辛うじて言葉遣いは改められていた。
 一部バランサーが効かず、コントロール補正もなし、そんな機体など動かせるものではない。
 体勢を何とか立て直し、ジム改は格納庫を出た。
 オートパイロット、と言っても、全ての操作を勝手にしてくれるわけではない。操作に伴う煩雑な作業を簡略化してくれるという意味ではなくてはならないものだが、なくてはぴくりとも動かない、と言うものでもない。
 大体、初期型には起動の際のシステムの程しか付いてもなかった機能だ。高性能になるにつれ、必要になってきたに過ぎない。
『慣れるまでは無理です。これっ』
「……やっぱり難しいか。ガンダム乗りでも。……もう少し考えないと続けられなくなるな」
「やっぱり……って、予測済みだったんですか?」
「ウラキ少尉はとても優秀だよ。歩けているから」
「……俺だと、歩けもしそうにないです」
「勘が良くないとね。極端なデータが欲しいだけって面もあるから、それだけ難しいとは思う。大体格納庫から出るのがやっとって人が多いかな、僕カスタムって。まともに動いたデータがあれば、それを元にシステムの方を弄れると思うんだ。だから頑張って欲しいんだけど」

 キースに運転を預け、窓から身を乗り出して併走するMSを見上げる。
 そろそろ慣れては来たらしく、動きは滑らかになっていた。
「うん……いいね。ウラキ少尉、段階を追って、オートパイロットを切ってみて」
『努力します。……うわっ』
 ちょっとした段差に躓くMSなど、そう見られるものではない。
「気をつけて。大丈夫だから。これだけ動かせたのは僕が弄り始めてから君が初めてだ」
『は、はい…………なんか、凄い繊細な子ですね』
 コウの表現に、アムロの顔に喜色が満ちる。
 そういう言い方は好きだった。
 払い下げ品とはいえ、手塩にかけた機体は子供も同然だ。メカフェチにとって可愛くない筈がない。
「ホント、いいよ! ウラキ少尉!!」
『はいー?』
 動かすのに必死で、楽しげなアムロの声の意味が分からない。
「いや、いいんだ。集中して。……キース少尉、ウラキ少尉って、いつもこんな感じ? 酒が抜けてないからとかじゃなくて」
「……そうだなぁ。……こんな感じです。面白いでしょ」
「ああ! いいなぁ。僕も、こんな友達が欲しかった」
 笑顔でそう言われて、キースは実に妙な表情になった。
 友達とは何なのだろう。
 恐らくコウは、もうアムロのことを友達だと思っているだろうし、キースもそんな気分でいた。
 しかし、アムロにとっての友人の定義はどうも違うらしい。
 定義、と考えたところで、キース余計に混乱した。これまでに、そんな難しいことを考えたことなどない。
 アムロはそういうことが自然には出来ない損な性分なのだろう。
 ジム改を見上げているアムロの様子をちらちら伺う。
 物事に集中しているその表情には、どきりとする程の艶があった。
 そういうところはコウに似ているかも知れない。
 内向的で何処か斜に構えている節のあるアムロと、人なつっこく真っ直ぐなコウと。正反対の様だが何処か近しい部分がある様にも思えた。
 機械好きなところだけではなく、何処か。
「キース少尉、僕の顔、何かついてる?」
 見もしないで尋ねられる。
「い、いいえ、何も!」
「そう? ならいいんだけど。……ウラキ少尉、あの岩の向こうにゲートがある。その向こうからが演習地だよ」
『了解です!』

 演習地に入り、一度止める。
「凄いよ、ウラキ少尉。基地から演習地まで来られたのって、君が初めてだ。何処の基地でもさ」
『……ふぅ〜〜…………これ、ホントに大変……』
「オートパイロットのレベルは?」
『2です。限界』
「やるね。始められそうだったら教えてくれ。それまで、休憩を兼ねて待機」
『了解。ちょっと休みます。降りていいですか』
「いいよ」
 ジム改が僅かに前傾し、ハッチが開く。
 降りてきたコウは、汗でぐっしょりと濡れていた。

「お疲れ」
 水の入ったボトルを渡してやると、コウはそれを頭から被った。
 一頻り頭を振って水を払い、幌の中に空調を効かせたジープに乗り込む。
「……ジム改には拭いてから乗ってくれよ。シートが濡れる。乗り心地はどうだった?」
「それは、良かった。長時間乗ってても尻とか背中とか楽そうです。ただ……ちゃんと座ってればの話で、今は動かすので精一杯……」
 シートにぐったりと寄りかかる。
「……そんなにきついかなぁ……」
「大尉は、実際動かしてないんでしょう?」
 アムロは小さく首を捻った。辺りの様子を伺う様な仕草を一頻り見せた後、軽く肩を竦める。
 猫の様だった。
「うーん……実は、格納庫内移動くらいはね。少しずつでも確かめていかないと、テスト段階までは持って行けないし、いちいち人を呼ぶのも面倒だし。ハッチ開けっ放して、一回五分以内くらいでは。それくらいは、辛うじて許してくれるみたいだし、僕もぎりぎり平気」
「格納庫内移動、って……あんな狭いところで?」
「狭いって言っても、数歩動くくらいのスペースはあるし」
「そんな細かい動きを、これで出来る?」
「細かくないよ。ちょっと起動させて、隣のブースに移したり……それくらいのことだ」
「大きく一歩踏み出す方が、よっぽど楽だよ、あの子」
 止まっているジム改を窓越しに見上げる。
 アムロも一緒に見上げ、目を細めた。

 ややあって、口を開く。
「……コウ。このジープは大丈夫そうだ。ジム改の、基地本部との通信をシャットアウトしてくれるか?」
「いいけど……?」
「コウなら安心できそうだ。僕も乗る。シートの後ろならなんとか邪魔にもならないだろう。僕は小柄だし。キース少尉、基地から連絡が入ったら、通信機器の故障とか何とか言っといて」
 コウの顔が笑みに輝く。
 対して、キースは目を見開いて青くなった。
「え、ええー……ばれないかな」
「現場責任は、僕。問題ないよ」
「問題だらけの気がするんですが」
「責任取るよ。僕が。…………それでもコウとなら、乗ってみてもいいかと思ったんだ」
 ジム改を見詰める。少し目が潤んでいる様に見えた。
 責任、と言うのは、酷く重い。分かっていても、血が騒いでいた。
 コウはただ純粋にアムロが一緒に乗ると言ったことを喜んでいる。
「僕もアムロと乗りたい。さっき断ったのは、見つかったらまずいから?」
「それもあるけど……コウが、アレを繊細な子だって言ってくれたから」
 アムロは笑った。
 今が楽しければ、それでいい。享楽的だと言われようが、どうせ自分の先など見えないのだ。どんな責任の取らされ方をしても、後悔しないと腹を決めていた。
「キース、機材の使い方、分かる? スコープと測定器と……」
「大体は」
「じゃあ任せる。……取れてなくても責めないから。ジム改の方に記録はある程度残るし。測定器より、カメラでムービーと写真をたくさん撮っておいて欲しい」
「了解」
「コウ、落ち着いた?」
「うん。行けるよ」
 水を二口程飲み込む。
「でも、アムロのスーツもヘルメットもない」
「要らないよ。別に戦闘するわけでなし」
「危なくないか?」
「この辺りなら地雷は埋まってないし……問題ないって」
 アムロはするりとジープから降り、伸びをする。
 コウを置いてさっさとジム改に乗り込み、片手を地面に下ろした。
 コウはもう一口水を飲み、ボトルをキースに預けてまたジープを降りる。
「無理すんなよ」
「アムロと一緒だと……歯止め聞かないかも。このジープとの通信だけは残すから、いざとなったら止めて欲しいかな」
「大丈夫なのかな。気分悪くなるとか、気を失うとか……危なくねぇ?」
「……うん……だけど、アムロ、多分もの凄く乗りたがってると思ったんだ。僕も見てみたいし」
「そりゃ分かる。……気をつけろよ」
「うん。ありがと、キース」

 掌に乗り、コウもコックピットへ戻る。
 アムロは直ぐさまシートの後ろに回った。
 ハッチを閉め、言われた通りに基地との通信を遮断する。
「……これで話せる」
 ほっとした様に、アムロは表情を崩した。顔色は冴えない。
 コウには、どうしてアムロが笑えるのか分からなかった。
「まずは、跳躍から。足の撥条で飛んでみて」
「はい」
 返事はしたものの、自分の他のパイロットを乗せたことなどなくて何処か緊張する。それも、あの白い流星だ。
「……固いな。コウ、もう少しリラックスしないと」
 後ろから、右腕に沿う様にするりと腕が伸びた。
 手が重ねられ、コウの手の上からハンドルに触れる。
 柔らかな動きだ。力など殆ど掛けられていない。
「自分が幾ら力んだところで、この子には伝わらない。無理な負荷は傷みを生むだけだ」
「う、うん……」
「ペダル、踏み込んで」
「はいっ」

 跳び上がる。
 十数メートルを跳ねて、自然落下で着地する。
「右ペダルの反応が左に比べて0.03秒くらい遅い、か」
「今のだけで分かるのか?」
「遅く感じなかったか? コウは右利きだろうに。利き足は逆?」
「よく分からない。利き足も右だと思うけど」
「軸足を変えながら何回か飛んでみれば分かるかな。左の負荷が大きくなるから気をつけて」
 操作を見詰めながらも、神経が張りつめるのが分かる。
 緊張が移りながらも、コウは慎重に言われたことを確かめた。
 数度繰り返すと、右に微かな引っかかりを覚え始める。
「……うん。確かに、少し……システム系かも」
 吹かす様な形でペダルを踏み込んでみる。
「コンソールから見られる筈。ちょっといい?」
 後ろから身を乗り出し、パネルに触れる。
 軽いタッチでパネルからモニターへデータを引き出す。いくつもの窓が開いた。
 ポケコンを繋ぎ、プログラムを立ち上げてチェックを開始する。
 目まぐるしくモニターのデータが流れていく。
 黒背景に緑色の文字だった。
 急に流れが止まる。
 緑色の中、一部が赤く表示されていた。
「ここか。…………僕じゃないな。前のデータを流用している部分だ。……やっぱり他人のプログラムは面倒くさい」
 悩むそぶりも迷う様子もなく、キーを叩いて修正していく。
「……うーん。これで直しても、他の修正が出るか……面倒くさいな…………組み直した方が早いか」
 アムロの呟きに、データを睨んでいたコウが声を上げる。
「ちょっと待った! これって、ここが、こっちに流れてるからだよな。ここが難なのなら、えっと、この部分をさ……こう書き換えて……」
 モニターを指で辿る。
 指示語のやたら多い説明でも、十分に通じたらしく、ぱっとアムロの表情が晴れた。
「ああ! そっか。そうだよな。うん」
 コウの指示通りに書き換える。
 アラートが消え、文字は全て緑になった。
「おおー、凄い。さすが士官学校出」
 ポケコンの回線を切る。
「関係あるかな……。基礎を習っただけだよ、僕。後は趣味」
「あるよ。僕は独学だから、あんまり理論立てた組み方とか得意じゃなくて」
 コンソールをひと撫でして、モニターの窓を消す。
 華奢な指先の羽の様な動きに、コウは何故かどきりとした。
「これ、GP01のデータなんだよな。これ組んだ人の方がやっぱり凄かったよ。僕は機械は好きだけど、プログラムとかデスク系のことはあんまり……嫌いじゃないけど得意でもなくって。やってみたけど計算間違いとか多くてなかなか」
「このシステム組んだ人間、知ってるのか?」
「え……あ、ああ…………アナハイムの技術者だ。アムロとも話は合うんじゃないかな。ガンダム大好きらしくて、最初は触るだけで怒られた」
「へぇ……アナハイムの人間にはあんまり会ったことないからな。話が出来そうなら、会ってみたい。……女?」
 図星に驚く。
「何で分かるんだ?」
「何となく……プログラム見てたら、そんな気がした。書き方とか」
「綺麗で華やかな人だよ。今はオークリーの基地側の出先機関にいる」
「彼女?」
「…………どうだろ。そう思ったこともある。……今はどうかな。出所するまで僕を待ってくれていたけど…………恋人だって思った頃みたいに戻れるのか、自信がない」
「…………関わった人なんだな。その人も、深く。……君の言う「嵐」に」
 優秀な人材らしいことはデータから十分に分かった。
 だが、彼女という響きに、コウが何処か狼狽えたのが分かる。
 女というものは、どうしてこうも御しがたいものなのだろう。男の、人生を全て狂わせてしまう程に。
「……もう一回、跳んでみて」
「あ、はい」
 ペダルを踏み込む。
 跳び上がる。着地する。
 その反応に、アムロは満足した。

「うん。いいな。良くなった。次は……バーニアかな。さっきから結構使ってるみたいだけど」
「そりゃあ、使わないと姿勢保てないし。……あのさ、アムロ。シート代わってみない? 僕、アムロの操作見てみたい」
 添えられた手の感覚だけでも分かる。アムロは自分の何倍も機械が好きで、MSが好きで、そして、上手い。
「…………駄目だよ。怖い」
「こんな柔らかい操縦する人初めて見た。お願いします。もっと見せてください」
 コウはシートから腰を浮かせて、アムロの腕を引っ張る。
「厭だって!」
「乗りたがってるくせに、どうして?」
「乗りたくなんてない!」
「嘘だ!」
「そんなの、何で君に分かるんだよ! NTでもないのに!!」
 男二人が争うには、コクピット内は非常に狭い。コウはハンドルに強かに腰を打った。アムロは、肩や上腕の辺りを壁にぶつける。
「っっ……」
 大きく目が見開かれ、アムロは固まった。
 電流でも走ったかの様だ。
「あ……アムロ……?」
 打ち付けた右の上腕に左の手を当て、アムロは蹲った。
「ご、ごめん! そんな、無理をするつもりじゃなかったんだ。どっか怪我、」
「……んで…………」
「え?」
 唸る様な声が聞き取れず、聞き返す。
 アムロは微かに顔を上げ、泣く寸前の様に潤ませた瞳でコウを睨み付けた。
「何で、そんなこと分かるんだよ! 僕が本当は乗りたいとか、そんなの!!」
 声音は、悲痛だった。
 妙なところで敏感で、けれどもかなり鈍感なコウにも、それは十分に感じ取れる。
 アムロは乗りたいのだ。本当に。
「分かるよ! だって、僕だって、ガンダム乗りだ!!」
 理屈ではないのだ。
 アムロは左の手でぎゅっと上腕を掴んだ。
 古い傷が痛い。まだ血が流れている様な、そんな錯覚に陥る。
 傷に手が触れていると、頭痛まで起こってきた様な気がして、アムロはずるずるとシートの背面に額を押しつける。
「アムロ、どうかした? 大丈夫」
「…………ぅっ…………」
 気分が悪い。
 コクピットになんて乗り込むのではなかった。
「気付けなんてあったかな」
 シートの下にあるボックスから応急セットを出して探る。
「……ぃい…………」
 右手で身体を支えながら、左手はやはり右の上腕を離れなかった。
 厭な傷が疼いている。
 こんな傷を刻まれなければ、自分はもう少しばかり自由でいられた気がした。
 あの男の所為で、自分はまだあの時間の中に縛られたままだ。
「降りよう! ごめん、僕、無理を言った」
 ハッチを開けようとレバーに手を伸ばすコウを何とか止める。
 暑い所へ出るだけの力はないと思った。。
 怒りを持続するだけの気力も持てない。
 怒るという行為は、ひどく消耗する。
 そんな気力は、何処かに忘れてきた。
「僕は…………君の操縦を見たいんだよ。それで……いいだろう? 僕は乗らない。乗れない……乗りたくない…………乗りたいと、思いたくない」
 殆ど呟く様に、アムロは顔を伏せた。
「…………戦いたくなんてないんだよ。だから、僕は……本当は何にも関わりたくなんてなかった。軍人になんてなりたいと思ったことはないし、機械弄りは好きだけどMSである必要なんてどこにもなかった。だけど、僕には何の選択肢もなかった…………怖いんだよ。MSに乗ったり、動かしたり…………何より、それで魂の解放を得ている自分が…………何より怖いんだ…………」
 危険だと言った人がいた。この存在を野放しには出来ないと。
 同士になれと言われたあの時、その手を取っていれば……そう考えることもある。
「厭なんだよ、あの感覚が……自分の中の深過ぎるところが他人に掻き乱される、あんなの………………」
「それが……NTの感覚なのか?」
「……そんなの、分からない。だけど……それが心地いい相手と、気持ちの悪い相手がいる。戦場は、厭なことばっかりだ。なのに…………誰よりも深く分かり合える、そんな人と、その戦場で出会ってしまったばっかりに、僕は…………」
 どうしてこんな事を話しているのだろう。
 しかし、言ってしまわなくては。
 時間がない。アムロは焦っていた。
「乗りたいと思ってしまったら、また人を殺さなくちゃいけないんだ。有人の機体を壊したら、その中の人の感情とか、全部引き受けなきゃ行けないんだ。そんなの……僕はもう厭なんだよ。だけど……戦場に行かないと、何にも会えない。戦場が僕から全部を奪ったくせに、今の僕に与えられているのは戦場があったからこその生だけで……っ! 本当は、こんな事に堪えたくないんだ。だけど、僕は……僕がここにいなかったら、僕の代わりに誰がこんな目に遭うんだよ!! セイラさんか? ミライさんか? その他の誰かだって……僕でいいなら、それでいいんだ。だから……もう…………っ…………生きていく為に必要なこと以外何もしたくない。そっとしておいてくれよ……」
 こんな泣き言、他の誰に言ったことがあっただろう。
 強くなければならなかった。戦争中はまだそれでもマシだったが、その後の生活はどうだ。
 隙を見せれば、完全に心も身体も全てを壊されていただろう。
 鬱屈を晴らす術もなく、アムロはただ追い詰められた。NTの研究と称した虐待の数々は、アムロから生きるという人としての最低限以外の全てを奪っていた。
 あの男についていけば、自分はこれ程の目には遭わずには済んだのかもしれないと思う。思うが、待っている人がいたから、アムロはその手を振り払うことが出来たのだ。
 だが、戦争が終わると、全てがアムロから奪われた。
「もう……失うものなんて何もないけど…………でも、この、まだものを考えられる頭がある限り、僕は、乗りたくない……こんな状況で、乗るのは厭だ……怖いんだよ…………戦場で僕は、やっと……いろんな喜びとか、悲しみとか、感情を知って…………あそこに戻りたいと………………戦争だぞ? そんなもの、自分が望んでるなんて知りたくないんだ。あそこでしか本当には生きられないなんて、知りたくないんだよ!!」

 コウは溢れ出すアムロの叫びに面食らって、ただ聞いていることしかできなかった。
 昨日会ってから、何処か冷めたところのある……見た目は少し自分より若いくらいに見えたが、たまにぞっとする程悟った様な瞳をする男だと思いはした。目と表情だけは妙に大人びて見えて、それが危うい様な気もした。
 NTの感覚など、コウには全く分からない。学校のどの教科書にも殆ど載っていなかった。雑誌でおもしろ半分に取り上げられていた便利な力、その程度の認識だった。
 だが、この痛い様な声は何なのだろう。コウは混乱する。
 アムロの二つ名が示す様な力があれば、コロニーは落ちなかった。ガトーとも戦って、戦い抜いて、決することができた筈だ。そう思ったから、昨日は苛々して感情が抑えられなかったりもした。
 アムロが自分を羨む意味など分からなかった。
 だが……こんなに彼は苦しんでいる。
 自分が……いや、それだけではなくて、その「感覚」とやらの分からない人間達が、こんなにもアムロを傷つけ追い詰めている。
 コウは狭い中で無理にシートから降り、跪いた。
 シートの後ろへ手を回し、アムロに触れる。
 アムロは驚いて身体を引こうとしたが、場所が狭く叶わない。
 コウの手はアムロの頭に乗せられた。

「ごめん、アムロ」
「…………コウの所為じゃない」
「でも、思い出させた。……僕には、確かに、アムロの辛いのとか苦しいのとか、全然分からない。……ごめん」
「……謝られても困る。……別に、コウを責めたりなんてしてない」
 コウの手を振り払うことは出来なかった。
 そのまま俯いている。
「……アムロは、大尉だけど……軍人じゃないんだな」
「…………軍人なんて嫌いだ」
「辞めることも……出来ないのか……」
「出来るなら、初めから……ガンダムを動かしてしまったその後でだって、ホワイトベースなんて降りてた。……いや、そこでは無理か。僕はガンダムに執着していたから。だけど……戦争が終わってまで付き合う程の義理もなかった。思い入れのある機体は、最後の戦いで失くしてしまったし」
 父は現世の住人ではなくなり、母の元にも返れず。父との唯一の繋がりだったガンダムという特殊な機体も、失ってしまった。
 もう戻れなかったのだ。縁を失くしてしまったから。そう思って、諦めるしかなかった。
「…………でも、さっき、僕は……コウとなら乗ってみたいと思ったんだ。コウの腕を見たかったとかじゃなくて……まあ、それもあるけど……何でかな…………昨日から、僕、凄く楽しくて……コウと一緒だったら、厭なことも楽しくなるかなって……実際、コウが動かしてるのを見てるのは楽しかったし、コウと一緒にならちゃんと操縦できる気もした。僕が主体でなければ……こんな、広い外でも、もう一回……惑わされずに乗れるんじゃないかって………………羨ましかったんだ。コウとキースが、お互いみたいな、すごくいい友達を持ってて、バックアップとか、当然みたいにして…………なのに、僕には、誰もいなくて……」
 アムロは泣いていた。
 コウは狭いながら、何とかシートの後ろに身体半分を回し、アムロの腕を支える様にして身体を起こさせる。
「でも、僕達って、もう友達だよな?」
「………………そんな簡単になれるものか」
「簡単に……って、友達になるくらいのことが難しかったら、知り合いなんて増やせないよ?」
 アムロが何をそんなに困難に感じているのか分からない。
 コウが一足飛びに越えられる垣根が、アムロにとってはひどく高くそびえ立つ山脈の様なものなのだ。
「僕も、キースも、もうアムロのこと友達だと思ってるんだけど?……じゃないと、上官のこと名前で呼び捨てなんて、誰も聞いてなくたって出来ない。なぁ、キース! 聞いてるだろ?」
 モニターの片隅を振り返る。画像は出ないが、ノイズの混じった声が聞こえた。
『ああ、聞いてるよ!』
「僕達、友達だよな?」
『勿論! ああ……アムロがいいって言うなら、だけど』
 アムロは不安げな目で顔の写らないモニターと、コウを見比べる。
 そのあまりに頼りない視線に、NTの力など、そんなものなのだとコウはよく分かった気がした。
 目の前の人一人の心も分からない力など、そう大したものではない気がする。
 アムロはそんな、ただの……下手をすると普通より人慣れをしていない小さな人間だった。
 憧れの崩壊だとは、思わなかった。きっかけはアムロであっても、憧れの対象はもうアムロではなくなっている。そして、単純な「憧れ」を必要とする歳でもなくなっていた。
「……友達……なんて…………」
「厭?」
 アムロは強く首を横に振る。
「難しく考えるから、混乱しちゃうんだよ。僕もあまりものをよく考えるのとか苦手で、頭に血が上ったら混乱してどうしようもなくなってしまったりするんだけど……キースとかに落ち着けって言って貰うと、ちょっとは治まったりするから。アムロも、落ち着こう。な」
「……僕は…………落ち着いてる」
「落ち着いてる人が泣いたりなんかしない。取り敢えず、立とうよ。こんな狭いところで蹲ってたら、ハマって抜けられなくなったりして」
 促されて、渋々立ち上がる。あちらこちらに身体が引っ掛かって擦り剥いたり打ち付けたりした。
「さっき打った腕、痛そうだったけど大丈夫か?」
「…………ああ、それは…………」
「応急処置くらい出来るよ」
「古い傷が疼いただけだ」
 有無を言わせず半袖を捲る。
 そこには、確かに古いがくっきりと残る傷跡があった。
「開いてはないな」
「……もう、五年近くも前の傷だ」
 当時には酷く痛かったことだろう。コウは眉を顰める。
「まだ痛むんだろう?」
「いや……そんな気がするだけで、実際には完全に塞がってる。……これが、あの戦争で唯一形に残ったものだ。戦争なんて下らないって、よく分かる」
「知ってるよ。……どんなに下らないものかなんて」
「…………そうだな。ガンダムは、それを見せてくれる機体だ」

 コウはシートに座り直した。
 モニターの時間表示を見る。
「……バーニアだっけ」
「ああ。上へ」
 モニター越しの空を見上げる。
「アムロさぁ……せめて、こっちに来ないか? このシートは懐が広いから、アムロが来てもきつくなさそう。後ろに立たれるより落ち着くし」
「ペダル踏むのの邪魔になる」
「大丈夫だって。アムロって小さいから」
「僕、背は170はあるぞ、これでも」
「僕より低いし。幅も厚みもないし。それに、その方がミスや修正の時に便利だ。後ろから手を伸ばすの、ギリギリだったじゃないか」
「…………くそっ……」
 身長より小柄に見えることを気にしていないわけではない。
 肩幅で言えば、感覚的にコウの半分程しかない。
 散々の実験に付き合った結果、アムロの身体は通常の男性より少し早めに成長を止めてしまったらしい。
 もともと体格に自身のある方ではなかったし、あからさまな程小柄なわけでもないから平時には気にも止めないが、同い年でこうも立派な身体つきの人間を目にすると何となく悔しくなる。
「今度はシートの端っこに折りたたみの補助シートでもつけるかな」
「それ、案外いいかも。一回だけ二人で乗る羽目になったことがあって……ちょっと不便だった」
「冗談だよ。……脱出ポッドとか、重量の問題もあるし、そもそもレアケース過ぎる」
 仕方なくコウの前に回って足の間に座る。アムロが座るにはさすがに狭い。
 せめて体勢を安定させる為に、コウに凭れる様に座る。
「ベルト回るかな」
「そんなのいいよ」
「飛ぶんだよ、これから。降り方は? バーニア吹かせてゆっくり降りるのか、ギリギリまで自由落下か」
「自由落下。コウの反応と、バーニアの点火時間を見たい」
「余計にベルトがなくちゃ。アムロなんか簡単に浮くよ」
 クロスに掛かるベルトを一度外し、アムロの身体越しにつけ直す。
 十センチの身長の違いは均等に出ているらしく、頭の位置は大きくは変わらない。
 アムロは少し頭をずらし、後頭部をコウの肩口に押しつけた。
「前見えるか?」
「大丈夫。行きます!」

 跳び上がる。
 飛び上がる。
 空が近く、地面が遠くなっていく。
 全身に掛かる重力に、アムロは目を閉じる。気分の悪さと、背に感じるコウの体温が鬩ぎ合い、辛うじて意識を繋ぎ止めていた。
 限界まで上がり、バーニアを使って一時滞空する。
「アムロ、平気?」
「……ぅ……ぁ……ああ…………」
「降りるよ」
「今高度は?」
「4000フィート。……もうこれ以上は」
「ああ……落ちて」
「了解」
 バーニアを止める。
 身体が浮いた気がした。
 そうしたうちに直ぐさま再点火。4000フィート程では、落ちるのにさほどの時間は掛からない。
 地上に着くぎりぎりで、機体は一瞬ふわりと浮いた。その後着地する。
 落下中そして一瞬浮いたその瞬間に、胸の中でアムロが強張ったのが分かった。
「…………厭だな、やっぱり。この浮遊感は……」
 コウに身体が押しつけられていた。その事にも強張っている。
「もう一度行くか?」
「……ああ。今度は、段階を追ってバーニアを弱めて…………いや、そうだな……限界まで滞空してくれ。出力が落ちるまで……」
「それは危ないよ」
「その為のテストだ。…………空へ……」
「気分は?」
「大丈夫だ」
「…………分かった。危なそうだったら自己判断に任せて貰う」
「ああ……」
 再び空へ。

 アムロの肢体がコウへと押しつけられる。
 一人では、やはりまだ乗れそうにもない。地球が重い。
 今度は何とか目を開けて、モニターを見た。下を映すと、地面が見える。
「……キースが小さいな」
「でも……直ぐ分かる」
「ああ…………いい奴だな」
「そう思うよ。ナイメーヘンに行って、一番良かったのは、キースと友達になったことだ」
「そうか…………いいところだったんだろうな」
「僕は運が良くて……何処に行っても、何かいいことはあったからな。オークリーに来て少し鬱屈していたけど…………やっぱりここでもいいことがあった。アムロに会えたもの」
「…………僕は、ついてないって思うことがもの凄く多かったけど……この地には、感謝してもいいかな…………君達に会えたから」
 アムロはコウを振り返った。
 目を細める様にして笑う。
「友達……で、いいんだよな」
「当然!」
「うん…………信じる」
「そろそろ降りる。ホントに拙そう。少し残しておかないと、基地まで戻れなくなる」
「ああ……地上でのチェックをまだしてなかったな。バーニアでの推進と停止。砂地の上で。降りるか」
「分かった」

 一通りの動作を確認する。
 アムロが見ていると思うと緊張したが、それは厭な感覚ではない。
 親しみを覚えている教師の前で、黒板に回答を書く様な……そんな、昂揚感に近いものだ。
 粒子は出さずにビームサーベルの柄を持ち、素振りをしてみせる。
 しかし、モニターの端のゲージを見て、コウは動きを止めた。
「ああ、拙いよ! バーニアの使い過ぎだ! そろそろ止めないと基地まで帰れないよ」
「基地までなんて、歩いて帰ればいいだけじゃないか。宇宙じゃないんだからバーニアなんて何に使う?」
「バランス取るのは、バーニアしかないじゃないか。使わないと、二足歩行なんて無理だよ」
 泣き言を言うコウに、アムロは苦笑した。
 まだ分かっていない。
「コウなら、大丈夫だ。気付いてるか? ここでテストを始めてから、一度もバランスを崩してない。気負うからミスするんだ」
「え? あ、ああっ! 本当だ!」
 そう叫んだ瞬間に、機体が傾ぐ。
「っ! コウ!!」
「くっ……」
 何とか立て直す。
「意識するな! 着地だって全部成功しただろう!?」
「う……うん……っ……」
「だから、言った筈だ。難しく考えなければ大丈夫だって。生身で歩いたり、呼吸したりするのと一緒だよ。それなのに、僕カスタムってだけでみんな尻込みするんだから……」
「反応が敏感過ぎるのは確かだよ。ほんの少しの操作がダイレクトに伝わり過ぎる。繊細過ぎて、僕には向いてない」
「みんなの扱いが荒いんだよ。もっとソフトに扱ってやれば耐用年数だってずっと延びるのに」
 コウより一回近く小さい手がコンソールパネルを撫でる。
 愛おしい恋人にでも触れる様なその仕草に、アムロのMSに対する思いを知る。
 機械が好きで、その対象がMSである必要はない、と言った。それは、少し違うのだろう。
 MSである必要は、アムロが気がついていないだけで、ないわけではないのだ。関係ないと言ってしまうには、MSはアムロにとって切り離せない大きな存在だった。

「ハンドルだけ、ちょっと握ってみる?」
「……………………そう……だな。ちょっとだけ……」
 空いたグリップを握る。
 コウは、ペダルからも足を離した。
 アムロはコウを振り返り、泣きそうに顔を歪める。
「格納庫内で動かすのと一緒だよ」
「………………そうかな。これ一機あれば、ここから逃げることだって出来る」
「僕を乗せたままで?」
「…………コウなら、来てくれるか?」
「……………………アムロが本当に逃げたいなら、手を貸すと思う」
「銃殺刑だぞ。それに……まだ、多分……その時じゃない」
 アムロはペダルに足を乗せ、前を睨んだ。
 コンソールの上を指がひと撫でし、止まっていた機械人形に命が宿る。
 柔らかな動きでジム改が動き始める。

 飛ぶ。
 走る。
 跳ねる。
 まるで舞踏の様だ。既に無機物ではなく生き物に見えた。
 MSの動きをこれ程綺麗だと思ったことはない。今まで見た中で一番美しかったMSは、コウの駆るGP01/Fbが宇宙で戦っていた時だろうが、それを遙かに凌いでいた。
 突然動きの変わったジム改に、キースはカメラを向け続ける。
 この動きがコウではないのは分かった。コウなら、そのちょっとした動きの癖でも十分に分かる筈だ。
 柔らかく、軽い。
 機体の性能さえ違って見えた。
 重力下だというのに、四十tを超える巨体の重みを感じさせない。
 インカムに耳を押しつけるが、二人は無言だった。
「……大丈夫なのか、アムロ……」
 ただ息遣いが聞こえる。コウのではなさそうだった。
 操縦しているのはアムロなのだろう。無駄がない。ただのジム改に、ガンダムの白く美しい機体がオーバーラップして見えた。

「アムロ…………凄すぎ……」
 コウはただひたすらに、アムロの操縦に魅入る。
 無駄のない、美しいグリップ捌きにペダリング。
 アムロの身体の一部の様だった。
 自分もそれなりにMSの操縦には自信があった筈だが、これは全くの別物だ。
 羨む気持ちすら起きなかった。ただ、こんな技術を目の当たりに出来ただけでも凄いことだと思う。
 否。技術とか言うものでもなさそうだ。学べるものではない。天与のものというのは、あるのだ。
 水を得た魚というのは、こういう事なのだろう。
 バーニアの限界が近付いているが、コウが扱うよりずっと減りが少なかった。
 最大限機体性能が引き出されている。
「…………あぁ…………」
 戦いに絡まないなら、造るだけではなく動かすのも好きなのだ。そして、その能力も頭抜けて高い。
 ビームサーベルの柄で、型を始める。
 コウは、何かに包み込まれる様な不思議な感覚を覚えていた。
 OTであるコウにはよく分からなかったが、アムロの持つNTの感覚そのものだった。
 水の音が聞こえた気がした。
 生命の根源である海の様な……コウは敏感な質ではないが、その様に思う。
 コウには何も分かってやれない。この感覚の意味すら分からない。
 だからこそ心地よいのだと、アムロは無意識に悟っていた。

 一頻り振り終え、息を吐く。
 動きを止め、アムロはコウに寄りかかった。
「……………………ああ……駄目だ、僕……」
「何が!? もの凄かった! こんな風に動けるものなのか、MSって」
 コウは軽い興奮が覚めない。
 しかし、アムロは疲れた様子で目を閉じる。
「…………だから、駄目なんだよ。……駄目だ……」
「だから、何が」
「……僕の操縦は、どうだった」
「凄かった。MSがこんなにも綺麗に動くなんて知らなかった。まるで踊ってるみたいに滑らかで、綺麗で」
「…………コウから見たら、そうなんだよな…………でも、僕には、これでもまだ不足して思える。僕が動きたい速度には機体がついて来られない。何をするにも困りはしないけど、ただ、自分が満足できない…………乗らない。乗れない。乗りたくない。……そう、どれだけ口で言ったって…………」
 手を離し、狭い空間で膝を抱え上げる。
 膝の間に顔を埋めていた。
「もっと、自由になりたい……だけど、重力が僕を大地に縛り付ける。重力の鎖が僕を絡め取って、身動きが取れない……」
「あれでも、まだ自由じゃないっていうのか?」
「自由なんて何もない。重いんだよ、何もかもが……」
「これで重いっていうなら、僕なんて藻掻くだけで何も出来てやしないじゃないか!」
「もっと、自由だったんだよ、僕は!! なのに……っ…………落下の時に一瞬重力から解放される、あの感じが堪らなくて……いつか、何処かから飛び降りてしまいそうになる。重力に引きつけられて、死にそうだ!」
「宇宙に上がればいい」
「簡単に言うなよ! 誰も許さないし、僕だって…………怖いんだ、無重力なんて……飛び降りたって、死ねもしない」
「死にたくなんてないんだから、それでいいじゃないか」
「死にたいんだよ。だけど死にたくない。死ぬのも怖い」
 矛盾した言葉だが、コウにも分かる気がした。
「僕だって怖い。死ねばあの世でもう一回戦えるかも知れないけど……でも、怖い。だけど、怖くなくなったら、それこそ軍人なんてしていられなくなる。だから、これでいいんだ」
 アムロの肩越しにグリップを握り、ペダルを踏む。
 もういい時間だ。機体も一度戻って整備をした方が良さそうだった。
 それに、アムロにも少し時間が必要な様に見えた。
 そうだ。もう昼時に近い時間なのだし、少し休んで食事でも摂って。普通の友達同士がする様に他愛もない会話でもしていれば少し気分も浮上するだろう。
「一度戻ろう。……この中で、半生分は話した気がする」
「…………ああ…………」
 アムロは顔も上げなかった。
 コウは、一度キースの待つジープの側まで近寄りアムロを下ろした。
「キース、アムロのこと、頼む」
「あ、ああ……アムロ、大丈夫?」
 殆ど抱きかかえられる様にして降りてきたアムロを受け取り、様子を伺う。
 顔の色が紙の様に白かった。
「もうご飯だし、一回戻ろう」
「ああ。アムロ、本当に、大丈夫か??」
 ジープの助手席に何とか座る。
 アムロはシートに身を沈め、何処か眉を顰めながら緩慢に視線を向けた。
「…………大丈夫だ。聞いてたんだろ、キース少尉。…………回線を基地と繋ぎ直した後、一時帰還。キース少尉、運転を頼む。ウラキ少尉はそのまま帰還。格納庫にジム改を収納の後状態チェックと報告を僕と整備長へ提出。その後各自昼食と休息。1300に再集合の上、テストを再開する」
 辛うじて「大尉」の顔に戻っている。
 精一杯の強がりであることは二人にも分かったが、そう命ぜられては「少尉」として返すしかなかった。
「了解しました。遂行します」


作  蒼下 綸

1/2/3

戻る